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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
弐ノ幕◆小鳥のうた
14/65

おまじない

 放課後、友人と集まって他愛ない遊びに興じる。僅かな時間も惜しむように、夕陽がなるべく遅く沈むよう願いながら。

 鬼灯小学校に通う三人組の菅本心海、久木芽衣、松崎莉亜も、互いの家の中間地点にある心海の家に集まって、人形遊びやゲームに興じていた。

 それだけなら平和な放課後の風景だったのだが、ふと芽衣が手を止め、小さく呟く。


「……あの子、すごいなれなれしかったね」


 芽衣の言葉で、心海と莉亜も手を止めて顔を見合わせた。

 あの子という曖昧な物言いでも、彼女たちにはすぐにそれが誰を指すか理解出来た。転入生の、梅丸雛子だ。

 雛子は転入初日でクラスに馴染み、あろうことか、心海たちの憧れである英玲奈とも親友のように接していたのだ。自分たちは一年生の頃から同じクラスにいた。なのに、英玲奈とは稀に会話をするだけで、仲がいいとは決して言えない。なのに。なのに。

 三人のあいだに、やり場のない嫉妬心が蟠っていく。ただ、自分たちとも仲良くしてほしいと言えば済む話ではあるのだが、それが出来るなら去年のうちにしているわけであって、残念ながらここにいる三人は、それに全く思い至らなかった。

 その一方で、気に入らないからといって大っぴらにいじめてやろうなどという度胸があるわけでもない。目立たない暗い子ならまだしも、英玲奈と仲が良く既にクラスにも馴染んでいる相手だ。下手に手を出せば、こちらがクラス中から嫌われてしまう。

 なにも出来ないまま、ただ悶々とした思いを抱え続けるしかないのだ。


「そうだ。おまじないしようよ」


 そう、思っていた。この瞬間までは。


「おまじない?」

「そう。いじめとか呪いとかはいけないことだけど、おまじないなら皆もやってるからセーフだし」

「そっか、そうだよね」


 沈んでいた空気が、少しだけ明るくなる。気休めだとわかっていても、それに縋ってなにかをしたことにしなければ、積もりに積もった嫉妬心でおかしくなりそうだった。

 心海は学習机の上に置かれた中古のパッドを起動して、インターネットに接続した。


「それ、どうしたの? もらったの?」

「うん。お父さんのお下がり。中学生になったらちゃんと買ってくれるんだって」

「いいなぁ」


 他愛ない話をしながら、心海は若干ぎこちない手つきでオカルトのサイトを開いた。嘘屋という表題は彼女らには読めなかったが、各種リンクにはルビで読み仮名がふってあるため迷うことはなかった。そこには、恋が叶うものや友人と仲直りするものなど、よくある子供向けのおまじないが並んでいる。

 そんな可愛らしいものの中に、ライバルを蹴落とすおまじないや誰かに仲違いさせるおまじないなど、一部不穏なタイトルが紛れていた。


「嫌なものや怖いものがなくなるおまじない……これとかどうだろう?」


 不穏なものが並ぶ中に、それらしい文言を見つけて心海は手を止めた。

 少し大きめな色違いの文字で書かれたタイトルの下に、小さな文字で煽り文が並んで書かれている。


『誰にでも嫌いなものや怖いものはあるでしょう。それが大したことのないものなら、このおまじないは必要ありません。でも、もしその嫌なもののせいであなたが苦しんでいるなら、簡単に手に入るものだけで出来るので、試してみてください』


