プロローグという名のキャラ紹介
片倉優人がたんぱく質多めの弁当を食べ終えると、机の上に出していたスマホから、『テクテン♪』と軽やかな音が鳴った。
ソフトモヒカンの髪型をした優人は、弁当の最後の一口であった白米を飲み込んだ。まさにそのタイミングを狙ったかのように、音を鳴らした己のスマホを訝しみ、見つめている。
嫌な予感しかしねぇ。
優人は大きな身体をそーっと動かし、覗き込むようにスマホ画面へと、視線を落とした。
「創部手続きで部名を決めるから、全員放課後になったら部室に集合よ」
画面には、『合縁奇縁』と登録されたグループLIONのメッセージが表示されていた。
「……はぁ」
優人は虫の羽音のような、小さく静かなため息を吐いた。
けれど、スマホを手に取り既読をつける優人の横顔は、口元が緩みどこか嬉しそうでもあった。
「ま、しょうがねぇな」
優人はさらに口許を緩ませながら呟き、『了解』とLIONに返信し、一人寂しく弁当箱を片付けた。
☆
放課後。
優人は昼休みに届いたグループLIONの指示に従い、国語準備室と表示されている教室のプレートを目指して、廊下を早足でズンズン進んでいた。
プレートは一般生徒ならぶつからない高い位置にあるが、優人はぶつかりそうになるので注意しながらプレートを潜り抜け、国語準備室という名の部室予定地の前に立った。
「入るぞー」
掛け声だけでノックもせずにドアを開けると、狭い部室予定地ではいつもの光景が広がっていた。
四畳ほどある縦長の部室予定地、そこにはサロペットスカートの制服を着た四人の美少女達が、二手に別れて可笑しなことをしていた。
国語準備室は高校設立時に用意されたものの、あまり使用されていなかった。今では許可をもらった彼女達の手により、何の部屋か分からないほど、様変わりしていた。
備え付けられていた本棚には国語の授業では使いそうもない、ビジネス本や思想書のような本が大量に置かれている。本棚にはさらに、真ん中の見やすい位置に五十インチの液晶テレビが、堂々と存在を主張していた。
本を取るための通路でしかなかったスペースには、長机が一つと五人分のパイプ椅子が常設され、長机の上に一台のノートパソコンが置かれていた。
まだ学校から認定を受けていない部活に、国語準備室は乗っ取られたかのようだった。
四人の美少女達は元国語準備室を、落ち着く空間にしすぎた。だからだろう。ここが学校ということを忘れているかのように、自由だった。
部屋の奥にある窓から差し込む光を浴びながら、床に座って作業に勤しむ二人と。ドアの近くで同じ一つの椅子に座りながら、優人的に羨ましいことをしている二人とに、別れている。
……どっちも無視できねぇ。
そう思う優人だったが、身体は一つしかない。まずは目の前で行われているセクシャルハラスメントを止めることにした。
優人は大股で一歩を踏み出し、二人に詰め寄ると、見下ろしながら注意した。
「美人……セクハラだぞそれ」
「ちょっと待ってよ兄さん!? 決めつけるのはひどくない!?」
音程を独特に乱高下させた、特徴ある喋り方の片倉美人は、兄である優人に慌てながら訴たえていた。
「決めつけるも何もよぉ……」
弁明する妹の膝の上には、優人のクラスメイトである宵闇今宵が座っていた。
「……優人君」
今宵は瞳を潤ませながら、優人を見つめる。
優人と美人は年子で実の兄妹だが、容姿にはかなりの差があった。
兄の優人は高身長ということ以外、特に目立った外見的特徴はない。評価するなら中の中という、平凡な顔つきの高校二年生である。
