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暴力言論  作者: 佐藤脱皮
8/9

純情可憐、宵闇今宵 三




「どうして……しなせてくれないんですか?」


 (ゆかり)今宵(こよい)は少年を助けた。

 助けたが、少年から出てきた言葉は、――死にたい。ということだった

 少年の言葉に(うそ)はない。そのことが今宵には、分かってしまう。

 人の死が()えてしまう今宵には、少年が本気で、死にたいと言っていることが分かってしまう。


 今宵はまた、少年の姿が見えなくなったから。


 少年の全身は(ふたた)び黒い(もや)(おお)われ、あどけなさが残るその姿を、完全に見えなくしていた。


 どうして……どうしてこの子はこんなに、……死にたがるの?


 今宵には分からない。縁の(ひざ)の上にいるのが、黒い靄なのか、少年なのかさえ分からない。分からないが、一つだけ分かることがある。嗚咽(おえつ)混じりの呼吸音(こきゅうおん)だけは、(いや)という(ほど)聞こえていた。


 縁は静かに少年を見つめ、()れた目元(めもと)を優しく(ぬぐ)い、話し掛ける。

「君は何を勘違(かんちが)いしてるの? 私は君を助けたわけじゃない。(はなし)を聞きたかったから、一旦(いったん)君を引っ張り上げただけ。……だから君が死にたいなら、話し終わった後で、好きにしていい」

「縁さん!?」

 縁の言葉に、今宵は大声で(さけ)ぶ。

 少年は大声を上げた今宵に見向きもしない。

 頭上(ずじょう)微笑(ほほえ)む年上のお姉さんに、気を取られてしまっていたから。

「あの……、おねえさんがいってたことは、その……ほんとですか?」

「ほんとよ。だから私の質問には正直に答えて。もし、嘘をついたりしたら……君を死ねない身体(からだ)にするから、覚悟(かくご)しなさい」

 縁は()みを()やさず、少年に()げる。

「ゆ、縁さん? ど、どうしちゃったんですか? ゆかっ!?」

 今宵の身体はビクリと(ふる)え、動くことを()めた。

 (さわ)ぎ出した今宵を、縁が強烈(きょうれつ)(にら)みを()かせ、(だま)らせたのだ。しかも、少年の視界(しかい)を胸で(さえぎ)り、怖い姿を見せないようにして。


 縁、さ……ん? どう……して!? 


 縁は自分の身体(からだ)を痛めてまで、少年を(すく)った。今宵はそんな縁を、聖人(せいじん)のように思っていた。なのに今は、人を(だま)魔女(まじょ)にしか思えなくて、仕方なかった。

 身体はすぐに自由を取り戻したが、気持ちは萎縮(いしゅく)し何も言う気になれなかった。

 今宵が落胆(らくたん)視線(しせん)を落とすと、丁度(ちょうど)そこに、スマホ画面が向けられていた。

 メモ画面だろうか。画面には、「あわせなさい」と、平仮名(ひらがな)だけで文字が打たれていた。

 今宵が即座(そくざ)に顔を上げると、縁が上手(じょうず)に片目を閉じて、ウインクをしてきた。 

 今宵は()びはねたいぐらい、(うれ)しかった。

 

「しねないからだ? ……ですか? そんなことできるわけないです。ぼくが子どもだからって、おねえさんもぼくにうそをつくんですね……」

「ふうん……。どうして(うそ)だって決めつけるのよ? 私とあっちのお姉ちゃんが普通じゃないことは、君にはもう分かってるでしょ? 私達だけで君を引っ張り上げてここまで運ぶなんて出来ると思う? 無理(むり)に決まってるでしょ? なのに君をここまで運べたのは……私達が、魔女(まじょ)だからよ」

「ええぇっ!!」

「あっ! ごめんなさい今宵さん! 魔女だっていうことは一般の方には秘密(ひみつ)でしたね!」

 縁は大袈裟(おおげさ)口許(くちもと)を隠し、(おどろ)いた今宵を誤魔化(ごまか)した。スマホ画面をトントンと叩き、話を合わせろと強調(きょうちょう)しながら。

「……ほんとに、まじょなんですか?」

 少年は無表情(むひょうじょう)のまま聞いてくる。

「そうよ」

「……それならなにか、しょうこをみせてください」

「……いいわよ。何を見せて欲しいの。って、言いたいんだけど。魔女にも色々(いろいろ)ルールがあってね、何でも出来るわけじゃないの。だから今出来ることは……せいぜい君のことを言い当てるぐらいね。それで納得(なっとく)してくれる?」

