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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
弐ノ幕◆小鳥のうた
12/65

雀の子

 千鶴の家から鬼灯高校までは、徒歩で一時間ほどかかる。自転車で行けば半分以下の時間で行けるのだが、真莉愛が自転車に乗れないこともあり、千鶴は二人で登校できる徒歩で行くことが多い。

 この日も自転車に乗らずに家を出て、待ち合わせ場所である分かれ道まで向かうが、そこに居たのは英玲奈一人だった。


「おはよう、英玲奈ちゃん」

「おはようございます」


 傍まで言って声をかけると、英玲奈も顔を上げてそれに答えた。

 遅れてくるのかと思えばそのまま歩き出したので、千鶴も英玲奈の隣を歩く。


「今日は、姉さんは風邪で休みます」

「え、そうなんだ……大丈夫なの?」

「ええ。ただ、母さんに似て体調を崩すと長引くので、大事を取りました」

「そっか……」


 信号待ちの、静かな時間。辺りには千鶴たち同様学校へ向かう生徒の姿やスーツ姿の男性、何度も忙しなく時計を見る女性など、様々な人が青信号を待ち侘びている。傍の電柱には枯れた花が取り残されており、誰の目にも留まることなく、そこが事故現場であることをひっそりと伝えていた。

 俯いて答える千鶴の顔を、英玲奈の大きな瞳が見上げている。それに気付いた千鶴が慌てて笑顔を取り繕うと、英玲奈の表情が少し苦しげなものに変わった。


「心配ですか?」

「そりゃ、ね。大事な親友だもん、元気でいてほしいよ」


 迷いなく答える千鶴に、英玲奈は少し考えてからぽつりと零した。


「わたしは、わたしとして生まれる以前は、そういう感情を知りませんでした」


 信号に併設されたスピーカーから響く音が変わり、青信号を伝える。競い合うように歩き出した人の流れに乗って、ふたりも横断歩道に沿って車道へと踏み出した。


「先日の件で知ったと思いますが、元は怪異や病魔専門の縁切り神社のカラタチヒメと呼ばれる存在で、紅葉というのは……柳雨と、遊びで付けあった名前なんです」

「黒烏先輩と?」

「はい」


 渡りきったふたりの背後で、信号が点滅する。慌てて駆け込んできた男性に背後から肩をぶつけられて蹌踉めいた千鶴を、英玲奈が小さな手で咄嗟に支えた。すれ違い様に小さく頭を下げて駆け去っていったことから、慌てていてよく見ていなかっただけで、当たった力も然程ではなく、千鶴は自力で踏み留まることが出来た。


「ありがと、英玲奈ちゃん」

「……いえ」


 首を振り答えながら、英玲奈は自身の小さな手を見つめ、眉を寄せる。


「人のような名前を付けて、人里に降りては人に紛れて鬼事や手遊びをして、どちらが先に見つかるかという賭けのような遊びでした」

「それ、危ないんじゃ……」

「ええ。でも、わたしたちが飽きるほうが早かったので、大丈夫でした」


 当時の英玲奈は、縁切りの神であることと人間嫌いの柳雨から聞いた話が主な人間を評価する材料だったため、彼に劣らぬ人間嫌いだった。人の子供に紛れて遊んだのも、すぐに異なるものを排除しようとする質のわりには紛れている異物に気付かないことを嗤うためでしかなかった。

 前方、大通りの向こうに小学校が見えてきた。信号は赤。ここは国道側の信号が長く設定されており、丁度先ほど赤に変わったばかりのため、暫く待つことになりそうだ。待てない人は、傍の歩道橋を早足で上がっていく。


「当時から人は変わっていません。少しでも群と違うものがあれば排斥しようとする。わたしの元に来る人間は、同じ人間を憎み、疎み、排除したいと願う人ばかりでした。それだけの理由があるものも、ただの逆恨みもありました」

「え……でも、英玲奈ちゃんは病気とかを払う神様だったんじゃ……?」


 先の事件で柳雨が頼ったのも、英玲奈が病魔や怪異と人との縁を切る存在であるからだったはずだ。なのになぜ人同士の縁切りなどといった具合に話が変わるのか千鶴には不思議だったが、英玲奈は然程そう思っていない様子で肩を竦めた。