対して妹の美人は、目立つ特徴ばかりだった。
脱色して金髪に近い色になったポニーテール。鋭く形の良い目付きとシャープな口許。高身長なのに小顔という、日本人らしからぬ体型をした、モデル顔負けの美女なのだ。
片倉兄妹は仲が良い。とはいえ一学年先輩である今宵を膝の上に乗せ、クンカクンカと髪の匂いを嗅いでいた妹の言い分では、兄でも信じることは困難だった。
優人は今宵と美人を見比べながら、
「じゃあ、同意の上でやってたってことか?」
「モチ!!」
もちろんと。美人は親指を立てながら自信たっぷりの歪んだ笑顔で答えた。
やはり信じられなかった。
「そうなのか今宵?」
優人は信頼できない妹から、セクハラ被害者である宵闇今宵へと、質問対象をシフトした。
「う、うん……。美人ちゃんが言ったことはほんとだよ。でも……匂いを嗅ぐのはやめて欲しかったの……」
モジモジしながら上目遣いで答える今宵の姿は、片倉兄妹の心を、容易く射ぬいてしまった。
白金のように輝くふわふわとした白いボブカットの髪と、透き通るような白い肌。とろんとした愛らしい青い瞳にオドオドとしゃべるおちょぼ口。そして小学生と間違われることもある小さな体躯という、片倉兄妹を簡単に魅了してしまう美少女。それが今宵だった。
今宵は生粋の日本人だが、瞳は青く肌も白い。髪も生まれた時から真っ白のホワイトタイガーや白蛇と同じ、アルビノだった。
今宵にとっては奇異な目を向けられる原因の一つ。けれど優人をはじめこの部活の面々は、それを含めて今宵を今宵として見てくれる。
特に片倉兄妹は、可愛いものに目がなくて、妖精ような見た目の今宵が大好きだった。二人ならば、今宵が真っ黒だったとしても、扱いを変えないだろう。
「……そうか。美人、疑って悪かったな」
可愛い仕草の今宵に心を奪われ数秒ボーッとした後に、優人はばつが悪そうに頭を掻いてから、疑ったことに対して謝罪をした。
なのに。
謝罪された当人である美人は、膝の上の今宵に心を奪われたまま、歪んだ顔で硬直しているだけだった。
「…………今宵。美人はこんなだけど嫌がることはしねぇから。嫌なら嫌ってちゃんと言えよ?」
無視されたからだろう。優人は不満そうな声で、今宵に助言した。
「う、うん、分かってるよ。……だって、優人君の妹だもん」
赤面しながら話す今宵に、優人も連られて赤面する。
「お、おう」
優人は赤くなった表情を隠すように、痒くもない鼻を掻き、視線を逸らした。
セクハラではないことが分かった優人は、部室予定地の奥の床で、作業に勤しむもう一組の元へ向かった。
一見しただけなら、床に座り書道をしているだけの二人だが……。
ところがどすこい。
波乱を自ら呼び寄せる彼女、回り道縁がただの書道をするわけがなかった。
そもそも優人が部室予定地に入ってきてから、二人は書道に没頭しているのか、一度も顔を上げてはいない。
集中し始めると何も見えなくなる縁と、縁のこととなると何も見えなくなる根廻千早なら仕方ない。と、優人は諦めていた。
案の定。縁は集中していた。四つん這いになりながら、身体全体をダイナミックかつ繊細に操り、書をしたためている。集中している縁の視界には、優人や今宵や美人はもちろん。すぐ近くから崇敬の眼差しを向けている、千早すら映っていなかった。気づいていないことを示すが如く、縁の頬には墨が付着していた。
優人は頬に墨をつけてまで頑張る縁を見て、安心した。
今回は大丈夫か。
そう思い。書道に没頭する縁の後ろ姿を、黙って見つめる。
綺麗だな……。縁自体が、一つの芸術品みたいに……。てっ、何考えてんだ俺は!
