俺がギャルゲーをしているのを毎日のように注意してくる真面目系委員長がビッチ系ギャルメイクしてくるようになったんだけど
『あのこれからは……、由くんって下の名前で呼んでもいいかな?』
「よ、由くんって……ぐふふっ」
携帯ゲーム機の画面に映る超絶美少女シオリちゃんの言葉を受け、ニヤニヤが止まらなかった。
これにて『ハートフルストーリー』のすべての女の子の攻略に成功。
プレイ時間にして10時間ほど。
まあかなり満足な出来であった。
学園ものなので高校生の俺にはドンピシャだったし、なによりも最後のこの女の子。
シオリちゃん。
同級生の黒髪ロングの清楚系でかなり純情な子。
王道を地で行くようなまさにいい子ちゃん。
攻略キャラはこの子を入れて7人だったけど、やっぱ俺はこういう子が一番だな。
「…………」
とはいえ、現実にはこんな子はいないわけで。
大口を開けて笑う女子。やたらと写真を撮りまくる女子。オタクをキモがる女子。
こういう女子などとは話したくもない。
……いや、べつにコミュ力がないとかじゃないから。
ほんとまじで。話す時間がもったいないだけだから。
うん、そうなのだ。よし、次はなにをしようかな――
「香椎くん。校内へのゲームの持ち込みは校則違反だって何度言えばいいの?」
次のゲームに手を伸ばした俺の動きが止まる。
その低い声音に、だれなのか見るまでもなくわかってしまう。
「ひ、昼休みなんだからいいだろ」
「関係ありません。ゲームをやる前に持ってくるのがだめなの」
何度目かもわからない注意を無視しようと背を向ける俺だったが、彼女はその行動を読んでいたかのように回り込み、ぱっとゲーム機を奪う。
「あ、ちょっ……返せよ」
「だめです。これは放課後まで私が預かっておきます」
「は、はあ!?」
「それじゃあ」
「いやいやちょっと待ってくれよ」
そんな俺の制止など聞いてもらえず、彼女はすたすたと自席へ向かってしまう。
昼休みにやることをなくした俺はため息をこぼした。
――――
渡若菜。
二年一組の委員長であり、成績優秀な真面目女。
黒縁眼鏡におさげというガリ勉女子そのもの。
周りの女子はスカート丈など校則ギリギリまで上げているというのに、彼女のスカート丈は標準……というか超長い。まあ周りがあれなだけで実際にはそこまで長いってわけじゃないんだろうけど。とにかくおしゃれをしたい年頃の女子だというのに、あいつは制服を着崩すということをまったくしようとしない。
いろいろクラスをまとめる役を買って出たり、穏やかな性格をしているので教師からの信頼も厚く、友達も多くいるようだ。
そこまではいい。というか、そこらへんにいる不真面目かつ股の緩い女より全然好感が持てるし、顔だって悪くなく、胸だって意外とあるので……すげえ、うん、いい。
が、しかし。
この女は超がつくほどの真面目なのだ。
授業中の居眠りや遅刻、提出物の出し忘れ。
行事への参加からクラス一致団結してやるようなことへの消極的な姿勢。
でもって、授業中にスマホをいじることや先ほどのようなゲームの持ち込み。
ちょっとくらいいいじゃんってことも渡に見つかれば注意される。
教師だってそこまで厳しくないっていうのに、あいつは異常だ。
しかも。
しかも、だ。
渡は俺相手には特に厳しい。
俺だって学習できないような馬鹿ではない。
渡に見つからないようにこっそりとゲームをやっていたのだ。
だが、あいつは目ざとく見つけてきやがる。
いくら俺が必死に隠れてゲームしていようが絶対に見つけてくるのだ。
前なんかセーブできずに没収されて、1時間プレイしたデータがパーになったこともあった。
そういうこともあり俺は渡若菜のことがまあ苦手だった。
「なあもう放課後なんだけど」
夕日が眩しい教室で渡とふたりきりとなる。
「そうだね。今日も一日お疲れ様」
「おう、また明日な――じゃねえわ!」
「いきなり大声上げないでよ」
「あ、悪い――じゃなくて」
相手のペースに飲まれつつありそうだった俺はなんとか持ちこたえる。
「返してくれよ」
ゲーム機、と言って手を伸ばす。
すると渡はひどく冷たい瞳を向けてきた。
