008 巫女
屋敷から逃れた後のことを考えて周辺地域に関する情報を文字を教えてもらうことも兼ねて書斎でオリブルに説明を受けていた。その過程でメリュジーヌの影響力が想像以上に大きいことを知ることとなった。
プラティナの住まう土地リュジニャンは温暖な盆地を中心に広がっており、年中山頂に雪の冠を被る険しい山々に囲われて外部からの干渉を受けにくい地形をしていた。数年前に隧道が開通したが関所が置かれて出入りを完全に管理されている以上、私がそこを使って出奔するのは無謀という他ない。山に詳しい人物でも雇えればいいかもしれないが、開通した隧道の使用量は微々たるものらしく、わざわざ山を越えようとするものは皆無で山に入るのは狩猟や採集を目的とした人間くらいらしい。となると変装して隧道を抜けるのが一番現実的な選択だった。
「ねぇ、オリブル。屋敷の周辺には私たち以外誰も住んでないみたいだけど何か理由があるの?」
「ここは聖地扱いですからね。一般の方は近付くことを許されておりません」
「聖地?」
「はい。リュジニャンの中央に位置した高台のここは神様の加護を授かった聖女さまの住まう土地として崇められているのです」
「加護って、もしかしなくても呪いのこと?」
「はい。不死の象徴である竜を身に抱く乙女、竜血聖女。それがメリュジーヌ様やプラティナさまのことなのです」
「じゃあ、外の人たちは私たちの呪いのことは知ってるの?」
「いいえ、それはありません。おふたりはあくまでも象徴的な存在なのです。山の神に見初められた巫女として生まれ、険しい山々に囲まれながらも豊かな環境の恩恵を授かり続けるために名と役目を継承しているのだと世間には流布されております」
「人柱だとでも思われているのね」
「それは……」
「事実を知りたいの。変に私の心情を考慮する必要はないわ」
「はい。以降、気を付けます」
「うん、お願いね。それで、その話だと巫女は一定周期で入れ替わっているように聞こえなくもないけど、私は姉様と血の繋がりはなくて呪いを受けていたから後継者としてここへ連れてこられたってことなの?」
「いえ、メリュジーヌ様とプラティナさまは紛れもなく血の繋がった姉妹です。それは間違いございません」
「継承してるっていうのは噂として意図的に流してるのね」
「はい。本当に不死の人間が存在していると思われると不都合が生じるからとメリュジーヌ様が噂を流すようにユリアンとギイに指示されました」
「そのユリアンとギイっていうのは」
「メリュジーヌ様の手によって創造された人造人間です。周辺地域の実質的な統治は彼らが担っています」
「他にも姉様に造られた存在っているの?」
「私は実際にお会いしたことはありませんが、あと4名ほどいらっしゃるという話です」
「貴女でも知らないことはあるのね」
「私に与えられているのは一般的な知識と屋敷にまつわることだけですからね」
「話を聞かせてもらって私の置かれている状況は把握出来たわ」
「お役に立てたようでしたら幸いです」
「まぁ、文字の方はさっぱりなんだけどね」
「まだ初日ですし、仕方ありませんよ。一から学び直すわけですから」
「そうね。それじゃ文字や一般的なことに関しては今日はここまでにして、昼食後は魔術に関することを教えてもらえない?」
「かしこまりました。では、私は昼食の準備に行って参りますね」
「厨房について行ってもいい? 水も用意しなきゃいけないしさ」
「はい。お水、よろしくお願いしますね」
「うん。任せてよ」
テーブルに広がった下手な文字が書き散らされた紙を束ねて置き、その上に筆記具を転がしてから席を立つ。そうして待ってくれていたオリブルに続き書斎を出る。
慣れない幅広のブーツを履いているため妙に音が廊下に響く。今日はオリブルが新たに用意してくれたブーツではなく、以前使用していたものを履いている。一晩経って再生した足の過敏だった触覚は落ち着いたけれど、何故か人間の足に変化させようとすると変に痛むので恐竜めいた足のままにしていた。
厨房に到着してオリブルの指定した水瓶に大量の水を注ぎ込む。それを使用して調理するオリブルの姿を眺めながら昼食が出来るのを待つ。そんな折に、ふと思い出したことを尋ねる。
「そういえば、さっき聞きそびれちゃったんだけどさ。私にはもうひとり姉様がいるんでしょう。今どこに行ってるかとかオリブルは知ってる?」
「メリオールさまですか。数年前にジュラ山脈の向こう側に行かれたと聞いておりますが」
「やっぱり呪いを解く方法を探すため?」
「メリュジーヌ様は、そのようにおっしゃっていましたよ」
「そっか」
少なくともメリュジーヌのやり方と同調するような人物ではないようだけど、今も無事でいるか怪しい。現状で行方に関する情報源がメリュジーヌだけである以上、メリオールが私同様に人体実験をされていた可能性が高い。呪いの効果で死んでいないにしても行動不能や状態に陥っていても不思議はない。もし居るとしたらまだ一度も立ち入っていない別館だろうと当たりを付ける。どんなことでもいいからここから脱出するための情報が今は少しでも欲しかった。