優人は慌て、縁が書いている文字に視線を移すと、己のチェック力の無さを痛感した。縁の筆は、横向きに置いた半切紙に、『暴力』の二文字を綴っていた。
「何書いてんだっ!!」
優人は闘犬さながらの顔と声で、全力で吼えた。
「「何を書いてんだっ!!」じゃないっすよ!!」
反応したのは縁ではなく、隣でうっとりしながら縁を見守っていた、千早だった。
縁の邪魔をするなと、鬼のような形相で立ち上がり、ズビシッ! と優人に指を差す。
「ツッコミ係のユウユウ先輩でも、縁先輩の邪魔は許さないっす!」
そう、主張していた。
優人は、不出来な娘を残念に思いながらも暖かく見守る父親のような、優しい目で見返すだけだった。
バカにされてる気がする? 千早の第六感は主に真実を告げたが、主は無視することにした。
「だいたい何を書いてる? なんて質問がおかしいんすっ! 縁先輩はLIONで送ってるじゃないっすか!? 部名を決めるからって! だからこうして皆の視線が釘付けの中、縁先輩は最高の部名を書いてるんっすよ!?」
釘付け? どこが? 優人は疑問に思ったが、千早が妄想に浸るのはいつものことなので、嘆息するだけでスルーした。
妄想さえなければ、こいつも可愛いのに……。
優人は目を細め、千早を残念そうに見つめる。
千早は天然パーマで、自然と内向きになる赤毛のショートカットの女の子だ。目鼻立ちも良く、黙っていれば可愛いらしいメガネっ娘。眼鏡の奥の瞳はクリクリしていて、小動物さながらに異性の保護欲を掻き立てる。……はずだ。
眼鏡の効果で大人しい感じの可愛い系美少女に勘違いされるが、実際の千早は人懐っこいけれど無礼千万で、大人しくは無い。
可愛いものに弱い優人だったが、千早は既に別枠だった。
「部名ならなおさら止めるに決まってんだろぉが!?」
「ひぃっ!!」
しつこい千早を黙らせるため、つい迫力のある口調になってしまう優人。
こうなるといつも通り、怯えるだけの千早であった。
二人はよく対立するものの、男性が苦手な千早は、優人に勝った試しがない。
「ちょっと兄さん脅かしすぎ! 千早震えてるじゃん!」
美人が冷ややかに言う通り、千早は飼い主に怒られた子犬のように、震えて戦意を喪失していた。
「はぁ……」
優人に脅すつもりなかった。とはいえ現状を見る限り、悪者は優人である。
「その、悪かったな千早……」
納得はいかなかったが、子犬のように震える千早の前では、謝るしかなかった。
「できたわ!!」
「「何がっ!?」」
何の脈絡もなく大声をあげたのは縁だった。
突然の出来事であるにも関わらず、片倉兄妹は打ち合わせをしたかのように、同時に突っ込んでいた。
優人と千早がすぐそばで口論していたというのに、縁は全く気づいていなかった。
「我ながら良い出来ね!」
縁は半切紙の両端を指で摘まみ、天への貢ぎ物の如く高く掲げている。ポクポクと悩み長考し、時間を掛けて書き上げた己の文字。その出来にうんうんと頷き、恥じることなく毅然と自画自賛していた。
その姿は、片倉兄妹の突っ込みが届いていないことを意味している。
「どこがだよ!」
優人は縁の背後に立ち、必ず伝わるよう、真上から批判した。
「あれ? 優人、今日は随分遅かったのね?」
縁は振り返らずに、仰け反った。その体勢で無邪気な笑顔を、優人に向ける。
仰け反った縁の体重、そのほとんどが、優人に預けられていた。
重みが優人に伝わると同時に、縁の予想外の行動に、優人の心臓は高鳴った。
縁の髪は長く、漆塗りでもしたかのような光沢を帯びている黒髪だ。その綺麗の髪が、柔らかそうな耳に引っ掛かりながら、目の前でさらさらと堕ちていく。
ここ一ヵ月毎日のように顔を会わせ、縁に慣れつつある優人だったが、ドキドキしない日は無かった。
「どうしたの優人?」
縁から、無邪気な笑顔が消えていた。
「なんでもねぇよ!」
優人は咄嗟に顔を逸らした。