「…………はい。それで、いいですよ……」

 縁は目を閉じ「よーし!」と気合いを入れ、それらしく見えるよう、少年の(ひたい)に指を当てる。

 今宵はハラハラしながら、縁の嘘がバレないよう、見守(みまも)ることしかできなかった。

「…………君の名前は、いいづかきみひろくん。家族構成は……あれ? お父さんの姿しか見えないわね。お母さんはどこかしら?」

 今宵は声を出さないよう、自分の口を(ふさ)いだ。縁が何の情報もなく、適当(てきとう)なことを言ってると思ったから。


 縁の発言(はつげん)は適当ではない。

 今宵と君尋(きみひろ)が気を失っている間に、ランドセルの中を物色(ぶっしょく)し、手に入れた情報(じょうほう)だからだ。

 縁はその情報を、それらしく言っているにすぎない。

     

 縁が君尋のことを言い出すと、無表情だった君尋の(ひとみ)が、大きく見開かれていく。

 (まぎ)れもなく君尋は、驚いていた。つまりそれは、縁の発言が当たり、魔女だと信じようとしているということだ。


「……そして君は、学校でいじめられてる」

 縁はそれらしく、ゆっくりと目を開ける。

「……どう? 当たってたでしょ? これで私達が魔女だって信じる?」

 少年は目を見開いたまま、驚きを隠さずに(うなず)いた。

「よしよし、素直(すなお)な子はお姉さん大好きよ。それじゃ本題(ほんだい)に入りましょ。どうして死のうとしたのか、約束通り教えてくれる?」

「はい。……でも、おねえさんはこころがよめるんじゃないんですか? それなのにどうして、はなさないといけないんですか?」

 す、(するど)い! 場の空気に()まれ、気づくこともできなかった今宵と違い、君尋(きみひろ)的確(てきかく)矛盾点(むじゅんてん)指摘(してき)してきた。

「さっきも言ったでしょ? 何でもできるわけじゃないの。きみひろが心の奥に隠していることは見れないのよ」

 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で君尋の指摘を(かわ)す縁に、君尋は無言で頷き納得した。が、喋ろうとせず。起きようとして起き上がれないような、可笑(おか)しな行動を取っていた。

「あの、……おねえさん? はなすのはいいんですけど。おきあがってはなしをしちゃだめなんですか?」

「このままじゃ(いや)? お姉さんの膝の上だと気持ち悪い?」

 君尋の顔が()え上がったように赤くなった。

「そっ! そうじゃないです! その……おっぱいが……」

 ゴニョゴニョと、君尋の声は小さくなり、最後の方は聞き取れなかった。

 今宵(こよい)疑問(ぎもん)に思う。起き上がりたいなら、起き上がればいいのにと。

「ふふん。残念(ざんねん)だけど、君にはこのまま(しゃべ)ってもらうわよ。お姉さんは君が喋べり終わるまで、魔法(まほう)()く気なんてないんだから。だからほら、早く喋っちゃいなさい」

 魔法? 

 不思議(ふしぎ)に思った今宵が二人を見てみると、君尋の(ひたい)には、縁の人差(ひとさ)し指が置かれたままだった。

 えっと……つまり縁さんは、きみひろ君を指だけで押さえつけてるっていうこと?

 今宵はさらにまじまじと見つめ、あることに気づいた。


 あれ? あたし……きみひろ君が見えてる? 

 

 見間違(みまちが)いではなかった。先程(さきほど)まで見えもしなかっと君尋の顔。それが今ははっきりと、見えていた。

 一見(いっけん)すると滅茶(めちゃ)苦茶(くちゃ)にしか見えなかった縁の行動だったが、今宵はそれが正しい行動だったと、信じることが出来た。

 

 縁が君尋と話をし、交流(こうりゅう)する。それだけで彼を(おお)う黒い(もや)は、()れていくのだから。

 

      ☆


 君尋(きみひろ)はぽつぽつと、自分のことを(かた)(はじ)めた。

 学校でいじめられていること。いじめられているのは、自分の能力が低いからだと思い込んでいること。

 相談できる大人がいないこと。

 震災(しんさい)で、母親を(うしな)ったこと。

 死ねば、お母さんに会えると思っていたこと――。


 今宵(こよい)は君尋を抱き()めてあげたかった。

 同じく片親(かたおや)である今宵は、君尋の(つら)さが分かり、自分が(めぐ)まれていたことを(もう)(わけ)なく思ったから。

 今宵には、(たよ)りになる父がいた。

 今宵には、味方(みかた)をしてくれた友達がいた。 

 今宵には光を()(しめ)してくれた、英雄(ヒーロー)がいた。


 君尋には誰もいない。


 今宵は泣きたかった。

 たんたんと(しゃべ)る君尋が可哀想(かわいそう)で、仕方なかったから。

 

