婚約破棄を見守る私と、腹筋崩壊中の上司
一発ギャグ小説です。深く考えずにお読みください。
いつか連載にしてみたい。普通のファンタジー恋愛モノとして。
かつて、画面の向こうに見たことのある……ような―――ちょっと違うけれど、そんな光景が目の前にあった。
「姫紗羅! 貴様との婚約の破棄を、私はここに宣言する!」
青天の霹靂であった。
まさか、こんなことになるなどと。
言い訳になるが、この展開は誰にも予想できなかったんじゃないかと思う。実際私と上司は全くわからなかった。だからここに来たのである。
むしろわかっていた人間がいたなら教えてほしかった。
「な、何故ですか……! わたくしは何も……!」
姫紗羅嬢が声を荒げる。扇で顔を隠しながらも睨みつける先の嶺堂さまも同じく怒鳴り声を響かせる。怖い。
普段穏やかであることを自らに課している嶺堂さまがここまで怒ることができたとは。
怖い怒り方は上司の専売特許だと思っていた。まあ、あの上司の怒り方はベクトルが反対方向にあるが。
「知らないとは言わせん! 静を虐めただろう!?」
「虐めてなどおりませんわ、注意をしただけです!」
「注意!? どこがだ!」
わあわあと喧嘩するお二人。姫紗羅嬢と嶺堂さまは幼い頃からの婚約者であると聞いていたが、存外仲は悪いようである。親の仇と言わんばかりの形相の嶺堂さま、扇がミシミシと不穏な音を鳴らすほどきつく握りしめている姫紗羅嬢。
ここは立場が上の第三者が仲介に入り、観衆のいない場所へ案内すべきかと思うが……。
この授業納め式後のパーティという殆どの生徒が出席する場所は相応しくないどころの騒ぎではない。嶺堂さまと姫紗羅嬢の騒ぎが新聞にでも書かれたら事だ。全力でもみ消さねばなるまい。
「静に上の爵位の者が来たら廊下の脇により通りすぎるまで頭を下げろ、などと!」
「当たり前の話でしょう!? わたくしは間違ったことは言っておりませんわ!」
確かに間違っていない。爵位が下の者は上のものに対して礼儀を尽くさなければならない。
「間違っている!」
だが嶺堂さまは堂々と言い放つ。気持ちはまあ、わからんでもない。それでいいのかとも思うが……。
私も役職からそれなりの地位を持つが、彼女に頭を下げたままでいろとは言えない。
何故なら静、と嶺堂さまに親しげに呼ばれている彼女は。
「まあまあ、嶺堂さま、婚約者さまとは喧嘩をなさるべきではありませんよ。飴ちゃんでも召し上がって落ち着いてくださいな」
にっこりと微笑んで懐の巾着袋から飴を出し、嶺堂さまやその側近の方々……果ては、姫紗羅嬢にすら配る『静』は。
くしゃくしゃの皺の寄った顔。皮と骨ばかりと見紛う華奢な体躯。色の抜け落ちた白髪。腰が曲がり、殿下に支えられてなんとか立っているその姿。
巳鏡 静。
御年六十八を数える、我が祖母である。
「ありがとう、静。だが大丈夫か? そろそろ座るか?」
嶺堂さまの気遣いに遠慮する祖母だが、その間に側近の方が近くの椅子を持って来て差し出す。結局座らされていた。
何とも畏れ多い光景に、私は閉口した。巳鏡家は男爵位を持つだけの地味な家。神の末裔たる嶺堂さまに気遣われるような大層な家ではない。その先代当主夫人である祖母もそうだ。
だが嶺堂さまは「ご老人には優しく接すべき」として、あのように心を砕いてくださる。
だから学園に入学とかやめてくれと言ったのだが……。
いくら私が心配だからといって孫の学園についてくる祖母など聞いたことがない。
そっと横の上司を見やる。事態を収拾するにはうってつけの血筋と地位を持つ彼だが、現在は蹲ったままぴくりとも動かない。その理由を察している私でも、少し不安にさえなる姿だ。
「……理事長」
上司に呼びかけるも、返事はない。ただのしかばねのようである。
「理事長、そろそろ止めないと後々の始末が面倒になりますよ」
「………………わかっ、て、いる」
息も絶え絶えに上司が言った。今にも死にそうな声だった。
