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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
弐ノ幕◆小鳥のうた
16/65

畏れを知らぬ魂は

 ――――翌朝。


 鬼灯小では、朝から全校集会が開かれていた。

 昨晩家に帰らず行方不明だった曽根翔汰という児童が、学校の焼却炉で見つかったという知らせ。それから、事件に関して警察が捜査しているため、校舎裏の焼却炉前には近付かないようにということを、教頭の口から伝えられた。

 午前の授業はいつも通り行われたが、午後の授業は全学年繰り上げて五時間目までで放課となった。


「英玲奈ちゃん、今日一緒に帰らない?」


 帰り支度をしていた英玲奈の元に、松崎莉亜が近付いてきて声をかけた。英玲奈は、ランドセルを背負うと雛子をチラリと見やってから、莉亜に答える。


「すみませんが、今日は寄るところがあるんです」

「そっか。じゃあ、またね」

「……お先に失礼します。雛子さん、行きましょう」


 雛子の手を引いて教室を出ると、英玲奈は急ぎ足で昇降口へ向かった。雛子も学校でなにが起きているのかわからないなりに、英玲奈を心配して懸命に着いていく。

 門を出たところで、英玲奈は雛子を振り返り、そっと息を吐いた。


「すみません、何の説明もなく急いだりして」

『ひなこはへいき。どうしたの?』

「詳しくは千鶴姉さんのところで話しますが、面倒事が起きそうなんです」

『そっかぁ』


 話しながら、帰路とは逆方向へと進む。早い時間に終わったため、まだ小学生以外で下校する人の姿はない。高校に着いたふたりは、まず職員室に向かった。

 開け放たれたままの扉を軽く叩いて、中に声をかける。


「すみません。神蛇先生はいますか」

「はーい、ちょっと待っててね」


 近くにいた若い女性教師が気付いて応答し、職員室内へ声をあげた。神蛇は職員室の隣にあるコピー室にいたらしく、手に印刷物を抱えた状態ですぐに出てきた。


「あら、今日も来たのね。いつもより早いみたいだけれど、どうしたのかしら」

「実は、小学校で事件がありまして……一時間繰り上がったんです」


 そこまで言ってから軽く辺りを見回し、声を潜めて続ける。


「そのことで、部の皆さんにご相談があります」

「そう……わかったわ。こちらはまだあと一時間授業があるから、部室で待ってもらうことになるけれど、大丈夫かしら?」

「はい。お邪魔します」


 神蛇は職員室内へ誰にともなく「この子たちを送ってきますわ」と声をかけてから、ふたりの背に手を添えて促した。優しい手に導かれ、ふたりは文化部部室棟を目指す。本校舎内は授業を行う教員の声とそれに答える生徒の声、発表のために席を立つ椅子の音が時折する程度で、とても静かだ。渡り廊下に出ると、体育館のほうから元気な声とボールが跳ねる音が聞こえてきた。

 本来なら、英玲奈たちも今頃は校庭で体育の授業を受けている頃だ。よりにもよって五時間目が算数で、六時間目が体育だったため、クラスの男子が残念そうな声を上げていたのを思い出す。


「さあ、どうぞ」


 百鬼夜行部部室に着くと、神蛇は扉を開けてふたりを中に招いた。いまは授業中だというのに、伊月が既にいていつもの場所で本を読んでいた。


「ふふ。伊月くん、サボりは感心しないわね」

「……体育なので」

「あら、そうだったの」


 首を傾げる英玲奈に、神蛇は淑やかに目を細めて席を勧めた。どこにでもあるパイプ椅子に手製のクッションをつけたそれは、小学生の体には少し大きい。背の低い雛子は後ろで支えていないと椅子から転げ落ちてしまう。

 英玲奈が手を貸し、神蛇が背もたれを支えた状態で雛子が何とか椅子によじ登ると、英玲奈も隣の椅子に腰掛けた。

 賑やかな桐斗と柳雨がいないこの空間では、意識して喋ろうとしない限りはひたすら沈黙が続いてしまう。雛子だけは上機嫌で足を揺らしながら歌っているが、その歌声が聞こえるのは英玲奈だけだ。


「英玲奈ちゃんと雛子ちゃんに、お話してもいいのかしら」


 神蛇が伊月へ視線をやると、伊月は無言で本に目を落とした。どうやら、自分で説明する気はないが、止める気もないらしい。神蛇は英玲奈の隣にしゃがんで目線の高さを合わせ、静かに話し始めた。


「伊月くんはね、元々清浄な山の空気の中でしかいられない子だったのよ。わたくしや桜司くんのように人に近い存在と違って、彼は純粋な『天の神様』だから……いまでも地上での激しい運動は難しいの」

「そんな、文字通り格の違う方が、どうして……」


 驚く英玲奈の視線を受け、伊月は本を閉じると顔を上げた。


「アイツを……この街の柱を折ったのが、俺だからだ」


 至極冷静な声音で放たれた言葉はとても短く、さらりと空気に溶けて消えた。だが、その短い言葉の中にも余りある拭い去れない後悔の念を感じ、英玲奈はいたたまれない気持ちになった。