「よく話してくれたわねきみひろ。正直に話してくれてお姉さんは大満足(だいまんぞく)よ」

 (ゆかり)は優しく、君尋の頭を()で、

「それにしても……人ってその程度(ていど)で、死にたくなるものなのね……」

 首を(しね)り、(いつわ)りの無い感想(かんそう)を口にした。

 ギリッ、と(ひざ)の上から歯軋(はぎし)りが聞こえた。

「おねえさんなんかに……おねえさんなんかにぼくのきもちなんて、わかるわけないっ!!」

 君尋は縁の手を(いきお)いよく振り払い、立ち上がった。そのまま縁を見下ろし怒りを(あらわ)に、叫んできた。

「ぼくはいちねんせいのときからずーーっと、べんきょうもたいいくもビリだったんだ!! おねえさんみたいなすごいひとに、ぼくのきもちなんてわかるわけないっ!!」 

 縁はすっと立ち上がり、君尋を(つめ)たく(さげす)んだ目で見返(みかえ)し、反論(はんろん)する。

「君の気持ち? そんなの分かるわけないじゃない。私に限らず世界中の誰もが、君の気持ちなんて分かるわけないんだから」

 縁は指を()きつけ、言葉を続ける。

「きみひろだって同じよ。きみひろだって私の気持ちは分からない。なのにきみひろは、私のことをすごい人だって勝手に決めつけて。分かったみたいに言ったわよね? 言っておくけど、全然(ぜんぜん)当たってない! むしろ(ぎゃく)。私は子どもの(ころ)すっごく馬鹿(ばか)だったわ。間違い無くきみひろより、無茶苦茶(むちゃくちゃ)馬鹿だったわ!」

 (きゅう)な縁の告白(こくはく)に、君尋は困惑(こんわく)した。

「そ、そうなの? で、でもそれならおねえさんは、ぼくのきもちがわかるんじゃないの!?」

無理(むり)! 分からないわ。確かに私も()げはした、逃げはしたけど、きみひろのように終わらせようだなんて思わなかったもの」

 君尋の口から、歯軋(はぎし)りが()る。 

「なんだよそれ……、おねえさんとぼくのなにがちがうんだよ。おねえさんもにげたんでしょ!? だったらぼくといっしょじゃないかっ!」

 冷たかった縁の声に、熱が(こも)る。

「違う。(ぜん)(ぜん)違うわ! 逃げることと死ぬことは何もかもが違う! きみひろ、貴方(あなた)分かってるの!? 死んだら終わりなの!! それも君の人生だけじゃなく、君を生んでくれたお母さんの意志(いし)まで終わっちゃうのよ!?」

 君尋一歩だけ、縁から逃げるよう、後退(あとずさ)った。

「おねえさんは、なにをいってるの? お母、さん? お母さんのいしってなに? お母さんはもういない。だからそんなの……ぼくにかんけいないっ!」

 冷酷(れいこく)(ひとみ)が、君尋を(とら)える。 

「関係ない、ね。子どもらしい残酷(ざんこく)な答えね。今の言葉をお母さんが聞いたら、とても(かな)しむでしょうね」

 縁の言葉に、君尋は青ざめる。

「ち、ちがう」

「違わない」

 今宵には縁の声が、氷よりも冷たく感じられた。

「きみひろ。貴方の言ってることは滅茶苦茶(めちゃくちゃ)よ? お母さんに会いたいって言っておきながら、お母さんは関係無いなんて言う。それでどうして、お母さんに会えるなんて思えるのよ?」

「あ、あえるよ! おねえさんはしらない。お、お母さんはすごくやさしいんだ。だからぜったい、ぼくがいったことだってゆるしてくれる。ぼくがしんだって、またいっしょになってくれるよ!」

