74 バルバトス・グロム伯爵令息1
「では、変な人に何かを吹き込まれたという全く記憶にないということね?」
サシャの確認に対して、頷くライナ男爵令嬢。
サシャは難しい顔をしていた。
──直接の接触があったのか分からないわ。間接的にであれば、人心把握の効力に不安が残るはずなのだけれど……。
接触による洗脳が人を操ることにおいて1番簡単な方法である。しかしながら、ライナにそれらしき人物と接触したという記憶がないのだとすれば、記憶を消されたか、あるいは……もっと別の要因によって、ライナの思考を掻き乱した可能性が出てくる。
──難しいわね。
「念のために聞くけれど、怪しい人物でなくて……えっと、ハロルダ王子への想いが強くなった頃に親しくしていた知人などは思い出せるかしら?」
「そう、ですね……」
ライナは考え込む。
「……えっと、サシャ様」
「ええ、何かしら?」
「その、サシャ様の言う通り、貴族家の付き合いで、よく顔を合わせていた方がいました」
ライナの言葉を静かに聞くサシャ。
可能性の芽が生まれた瞬間である。
──その人が黒っぽいわね。
「その方のお名前は?」
「グロム伯爵家のバルバトス・グロム様です。……そういえば、彼は数日くらい前から行方不明になっていると風の噂で耳にしました」
「そう、噂ね……」
「そ、そうです。……その、私はずっと屋敷に引き籠っていたので、詳しい話は分かりません、が……」
ピリつく空気感の中、サシャの顔色が変わったことを受け、弁明するようにライナは早口で捲し立てる。そんなライナの焦りを感じることができないくらいにサシャは脳をフル回転していた。
──グロム伯爵家。
私はあまり関わりを持ったことはないけれども、お父様なら、何か情報を持っているかも……。
シーラは黙々と状況に見合ったピースを繋げていく。
そうして一通り考えが済んだ後にゆっくりと立ち上がる。
「えっとサシャ様?」
「帰るわ」
「ふぇ……?」
「調べたいことが山ほどあるの。それにあんまり長居しても、貴女に気を遣わせてしまうでしょうし……」
サシャが簡素にそう告げ、部屋から出ようとしたところをライナに引き留められた。
「そんな、気を遣うだなんてことありませんよ」
心細かったからなのか、それとも謝罪し足りなかったからなのか、いずれにせよライナにとってこの時間は、強引に断ち切って欲しくないものであった。
そして、サシャもそれを察する。
外も暗くもない時間帯。
──まあ、彼女がいいというのであれば。
「では、もう少しだけ事情聴取でもしましょうか」
「はい!」
そうホッとしたような返事をするライナにサシャは観念し、その場に腰を下ろす。
事情聴取とは言うものの、結局そこまで有力な手掛かりはこれ以上出てはこなかった。それでも、話の脱線や、国やライナにどんな災難が降りかかっかたのかという話を聞き続け、それなりに時間は過ぎていった。
──そろそろ本当に帰らないと。
「ライナさん、そろそろ……」
「あっ、もうこんな時間……。長い間拘束してしまってごめんなさい」
「いいのよ。思う存分話せて、誤解だったりも解けたことだし」
過去の遺恨は残さない。
サシャとライナは、あの婚約破棄があった日のことをきっちりと話し合い、和解した。
「……サシャ様に嫉妬したあの時の自分を悔いるばかりです。もし、サシャ様ともっと早くに話していれば、きっと仲良くなれたと思います」
「そうかもしれないわね」
今更友人になるというのは、ライナにとってかなり大きなハードルであった。今ではもう、叶わないこと。たとえ、名目上の友人となったとしても、後ろめたさを抱え続ける。
だからこそ、気兼ねなく話すことのできたこの時間が彼女の心の重しを軽くしてくれた。
──スッキリした表情。もう、大丈夫そうね。
今度こそサシャはライナの部屋を出る。
「落ち着いたら、また会いましょう」
ライナの詰まったような声を背に受け、サシャは足を進めるのだった。