「……すみません。わたしのような余所者が聞いていい話ではありませんでした」

「別に、話したのは俺だ。隠すことでもない」


 何とも言えない空気の中、ずっと黙って聞いていた雛子が英玲奈の袖を小さく引いて呼んだ。


『じゃあ、おきつねさまは、どこにいるの?』

「……! そういえば……」


 柳雨や英玲奈のように特殊な形で現世に生きているものは別として、神族はご神体があって初めて現世と繋がりが出来る。神蛇の本体は祠の中に。伊月も自らの社に。だがそれを持たない桜司は、どうやって顕現しているのだろうか。


「……でも、これ以上は、それこそわたしが踏み込んでいい話ではないですし……」


 そう英玲奈が呟いたところへ、扉が開く音がした。小さく驚き顔を上げれば、授業が終わって合流した噂の本人と千鶴がいた。今日も真莉愛は休みだったため桜司が迎えに行ったらしい。


「あれ、英玲奈ちゃん今日も来てくれたんだ」

「ええ……お邪魔しています」


 何とも気まずく、英玲奈は桜司から目を逸らす。ほうって置いても大きな瞳でじっと見つめてくる英玲奈が妙にしおらしいことに疑問を抱いた桜司は、なにがあったと声に出さずに神蛇を見つめて問うた。

 神蛇は眉を下げて微笑み、一度伊月を見る。伊月は相変わらず無言のままだが、先と同様話す気も止める気もないようだ。


「伊月くんがどうしてわたくしたちと共にいるのか、のお話をしていたのよ」

「なんだ、そのことか」


 大したことでもなさそうに言うと、桜司は千鶴を膝に乗せる格好で席に着いた。腕を千鶴の体に回して固定しながら頭を撫で、頬を寄せる。


「罪滅ぼしのつもりか知らぬが、律儀なことよな」

「……別に」

「? 何のお話ですか?」


 今し方来たばかりで話が見えていない千鶴が、桜司の手をぺたぺた触れながら問う。桜司はそんな千鶴の手を捕えて指を絡め、雑談のような口調で続けた。


「以前、我の本体が既に焼失しているという話はしたな」

「はい……落雷で折れてしまったと……」

「それをやらかしおったのが、そこにいる伊月だ」

「えっ」


 千鶴が驚いて思わず声を漏らすと、伊月は僅かに眉を寄せた。不快とは違う、痛みを堪える表情だ。


「狐がお前を求める理由も、そこにある」

「否定はせぬが、それだけと思われるのは心外だな」

「どういうことですか?」


 伊月は閉じた本の表紙に目を落としながら、静かに続ける。


「狐は、所謂ご神体がない状態にある。現世に顕現するためには、物質を介する必要があるのだが、それがない」

「え、それじゃあ、どうやって……」

「地中に残った根を、彼奴が再利用したのだ。元の大木は消えたが、いくつかに分けて植え直し、桜並木に変えた。拝殿裏にあるだろう」

「はい。わたしが見たのは葉桜ですけど、咲いたら凄いだろうなって……あの木が全部先輩の桜だったんですか?」


 桜司はゆるりと頷くと、千鶴を撫でた。そこにあることを確かめるように、優しく。


「それでも不完全であることに変わりはない。ゆえに我は、お主を求めた。……まあ、いまとなってはどうでも良いことだがな」

「先輩……」


 室内が、水底に沈んだかのような空気になったとき。扉が勢いよく開いて千鶴は肩を跳ね上がらせた。反射的に視線をやると、桐斗と柳雨がぽかんとした顔で立っていた。


「なんだよ、葬式みたいな顔して」

「え、あ……いえ、何でもないです」


 誤魔化すのが下手な千鶴を、桐斗が不思議そうに見つめる。そこへ話題の当人である桜司が、それよりと割って入った。


「お主らこそ、なにかあったのか? 随分遅かったようだが」

「あー……」


 ふたりの視線は、先ほどからじっと黙って様子を見ていた英玲奈に注がれる。


「小学校で、事件があったでしょ。そのことをちょっと町の猫や鴉から聞いてたんだ」

「紅葉がここにいんのもそれだろ?」

「……ええ、まあ」


 最早呼び名に関してはあきらめ顔で、英玲奈が頷く。桐斗と柳雨もあいている椅子に座ると、早速話し始めた。


「夏休み前に、影踏み鬼とか流行ったの覚えてるか?」

「はい。それって、元は小学校からでしたよね」


 柳雨の言葉に千鶴が答え、英玲奈を見つつ問うと、英玲奈は一つ頷いた。件の流行は小学校の鬼ごっこが発端となり、高校で流行した。だが高校で流行った抑もの理由は、誰かがオカルトサイトを見て試してみようと言い出したことからだったように思う。