「へぇ。素敵(すてき)なお母さんね」

 ニタリと、縁は不気味(ぶきみ)微笑(ほほえ)む。

「でもね。君は絶対(ぜったい)、お母さんに会えない」

「えっ?」

 君尋は、自分の身体(からだ)が急に、重くなった気がした。

「う、うそだ!」

「嘘じゃないわ、お姉さんは魔女だもの。死後(しご)の世界には(くわ)しいの。それにきみひろだって、考えてみれば分かるわよ。精一杯(せいいっぱい)生きた人と、きみひろみたいに自分勝手(じぶんかって)(いのに)を終わらせた人を、神様が同じ(あつか)いなんてすると思う?」

 縁は言葉を続けながら、君尋に()()っていく。

「かみさまなんて、いないよ!」

「いるわ」

「いないよっ! いないからぼくはこんなめにあってるんじゃないか! いないからお母さんはしんだ……。かみさまなんていない、だからこんなことになってるんだっ!!」

(まった)く、また君は勝手に決めつけて……。世の中の人も知らないから、きみひろが知らないのも無理(むり)ないんだけどね……。いいきみひろ? 神様っていうのはね、きみひろが言うように人助(ひとだす)けなんてしないのよ」

「たすけたり、しない……?」 

「しない。神様は人を助けない。神様はいつだって、見守(みまも)るだけ」

「……なんだよ、それっ! そんなの、いないのといっしょじゃないか!!」

一緒(いっしょ)じゃないっ!!」

 縁は()れそうになるギリギリまで、君尋に顔を近付(ちかづ)けた。

「神様は何もしない。けどちゃんと私達を見てる。見ていてどうしても必要な時だけ、奇跡(きせき)を起こすの!」

「キセキ?」

「そ。偶然(ぐうぜん)っていう名前の、奇跡をね」

 今宵は息を()む。一度は動けなくなる(ほとま)怖く思った縁が、聖母(せいぼ)のような笑みを浮かべ。君尋を優しく、(つつ)み込んだから。

「おっ! おねえさんっ!?」

「考えてもみて。私達が出会ったこと。それが何よりの、神様がきみひろ見ていてくれた証拠(しょうこ)。だってそうでしょ? もしきみひろが今日まで我慢(がまん)してこなかったら? もしあのお姉ちゃんがきみひろを見つけてくれなかったら? もし私があのお姉ちゃんと一緒じゃなかったら? ……どう? どれか一つでも欠けてたら、きみひろは生きてなかった。これってすごいと思わない? 奇跡だと思わない?」


 君尋は何も、答えなかった。


「……分かんないか」

 身体を(はな)し、縁は君尋の顔を(のぞ)き込む。

「私はこう思うの。神様……ううん。きみひろのお母さんが助けてくれたんだって。きみひろのお母さんが、私とあっちのおねえちゃんを、きみひろに(めぐ)り会わせてくれたんじゃないかってね」