「もう持ってこないって約束したよね?」
前回没収された時にした約束を反故にしたことでご立腹のようだ。
約束したって、あれってほぼ強制的にさせられたようなものなんだよなあ。
とはいえそんなこと言ったところで無意味であるし、なんなら悪いのは全面的に俺なのだが。
「いや、そんなこと言われたって俺にとってゲームは生きがいみたいなもんでさ」
「生きがいって……」
呆れたように息を吐かれる。
「家に帰ってからやればいいじゃない」
「やっているよ。けどそれだけじゃだめっていうか、やってないと落ち着かないというか」
「それもう病気じゃない」
「うるさいな。いいから返してくれよ」
こういう反応をされるのももう慣れたものだ。
さっさとこの意味のないやり取りを終わらせんとする俺に反して渡はなかなかゲーム機を返そうとしてくれない。
「わかったよ。極力しないようにするから」
「だから持ってくるのもそうだし、するのもだめだって」
「……くそ真面目女が」
「いまなんて?」
怜悧に整った表情が強張る。
「いいえ、なーんでもないですよ。ただちょっと俺に対してだけ厳しいなあっと」
「そんなことないけど」
「ほんとかよ。今日、数学の課題忘れたやついたけど、一言だけなんか注意しただけじゃん」
「それがなに?」
「はあ、覚えてないのかよ。俺が忘れた時なんか終わるまで放課後ずっと付き合わされたじゃねえか。でも今日はそういうことしてないみたいだけど、この差はなんだよ」
「琴野柄くんのこと? 彼は香椎くんとは違って初めて忘れたの。それに昨日は大会が近くて夜遅くまで部活動をやっていたということだったから今度から気を付けてねと言っただけで済ませたの。それに比べて香椎くんは何度忘れたことある? 部活やっている?」
「うぐっ……」
反論できない俺は唸るだけだった。
確かに筋はとおっているのかもしれないが……。
「ま、待て。じゃあ週明けに必ずと言っていいほど遅刻してくる女子はどうなんだよ。俺の場合、遅刻するからって一緒に登校してきたじゃねえか」
「蛭間さんは妹さんを幼稚園に連れていって遅れているの。仕方ないことだよ」
「じゃああれは。ほらこの前、学校サボったやつ。俺がギャルゲーをやりたいがためにサボった時なんか、学校終わりに家に押しかけてきて今日やったことみっちり叩き込まれた俺の時とはずいぶんと違うようだけど」
「知らないの? 桐平くんは俳優業をやっていて、最近主演が決まったんだって。それで忙しいらしくて……それでも頑張って登校してきているんだよ」
やばい、俺クラスメイトのこと全然知らなすぎ。
なんかこれ聞いていると自分がくそすぎるということを自覚させられる……。
「な、なら授業中に俺のことばかり見てくる渡はどうなんだよ」
「……えっ!?」
「だってそうだろ。今日だってゲームやっているかどうか監視するようにずっと見てきやがって」
おかげで全然進められなかったんだぞ。
「ほかのやつのことなんか見ていないのに俺ばっか」
「べ、べつに香椎くんばかり見ているわけじゃないよ!」
「うそつけ。めちゃくちゃ目が合うんだよ。秒間隔でな! 授業に集中しろ!」
「秒はいいすぎ! ふ、分間隔だもんっ!」
「どうでもいい! とにかく渡は俺のことを気にかけすぎなんだよ」
「そういうわけじゃ……」
なんか知らないが、いつも負けっぱなしの俺が優勢だった。
珍しく弱いな。よし、ここは押せ押せだ。
「どうだか。だってこの前なんか俺に気を取られすぎて問題当てられた時、答えられなかったじゃんか。あれはどう説明するんですかー?」
「そ、それは……」
「まさか渡みたいな頭のいいやつが問題が解けなかったってことはあるまい。あるとすれば、問題を聞いていなかったということだけど。そこのところはどうなんですか?」
「う、うう……」
「あれあれー? 人のことを注意する人間が授業を聞いていなかったんですかー?」
「か、香椎くんの馬鹿あああああああ」
絶叫とともに放たれた俺のゲーム機。
ぴゅーんっと飛んでいったそれは地面に叩きつけられ、二転三転して止まる。
「お、俺のゲームううううううううううううううううう」