縁は真剣な面持ちになり、体勢を変えず瞳だけで優人の表情を窺った。
「……本当に? 顔、真っ赤よ?」
大きな瞳に宿る意志の強そうな輝きは、光の反射に過ぎない。なのに縁の瞳は、常人の何倍もの光を宿している。
その輝きに満ちた瞳で、優人を慈しむかのように見つめてくる。
視線を浴び、優人はますます赤面していく。
縁は純粋に心配しているだけ。そのことが分かるからこそ、優人は縁に、何も言えないのだ。
「風邪なの? 優人が居ないと困るんだけど?」
色艶も形も良いピンクの唇から、魅力的なセリフが発せられた。
縁は見た目も校内一の美女と言われているが、一番の魅力は見た目ではなく、声音であった。
声こそ、彼女の武器だった。
透き通った高音は容易に他者の脳へと侵入し、記憶を司る海馬、そこに楽々と縁の存在を刻み込む。一度聞いたらなら二度と忘れられそうもない、暴力染みた美声なのだ。
そんな美声が「居ないと困る」と、はっきり告げてきた。
恋愛要素が無いことが分かっている優人であっても、汗だくになりオーバーヒート寸前だった。
「むきゃーーー!!」
優人がオーバヒートを起こしかけ、縁に触れたくなったその瞬間。嫉妬の炎を燃やした千早が、猿のような悲鳴を上げ、大きく振りかぶった平手を優人の背中に叩きつけていた。
バチンッ!! っと、優人の背中から、部室中に響き渡る大きな音がした。
「痛ってぇ!!」
幸か不幸か、千早が叩いてくれたことで、優人は冷静さを取り戻した。
話を部名に戻さなくては。頭では分かっている優人だったが……。
まずは千早を、ハンムラビ法で裁くことにした。
目には目を、歯には歯を。分かりやすく言えば、やられたらやり返す、ということだ。
ドムッ、と。千早の脳内に鈍い音が木霊した。
「……痛そう」
千早ではなく、優人の背中を見ながら、今宵が眉根を寄せて呟いていた。
「自分じゃない!!」
頭を押さえ、痛いよアピールをしていた千早だったが、視線に気づくと演技をやめた。
「兄さんの動きは怠慢だったからねー」
美人は今宵のつむじに頬を埋め、ニヤニヤしながら言っていた。
千早はプンスカという表現が似合う、ふざけた怒り顔で、女の子にはしてほしくない。ガニ股で今宵と美人へ抗議しに行った。
「はいはい。皆注目して」
縁は「はいはい」に合わせ両手を叩き、自由に行動しだした部員達を制した。様々な思惑で集まった部員達だが、縁の発言には何故か従ってしまうのだ。
縁は優人以外の全員が席につき、自分に視線が集まったことを確認し、長机の上に自らが書き上げた半切紙を置いた。直後にさっと髪をかき上げ、腰に手をあて仁王立ちになった。自信たっぷりの立ち姿からは、敗北などあり得ないと、主張しているかのようだ。
優人は縁の髪が届くすぐ隣で、立ったまま天井を仰ぎ、片手でピシャリと額を叩く。叩いた手はそのまま、両目を覆った。
間に合わなかった。
横道に逸れまくった結果、優人は縁が書き上げた部名に対し、いちゃもんを付けられなかった。いちゃもんを付けようと思ったのは、発表するのを止めたかったからに他ならない。
この世で最も教育現場に相応しくない。暴力という文字が入った部名。そんな部名を公表すれば、縁は批判を受け、嫌な思いをする。そう思ったから、止めたかった。けれど縁は、堂々と部名を公表してしまった。
『暴力言論部』
半切紙には、達筆な字で、そう書いてあった。
「最高っす!!」
「……なんでもいいよ」
「うん。縁らしいねっ」
喜色満面の笑みと呆れ顔と微笑。表情通り、三人はそれぞれの思いを口にしていた。
「ありがとう、皆!」
「正気かお前らっ!!」
爽やかに感謝を述べた縁に対し、片眉をあげ納得がいかない面構えの優人。
同時に喋りだした二人の声は、潰れ合うことなく均等に部室予定地に響き渡っていた。
「暴力言論部だぞ!? 何で受け入れてんだよ!?」
優人は当初の目的を忘れ、反対しなかった二人に対し、熱のこもった力説をする。