 君尋はそれでも、何も言わなかった。


 けれど、――今宵には()えていた。

 君尋の身体から、(もや)完全(かんぜん)に消えていくのが、()えていた。


      ☆


 黒い(もや)が命を(うば)わず、消えた。

 それは今宵にとって、(はじ)めての経験(けいけん)だった。

「ゆ、縁さん! 消えました! 靄が消えましたよ!」

 今宵は(うれ)しくて、興奮(こうふん)しながら縁に伝えた。

「そ。ありがと今宵。とりあえずこれで、第一段階(だいいちだんかい)はクリアってところね」

「ふぇっ?」

 喜ぶ今宵と違い、縁は(きび)しい顔付きだ。まるで、ここからが本番(ほんばん)だと、言っているかのように。

「あ、あの、おねえさん?」

 君尋がちらちらと今宵を見ながら、縁に話し掛けてきた。

「さっきおねえさんがいってましたけど、しろいおねえちゃんがぼくをみつけたって、あれはどういうことなんですか?」

「あっ! あのねっ、それはね」

 今宵は手をあたふた動かし、説明(せつめい)しようとするが、出来ていない。

「こっちのお姉ちゃんはね、幽霊(ゆうれい)()えるのよ。だからきみひろを見つけることができたの」

「「えっ!」」  

 今宵は(おどろ)き、ニコニコしている縁を見る。

「ほんとっ! じゃあおねえちゃんは、ぼくのお母さんがみえてるのっ!?」

「ふぇっ!? え、えーと。その……」

「今は見えてないわ。そうよね今宵?」

 今宵の脳裏(のうり)に、「あわせなさい」と打たれたスマホ画面が浮かぶ。

「そ、そうなの! い、今は見えないん、だよ!?」

 真剣(しんけん)面持(おもも)ちで、君尋は(うった)えてくる。

「どうしてっ!? なんでみえなくなったのっ!?」

「えーと……そ、それはね……」

「きみひろを助けるためよ。きみひろのお母さんは力を使いすぎたの。それで見えなくなったの」

 何も言えなかった今宵。それに引き()え縁は、ポンポンと(うそ)を並べていく。

「そう、なの……?」

 縁は(うなず)き「でも安心しなさい、消えたわけじゃないから。きみひろが元気に学校にいくようになれば、また出てきてくれるわ」と教えた。


「……がっこう」


 学校という言葉を聞き、君尋(きみひろ)視線(しせん)が、真下(ました)へと落ちた。


 やっぱり。きみひろは学校に行きたくないのね……。


「ねぇきみひろ、()いてもいい?」

「あ……はい。なんですか?」

「春休み()けは新学期(しんがっき)でしょ? クラスだって変わるわよね? それならいじめられるかどうかなんて分からないじゃない? なのにどうして、こんなことをしたの? それともう一つ。どうして春休みなのに、ランドセルを背負(せお)っているの?」

 君尋は視線を()げたまま、

「……きのう、いとうくんにいわれたんです。きょうから、がっこうだよって」

 縁はそれだけで、ことの()()きを理解した。

 いじっめこに(だま)されたってわけね……。

「あー……、ありがときみひろ。だいたいわかったわ。それでランドセルを背負ってたのね。そして学校に行って、そのいとうくんと今回も同じクラスだったって、知ってしまったわけね?」

 君尋は唖然(あぜん)としながら、ゆっくり頷き、

「それだけじゃないんです……。ことしはぼくのきらいなせんせいが、たんにんになるんだよって、みゆきせんせいがいってたんです……」

「みゆき先生? それは前回担

(たんにん)だった先生の名前ね?」

「うん」

「なるほど、ね……」

 (あご)に手を()え、縁は考えごとを始める。

「あ、あの、縁さん!?」

 集中(しゅうちゅう)しようとしたところで、今宵が(こぶし)(ふる)わせ、意見(いけん)してきた。

「どうしたの今宵?」

「学校って、その……行かないといけないんでしょうか!?」

 縁は目を丸くする。

「あたしっ、小学校の途中から今まで、学校に行ってないんです! で、でもあたしは、模試(もし)で一位を取れました! だ、だから、きみひろくんも学校に(かよ)う必要は……無いと思うんです!」

 縁は言っていた。自分も逃げたことがあると。だから縁も、賛成(さんせい)する。


「ダメよ。それが出来たのは、今宵の頭が良かったからに()ぎないもの」


 賛成する。そう思っていた今宵の幻想(げんそう)は、軽々(かるがる)と打ちのめされた。

(いま)だに日本は学歴社会(がくれきしゃかい)なのよ? 今勉強に(つまず)いたら、これから先の勉強はもっとダメになる。私達はきみひろが大人になるまでの世話なんて見れない、だから学校に行かないっていう方法じゃなく、いじめを(ふせ)ぐ方法を考えなきゃいけないんでしょ?」

 今宵はスカートの(すそ)をぎゅっと(にぎ)り、縁を(にら)んだ。

 そんな今宵に、縁は目線(めせん)を合わせ、小さな(むね)に指を突き付ける。

「……今宵、勘違(かんちが)いしないで。私は確かに、貴女(あなた)の意見を否定(ひてい)したわ。だけどそれは、貴女の意見が間違ってるから否定したんじゃない。私が! きみひろに学校に行って欲しいから否定したの。分かるでしょ? 私の意見が絶対だったら、私はとっくに王様にでもなってるわ。だけど現実は違う。私の意見が間違っていて、今宵の意見が正しいのかも知れない。だから言い合うんでしょ? 私と今宵の思いは一緒でしょ? きみひろを助けることでしょ? だったら一回否定されたぐらいで、弱気になんてならないで頂戴(ちょうだい)!」


 怒られた。


 けれど今宵の気持ちは、萎縮(いしゅく)しなかった。それどころか、(はげ)まされた気がして、やる気が()いてきた。

 叱咤(しった)激励(げきれい)

 言葉自体は今宵も知っていたが、実際(じっさい)に怒られやる気が出たのは、初めてだった。

「で、でも。私の意見なんて……、ゆ、縁さんの意見のほうが。た、正しいと思います。そ、それにあたし……。ゆ、縁さんに……(きら)われたくないです」

 今宵は目を(つむ)りながら、素直(すなお)な気持ちを伝えた。

「……鬼才(きさい)なのに馬鹿(ばか)ね今宵は。私は『限界状況(げんかいじょうきょう)』を理解(りかい)してる。だから反論されたからって、貴女(あなた)を嫌いになんてならないから安心しなさい」