すぐさまゲーム機のもとへと駆けつけ、起動させる。
幸い壊れてはいなかったらしく、エンディング途中のゲーム画面が映された。
「あっぶねー」
と思った矢先。
画面が揺れ、シオリちゃんの顔がぶれ始める。
「え……」
否、全然大丈夫じゃなかった。完全にイカれてた。
データどころではなく、ゲーム機本体がぶっ壊れてしまっていた。
「ごめん、大丈夫だっ――」
心配げに近寄ってきた渡はそこで言葉を切った。
彼女も気づいたのだろう。その画面に映る正常とは思えない光景に。
「お、お前な……」
「あ……ご、ごめん」
心底申し訳なさそうに下を向く渡。
すぐさまどうにかならないかと我に返った渡は俺からゲーム機を取ると一生懸命修復にかかる。だが、素人がなにかできるわけもなく、画面は真っ黒になる。
「ごめんなさい! 私、壊すつもりは本当になくって」
「わかっているって。俺も変に渡のことをからかっちゃったし、べつにいいよ」
わざとではないことくらい承知しているし、渡が一番自分のしてしまったことを後悔していることも見ていればわかる。ぶっちゃけ俺も調子乗ってしまったところもあるし、自業自得といえばそうだ。
「あの、弁償……弁償するから!」
「いいって。これもう古いし新しい機種買おうとしてたからちょうどいい」
「や、でも――」
「いいって。このゲームだって一応全部終わったあとだし」
「けど」
「うるさいうるさい。反省しているんだったら俺が今後ゲームしても大目に見てくれよ。それで許してやる」
言うと渡は納得したふうには見えなかったが、俯いたまま小さく頷いた。
「んじゃあもう俺は帰るから」
俺は放課後に残っている理由もなくなったので立ち上がって荷物をまとめる。
「う、うん。本当にごめんね」
渡も立ち上がり、今一度頭を下げてくる。
「俺のほうこそ、ちょっと言いすぎた。悪かったよ。迷惑かけているのは俺のほうだったし、それを必死になって更生させようとしていた渡は全然悪くないっての」
いつまでも気にしそうな渡にそう言葉を投げかける。
「それじゃあまたな」
ひらひらと手を振って教室をあとにした。
☆☆☆☆
いやあ、まじかあ。
まさかあの冷静沈着な渡があんなに取り乱すなんて想像してなかったぞ。
しかもあんな苦しそうにされちゃあ……安心させるような言葉を言わずにはいられないだろ。
「新機種買う金とか来月になっても入らないぜ」
見栄を張ってあんなことを言ったが、無理だ。
今月もうすでに小遣いはゲームによって消えた。
まったくこれで二か月以上携帯ゲームはできないということになりそうだ。
仕方ない。スマホゲームで我慢するとしよう。
最近はこっちも素晴らしいものが出始めているので退屈はしない。
「おはっ! 香椎くん」
懲りずにゲームをする俺に挨拶がされる。
自慢ではないが俺には友達と呼べる人間はいない。
クラスメイトからは事務的な会話しかされない。
会話をするとなれば、昨日のように委員長の渡くらいしか――
「待て渡。俺はべつにゲームしてないからな。いやこれはゲームなんだけど、スマホゲーだし? 全然ゲームじゃないから。や、ゲームなんだけど、ゲームじゃないっていうか。スマホなら持ってきてもいいだろ? だからそのこれはゲームに含まれないと言いますか――あれ」
言い訳をする俺はそこで目の前の人物が一瞬だれなのかわからなかった。
眩しいくらいに輝きを放つ髪の毛はゆるくパーマがかけられている。
長いまつ毛に縁どられた瞳は宝石を埋め込まれたかのように綺麗だ。
そしていつもより主張の強い顔はメイクが施されているようだ。
しかもスカートは限界まで上げられ、下着が見えそうなくらいギリギリである。
胸元なんかは自慢のそれを見せんとばかりにボタンが開けられている。
「えっと、渡……若菜、さんですか?」
「そうだけど、なんで敬語?」
くるくるとその髪の毛を巻きながら不思議そうに首を傾げる。
「あー、もしかして私じゃないと思った?」
こくこくと頷く。
「確かに変わったけど、そんな違くなくない?」
いや鏡見ろよ。
すっげー変わったよ。
口調もちょっと違くない?