「はい。元はそうでしたが、良からぬものとの縁を切るというところを、後々の人間が都合良く解釈したみたいです。良くある話ですよ」

「そんなことが、よくあるんだ……」

「人の都合で使われるものの有り様なんて、そんなものです」


 どこか諦念した英玲奈の物言いは、見目以上に人の闇を見てきたもののそれだった。神頼みしたいほどつのった誰かへの怨みを見続けて、見続けて、そうして最後には社を失って、嘗ては嫌っていた人間に生まれ変わった。

 信号が変わると、千鶴は無言で英玲奈の前に手を差し出した。不思議そうに見つめる英玲奈の小さな白い手を取り、優しく握る。


「わたしは、真莉愛ちゃんだけじゃなくて英玲奈ちゃんも好きだよ」


 大きな瞳が更に大きく見開かれ、千鶴の手の中で英玲奈の手に力がこもる。


「桜司先輩たちと会って、ちょっとわかったんだ。神様は人が望んで、縋って、だからそこにいてくれるんだって。英玲奈ちゃんも誰かに望まれて生まれてきて、望みの形が変わってしまっても、ずっとそのためにがんばってたんだね」

「……それが、わたしたちですから。でも、わたしはもう……」


 以前、英玲奈が言っていたことが脳裏を過ぎる。彼女の社はもう存在しない。それが神様という存在にとってどういうことか千鶴にはわからないが、社を失った結果人間の肉体を借りて存在しているのなら、人が家を失う以上の傷を負うのではと思った。


「……神様のお社って、作り直すことは出来ないのかな。聞いた話だと、建て直すにも簡単に余所へ移すわけにはいかないって話だったような気がしたけど……」

「まあ、そうですね。でも、ものにもよりますが神事を行いお引っ越しして頂くことは出来ますよ。触れるだけで祟るようなのは無理ですけど」

「じゃあ、英玲奈ちゃんは?」

「え……」


 予想もしていなかった言葉だったようで、英玲奈の珍しい表情が見られた。


「英玲奈ちゃんのお社を作り直すのって、無理なのかな? 小夜子先生が、うちの前に住んでた人の一族が祀り始めたからお庭にいるって言ってたんだけど、英玲奈ちゃんも改めて祀る場所を作れないのかなって……」

「それは……でも、わたしは、いまは人として生きていますから」

「そっか、それもそうだよね」


 対岸に渡りきると、小学校は目と鼻の先だ。白い鉄柵のようなガードレールに果物や野菜の絵が描かれたものが、校門前まで続いているのが見える。支柱を傘の先で叩いて歩いている児童がいるらしく、等間隔に甲高い金属音が響いている。

 分かれ道の端で足を止め、千鶴と英玲奈は向き合った。


「じゃあ、わたしはここで」

「はい。……あの」


 英玲奈を見つめて先を促すと、英玲奈は少し俯いてから千鶴を見上げた。


「帰りは、そちらへお邪魔してもいいですか?」


 英玲奈の口から控えめに告げられたのは、思わぬ申し出だった。

 部外者が部活動見学に来ること自体は珍しいことではない。千鶴も帰り際、運動部の練習を見に来ている小中学生を見かけたことがある。ただ、文化部部室棟でそういった人が来たことは、千鶴の知る限りではなかったはずだ。

 英玲奈は真剣な表情で千鶴を見つめて続ける。


「わたしも、お手伝いしたいんです。千鶴姉さんのために」

「うん、ありがとう。先生と先輩たちには、わたしから話しておくね」

「ありがとうございます。では、放課後に」

「行ってらっしゃい」


 小学校へ向かう後ろ姿は、周りの小学生たちと何ら変わりない。黒いワンピースに、風に靡く艶やかな長い黒髪と白い肌。モノクロの立ち姿に紅いランドセルがとてもよく映えている。

 賑やかに昇降口へ駆け込んでいく児童たちに紛れて、英玲奈も靴を履き替える。と、片隅に見慣れない真新しい名札が付いていることに気付き、目を留めた。


(梅丸雛子……どこかで聞いたような……?)