「げ、限界状況って、カール・ヤスパースの限界状況のことですか?」

「知ってるなんてさすがね。その限界状況のことで合ってるわ。ヤスパースの言う通り、人の限界なんてたかが知れてる。だけどそれは個人の話。ヤスパースは超越者(ちょうえつしゃ)にこだわってたけど、私は違う。誰かと、特に自分と考えが違う誰かと(まじ)われば、限界状況なんて簡単に突破(とっぱ)出来るって。確信(かくしん)してる!」

「えっと……ゆ、縁さん? そ、それってつまり」


「私には今宵が必要だってことよ」


 今宵の心に風が吹く

 心に()まった(ちり)(すべ)て吹き飛ばす、強い風だ。 

 塵が無くなり、今宵は初めて知ることになる。


 自分の心に、大きな青空が広がっていたことを――。


「さ。意見を出し()くすわよ今宵。きみひろも、何を言ってるか分からないと思うけど、どうしたいかを決めるのはきみひろなんだから。分からなくてもちゃんと聞いてること、分かった?」

「う、うん!」

 

     ☆


 これが裁判(さいばん)だったら、私はボロ()けね。

 三十分の議論(ぎろん)(すえ)、縁は自身の敗北(はいぼく)(さと)った。

 縁はきみひろが学校に行くことを支持(しじ)していた。それは学校には重要な要素(ようそ)が、二つあったからだ。 

 けれどそれは、君尋には無意味(むいみ)なものだった。


 学校の重要(じゅうよう)な二つの要素。

 一つは勿論(もちろん)学問(がくもん)を学ぶこと。もう一つは、社会性を身に付けることだ。

 どちらも今の君尋(きみひろ)には、無理だった。

 いじめられている現状(げんじょう)では、社会性が身に付くどころか逆効果(ぎゃくこうか)になる。縁もそのことは始めから心配(しんぱい)していた。だから学校に行くことを(すす)め、成長をするために、学問を学んで欲しかったのだ。