ギャルだよギャル。俺の苦手な女子の類の見た目だよ。
「あれどうしたの、若菜」
「渡さんイメチェン!?」
「すごい可愛い」
「雰囲気ガラッと変わったね。眼鏡なし、いいじゃん」
がやがやと群がる女子ども。
男子生徒もなにやらひそひそと渡のことで言葉を交わしているようだ。
「おいおいどうしたってんだよ」
あの真面目系委員長の渡若菜がビッチ系ギャルになってるんですけど!?
――――
それは朝のホームルーム。
「ど、どどどど、どうしたんだ渡いいいいいいいいい!?」
「ちょ、せんせ、驚きすぎ」
それは英語の授業。
「わ、忘れた? 渡がか?」
「さーせん」
「さ、さーせん!?」
それは国語の授業。
「ね、寝るなー渡」
「ん、朝?」
「わ、渡っ!?」
それは体育の授業。
「おーい真面目に走れ、渡」
「だってだるいんですもん」
「だ、だるい……!?」
それは昼休み。
「あ、弁当忘れた。購買行ってくんね」
「ほんとマジ卍」
「え、ほんとに? あざおー」
「あはは、それな」
「…………………………………………………」
…………。
…………。
…………。
「本っ当に申し訳ございませんでした!」
放課後になり、渡がひとりになったのを見計らうと彼女を連れ出して体育館裏に呼び、五体投地となって謝る俺。
「え、いきなりどうしたの?」
突如謝られたことに驚いた様子の渡だった。
「いやいや今日の渡がおかしいのって俺のせいだろ?」
「おかしい? 私が?」
「おかしいだろ。超やばいくらいにおかしいって」
「そんな前のめりになって言わなくても。というかおかしいっていうか少しだけ変わっただけでしょ」
「どこが少しなんだよ!」
たまらず叫ぶ。
「だれだよ! 見た目だけじゃなく、なんかすっげえ不真面目ちゃんになってんじゃん! つか、ただのギャル。そこらへんにいるギャルだよ!」
多少のぎこちなさはあるが、完全にギャルだ。
「昨日のことが原因なんだろ」
「や、原因って」
「だってそれしか考えられないんだよ。あれか、昨日のことを気に病んでおかしくなっちゃったとかか? それとも不真面目になって罪悪感みたいなもんをぬぐおうとしてんのか?」
「違うよ」
「じゃあなんだって言うんだよ」
語気が強まる。
いくら本人から否定されようが、昨日のことがきっかけとしか思えない。
だってこんないきなり真面目だった渡がギャルみたいになるか普通。
「だから全然違うって。てか、その謎理論まじ花生える――じゃなくって草生えるーだしっ」
普段使わないような言葉なためか、全然なってなかった。
ポケットからメモの紙が見えるんだよなあ。
「そうだ。これからどっか遊びに行かない? 香椎くん、どうせ帰ってもゲームするだけでしょ?」
「いや、渡はこれから忘れた課題提出しなきゃなんだろ」
「そんなのぶっち、みたいな? いいから行こうよ」
強引に俺を引っ張って校門へと歩き出そうとする渡の腕を払う。
少し力を入れたせいか、彼女はたたらを踏む。
「ごめん、気分じゃないから」
断ると、渡は一瞬悲しそうに目を伏せたがすぐに晴れやかなものとなる。
「そか。じゃあ仕方ない。クラスの子と行こっ。後悔しても知らないよ」
言いながら渡は鼻歌交じりにスキップで教室へと戻っていく。
俺はそんな変わってしまった渡若菜の後ろ姿をただ呆然と見つめるしかなかった。
☆☆☆☆
「なあ、香椎。渡がどうしてあんなになったか知らないか?」
「はい? なんで俺が?」
一日が終わり、日直であった俺が日誌を担任の山野辺先生に渡すとそんなことを言われる。
「だって最近の渡、すごい変じゃないか」
はあ、とかなんとか生返事をする。
あれからというもの。
渡は相変わらずギャル感満載で学校生活を送っている。
