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ニンニクヤサイアブラカラメ

作者: コオロ

ニンニク入れますか?

 魔法とは。


 人間界より高次に存在する魔界から力を呼び込み、奇跡じみた現象を引き起こすこと。

 ただし純度の高い魔力は人間界に及ぼす影響が強すぎるため、精霊界に仲立ちを依頼するルールがある。

 その手続きを呪文と呼び、呪文を修得している者を、魔法使いと呼ぶ。


「さて、魔法使いリアン」


 これは僕のことだ。

 僕は国の命により『火・水・風・土』の失われた四大元素の呪文を蒐集する旅をしている。

 そして、その呪文を、望めば誰でも使えるよう広く世界に知らしめる。

 迫りつつある脅威に備えるため、より強力な魔法が必要とされているからだ。

 それで今、僕が対峙しているのは、『火』の呪文の継承者。

 これから呪文を教わることになっている。口伝のみで伝えられてきたという、幻の呪文を。


「さて、魔法使いリアン」

「その台詞はさっき聞きました」

「返事しないから聞こえてないのかと思って」

「あ、はい」


 なんだこの師匠。めんどくさいな。


「『火』の呪文だが、教えることはできない」

「……そうくると思っていましたよ」

 難癖をつけられて依頼(クエスト)をふっかけられることには慣れている。

 対価が幻の魔法とあれば、もったいぶるのは当然だろう。

「いや、そういう意味ではない。教えられるようなものではないのだ」

「どういうことです?」

「その身をもって覚えねばならない。期限は七日間だ」

「ちょっとノリが体育会系すぎやしませんか」


「えっ。いいじゃんわかりやすくて」


 師匠と僕の会話に割って入ったのは、同じく国の命を受けた僕の護衛役。

 発言内容の通りの体育会系。僕に体力がなさすぎて心配だからと抜擢された冒険者。

 ちゃんと紹介したいところだけど、仕事で一緒に旅をしているだけで素性はよく知らない。

 女性、だというのは見ればわかる。

 名前は何回聞いてもすぐ忘れる。僕はもともと魔法以外のことは覚えが悪い。

 彼女はそれを捕まえて僕を魔法バカと揶揄する。バカって言う方がバカなんだい。


「アンタ魔法バカだから、少しはそういうのに揉まれた方がいいよ」

「その魔法の修行なんだから、少しも揉まれるわけないでしょうが」


 ねえ、と同意を求めたら師匠は目を逸らした。何でだ。

 とにかく。僕は師匠の言う通りに、まずは精霊界にアクセスを試みた。

 集中し、意識を精神世界まで引き上げて。



 人間界と精霊界との狭間へ――



 精霊界では、魔法使いの申し立て内容によって、それぞれ異なる窓口が存在する。

 軽くモノを動かしたいとか、ちょっとだけ身体能力を強化したいとかいう生活レベルの魔法なら、呪文のマニュアル化も徹底されていて処理も迅速。待ち時間も短く、いたって事務的なものだ。

 魔法の要求レベルが上がれば、それに応じて窓口も個性的になっていく。

 四大元素を直接操りたいともなれば、クセも相当なものになるだろう。

 そう予想はしていたが、しかし。


「この行列は、一体……」


 それは、魔法の修得を始めてから初めて目にする、申請者の行列であった。

 これまでは個別の部屋に通されていたり、発券された受付番号を呼ばれるまで意識を肉体に戻していたりしても良かった。ただ行列に並ぶなんて、原始的な拘束方法……これが古の魔法のやり方か。