三人は困惑し、顔を見合わせた。
「縁先輩が決めたことに意義なん」
「お前には言ってねぇ!」
「ひぃっ!」
優人は素早く千早の意見を遮り、視界からも外した。
今宵と美人を交互に見つめ、反対しなかった理由を無言で催促する。
美人は目を泳がせ「何でもいいだけなんだけど……」と答えた。
分かりきったこととはいえ、複雑な心境になる、兄の優人だった。はぁ……と息を漏らし「で、今宵は?」と続けた。暴力という単語から最も無縁である今宵なら、まともな理由が聞ける。そう信じて。
普段の今宵は、優人と目線が合わせるだけで温度を上昇させていくが、意見を交わす時だけは違った。
意見を交わす時の今宵は、ハキハキとした会話を繰り広げ、内容も分かりやすくなる。
「優人君は、言葉に囚われてるんだよ」
「へ?」
今宵は素っ頓狂な声をあげる優人をチラリと確認し、美人の膝から立ち上がり『暴』の字を指差した。
「暴の字は悪いイメージが多いけど、送り仮名一つで良いイメージにもなるんだよ?」
『暴』の字を指差したまま、精一杯見上げてくる今宵。
そんの今宵を可愛らしい。と、優人は思った。
顔がニヤけそうになるのをギリギリで封印し、意識を弱点の可愛いモノから無理矢理移行させるために、腕を組み誰からも見えない位置の皮膚をつねる。痛みで感情をクールダウンさせ、今宵が指摘してくれた『暴』に潜む、バイオレンス以外の要素を思考した。
懸命に考えた優人であったが……、脳裏に浮かぶ『暴』のイメージは、有名映画のアクションシーンやエンタメ番組の罰ゲームばかりだった。
優人が黙り込むと、部室予定地を静寂が支配していた。誰も一言も喋らない部室予定地は、唾を飲み込む音さえ聞こえてきそうだ。
やがて優人の脳内では、幼い頃視聴していた国民的特撮ヒーローが戦いだした。
「ドライバァァァー変態!!」そんな掛け声と独特のポーズをとり、見た目が変わりパワーアップするヒーローモノだ。
なんで今? と己の記憶にツッコミつつも、主題歌が流れ出し、歌詞から答えを導きだしたのだった。
「……暴くってことか?」
「うん! そ……」「流石ね優人!! その通りよ!!」
縁は感極まってしまい、誰よりも心配そうに優人を見守っていた今宵のことを忘れ、優人に嬉々(きき)として正解を伝えていた。しかも勢いは衰えることなく、キラキラと表情を輝かせ、優人の胸を指でつつきながら詰め寄っていく。
「この部名はね、暴力じゃないの! 暴く力って意味なのよ!」
言いたいことを言われた今宵は、残念そうに美人の膝の上に戻り、縁と優人の質疑応答を静かに傍観することに決めた。
「おかえりなさい先輩♪」
美人は弾んだ声で喜びを露にした。
優人は縁に詰め寄られ、後退していきながら質問する。
「言葉の意味は分かった。けどよ、何を暴くつもりなんだ?」
縁はぴたっ、と動きを止め、
「決まってるじゃない。『不正』と『正義』、よ」
セリフが終わったことを教えるように、縁は言葉尻に合わせウインクをした。
「……正義?」
ウインクに心を動かされたが、疑問に思う心が勝った優人は、素直に聞けていた。
「そう! 正義を暴くのよ!」
「はぁ?」
「もうッ! 優人は私が何をしたいって言ったか憶えてないの!?」
「えっと、人助け、だったよな?」
こくりと頷き「なら、分かるでしょ?」と、縁。
「あーーー……。無理」
優人は口許を手で覆いながら、長目に考えてみたが、結局答えを導き出せなかった。
縁は食料を詰め込んだハムスターのように、両頬を膨らませる。
優人は「うぐっ」と、可愛い表情の縁にやられながら、急いで言い訳をはじめた。
「俺はお前や今宵みたいに頭が良くないんだっつーの。第一美人と千早にも教えないといけないんだろ? 部名に込めた思いがあんなら、ちゃんと皆にも分かるよう説明しろよ」
優人は縁の肩を掴み、回れ右をさせた。