 けれどそれも、インターネットが普及(ふきゅう)した現代に()いては、学校以外で十分に可能になっていた。

 しかし、問題は(のこ)る。

 インターネットは学校と違い、監督(かんとく)してくれる人がいない。

 (ゆえ)に、本人の意思(いし)こそが、何より重要(じゅうよう)になる。

 きみひろに出来るとは思えないわ……。と、縁は(なや)んでいた。

 悩む縁が敗北を悟った決め手は、君尋の特技、絵だった。


「ねぇきみひろ? 何かやりたいこと、それか何か得意なことってないの?」

「……ありますよ。うまくないって、このまえ先生にいわれましたけど……」


 この前? それにこの反応……。もしかして自殺(じさつ)をしたくなった原因(げんいん)って、絵なのかしら……。

 縁は君尋をまじまじと観察(かんさつ)し、(だま)り込む。縁に代わり、今宵が話を続けた。

「絵って、やっぱり漫画(まんが)とかかな?」

「ううん。キャンバスにかいたりするほうだよ」

「ええー!? スゴいねきみひろ君!」

 同年代(どうねんだい)に思える二人の会話を、縁が(さえぎ)る。

「ねぇきみひろ。死のうと思った理由って、自分の絵を先生に否定されたことなの?」

 君尋の動きが、止まった。

 ――当たりね。

 縁はようやく、心から微笑(ほほえ)んだ。

 その笑顔こそ、自分の意見が間違っていたと、敗北を認めた瞬間(しゅんかん)でもあった。


「なら決まりね。きみひろ、君は学校に行かなくてもいいわ。って言っても、決めるのはきみひろときみひろのお父さんだから。そこのところは忘れないでね」

 ビシッと、縁は君尋を指差(ゆびさ)す。

 今宵と君尋は顔を見合わせる。

「ゆ、縁さん? ど、どうして(きゅう)に。い、意見が変わったんですか?」

 コクコクと、君尋も(うなず)く。

簡単(かんたん)よ。きみひろには(ゆめ)がある。それなら出来ると思っただけ」 

「えっ!」(おどろ)く君尋の(かた)に、縁が両手を乗せる。

「きみひろは絵が好き、それも否定されて死にたくなる(ほど)に、ね。なら大丈夫(だいじょうぶ)よ。きみひろには情熱(じょうねつ)がある。絶対にやれるわ」

「じょう、ねつ?」

「そ。情熱。何かをやり抜くために、一番必要な感情(かんじょう)のことよ」

「で、でも! ぼくは、ぼくはうまくないっていわれたんで、むっ!?」

 君尋の(くちびる)に、縁の指が()えられる。

「いいの。否定されるのは上手くなるために必要なことだから。――否定されていいの」

 そっと縁の手が、唇から離れていく。 

「否定されるってことはね、それじゃあダメだよって教えてくれてるのよ。否定されるのは、上手くなってる証拠(しょうこ)なの」

「……そう、なんですか? で、でもきっと……ぼくのえはちがいます……」

 縁は強く、君尋の肩を(にぎ)る。

「きみひろはなんで絵を好きになったの?」

「お、お母さんがえをかいてて、それでぼくも、すきになったんです……」

「絵を描いてる時、きみひろは楽しいんでしょ?」

「……わからないです。で、でも。えをかいてると、しらないあいだによるになってたり、します」

「絵を書くなって言われたら嫌でしょ?」

 君尋は首を振り「いやです」答える。

「なら大丈夫」 

 縁は(うつむ)きがちな君尋の顔を両手で(はさ)み、自分の目線に合わせ、言葉を(つむ)ぐ。

「きみひろ。貴方(あなた)のそれは間違いなく夢よ。私と同じくらい立派(りっぱ)なね。だからきみひろは大丈夫。学校に行かなくても、ちゃんと勉強出来る! お姉さんが保証(ほしょう)するわ!」

「ゆ、ゆめなんかじゃ、ないです……」

()いてて楽しいのに? 描けなくなったら(いや)なのに? 下手って言われたぐらいで、死にたくなる(ほど)好きなのに?」

 言われ、君尋はぐっと、奥歯(おくば)()()めた。

「きみひろ、本当のことを言って。自分を守るためでも、自分の夢を誤魔化(ごまか)さないで!」

「で、でも……」


「でもはもうやめなさいっ!!」


 縁は怒鳴(どな)った。今まで(おさ)えていた感情を、爆発(ばくはつ)させて。

「きみひろの人生(じんせい)でしょ!? きみひろが自分を信じなくてどうするのよっ!!」

 泣きそうな顔で目を()らそうとする君尋を、縁は無理矢理(むりやり)押さえつけ、決して目を逸らさせない。 

「やりたいんでしょ!? 絵を描きたいんでしょ!? プロの絵描(えか)きになりたいんでしょ!? だから否定されたぐらいで死のうとしたんでしょ!? それなのになんで(うそ)をつくのよ!?」

「だって……」

「だって何よっ!?」

「ぼくなんかに、できっこないもん……」

 縁は目を閉じ、君尋のおでこに自分のおでこをぶつけ、(あつ)く語り出す。

「お姉さんにも夢がある。ほとんどの人が無理(むり)だって言ってくる、大きな大きな夢がね」

「……どんな……ゆめなんですか?」

「この国のトップに立つことよ」

 君尋はよく分からない。分からないが、すごいことだということだけは分かった。

「これは私の信念(しんねん)の話よ。私は日本が好き。日本の文化(ぶんか)が好き。日本の言葉が好き。日本に生きる人達が好き。だから私は日本のために生きるって、決断(けつだん)したの。でも私は頭も悪かったし馬鹿(ばか)だった。()りたいって思うだけで何も行動しなかった。そんな私を、一人のお兄さんが変えてくれた。「君は学ぶことができる。だったら必ず上に行ける。見てごらん? 世界を動かしてる人達は、天才なんかじゃないから。ただ、やると決めてやり抜いた人達なだけだから。夢を叶えるということは、特別(とくべつ)なことじゃないし、誰かにだけ(ゆる)されたことでもない。誰でも、君にも出来ることなんだ。だから、頭が悪いからって諦めず、勉強すればいいんだよ」って……」

 縁は目を開き、()()ぐ、君尋を見つめた。

「お兄さんは最後にこう言ってくれたわ。「夢を叶えることは(むずか)しい。簡単だったら(みんな)が夢を(かな)えてるからね。でも、君が本気なら、必ずできるよ」……それから私は変わったわ。泣かなくなったし、逃げ出さなくなった。失敗しても挑戦(ちょうせん)するようになった。自分が好きになったし夢のために生きれるようになった。そしてきみひろに、こうして伝えれるようにもね」

 