いままでの品行方正、成績優秀、真面目な彼女とは正反対の態度で。
「それがどうして俺と関係があるっていうんですか」
「どうしてって、そりゃあ香椎が一番渡と一緒にいるからな」
「一番って……」
「それに香椎。お前、一年の時、出席日数も成績も危なかったけど、渡のおかげでなんとか進級できたじゃないか。そんな恩人の変化に思うところはないのか?」
「べつに頼んだわけじゃないですし」
確かに俺は一年の頃、かなりサボったり勉強を怠ったせいで進級が危ぶまれた。
しかしなにかと世話焼きな渡のおかげでなんとかギリギリのところで落第は逃れた。
あの頃はなんか現実と理想との乖離に絶望して……とか病んでいたからな。
……ああ、思い出しただけでも恥ずかしい。
けど、そんな俺のもとに渡はいつもいつも手を差し伸ばしてきた。
「おれもずいぶんと下駄を履かせたんだぞ」
「それはありがとうございます」
「感謝するなら渡にしろ。おれはあいつが熱心に頼み込むからしてやったまでだ。まあ後半の香椎の努力は認めるが、正直あんなんでは進級など認められなかった」
「は、渡がなにかしたんですか?」
初耳のことであり、聞かずにはいられなかった。
「渡が各教科の先生のところに行ってなんとか単位をくれないかと頼んだんだよ。もちろん担任のおれのところにも来てな。あんなことされたのは初めてで、無下にすることなんてできなかったよ」
「…………」
説明をし終えると山野辺先生は椅子に腰を深く預ける。
「香椎の更生をしてくれた優秀な渡が今度は不良化……本当にどうなってるんだかなあ」
そうして俺はいつの間にか、職員室から出ていた。
――――
べつにギャルゲーみたいな展開に期待していたわけじゃない。
だれもが俺のことを好きになってくれて、俺が選ぶ立場にいる。
そんなことを望んでいたわけじゃない。
それくらいの常識はあった。
けれど、ちょっとくらい――そういうことがあって欲しかった。
非日常というか、ゲームっぽいイベントがあって欲しかった。
でも実際そんなことはなかった。
俺は有象無象のモブキャラなことに気づいた。
なにが人生の主人公は自分だ、だよ。
こんなくだらない人生の主人公のストーリーなんてだれも見たくねえよ。
だれもやりたくねえよ。
だから放棄したくなった。
香椎由則という男のストーリーを見たくなくなって、やりたくなくなった。
データをぶっちぎってやりたくなった。
テスト中にだれかのスマホの音が鳴った。
ちょうどよかった。
俺はその時、自分の人生の電源を切るために、ゲームの起動ボタンを押したのだった。
「うまくいったと思ったのにな」
俺の計画はうまくいった。
すべての注目は俺に向き、全部の責任は俺のものになった。
けれど、それを阻むやつが現れた。
干からびた花に水をやるように。
「こんにちは。渡若菜です。香椎くんいますか?」
何度だって彼女は訪れる。
それが――渡若菜という真面目系委員長だった。
「ついて行ったら……そういう女の子になれ、ます?」
声は震え、怖がっているのは一目見てわかった。
どこまでも強気な彼女の弱々しいその姿に俺は一瞬息をするのを忘れた。
「なれるなれる。じゃあ行こう」
見知らぬ男が怯える彼女を連れていこうとする。
「あ、あの……やっぱり私、こういうのはちょっと」
「いまさらなに言ってんだよ。ほら行こうぜ」
拒む彼女の手を男が強く掴んだ。
「すいません」
俺は教わったんだ。
もうだれも自分のストーリーを放棄して欲しくないって。
渡若菜の――彼女の人生をこんな形で終わらせたくない。
「彼女が嫌がっているみたいなのでやめてくれませんか?」
渡若菜はいつだって俺の邪魔をしてくる。
だったら少しくらい俺が彼女の中に入っていったっていいだろう。