「もう……。逃げ口上だけは上手くなっちゃって……」
「ははっ……」
『だけ』は余計だっつーの。
縁に討論で逆立ちしても勝てない優人は、笑って誤魔化すのであった。
「その前に」
またも縁は仰け反り、優人の瞳を真っ直ぐに見つめてきた。
「部名。優人は納得したの?」
優人は高速で瞼を開閉させ、後頭部をポリポリと掻き、大きい身体に不釣り合いな小さな声で伝えた。
「悪ぃ。流れで反対しちまったけど……。元々お前が嫌な思いをしないですむよう、止めたかっただけだ……」
言い終えた途端、優人は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「……やっぱり、か。ほんと。優人は優しいわよねー」
優人だけに聴こえるよう、縁はいじわるそうに囁く。
優人からの返事は無かった。が、赤く染まった耳は、多くを縁に伝えていた。
縁は仰け反った身体を起き上がらせ、肩を寄せあい沈黙を守り続けてくれていた三人に向き直ると、コホンと咳払いをした。
今宵が唇を尖らせ不満そうではあったが、弁解は後程すると決め、縁は部名と部活内容の説明をはじめた。
「私が部名に込めた思いを改めて言わせて貰うわ!」
美人と千早は、コクコクと分かりやすく首肯した。
「正しさを暴く。それはどういうことか? 簡単よ。誰かがした善行を、本人に代わって私達が吹聴するってことよ」
「何でわざわざそんなことすんの?」と、美人。
不適な笑みを浮かべ、縁は答える。
「例えば……、優人が学校帰りのバスでおばあさんに座席を譲ったとするじゃない?」
「兄さんはバス通いじゃないけど?」
「……例えばって言ったでしょ?」
縁はジロリと美人を睨む。
「すいませーん」
舐めた態度で謝る後輩の美人を、縁はクスリと笑うだけで、受け流した。
「続けるわね。それで、家に帰ってきた優人が「さっきおばあさんに席を譲ってきたぜ」って、自慢気に言ってきたら美人はどう思う?」
「兄さんらしいなーって」
縁は眉間に指を添え、「……人選を間違えたわ」と、自己反省をしてから弁論を続けた。
「……もう一つは、優人本人からおばあさんに席を譲ったことを聞くんじゃなくて、別の人。そうね……。今宵からそのことを聞いたらどう思う?」
頭上にある見えない電球が明かりを点けたように、美人ははっと、何かに気づいた。
「そういうこと。善いことって本人から聞くより、誰かに教えてもらったほうがイメージアップするんだ」
縁は、そうかそうかと首肯する美人を指差し「正解」と伝えた。
「例え話は優人と美人を選んだから失敗したけど、本当なら真実味だって増すのよ」
縁は長机に両手を着き、身を乗り出しながら付け加える。
「流石でっす! 縁先輩!!」
千早は長机に置かれた縁の手を両手で包み、キラキラさせた瞳で、縁を見つめた。
「あ、ありがとう」
ハァハァと息を荒げ、重い愛を露骨に表現する千早には、流石の縁もたじろいでしまった。
「先輩! 自分はもっと縁先輩の考えを知りたいっす! ですからこのまま、別室に行くっす!」
千早の愛は剥き出しすぎた。
「言論の文字ほうにも、思いを込めたんだよね?」
今宵は、千早の雰囲気に飲まれそうになっていた縁を助けるべく、質問を投げ掛けた。
「そ、そうよ!」
正気を取り戻した縁は、「ありがとね今宵」と、ウインクする。
今宵もどういたしまして、と、口ではなく愛らしい微笑みで返した。
二人の以心伝心っぷりを見せつけられ、千早は「ちっ!」とわざとらしい舌打ちを鳴らした。
縁は千早の手を振り払うと、拳を握り、熱弁しだした。
「暴力と言論。相容れない二つの言葉を部名として採用したのは、言論が暴力に屈してはいけない! そういう私の願いも込めてみたの。それと、四字熟語や古語のように、逆にしても意味が通じる日本語らしい表現にしたのよ。ほら、順番を逆にしても意味が有るでしょ? 暴く力の言論って意味と。言論は暴力に屈しないっていう意味が」