顔を上げ弱々しい様子ながらも鋭い眼光で私を睨め付ける上司は、本当に嶺堂さまと顔立ちがよく似ている。それも当たり前の話だ、何故なら彼らは従兄弟なのだから。
上司は現皇王陛下の弟君のご子息である。そしてこの学園の理事長を務めていらっしゃり、光栄なことに私を補佐としておいてくださっている。そのために色々な便宜も図ってくださる、私の恩人だ。
いくら事務能力が優れているとは言っても親が男爵でしかない私を登用するには色々と面倒だったろうに。
だが上司は普段、とても冷徹……というほどではないが、感情を揺らすことがあまりない。情はあるが切り捨てるのも厭わないお方である。
つまり、だ。私は彼が笑ったところなど見たことがなかった。
過去形である。
このクール系美形だと思っていた上司は、現在込み上げる笑いに必死に耐えているところなのである。
常に表情を無にして働いているお方ゆえ、その表情筋は引きつっている。明日とかに筋肉痛になりそうな凄絶な引きつり方であった。むしろ上司の表情に私が爆笑しそうだ。なんとか表には出していないが。
腹筋で笑いを押さえ込んでいると身体の力が抜けるらしく、上司は嶺堂さまが宣言してからずっとこの有様である。
クール系美形って何だろう。
「理事長、お加減が宜しくないのであれば、恐れながら私が嶺堂さまに提言させて頂きますが」
「……いや、わたしが行こう」
上司は何とか立ち上がった。右手は未だ腹部に添えられており、仕立ての良い袴に包まれた足はどうやら生まれたての子牛のような震え具合ではあるものの、立ち上がった。
私は上司の腰に「失礼します」と一言添えてから触れ、彼を支える。……いつもなら上司に触れるなど畏れ多いと思っていただろうが、今の私は上司が崩れ落ちないよう、彼の威厳を守ることしか頭になかった。
普段はとても凛々しい人なのだ……!!
本当に尊敬できる方なのだ……!!!!
私の中の格好いい上司ががらがらと崩れていっているが、この巳鏡 要、受けた恩は忘れぬ。
たとえ私の能力にしか興味のなく私自身のことなど何一つわかっちゃいない鈍感男であろうが、この方は私の恩人なのである……っ!
一歩、一歩、私たちは歩く。上司の腹筋がどれだけ耐えられるかが勝負だ。
だが……現実は非情なり。
理事長という上の立場にあるものが中心にいては生徒たちが心から楽しめないからと会場の端にいたのが失敗だった。
嶺堂さまが椅子に座る我が祖母の手を握り、爆弾を投下した。
「わたしは姫紗羅、貴様ではなく静と婚約する……!!」
何たる熟女好きか。
「ぐふぅ……っ!?」
「り、理事長ォー!!」
そして上司(の腹筋)は死んだ。
キャラクター紹介(二人だけ)
・巳鏡 要
主人公。前世の記憶を持っており、自分が乙女ゲーのヒロインだと知ったためにゲームに巻き込まれないよう男装することを決意した……ということを作中に入れたかったけどその隙間がなかった。静がヒロインの立ち位置になったのは要がいなかったから強制力で、みたいなところもある。
前世の記憶により神童と呼ばれ、十二歳ごろ上司にスカウトされて補佐になった。その時かなり家の財政状況が厳しかったので、それを救ってくれた上司をめちゃくちゃ尊敬している。静が学園には入れたのも上司のおかげ(所為)。
でも自分に興味がなく、女と気づいてくれない上司にはちょっと文句を言いたい。(言わないけど)
・上司(祠暮)
理事長兼皇族。皇位継承権もある。優秀な補佐が欲しくて探していたらかなり幼いけどいいのがいたのでスカウト。補佐がなんか柔らかいし腰のくびれもあるし男にしては小さいし声も高めだし華奢な身体してるけど、優秀なので特に気にしていない、能力重視主義の人間。
普段は無表情でクールなちょっと怖い美形だが、笑いのツボは浅い。今回のはかなりキタらしい。表情に乏しいことは一応気にしていたりするが、笑おうとしたところ要に「もしやお身体の具合が!?」とビビられたのでやめた。
嶺堂と姫紗羅はキラキラネーム感を出したかったけど特にそういう感じもなかった。