 状況を飲み込み、慌てずに列に加わる。次にすべきは、情報収集だ。

 すぐ前に並んでいる者に世間話のつもりで話しかける。

「あの、これは『火』の魔法の列で」

 だが僕はそれ以上、言葉を続けることができなかった。

 振り返った男は、とても強張った表情をしていたからだ。

「……お前、新参者か」

 じろり、と睨まれる。僕は気圧されつつも辛うじて頷いた。

「『火』の魔法を使いたいなら列に並べ。これ以降、あとは喋るな」

 有無を言わせぬ迫力、とはこのことか。僕は黙って彼の後ろについた。


 それにしても、幻の魔法だというのに、この待ち人数は何だろう。

 隠れユーザーがこれだけ潜んでいたということなのか。

 それとも、“人間界”と呼ばれるものは無数に存在し、精霊界において別世界の人間と邂逅できるという与太話が本当だったとでもいうのか。

 などと、考え込んでいると後ろから小突かれた。

 いつの間にか僕の番が来ていたらしい。少し咳払いして発券されたチケットを手にとり、カウンターへ。

 通常の呪文なら、まずは精霊の「いらっしゃいませ、ご用件は?」から始まる。

 僕はありとあらゆる想定問答を瞬時にシミュレートし、精霊の第一声を待つ。そして。


「ニンニク入れますか」

「はへ?」


 すべてが頭から吹っ飛んで変な声が出た。

 ニンニク? 何言ってんだこの精霊(ひと)

 何も言えずにひたすら口の端を引き攣らせていると、背後から、言い知れない“圧”を感じた。

 はっと振り向く。さっき僕を小突いた男が、もう我慢ならんといった顔をしていた。


注文が遅い(ギルティ)!」


 そして、タックルで僕を弾き飛ばした。


「……は? え?」

「ありゃ、お早いお帰りで」

 護衛役の彼女がいるということは、ここは人間界。僕の意識は肉体に戻っていた。

 つまり、僕は精霊界から弾き飛ばされてしまった。


 これは厳しい戦いになりそうだぞ。



 *



 二日目。


 失敗は引きずるべきではないが、失敗から取り出した経験と反省は腕を組んで伴って行かねばならない。では、どうやって取り出せばよいのか。引きずっていればそのうち摩耗して必要なぶんだけが残るので、結局のところ失敗はしばらく引きずる他にないのだ。


