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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
弐ノ幕◆小鳥のうた
13/65

榊の枝か、枳殻の棘か

 雛子は声が出ないことなどさしたる障害にもならない様子で打ち解け、一日が終わる頃にはすっかりクラスに馴染んでいた。それには、雛子の持ち前の明るさもあったが、クラスメイトたちが気遣って可否で答えられる問いを多く投げかけたこともあった。


「雛子ちゃんは、英玲奈ちゃんと帰るの?」


 クラスメイトの問いに、雛子は一つ頷いた。訊ねたクラスメイトの女子は、そっかと一言答えながらランドセルを背負い、友人の元へ向かう。


「雛子ちゃん、また明日ね」

「ばいばーい」


 明るく見送るクラスメイトたちに手を振りながら、雛子は英玲奈と手を繋いで教室をあとにした。門を抜けたところで、英玲奈は家ではなく高校のほうへ足を向ける。


「今日は姉さんの友人に会う約束をしているので、雛子さんも一緒に行きましょうか」


 雛子は不思議そうに首を傾げながらも一つ頷き、英玲奈について歩いた。


『おともだち、だれ?』

「千鶴姉さんです。会ったことはありますか?」

『ある!』


 千鶴という名を聞いて、雛子はうれしそうに表情を綻ばせた。その名の持ち主は以前犬神の子を撫でさせてくれた優しい人間だと記憶している。


「その人が学校でお手伝いをしているので、わたしもそれを手伝いに行くんです」

『ひなこも! ひなこもおてつだい!』

「ありがとうございます。心強いです」


 英玲奈の言葉に、雛子が表情を更に華やがせる。

 英玲奈を除いて周りの誰一人雛子の声を聞くことが出来ない理由は、雛子が鳥の妖であることと、まだ名前が示すとおり年若い妖であること、そして英玲奈が雛子と同じく鳥を起源に持つ神族であることにある。

 その上で、雛子が殊の外英玲奈に心を開いていることもあって、英玲奈にだけは音のない雀の囀りが音声となって聞こえていた。


「話は通してくれていると思うんですけど……」


 高校に到着したふたりは、まず職員室に向かった。中を覗くと見覚えのある後ろ姿を見つけ、声をかけた。


「神蛇先生」

「あら……いらっしゃい」


 振り向いた神蛇は嫋やかな笑みを浮かべるとふたりの元へ歩み寄り、両手でそれぞれ頭を撫でた。


「千鶴ちゃんからお話は聞いているわ。わたくしは少しだけお仕事をして向かうから、先に行っていてくれるかしら」

「はい。では、失礼します」


 英玲奈がお辞儀をするのを見、雛子も真似をして頭を下げる。仲の良い姉妹のようなふたりを見て目を細め、神蛇は小さな客人を見送った。

 手を繋いで文化部部室棟へ向かうその途中、前方から言い争う声が聞こえ、英玲奈は足を止めた。つられて立ち止まった雛子が、不思議そうな顔で英玲奈を見る。

 角から覗くと、部室へ向かおうとする千鶴を妨害するようにして三人組の男子生徒が立っている。彼らがチラチラと視線を送っている先には体育倉庫があり、恐らくはあの中に千鶴を誘導しようというのだろう。

 体を引っ込め、溜息を一つ吐くと、英玲奈は雛子に耳打ちをした。


「雛子さん、いまから言う言葉を思い切り叫んでください。出来ますか?」

『おてつだい?』

「はい、お手伝いです」

『わかった!』


 英玲奈は雛子の耳元で、とある言葉を囁いた。それを聞いた雛子が思い切り息を吸い込んで……同時に、英玲奈は耳を塞いだ。


『――――――――!!!』


 彼らの頭上で鴉がバサバサと羽音を立てて飛び立つ音がし、男子生徒たちがビクッと肩を跳ね上がらせた。その直後、慌てたような足音が文化部部室棟のほうから近付いてくるのが聞こえた。


「おい! 誰……」


 勢いよく飛び込んできたのは、柳雨だった。男子生徒たちは驚いた顔で彼を見つめ、そして柳雨もまた、一瞬なにが起きたのかわからない顔で現場を見つめた。暫く空白の時が流れ、先に状況を理解した柳雨が、男子生徒たちを睨む。