 その下に並んでいる必要な道具一式は、絵具や食紅で色を付けた水と、それを入れる小皿など。それから名前を書く紙とペン。それだけだ。


「なくなるって……死んじゃうとかじゃないよね?」

「おまじないだし、そういうのじゃないと思う。たぶんなれなれしくなくなるとかだと思う」

「そっか。それならいいよね」

「うん。死んじゃうとかけがするのは怖いけど、これくらいならへいきだよ」


 パッドの前で顔をつきあわせながら、ヒソヒソと囁く。教室でもなければ、この場で自分たち以外の誰かが聞いているわけでもないのに、癖で声を潜めていた。


「ねる前にするみたいだから、二人はメモしたほうがいいよね」

「じゃあ、ちょっと見せて」

「いいよ」


 心海からパッドを借りて、芽衣と莉亜はおまじないの手順をお揃いのメモ帳に記してランドセルにしまった。


 その日の夜。

 松崎莉亜は、姉と共同で使っている子供部屋でおまじないの準備をした。年頃の子がおまじないや占いに凝ることは然程珍しいことでもないため、両親は食紅で赤い色水を作って持ち出しても、部屋を汚さないようにと声をかけるだけだった。

 おまじないの手順は簡単なものだった。血を模した色水に、嫌なものの名前とどんなところが嫌いかを書いた紙を沈め、月が見える窓辺に一晩置いて眠るだけ。そうすると寝ているうちに紙が嫌いな感情を全部溶かして、消してくれるのだという。


「……そうだ。本物のほうがいいんだっけ」


 おまじないに併記して、本物の血を使うと嫌いなものに直接いなくなるよう命令することが出来るとあったことを思い出し、赤い水を見つめた。苦手な食べ物に「美味しくなれ」と念じるだけで美味しくなるなど、人以外にも効果があるらしかった。

 莉亜の本当に嫌いなものは、実は別にあった。英玲奈に話しかけようとすると睨んでくる心海。少しでも自分より成績がいいとすぐ不機嫌になる芽衣。抜け駆けも裏切りも禁止だと言って「親友」という言葉で縛り付けてくる二人が、莉亜は本当はずっと嫌いだった。けれど、今更グループを抜けたりしたら、あの二人に陰口を言われてしまう。いじめは良くないと言っていたが、このおまじないの矛先が向くことは有り得るのだ。

 それからもう一人。席替えで隣の席になった男子もまた、莉亜にとっては嫌いな人に分類される相手だった。最後にいつ洗ったのかもわからない汚れた服を着て、机の中はいつもゴミで溢れており、ロッカーからは荷物が零れている。隣にいると饐えた臭いが漂ってくることもある。


「ついでになくなってくれないかな……」


 莉亜はまず心海と芽衣の名前を書き、それぞれの嫌なところを書いた。

 心海も芽衣も一言で言うなら我儘であるところが嫌いなのだが、ごちゃごちゃとした不満を綺麗に纏めるだけの能力がまだないため、見切り発車で書き始めた作文のように長くなってしまった。それから隣の男子の名前を書き、その隣に「ゴミ男」と書いた。これは女子がその男子を陰で呼んでいるあだ名で、不潔な様を端的に表わした悪口だ。


「雛子ちゃんは別にいいや。悪いことはしてないし……」


 心海たちといるときは話を合わせたが、莉亜は別に、雛子を嫌ってはいない。心海の牽制さえなければ、雛子が傍にいようといまいと普通に話しかけられるのだから。


「心海ちゃんたちのおまじないより強くないと負けちゃう」


 莉亜は明日着ていく服から名札を外すと、一つ深呼吸をしてから指先を刺した。


「っ……!」


 ほんの小さな刺し傷でも血が出れば痛い。当然のことだ。莉亜はぷくりと溢れた血を色水の中に落として混ぜ、そこに嫌いな人たちの名前を書いた紙を沈めた。


「これで、嫌いなものが全部なくなるといいな……心海ちゃんたちさえいなくなれば、わたしだって英玲奈ちゃんと仲良く出来るもん」


 グループを抜けても、彼女たちにいじめられる心配がなくなるたったひとつの方法。それは、彼女たちのほうからいなくなってくれること。それしかない。

 紙を浸したままごと用の小皿を窓辺に置いて、莉亜は祈りながら眠りについた。


 ――――翌日。

 目覚めたときから、莉亜はどこかすっきりした気分だった。ただの気休めと思ってもなにもしないでいるよりはマシだからだろうかと思いつつ、朝の支度を済ませて部屋を出た。居間には高校生の姉がいて、既に朝食を食べ終えるところだった。