「頭でっかちな人って正当化するの好きね」

「黙らっしゃい。無駄なことをしたと思いたくないだけだ」


 護衛役の茶々入れはおいといて、僕は失敗をしっかり引きずり、黙って列に並んだ。

 そして先達たちの様子を注意深く観察し、聞こえてくる呪文に耳を傾けた。

 だが、聞けば聞くほどわからない。

 ニンニクという単語の意味はともかく、入れますか、と訊かれているのは明らかだ。なのに誰も「はい」か「いいえ」で答えない。何だこれ。ここはコミュ障の総本山か。

 ニンニクと復唱する者としない者がいるのも気になるところだ。何なんだニンニク。

 まあ、慌てることはない。

 分からなければ調べればいいのだ。

 僕はすかさず携帯型魔石板(タブレット)を取り出し指でタップ。


「おい、こいつ魔石板(ケータイ)いじってるぞ!」

「囲んで棒で叩け! 殺せ!」


 僕はまたしても叩き出された。

 騒ぎ立てた他の連中も「私語厳禁(ギルティ)!」されていた。



 *



 三日目。


 ニンニクとはダメージのことだ。

 そう理解したのは、ようやく注文(オーダー)に成功し、気を良くしてニンニクマシで風呂を焚こうとしたら死にかけたことがきっかけだった。

 最初に攻撃目的か生活目的かを訊いているのだ。安全装置として正しい手順だと思う。

 意味を理解できていればの話だが。


「風呂入ってる間も護衛するべきってことね……」

「しなくていい! もう二度とこんなこと起こらないから!」


 護衛役を諌めつつ、研究成果をノートにしたためて一息つく。

 残る謎のワードは、ヤサイ、アブラ、カラメ。

「目星はついてんの?」

「いや……」

 魔法として顕現させる火の性質を指定するためのものに違いないと思うのだが。

 例えば、火力とか、範囲とか。

 うーん。

 ……何だか圧を感じるなと思ったら、護衛役がむくれた顔で覗き込んでいた。

「なに」

「何か思いついてるなら教えてくれてもいいじゃん」

「まだ言える段階じゃないよ」

 ふーん、とだけ唸って彼女は寝た。門外漢なんだから言ったってわからないことぐらい、自覚していると思うのだが。

「……アンタさ」

 寝てなかった。

「魔法にのめり込むのもいいけど、“魔王”もそうして生まれたってこと、忘れないでよね」

 何を言うかと思ったら嫌味かよ。

 そういえば、彼女も僕のことを名前で呼ばない。

 僕が名前を覚えるまで、彼女もあんた呼ばわりで通すそうだ。

 まあ僕は別に構わないんだけど。

 めんどくさいな、この人。

 言い返す気にもならなかったし、僕も寝ることにした。



 *



 四日目。


 なんかもうやんなってきた。


 何がニンニクだ。何がマシマシだ。もう知るか。

 やりたいやつだけやってりゃいいんだ。バーカ。



 *



 五日目。


 どうして昨日はあんなにやる気が出なかったんだろう。

 大ダメージが後を引いたのだろうか。僕、弱すぎでしょう。

 残された時間はあと三日しかないし、今日からまた修行を再開しないと。


 その矢先に、肌がひりつくような感覚を覚えて、僕はその場を飛び退いた。

 魔力の奔流が一瞬前の僕の居場所を通り過ぎていく。

 その軌跡は蜃気楼のように揺らめく。魔法を扱う者なら皆知っている。

 これは世界の綻びだ。

 世界の在り方を歪ませるほどの高純度の魔力……。


「ほう。あれを避けるか」


 術者と思しき男が姿を現す。

 間違いない。こいつは“魔王”の一人だ。

 僕が旅に出る理由になった、迫りつつある脅威の一角。

 精霊界を仲介せずに魔法を使う、考えなしのチート野郎だ!