「てめぇら、千鶴に何の用だ」

「な、お、お前には関係ないだろ!」

「へーえ、そういうこと言う? なら、吐いてもらおうかね」


 凶悪な笑みを張り付けて、柳雨が一歩進み出る。男子生徒たちは僅かに気圧されるがすんでのところで踏み留まり、睨み返した。が、それが良くなかった。


「誰の命令か、言ってみな」


 それは、上位の者からの命令。絶対的な圧力で以て放たれた勅命だった。彼らは一瞬体を強ばらせたかと思うと、視線の定まらない目で呟いた。


「佐渡円香」


 その名前は、以前夏休み前の終業式後に千鶴を呼び出したグループの、リーダー格の女子生徒の名だった。

 関わるなと言われたから自分は近付いてない。が、他の人を使うなと言われた覚えはない。そういうことなのだろう。

 忌々しげに舌打ちをすると、柳雨は続けて命じた。


「ソイツが、千鶴になにしろって?」

「に……妊娠、するまでマワして、学校に来られない、ように」


 それを聞いて顔を青くしたのは、傍で動けずにいた千鶴だ。

 罪の魂はただ生きているだけで周りに敵意を芽生えさせることは知っていたけれど、具体的に言葉にされると、形のない怨嗟が実感として突きつけられる心地だった。


「それを、そのまま、ソイツに返せ」


 柳雨が最後にそう宣告すると、三人は顔を見合わせてから学校の外へ消えて行った。

 件の女子生徒は見目が良く、外面と本性を使い分けるのが巧みで、動画投稿サイトやテレビの中ではファンが求めるアイドルらしく振る舞っている。だが裏ではライバルや後輩に厳しいことでも知られており、機嫌を損ねると仕事を奪われたり水をかけられるなどの被害に遭うことも、同時に知られていた。そしてそれを訴えたところで、あらぬ疑いをかけられた悲劇のヒロインを演じるだけの舞台を既に整えているため、アイドル業界にいる被害者は、黙って傍を離れることしか出来なかった。

 千鶴が目を付けられたのは、桜司たちと共に行動していたからだ。彼女にとって傍に立つ男は自分に相応しい装飾品でなければならないのに、寄ってくる異性は勘違いしたオタクばかり。だというのに、冴えない地味な後輩が、自分でも手に入れられなかったものを当たり前に侍らせている。それが赦せなかったのだ。


「おチビちゃん、大丈夫か?」

「え……と、はい……何とか……」


 千鶴の頭を撫でて宥めると、柳雨は「さて」と呟いて校舎の陰を見た。


「紅葉、いるんだろ」


 声をかけると、校舎の陰から小さな影がふたつ姿を現した。


「いきなり昔の名前で呼ぶんじゃねぇよ」

「お互い様でしょう。それに、呼んだのはわたしではなく雛子さんです」

「あ? あー、そっちのヒヨコちゃんか」


 雛子は英玲奈に手を引かれながら千鶴たちの傍まで来ると、目一杯見上げてから体を九十度倒す全力のお辞儀をして、にっこり微笑んだ。


「雛子ちゃん、久しぶり。新聞社以来だね」


 ふくふくの頬を撫でて言うと、雛子も応えるように、とろける笑みに変わる。


「ところで、先ほどの人たちは」

「アイツら、出来の悪い使い魔みたいなもんだろ。使い手の元にお帰り願っただけだ」

「ひどいことをしますね」


 そういう英玲奈の顔も、僅かに笑みの形を作っている。物騒なふたりとほのぼのしたふたりの奇妙な集団は、それぞれ並んで部室へと向かった。


「あ、お帰りー。てかどうしたの、いきなり飛び出して」

「喚ばれた」


 扉を開けると、相変わらず桜司が桐斗に花札で遊ばれているところだった。部屋奥にあるソファでは伊月が座って本を読んでおり、チラリと視線を上げると見慣れない姿がふたつあることに気付いて、不思議そうな視線を送った。


「伊月先輩は初めて会うんでしたっけ」

「お邪魔します。織辺真莉愛の妹で、英玲奈といいます。こちらが雛子さん、送り雀の幼鳥です」

「雛子ちゃん、久しぶりー」


 桐斗が手招くと、雛子は真っ直ぐ駆け寄っていった。そしてそのまま膝に乗せ、よく桜司が千鶴にしているような抱き方で確保すると、雛子の小さな手を握ったり撫でたりし始めた。