「お姉ちゃん、おはよう」

「おはよ」


 小学生の体には少し大きい椅子に座り、母親が用意した朝食を食べ始めた。

 昨晩の残り物である切り身の焼き魚と温めた惣菜、予約炊飯で炊いた白米にワカメと豆腐の味噌汁という、典型的な和朝食がテーブルに並んでいる。莉亜は子供用の箸で、何の魚かも知らない白身魚の切り身に手を付けた。


「……? 莉亜、それ嫌いじゃなかった?」


 食後の珈琲を飲み終え、カップを洗っていた姉が振り向き様に訊ねると、莉亜は首を傾げて魚を見つめ「そうだっけ」と答えた。

 この焼き魚は味付けに酒粕が使用されており、調理段階でアルコールは飛んでいるといっても子供の味覚には少し合わない、どちらかというと晩酌向けのものだ。昨晩も、莉亜は唐揚げだけを食べ、これには一切手を付けなかった。


「ああ、そういえば今日はちゃんと食べてるのね。偉いじゃない」


 姉の言葉で気付いた母親が莉亜を褒めるが、莉亜は特に気にした様子もなく、小さく「ふつうだよ」と答えて手を合わせた。


「ごちそうさま」


 流し台は莉亜の背には少し高いため、自力で片付けることが出来ない。居間で食器をまとめると、台所にいる母親に手渡した。皿は綺麗に空になっており、米粒一つ残っていない。

 意外そうな母親の表情にも特に反応を示さず、莉亜は居間に置いていたランドセルを背負って、通学路へと出て行った。


「莉亜ちゃんおはよー」

「おはよ」


 学校に着くと、莉亜は自分の机にランドセルを置いて中身を取り出し始めた。机には絵具のセットがぶら下がっている以外は荷物がなく、大半は教室後部にあるロッカーに詰め込まれている。蓋がついていないカラーボックス風のロッカーは、使用者の性格が如実に表れており、中には荷物が溢れて床に零れているものまである。そのロッカーの持ち主の机もまた同様に、持ち帰らなければならないプリントや給食の残りなどで目も当てられない有様になっている。莉亜の隣の男子だ。

 その、凝縮されたゴミ屋敷めいた机の持ち主である男子児童が、乱暴に中身を掴んで引き出したときだった。


「きゃああ!?」


 近くにいた女子児童が、悲鳴を上げて教室の隅まで逃げていった。それを皮切りに、教室内がパニックに陥る。見れば、ゴミ溜めと化していた机からゴキブリが飛び出して床を這い回っていた。


「誰か、先生呼んで!」

「翔汰の机にいたんだから、翔汰が殺してよ!」

「やーだよー!」


 涙目で叫ぶ女子を嘲笑うかのようにおどけて言う男子、曽根翔汰を、腹に据えかねた女子が突き飛ばした。飛び跳ねながらからかっていた翔汰は、バランスを崩して自分の机を巻き込んで倒れ、カビの生えた食パンや湿気って黒ずんだ藁半紙のプリントなどを辺りにまき散らした。


「さいってー!」

「もうずっとゴミと一緒にいれば!?」


 他の児童は教室の外に逃げ出し、扉を閉めて翔汰を……そして成り行きを眺めていて逃げ遅れた莉亜を閉じ込めた。莉亜は辺りを見回して教室の壁沿いを歩いている騒ぎの元凶を見つけるとツカツカと歩み寄り、そして、思い切り踏み潰した。