「古の呪文を蒐集しているという魔法使いとはお前か」

「人違いです」

「こっちが下調べ済ませてきてるの明らかなのに堂々とウソつくな」


 なんだこの魔王。めんどくさいな。


「野放しにしておくのは厄介だ。ここで死んで貰う」

「死ぬのは御免だから野放しにして欲しい」

「意味のない会話で時間を稼ごうとするな。往生際が悪いぞ」


 時間稼ぎしたかったのは本当だ。

 姿の見えない護衛役が戻ってくるのを待っていたのだが、望み薄だな。

 昨日の僕の体たらくに愛想を尽かしたのかもしれない。

 まあ、仕方ないか。

「ルール破ってなんぼの魔王にしては、ずいぶん体裁に厳しいな」

 軽口は自分を鼓舞するため。僕には、秘策があった。

 ――『火』の魔法で、魔王(コイツ)を倒してやる。



「見せてやる。(ルール)の力を」



 精霊界にアクセスした僕は、一直線に行列に向かう。

 最後尾に並ぶ者の肩に手をかけた。

「あ? おい、テメェ何の」


私語厳禁(ギルティ)!」


 口を開くと同時にタックルで弾き出した。

 これがこの修行の間に僕が学んだことだ。

 呪文の詠唱は短い方がいい。それには先に並んでいる奴が邪魔だ。

 だったら難癖をつけて排除すればいい。

 ここに集うのはそういう連中だ。


 (ルール)とは、それを知らない者を排斥するためにある。


魔石板いじるな(ギルティ)!」


注文が遅い(ギルティ)!」


リア充死ね(ギルティ)!」


 僕は前に並んでいた障害物を次々に薙ぎ払い、カウンターまで最速で辿り着く。

「ニンニク入れますか」

 僕はすかさずコールを……あれ。

 何だこれ、うまく声が出ない。


 違う。口がない。僕の精神体から口がなくなっている。

 待ってくれ。ここで注文(オーダー)ができないと、僕は。

 くそ。

 煩わしい。


 こんなときにまで自分を縛るルールが煩わしい。

 ルールさえなければ。ルールさえ。

 そんなもの破ってしまえば――


 衝撃が襲った。

 どっちだ。精神じゃない、肉体の方だ。


 護衛役が僕にタックルをかましていた。

「そこは、庇ったって解釈してほしい……」

 本当らしい。僕たちのすぐ横の地面がめちゃくちゃに抉られていた。

 魔王が放った魔力に押し流されたのだろう。


 護衛役はすぐに反撃に移った。

 彼女が得物としているのは、刀身が鉄板のような幅広さと厚みをもつ大剣。

 使っている理由は「剣と盾の使い分けが難しいからひとつにした」らしい。

 当然、切れ味は悪い。鉄塊を叩きつけられた魔王の腕は、スパっと切れることはなくぶちぶちと繊維の一本一本が引きちぎられるように分断される。

「やったか!?」

 そう言ってしまったせいかはわからないが、魔王はチート級の回復魔法で切断された腕を再生。

 彼女の胸倉を掴み、僕に向かって投げ飛ばしてきた。


 いやさ、投げ飛ばすであろう場所に僕が先回りしたのだ。

 彼女と僕にまとめて擬態の魔法をかけ、遁走するために。


 この場はうまく切り抜けた、と思いたい。

 しかし奴も魔法を使う者。こちらの手の内だって知られるところとなるだろう。


 僕たちは不安なまま夜を迎えるしかなかった。


 * 


 六日目。


 日付が変わったが、眠ることはできない。

 僕たちは辛うじて身を隠しているが、見つかるのも時間の問題だろう。

 その時は……。

「……何で、魔王に向かっていくなんて無茶をしたんだ」

 僕は決意を秘めて護衛役に水を向けた。

 それを知ってか知らずか、彼女はあっけらかんと答える。

「護衛がアタシのシゴトだから」

 仕事。仕事か。意識の高いことだ。

 ならば尚のこと、付き合わせるわけにはいかない。

「リタイアしちまいなよ、依頼(しごと)なんて。金返せなんて言わないから」

 彼女のような立派な冒険者に、負け戦は似合わない。

「ハァ?」

 えっ、何その反応。俺、もっともなこと言ってるよね。

 たじろいでいると、ずい、と詰め寄られる。


仲間(パーティ)としての役割(しごと)だっつってんの!」


「アタシが耐える! アンタがぶっ放す! それ以外に勝てやしないでしょうが!」

「勝つ、つもりでいるのか」

「負けるつもりなの?」

「そう、シンプルに言われると、負けたくはないんだが」

「なら決まりね! 時間稼ぎだけでいいなら楽勝、楽勝」

「いや、時間稼ぎって言っても、どれだけの時間が必要かも正直わからないんだぞ」

 それに僕はさっき、コールに失敗した。それどころか、道を外しかけた。

 彼女が危惧したような、魔王と同じ思考に陥ろうとしていたのだ。

 だから僕はもう――そう口を開こうとしたら、人差し指を突き付けられた。


「余計なこと考えないで、いつもみたく魔法バカしてりゃいいの」


 ……何を言うかと思ったら。

 バカって言う方がバカなんだい。

「ちゃんと待っててあげるから。そうカッカしないでよ、リアン」

 おかしいな。

 焚き火の灯りは心もとないはずなのに、どうしてかその笑顔を眩しいと思った。

「……ありがとう、」

 もう、護衛役なんて他人行儀な呼び方はできないな。


「肉壁さん」

「てめー今フラグ1本折ったからなおぼえてろよ」


 *


 七日目。


 僕たちは逃げ隠れするのをやめた。

 お互い、奇襲を仕掛けるのは不向きな性格をしているし、何より、奇を衒わずにぶつかったところで、どちらかに有利・不利が傾くことはないだろうと判断した。

 それほどまでに、彼我には実力差がある。

「自ら身を差し出す覚悟をしたか。褒めてやろう」

 故に、敵にはその実力差を量りもしない慢心がある。


 それを一気に詰めて、正面から鼻っ面をへし折ってやる。

 

 肉壁さんが魔王に斬りかかる。

 だがそれは引き付けるためのフェイントだ。瞬時に防御の態勢に移る。

 それを見届け、僕は精霊界へとアクセスする。



 命は預けた、肉壁さん。



 僕は『火』の魔法を求める行列に加わる。 

 相変わらず、他人に目もくれない連中ばっかりだ。ここに馴れ合いはない。

 こんな奴ら、何人排除したところで心が痛むことはないだろう。

 一方、人間界には、こんな僕を信じて詠唱が終わるのを待つ仲間がいる。

 僕には時間がない。何を優先すべきかなんて、明らかだ。


 でも、僕はもう定められた順序を乱しはしない。


 僕には時間がない。それを言ったら、ここにいる誰もが同じはずだ。

 待っている人がいる。だから殺伐とする。

 本当なら誰もが今にも暴れ出し、我先にと窓口に飛び込みたいはずだ。

 そして絶対にこう思っている。


 こんなルール、クソだ!