縁は返事を待たず、どんどんとヒートアップして、言葉を紡いでいく。
「言論……。それは人類が生み出した最大のコミュニケーションにして、誰も怪我をしない最優の闘争手段! 文明が進めば進むほど、私たちに必要なのは暴力じゃない。言論なのよ! だってそうでしょう!? インターネットが普及して、先進国なら誰もが意見を言い合える世の中なんだから、これからは言葉で戦うべきなのよ! 人類はもう獣じゃない! 獣に戻ってはいけない! 命を奪う暴力からは卒業すべきよ! なら、言葉の暴力は良いのか!? そう思う人もいるでしょう。良いわけが無いわ!! 言葉でも、言葉だからこそ! 人は傷つく! だから罵詈雑言じゃなく! 正々堂々と言い合うことが大事なのよ!! SNSを使って安全な場所から発言するんじゃなく! 公で胸を張って言い合うの! 批判を恐れず私はこういう考えよ! ってね。……だから私は、暴力言論部を、誰に恥じることなく公表するわ! そもそも恥じる必要なんて無いんだから! 暴力言論部の目的は! 言論の力を持って不正を暴き! 正しい行いを正確に暴露し! 学校の、延いては社会に影響を与えるための、健全な部活道なんだから!!」
縁は最後、天に向かって指を突き上げ、決めポーズをとっていた。
誰もが恥ずかしくて出来ないようなことだが、縁からは、気恥ずかしさなど微塵も感じられなかった。
縁の顔は思いの丈を躓くことなく言い切り、むしろ満足そうにさえ見えた。
「皆、静聴してくれてありがとう。何か質問はあるかしら?」
縁は、真夏の太陽のような熱い演説姿から急変し、春風のような涼やかさで尋ねた。
視聴していた三人の手からは、パチパチと快音が鳴り出した。
「っっぱないっす!!」
「よく分かんないけど、すごかった……です」
目を見開き、無言で細やかな拍手をする今宵。
三人が何も問わなかったのは、縁が言ったことを理解したから。ではなかった。
言言肺腑を衝く。
諺通り、彼女達は心を衝撃かされていた。
「凄い……、凄いよ縁! あたし感動しちゃった! 原稿なんて無いのに、次々に言葉を紡いじゃうんだもん! あたしには絶対出来ないもん!」
美人の膝からピョンと飛び降り、縁に向かってトコトコと駆け寄った今宵は、尊敬の眼差しを向けながら熱く語る。
「ほんとっすよ! 縁先輩ったら身ぶり手振りも完璧に決まってて最っ高でした!」
今宵の発言に賛同しながら、千早も縁の手を両手で包み込み、鼻息を荒くしていた。
珍しく耳まで真っ赤になっている縁を横目に、優人はパイプ椅子に座ったままでいる、美人の隣へ移動した。
「……何よ兄さん?」
美人はいちゃつく三人から視線を逸らさず、優人に話しかけた。
「いや。お前はどうすんのかなあーって」
美人は、ぷいっとそっぽを向いて「……続ける」とだけ口にした。
妹の照れ隠しなど簡単に分かる兄は、美人が十五歳であることさえ忘れて、人前で頭を撫でた。
「ちょっ!? ……アイツのためじゃないからね? あたしは兄さんと今宵先輩がいるから続けるんだからね!?」
「分かってる分かってる」
と、ツンデレ発言をした妹を優人は誇りに思い、頭を撫で回した。
「ちょっ! そろそろやめてってば!」
美人は言葉でこそ抵抗を示すが、身体は振り払おうと一切していなかった。
優人は部員となった全員を眺めていく。
柔道部と暴力言論部の掛け持ち、か……。
やれやれと、優人は昼休みと違い、自覚しながら破顔一笑するのだった。
☆
部員に賛成され、決定したかに思えた暴力言論部という部名は、顧問であり養護教諭の法心精華との駆け引きが待っていた。
この時、暴力言論部の面々は、精華と激闘になるなどと知るよしも無かった。
サトウダッピです。
遅筆なので不定期連載となります。
月に一話はアップする所存です。
感想諸々お待ちしてます。どうぞよろしくお願いします。