「小学生のほうは偶然でな、たまたまタイミングが合っちまっただけだったんだ。噂の出所は、うちの生徒が見てた怪しいサイトのほうさ」

「あのとき僕らは見つけらんなかったけど、ターゲットになった子が見てたのがね……嘘屋なんだよ」


 嘘屋。

 その言葉を桐斗が出した瞬間、室内の空気が張り詰めた。唯一事情を知らない千鶴が困惑しているのを見て、神蛇が優しく目を細めて「千鶴ちゃんにもわかるように、お話しましょうね」と囁いた。


「嘘屋というのは、その名の通り真実を対価に嘘を売る妖なの」

「人が言葉を使うようになった頃からいるとも言われてるヤツで、最近はネットで噂を集めたり狙った人間に嘘を売ったりしてるみたいだね」

「先生、その、嘘を売るというのは……?」


 神蛇は唇に薄く笑みを引くと「例えばの話よ」と前置いてから説明した。


「千鶴ちゃんが、怪異に煩わされない、普通の生活がほしいと願ったとするでしょう。それを売る代わりに、嘘屋は真実を一つ対価に持って行くのよ。この場合は、わたくしたちと共にあるいまの日常になるかしら」


 平凡と引き換えにいまの生活を失う。嘘を得る代わりに真実を失う。失われた真実はその時点で嘘となり、嘘屋の糧となる。

 人は嘘をつく。悪意にせよ、善意にせよ、真実だけを抱えて生きている人は殆ど存在しない。なぜなら、真実は時に残酷で無慈悲な刃となるから。だから人は、優しい嘘を舌に乗せる。そうして語られた嘘は嘘屋の元へ集められ、彼の妖の力となる。


「嘘屋は、誰の願いも無差別に叶えるわけではないわ。価値のある真実の持ち主だけを選んで叶えるの」

「神出鬼没で嘘を必要とする人の前にしか現れないから、花屋街のほうでも動きを追いきれないみたいなんだよねー」

「更に面倒なのが、別に悪いことをしてるわけじゃねえのよな。簡単に言や、カミサマポストの対価をきっちりもらうバージョンみてぇなもんで、求めてないヤツに無理矢理押し売りしてるわけでもねぇし、口八丁で買い付けたりもしねえ」


 難しい顔をして小さく溜息を吐くと、桐斗は隣の雛子とその隣にいる英玲奈を見た。当然のように部室にいるが、ふたりは小学生のはずだ。


「そういえば、ふたりはどうしたの? なんかあった?」

「はい。実は、わたしのクラスで妙なことがありまして……」


 英玲奈はチラリと雛子を見てから、室内を見回す。社を失い、信仰を失い、果てには人と混ざり落ちぶれた縁切り鴉などが恐れ多いと思いながらも、静かに切り出した。


「複数人の縁の糸が、一晩であり得ない変化をしたんです。一人は昨晩自殺しました。もう二人も、か細い糸が辛うじて残っている状態で……嘘屋が動いているなら、誰かが縁の移ろいを強く願ったのかも知れません」

「誰かっつーけど、お前さんなら見えてんだろ」


 雛子の手を握り、眉を寄せる。深夜に雛子の元へ伸びてきた悪意の糸は断ち切った。だが、男子児童の自殺やクラスに流れていた妙な空気の原因は、まだ残っているように思えてならない。英玲奈の目に映るあの教室の糸は、全てとある女子児童へと集まっていた。彼女をどうにかしないことには、きっと終わらないだろう。


「……松崎莉亜。クラス中の糸が、彼女に集められていました。そして彼女から伸びる糸も、クラス中に張り巡らされています」

「その糸は?」

「嫌悪、ですね。嫌悪と拒絶、恐怖などが全て彼女の中から解き放たれ、クラスの皆に押しつけられています」

「エグいことしやがる」

「あの……それって、具体的にどんなことが起きるんですか?」


 苦虫を噛み潰したような顔をした柳雨に、千鶴が疑問を投げかけると、柳雨は珍しく考える仕草をしてから笑みを作ることなく答えた。


「人ひとり分、一生分の嫌悪の感情がどれくらいかなんて想像もつかねえだろうがな、一生のうちに感じる嫌悪を全部短時間で感じるとどうなるか……その感情に支配されて対象が視界に映るだけでも嫌で嫌で仕方なくなる。人間の子供なら尚更、直情的に排除しようとしちまうだろうな」

「例の男子も、自身への嫌悪を募らせた結果『燃えるゴミとして』自殺しました」

「そんな……」


 ぎゅっと、千鶴を抱く桜司の腕に力がこもった。

 嘘屋の話になってから妙に静かだが、なにか思うところがあるのだろうかと、千鶴が振り返ろうとする度に力がこもり、肩口に顔を埋められる。これでは様子を窺うことが出来ない。けれど、桜司が千鶴に埋もれるときは不安なときだということは、数ヶ月の付き合いで理解している。

 千鶴は暫くそのままで、桜司に身を任せることにした。

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