 だが、そんなクソルールを守れないというだけでバカにされるのは御免だ。

 きっとこんなクソルールは、ここに集う殺気立った連中に、そう思わせるために存在する。

 獣に堕ちないための、踏み留まる最後の一線。


 僕はいたって普通に順番を迎え、チケットをカウンターに差し出した。

「ニンニク入れますか」

 精霊のその言葉を合図に、僕はコールを開始した。

 スープに波風が立つのは、ここからだ。スープって何だ。


「ヤサイ」


 対象は敵1体。範囲攻撃にする必要はないので通常コール。


「アブラマシマシ」


 火力はとことん上げる。敵の全身を包む勢いでマシマシコール。


「カラメ」


 持続時間は必要ない。一瞬で終わらせる覚悟で、通常コール。

 一息つく。大丈夫、ここまでのコールは淀みない。

 精霊の視線を感じる。わかっている、まだコールが済んでいないものがあるよな。


「ニンニク――」


 問題はここである。チート級の回復力を一瞬で吹き飛ばす、一撃必殺級のダメージが必要だ。

 マシで足りるか? いや、僕が死にかける程度では倒せるとは思えない。

 ならばマシマシか? おそらくこれが最大だが……もっと、もっと欲しい。

 僕は心に浮かんだ、知りもしない言葉を放った。


「――チョモランマ!」


 精霊が目を見開く。


「……あーすんません。うち、それもうやってな」

私語厳禁(ギルティ)!」


 精霊の顔面にパンチを叩き込んだ。


 その身で螺旋を描きながら吹っ飛ぶ精霊。

 精霊界を突き抜け、そのまま火球へと身を転じて人間界へと顕現した。

 火球を受け止めるのは、無論、肉壁さんに次の攻撃を加えようとして無防備になっていた魔王だ。


「バカな……これほどとはァァァァァァァァァァ!」


 断末魔の絶叫と共に、魔王は極大の火柱(チョモランマ)の中に消えた。



 *



「さて、魔法使いリアンよ」

「はい」

「続けて喋るからいちいち返事しなくてよろしい」

「は?」


 なんだこの師匠。めんどくさいな。


「『火』の呪文だが、マスターしたようだな」

「はい。この通り」


 この七日間の成果であるノートを掲げる。

 師匠はそれを一瞥し、「して、どうする?」と問うた。


 僕はノートを破り捨てることでそれに答えた。


「ちょっ、アンタなにやってんの!?」

 肉壁さんは狼狽えるが、これはもう必要のないものだ。

 魔王との戦いの後、『火』の魔法の窓口には貼り紙が出現した。

 列に並んでいる間に見られる、注文(オーダー)の仕方を解説したものだ。

 これで初見でギルティを食らう者は激減することだろう。


 貼り紙は他にもある。

 曰く、『チョモランマあります』。

 曰く、『店員(せいれい)の私語はお赦しください』。

 曰く、『店員(せいれい)への暴力はやめてください』。

 たぶん僕のせいだ。


 そんなわけで、『火』の呪文を修得する難易度は下がった。

 誰でも使えるようにするという目的はある程度果たしたわけだ。

「だからって破り捨てることないだろ。みんなに見せてやりゃいいじゃん」

 僕はその疑問に微笑んで答えた。


「コールもしたことない奴に、バカにされるのは御免だ」


 踊る阿呆に見る阿呆。何も知らない奴を同じ阿呆に引きずり込んでやる。

 師匠は俺の言葉に頷きこそしなかったが、ずっと斜め下を見つめていた。


 さて、『火』の呪文を修めた僕は、新たに『水』の呪文に執りかかっている。

 

 継承者に「まあ、まずは流れで」と軽い感じに言われたので、とりあえず窓口にアクセスした。

 するとどうしたことだろう。清潔感のある広いフロア、明るい印象を与えるインテリア。

 実に洗練されている。さすが『水』の精霊。むさくるしい『火』の精霊とは大違いだ。

 何より、『水』の魔法の使い手には女性が多いようだ――

「コラ」

 現実世界の肉体が小突かれた。何するんだ肉壁さん。

「なんか鼻の下のばしてる気がして」

 鼻の下……バカいうな。先客がどう動くか見てるんだよ。

 ここも行列をつくってオーダーするシステムに違いはないらしい。だから他人がどうやるのか、ちょっとお手並みを拝見しようとしているのだ。

「ほら、誰か注文(オーダー)するぞ」

 まあ『火』の呪文ほどめんどくさいものはそうそうないと思うが――



「クワトロベンティーエクストラコーヒーバニラキャラメルへーゼルナッツアーモンドエキストラホイップアドチップウィズチョコレートソースウィズキャラメルソースアップルクランブルフラペチーノ」



 僕の戦いは続く。

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