 記憶を辿ってみるも、名前だけでは思い出せそうになかった。名札の位置からしても自分のクラスに入って来るようなので、会えば思い出すだろうとその場をあとにした。

 教室内は転入生の話題で色めき立っていた。担任教師と話しているところを目撃した児童が、通りすがりで唯一得ることが出来た情報、転入生の容姿について話している。


「――――でね、すっごい小っちゃかったの。茶髪っぽいから外国の子かなぁ?」

「でも、名札は日本の名前だったよ?」

「えー、じゃあハーフとか? 確か、英玲奈ちゃんもそうだよね?」


 突然話題を振られ、英玲奈は一瞬面食らいながらも頷いた。


「英玲奈ちゃんのお母さん、すっごい美人なんだよ。ハリウッド女優って感じ」

「いいなあ。英玲奈ちゃんはお嬢様だし美人だし、スカウトとかされそー」

「ねー」


 話し込んでいる三人の児童は、決して英玲奈をグループに入れることはないが、稀にこうして遠巻きに英玲奈を褒めそやす。チラチラと英玲奈を窺いはするものの、決して進んでグループに引き入れることはしない。英玲奈もまた、積極的に誰かと関わろうとする性格ではないため、孤立というほどではないが特別決まったグループにも所属していない。それが更に英玲奈を高嶺の花たらしめており、当人の埒外でカースト最上位に祭り上げられていた。


「皆、おはよう」


 予鈴と共に、担任教師が教室に入ってきた。慌てて席に着く子供たちを見守ってから号令をかけ、教室内を見回す。その傍らでは、転入生の少女が所在なげにしている。


「もう知ってると思うけど、転入生の梅丸雛子ちゃんです。雛子ちゃんは生まれつきの失声症という病気で声が出ないのだけど、皆、仲良くしてあげてね」


 紹介された転入生は、極薄い茶色の長い髪に、中央がヘーゼルと緑が混りあっていて縁が金という不思議な色の瞳、抜けるような白い肌に華奢な体躯の可愛らしい少女だ。噂の中でハーフと言われていた理由はこれかと、英玲奈は妙に納得していた。

 ぼんやり眺めていると、件の雛子とばっちり目が合った。そのときだった。


「――――!!」


 ぱあっと表情を輝かせたかと思うと、雛子は真っ直ぐ英玲奈に駆け寄ってきて横から飛びつく格好で抱きしめた。珍しく固まっている英玲奈に、同じく突然のことに反応が出来ずにいた担任教師が声をかける。


「え……ええと、織辺さん、お知り合いなのかしら?」


 先ほどから、英玲奈の耳には雛子の声がうるさいくらいに響いている。だが、それはどうやら英玲奈にしか聞こえていないようで、周りはぽかんとした顔で見守るばかり。英玲奈は雛子を宥めながら頷き、担任に答える。


「以前、京都で、怪我をしていたのを助けたことがあったんです」


 真実を全て語ったわけではないが、嘘は言っていない。

 数十年ほど昔の話。とある山道で自称霊能者が雛子を榊の枝で殴りつけていたことがあった。泣いている雛子を助けたついでに、その人間の持つ縁を悉く断ち切ったため、そのあとすぐ山肌を滑落していったが、そんなことはどうでも良かった。

 雛子はとても人懐っこく、一般に知られている送り雀の性質とは違い、山道で人間が迷いそうになると鳴いて知らせる妖だった。それを誤った道に誘い込む怪異だと勘違いした人間が退治を依頼したと知り、英玲奈は自らの社に保護して怪我が治るまで世話をしたのだった。


「……まさか、あなたまでこちらに来ていたとは思いませんでした」


 全身で懐く雛子を撫でる英玲奈の様子を見て、担任は空気を改めようと咳払いを一つすると、皆に向き直った。


「それじゃあ、知り合いみたいだし、織辺さんに暫く案内とかお願いしますね。新しい環境で慣れないこともあるでしょうから、皆さん優しくしてあげましょうね」

「はーい!」


 元気のいい返事を受けて、担任教師が満足そうに頷く。と、授業開始前の鐘が鳴り、一限目との境にある五分休憩となった。

 担任は授業の用意を取りに一度職員室へ戻り、僅かばかりの自由時間を得る。


「お久しぶりです、雛子さん」


 雛子の声は相変わらずで、唇は動いているが周りには聞こえていない状況が続く。

 興奮した様子で一生懸命話しているのを見つめて、それから、英玲奈は僅かに口元に笑みを乗せて頷いた。


「……そうですね。これからはずっと一緒にいられますよ」


 恩人との再会を喜ぶ雛子と、うれしそうな雛子を穏やかな表情で見つめる英玲奈。

 そんなふたりを、複雑な表情で見つめる三つの視線があった。

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