 ぐしゃりという甲虫が潰れる独特の硬質な音がして、上履きの靴底に虫だったものがこびりつく。


「り……莉亜ちゃん……怖くないの……?」


 扉上部の窓から覗いていた女子が、扉を薄く開けながら怖々訊ねる。莉亜は、汚れた靴底を翔汰がまき散らした紙ゴミにしかみえないプリントで拭うと、平然と頷いた。


「そ、そっか……でも、一応洗ったほうがいいよ」

「変なびょーき持ってたらヤバいし」

「そう? わかった」


 莉亜は言われるまま上履きを片方脱いで、トイレの水道に向かった。教室の扉周りに集まっていた児童が、モーセの如く割れて道を作る。


「莉亜ちゃんのお陰で助かったけどさあ」

「……だよね」


 脅威が去ったことで恐怖から解放されると、今度は怒りが込み上げてくる。教室内に戻った女子児童たちは、莉亜がへいきそうだとわかると全ての元凶を睨み付けた。彼は散らかったゴミを分けることなく、再び全て机に詰め戻そうとしている。


「なにやってんの?」

「ゴミくらい捨てなよ」


 先ほど翔汰を突き飛ばした女子児童とその友人が怒りを露わに言うと、周りにもその怒りが伝染していくかのように次々と口を開いていった。


「全部あんたのせいじゃん」

「反省とかしないわけ?」

「お前、今日からゴミ男な」

「さんせー!」


 男女問わず、口々に翔汰を取り囲んで怒りをぶつけていく。最終的に名前を呼ばれることもなくなり、ほんの数分前まで友人だったはずの男子までもが翔汰を「ゴミ男」と呼び始める始末。これまで全く反省の色もなくへらへらしていた翔汰だが、女子たちはともかく友人までもがからかっているわけではないとわかると、薄笑いを消して周囲を見渡した。


「なんだよ、急に……」

「うるせえ。馴れ馴れしくすんなよな。同類だと思われるだろ」

「さわんなゴキブリハウス」


 手を伸ばした翔汰を振り払い、一歩下がって距離を取る。いつもなら、彼らは一緒に悪ふざけに乗ってくれるのに、翔汰を見る目は女子たち同様ひどく冷たい。

 以前にも、別のクラスで虫が出たことがあった。そのときは、丸めた冊子で退治した先生が、女子を中心にきゃあきゃあ騒ぎながら避けられるということがあった。それも元から本気で避けていたわけでもなく、一日経てば飽きていつものように接していた。

 けれどいまは、明らかに空気が違う。上履きで踏み潰した莉亜には全く矛先が向いていないこともだが、バカにした自覚がある女子たちだけでなく友人までもが同じ反応をしているのだ。


「ゴミは捨てなさいって先生も言ってたでしょ。みんなべつに変なこと言ってないよ。燃えるゴミをどこに捨てるかくらい、小学生のわたしたちでもわかるはずだよ」


 戻ってきた莉亜がそう呟くと、女子を中心に「莉亜ちゃんの言うとおり!」と翔汰を責める声が上がった。もう誰も彼に近付かないし、庇わない。

 翔汰が呆然と座り込んでいると、朝の予鈴が鳴って担任が入ってきた。


「なにしてるの、早く片付けなさい」


 クラス担任は、穏やかで優しい、若い女性教師だ。翔汰のみならずクラスの誰にでも隔てなく接してくれる人だった。だが彼女の目はクラスメイト同様、呆れを通り越した乾いた眼差しだった。

 教室内の空気が、夏だというのにひどく冷たく感じる。人が持ちうる嫌悪の感情が、全て翔汰一人に向けられているかのような、冷たく鋭い針の筵が一日中続いた。


「…………」


 そんな中、英玲奈と雛子は彼に対して嫌悪の感情を向けていなかったのだが、それに気付けるほど翔汰は冷静ではいられなかった。元々表情の硬い英玲奈と、声を持たない雛子では気付く要素が少なすぎるというのもあるのだが。

 英玲奈は教室を覆う空気と翔汰に纏わり付く奇妙な糸を気にしつつ、最大現存在感を消して目立たないようにしていた。

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