 縁は君尋を解放(かいほう)する。


「きみひろ。私ときみひろの問題は違う。でも、私に出来たんだからきみひろにも出来るわ。自分を信じてあげて。根拠(こんきょ)なんかなくていい。ただ自分を信じてあげて。未来は一秒先だって真っ白なの、だから昨日までのことはいい。これからどうするか。それだけを、未来のことだけを考えて」

 縁は後退(あとずさ)り、君尋から少しづつ、離れていく。

「お話はこれで終わり。約束通り、お姉さんはきみひろを自由にする。きみひろがまだ死にたいんなら、今度は止めたりしない。学校に行くのも、夢に生きるのも、ここで死ぬのも。決めるのはきみひろだもの」

 縁はそう言って、君尋に背を向けた。顔を(くも)らせキョロキョロすることしかできなかった今宵の手を引っ張り、ドアに向かって歩き出し。


 ドアの前で、最後にもう一度だけ、振り向いた。


「生きてればいつか、貴方(あなた)(のぞ)む日は来る! だけど死んだら! 絶対にその日は来ないだからっ!!」

 縁は今宵と共に、屋上から出ていった。


    ☆  ☆  ☆


「っていう話よ」

「「っていう話よ」じゃねえよ」

 と、(しか)めっ(つら)優人(ゆうと)()()む。

 縁と今宵の話は長く、昼休みだけでは終わらなかった。そこで縁と今宵と優人(ゆうと)の三人は、下校途中(げこうとちゅう)にあるワクドナルドに移動して、話を続けた。

 移動してまで話を聞いていたのに、もやもやする終わり方された優人は、少し不機嫌(ふきげん)だ。

 向かいの席で足をパタパタさせながら、ジュースを美味(おい)しそうに飲む今宵がいなければ、車椅子(くるまいす)の縁を置いて帰っていただろう。

「それで? きみひろはどうしたんだよ? まさか飛び()りたなんて結末(けつまつ)じゃねえよな?」

 縁は大きなため息を吐いてから、答えた。

「そんな結末だったら、(となり)で今宵が(うれ)しそうにジュースを飲んでるわけないでしょ? (まった)く……。君尋はちゃんと(あと)を追ってきてくれたわよ」

 縁は何故(なぜ)か、そっぽを向きながら答えていた。

「あ? どうした縁? 顔が赤いぞ?」

「えっ!? ……ちょっと(せき)を外すわ」

 縁は一人で車椅子を()ぎ、化粧室(けしょうしつ)へ向かった。


「なんだ? どうしたんだあいつ?」

 優人が視線を正面に戻すと、今宵が身を乗り出し、内緒(ないしょ)話をするように話かけてきた。

「あ、あのね優人君。縁に言わないって約束(やくそく)してくれるなら、さ、さっきの話の続きを教えてあげるよ?」

「お、おう、わかった」

 ()ずかしそうに喋る今宵につられ、優人も(ほほ)を赤らめてしまう。

「ゆ、縁が話したがらない理由(りゆう)はね。きみひろ君がドアを開けて入ってきてくれた時に。縁が、泣いちゃったからだと思う」

「は?」

 優人は口を半開(はんびら)きにし、ぽかーんとする。

「なんで、あいつが泣くんだ?」 

「た、たぶんだけど、嬉しくって、泣いてたんじゃないかなって……思う」

「へぇ……」

 それしか言わない優人だったが、初対面(しょたいめん)の今宵にも分かる(ほど)機嫌(きげん)が直っていた。

「その(あと)も縁はすごかったよ。きみひろ君の家に行って、お父さんを説得(せっとく)して、ほんとにきみひろ君を助けちゃうんだもん」 

 今宵は自分のことのように、(ほこ)らし()に、縁のことを(かた)る。

「あの日の縁はすんごく綺麗(きれい)で、あたしもああなりたいっなって、思ったんだ……。だから縁に誘われて、すんごくすんごく嬉しくて、転校(てんこう)までしちゃった」

 満足(まんぞく)そうに笑う今宵が、優人には少しだけ、縁と(かさ)なって見えた。

「そっか。けどまぁ、今宵には今宵の良さがあるだろ? 縁は美人で今宵は可愛いみたいにな。だからあんまり、あいつみたいにはならないでくれ」

「そそそ、それって、どういう意味かな!?」

 縁みたいなのは一人で十分。そういう意味で言ったのだが、優人は誤魔化(ごまか)し、

「今宵は十分はすげぇし、可愛いってことだよ」

 と、今宵を()(ごろ)しにする、優人だった。  

 

 

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