これはただの仕返しだ。
――――
夜の帳は下り、乏しい街灯がふたりの人間を照らす。
「香椎くん。本当にありがとう」
「べつにお礼を言われるためにやったわけじゃない」
「うん。でもありがとう」
隣を歩く渡の手はまだ少し震えていた。
だから安心させるために、俺は自然と彼女の手を掴んでいた。
「慣れない格好して、慣れない人たちと付き合うからだよ」
「……うん」
すっかり反省しているのか、口数は少ない。
まだ怖さが拭い去っていないということかもしれないけど。
「なんであんな男について行こうとしたのかはべつに聞かないけど、もうやめなよ。渡は真面目一辺倒の面倒くさい委員長。それが渡若菜だから」
「なにそれ」
くすっと笑う。
「香椎くんには私は嫌な女だって思われているんだって改めてわかった」
「嫌な女だなんて言っていないよ。面倒くさくってうるさい頑固な女ってだけ」
「でもそれがイコールいい女にはならないことだけはわかる」
「まあそうだね」
「否定してよ!」
ぺしっと肩を叩かれる。
少し元気が戻ってきたようだ。
運がいいのか、悪いのか、ちょうどその時明かりによって渡の目と視線が絡んだ。
「やっぱりそれ、似合わないよ」
「……知っている」
静かな吐息が漏れる。
「だれか好きな人でもできた? ギャルメイクが好きなんて……だれだろう。俺が知っている人? まあ名前を言われたところで顔と名前が一致するかはわからないけど」
「…………か」
「か?」
「香椎くんのせいでしょ!」
「はい!?」
責任転嫁にもほどがあったので俺は驚いて目を剥いた。
「俺がいつ渡にギャルになれって言ったよ」
「言ってないけど、言ってないけどさ……」
ためるように一度深呼吸をしてから渡は言う。
「香椎くんがギャルゲー好きっていうから!」
……いや、だからなに?
「俺がギャルゲー好きだから、なんなの?」
「だから香椎くんがギャルゲーできなくなって、それは私のせいだから……私がその……、無理かもしれないけど、ゲームに出てくるようなギャルになれればって」
ごにょごにょと尻すぼみに声が小さくなる。
「つまり俺がギャルゲーできなくなってしまった責任を取って自分がゲームに出てくるギャルになればってこと?」
首を縦に振られる。
「ぷっ」
あはははは、と笑った。
笑わずにはいられなかった。
「な、なんで笑うの! 私、すごい頑張って考えたのに」
「だってギャルゲー=ギャルだと思っているんだもん」
「え、違うの!?」
「確かにそういうキャラも出てくるけど、ギャルってのは女の子って意味で渡が想像しているのとは違うよ」
「えええええええええええ!」
あまりの衝撃に驚愕の表情となる渡。
まあわからないでもないけどね。
「やっぱり渡は真面目系委員長だなあ。こういうことにはほんとに疎い」
「もう嫌」
顔を手で覆って隠していた。
渡若菜らしい素直な女の子がそこにはいた。
「ギャルな渡も悪くはないけど、いつもの委員長が俺は好きだな」
「え……」
「俺にいつもお節介を焼く、くそ真面目で曲がったことが嫌いで面倒くさくって口うるさいおさげで眼鏡な渡若菜が」
なんてたって俺は清楚系が一番好きだから。
渡若菜は俺の好みにドンピシャなのだ。
それが俺が心を許した一因なのかもしれないな。
そういうしているうちに渡の家の前まで来ていたようだ。
「それじゃあ、また明日」
「うん。送ってくれてありがとね」
そして俺は歩み続ける。
つまらない香椎由則という人間の人生に。
少しの希望を抱いて。
楽しい未来を想像して。
小さな恋心を胸に刻んで。
「香椎くん、何度言ったらわかるの。授業中にゲームをやっちゃいけないって――」
今日もまた真面目系委員長の声が鳴り響く。