001 憑依
放課後、夕陽の射す教室でぼんやりとしていると17時を知らせる放送が流れ始める。教室で待っていてくれと言われ、本を読んだりスマホをいじったりして時間を潰していたが、いい加減待たされるのに嫌気がさしてきた。深くため息を吐き、何気なしに窓から外を見ると私を居残るよう言い渡してきた人物は部活に励んでいた。
私に用事があるならこっちを優先すべきじゃないの?
そう思うと待っているのが一気にバカらしくなった。私は帰り支度を済ませ、校門を出てからスマホを取り出し、チャットアプリで「急用が出来たから帰るね」とメッセージを残して学校を後にした。
このまま帰るのも気分が悪いので私は通学路を外れて前々から気になっていた所に向かった。細い路地を抜け、線路沿いを駅とは逆方向に進む。目印の変わった形をした建物の角を曲がり、大きな樹が中央に生えた公園の横を抜ける。そうしてようやく目的地へと至った。
かなり古い造りの家屋で辰巳屋と所々錆び付いたブリキ看板が掲げられた店。正面の引戸から中を覗き込むと店内は薄暗く、営業しているのかも怪しい。入って大丈夫なんだろうかと引戸に手をかけて迷っていると店内で閉店準備を始めたらしい店員さんが奥から出てきて目があった。
店員さんはつっかけたサンダルをパタパタと鳴らしてこちらまで来ると戸を開ける。
「いらっしゃい。お客さんでいいのよね?」
「あ、はい。でも、もう店仕舞いでしょうか」
「大丈夫、大丈夫。閉店時間なんて私の気分次第だから。好きなだけ見てって」
店内へと招き入れられ、中を見回すと爬虫類や両生類をモチーフにした木彫りの置物や小物がたくさん並んでいた。
「これって全部お姉さんがつくったんですか?」
「んー、ほとんどが買い付けてきたものばっかりだよ」
「じゃあ、お姉さんがつくったものもあるんですね」
「恥ずかしながらね」
「これ、もしかしてそうですか?」
と比較的新しそうな根付を選んで手に取る。
「そんなにすぐわかっちゃうものかなぁ」
「なんとなくですよ。それに私はこれ好きです。これっておいくらですか?」
「初めてのお客さんだし、特別にタダで譲ってあげようかな」
「ダメですよ。ちゃんとお代は払います」
「そう? じゃあ、好きに値段付けていいよ」
「え?」
私は財布の中身を確認し、以前買った根付の値段を思い出しながらお札を1枚取り出して店員さんに手渡した。
「お釣りは?」
「1500円で」
「うん、無難なところだね。こちらのお値段3500円になります」
「よかった」
「別にタダでもよかったんだよ」
「そういうわけにはいかないですよ。対価はちゃんと払わないと」
「どうもね。でも、あー、うん。いっか」
歯切れの悪い店員さんの反応に首を傾げる。どうしたのだろうかと尋ねようとしたのを遮るように私のスマホが着信する。画面に目を落とすと待ち惚けさせていた人物からの電話だった。ちらりと店員さんを見て「すみません」と告げて会釈する。彼女は引戸を開いて私を送り出し、小さく手を振った。それに対して再度会釈をして私は近くの公園に足を運びながら電話に出た。
「なに?」
ぶっきらぼうに言うと相手はこちらのご機嫌をとるようなことを言い連ねる。そんな言い訳じみた言葉を大きな樹に背を預けながら聞き流す。
「用がないのなら切るね。今ちょっと立て込んでるから」
相手は更に言い募ろうとしていたが、お構いなしに通話を切った。通話を終え、辰巳屋の方に目を向けると店の明かりは消えていた。
肩を落とし、手の中にある根付を眼前に持ってくる。それは宝玉を抱く蛇だった。こういうのって普通なら龍とかじゃないのかなと思っていると蛇が取り巻いていた宝玉が内部から紅い光をぼんやりと脈打つように発し始めた。その光は次第に明るさを増し、景色を飲み込むほどの眩しさに目を細める。木製の根付から放たれる不可思議な紅い光を浴びていると、なんとも言えない浮遊感が全身を包むと同時に意識が遠退いて行く。そうして数秒後に、ぶつりと途絶えた。
痛む頭を抑えて重たい瞼を上げる。どれほどの時間が経ったのか周囲は夕暮れ時とは思えぬほどに明るかった。立ったままの状態だったので半日以上経過したなどと言うことはあり得ない。だとしたらどう言うことなのだろうかと辺りを見回すと公園の外にあったはずの宅地が消え失せていた。その代わりにあるのは広々とした庭と石造りの塀や日本とは明らかに建築様式の違う建物だった。変わっていないのは背後にある大きな樹だけであとはなにもかもが違っていた。
私は木陰に佇んだまま呆然としていると頭上から声が降りてくる。
「プラティナ、どうかしたの?」
声のした方に目を向けると辰巳屋の店員さんと顔立ちのよく似た女性が私の方を見ていた。
「プラティナと言うのは私のことでしょうか?」
「本当に大丈夫? もしかして昨夜の実験で記憶に不具合が出ているのかしら」
「あの私は……」
相手の勘違いを正すように私は自分の名を名乗ろうとして言葉に詰まった。どういうわけか自身の名がわからない。なにも言えないまま口をぱくぱくとさせて困惑していると樹に登っていた女性が軽い身のこなしでふわりと私の側に降り立った。かと思うと私の頭を胸元に引き寄せて抱き優しく頭を撫でた。
「ごめんなさい。次はもう少し上手くやるからね」
私は現状を理解するのを諦め、今は成り行きに身をまかせることにした。