「この子、滅茶苦茶可愛いんだよー」


 背後から愛おしそうに頬ずりをされ、雛子が擽ったそうに笑った。その声は英玲奈と柳雨にしか聞こえていないが、表情だけでも彼女の喜びが十分に伝わってくる。

 桜司の隣に千鶴、桐斗の隣に英玲奈が腰を下ろし、柳雨は伊月が座っているソファの肘置きに寄りかかった。


「それにしてもおチビちゃん、教室から部室までのあいだでも油断ならねぇな」

「そうですね……いつもなら真莉愛ちゃんが送ってくれるんですけど」

「そーいやお姫ちゃん見かけなかったな。休みか」


 千鶴が頷き、英玲奈が「軽い風邪です」と補足する。

 普段であれば、千鶴の性質を理解している真莉愛が付き添うのだが、今日はいない。伊織にはその辺の事情までは説明していないのと、彼にも部活があるため頼みづらく、少しの距離ならと思い単独行動した結果が先ほどの有様だ。


「英玲奈ちゃんたちが通りかかってくれてよかった……ありがとう」

「いえ、わたしだけでは柳雨を呼ぶのも難しかったので」

「そっか……雛子ちゃんが喚んでくれたんだっけ。ありがとう」


 千鶴がお礼を言うと、雛子はにこにこ笑って何事か口にした。


「雛子さんには、ここにお手伝いをしに行くのだと言ってきたので、お手伝いが出来てうれしいと言っています」

「うん、凄く助かったよ」


 自然に雛子の通訳をする英玲奈を見て、千鶴は英玲奈を感心の眼差しで見つめた。


「そういえば、英玲奈ちゃんや黒烏先輩は雛子ちゃんの声が聞こえてるんだね」

「わたしたちは鳥を起源に持つ者同士ですので。雛子さんの声は特殊な周波数なので、夜の山道で危険を知らせるときの声以外は、他の種族には聞こえないんですよ」

「そうなんだ……」


 和やかに話しているところへ、職員室での仕事を終えた神蛇が合流した。


「皆、揃っていたのね」


 室内を見回して、神蛇が淑やかに微笑む。

 手にしている名簿を開いて何事か書き込むと机の上に置き、口を開いた。


「今日は、お手紙は来ていないけれど、せっかく揃っていることだし、新しく鬼灯町で特異点保護に加わる方を紹介しておきましょうね」


 そう言うと、神蛇は机の上に写真を二枚置いた。

 一つは薄紫の髪が特徴の、どこか女性的な空気を纏った派手な男性。もう一つは岩か熊が人間になったのかと思うほど屈強な肉体を持った、大柄な男性。


「蝶楼司牡丹さんと、梅丸煌牙さんよ。確か千鶴ちゃんと桜司くんは、もうご挨拶していたわね」

「はい。雛子ちゃんと会ったときに」

「こちらの牡丹さんは、わたくしたちよりも遙かに旧い歴史を持つ鏡の妖で、謂わば、桐斗くんたちの大先輩にあたる方なの」

「僕もちょっとだけど、おーじの神社前で会ったよー」


 雛子の手をやんわり揉みしだきながら、桐斗が言う。近代の妖である桐斗にとって、気が遠くなるほど古い歴史を持つ牡丹は、対面するだけで緊張する相手だった。


「牡丹さんの能力は、領域内の鏡を自分の目のようにして監視するものなのよ。だから道路上のカーブミラーや綺麗なショーウィンドウ、施設にあるお手洗いの鏡なんかは、全部彼女の手のひらの上ってことになるわね」

「それは……凄いですね」

「ふふ、そうね。警察としてのキャリアもあるから、そちらでも頼りになると思うわ」


 神蛇はスーツのポケットから小さな包みを取り出すと、千鶴に手渡した。縮緬細工で紅い小花柄の生地に包まれた、手のひら大の薄いなにか。視線に促されて千鶴がそれを開けると、中に入っていたのは手鏡だった。


「これは……?」

「牡丹さんから、千鶴ちゃんにって渡されたの」


 どこか古めかしい、アンティーク調の縁が綺麗な丸い手鏡。だが、不思議なことに、鏡を覗き込んでも周囲の景色は映るのに、千鶴の顔だけが鏡に映らない。見ていると、まるで幽霊になったかのような気分になってくる。


「伊月くんのペンダントと似た効果のものだそうよ。念じて喚べば、すぐに駆けつけてくれるわ」

「ありがとうございます。あとで、牡丹さんにもお礼を言わないとですね」


 手鏡はケースも含めて制服の胸ポケットに丁度収まる大きさだった。

 心強い存在に護られていることへの安心感を得ると共に、これほど警戒していないといけないのだと、千鶴は改めて自覚するのだった。

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