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空蝉ばかりが残された

作者:たいちうみ

 続けることも才能なんて嘘。私は残ったのではない、残されただけ。
 刃が合わさり、鈍い音が鳴る。そこで一歩下がって足踏みを一回、さらにもう一歩下がって足踏み。左回りに身を翻し、二の構えをとる。
 他に誰もいない道場の中央で、私は少年と向かい合う。
 相手を睨むような表情はかつての友人にそっくり。けれども彼ほどの迫力はない。
「常盤、あなたは少々思い切りが足りません。突きはもっと力強く、前へ踏み込んでごらんなさい。四の型はやや荒く舞った方が美しく見えますよ」
「はい!」
 楽しげに頷いた彼の瞳と動きがやけに懐かしく思えて、私の闇がまた一段と濃くなった。
 何度か打ち合っていると、稽古用の木剣が常盤の手を離れ、床を滑った。
「今日はここまでにしましょうか」
「ありがとうございました」
 常盤が上がった息を整えて礼をしたそのとき。
 ぱち、ぱち。気だるげな拍手が響く。
「常盤、上達したじゃないか」
「兄上!」
 常盤は目を輝かせて、侵入者に駆け寄る。
「戻っていらしたのですね。いつからご覧になっていたのですか」
「三の構えのあと、突きが連続するところから。もう四の型をやっているのか」
 常盤は照れくさそうに笑う。
「兄上にはまだ及びません。だって十四の頃には全ての型を習得したのでしょう?」
「昔の話だよ」
 さらりとした軽い言い方が私の中の澱をそっと乱す。
「どうだ、瑠璃。俺の弟は」
「……真面目で素直、とてもありがたい生徒です」
 答えた私の頬を、かつて共に舞った友はおどけてつねる。
「誰かさんと違って、って顔に書いてあるぞ」
「似ているのは顔だけね。あなた方ご兄弟は」
 千草は憎らしいほど明るい笑みを返してくる。
「僕……兄上みたいになれるでしょうか」
 対照的に顔を曇らせる弟の肩を、千草は豪快に叩く。
「大丈夫だって。瑠璃に教われば」
 その言葉は、常盤の心を晴らす代わりに、私の感情を陰らせる。 
 双舞剣術は、二本の短剣を逆手で持って戦う、我が国の伝統武芸だ。今は実戦では使われていない。はじめは戦う様子が舞っているようだからこの名がついたけれど、現在はいかに美しく舞うかを重視する人間も多い。
 上流階級の家の嗜みとされ、その子弟は必ずと言っていいほど習わされる。千草や常盤のように。
 千草と出会ったのは互いに四つのとき。それから十二年、同じ師のもとで剣術を学んだ。そして十六のときに彼は剣を置き、政治を学ぶからと留学してしまった。
「先生、来週の杉祝い、楽しみですね」
 彼らの一族は名門中の名門。何人もの将軍や大臣を輩出してきた。その当主にして兄弟の祖父である翡翠様は今年で七十五歳。長寿を祝う宴が盛大に催される予定だ。私はそこで演武を披露することになっていた。
「紫苑様も真朱様も山吹様もいらっしゃるし、兄上も帰ってきて、じじ様にとって何よりのお祝いですね」
 紫苑、真朱、山吹。懐かしい顔ぶれだ。
「五彩全員が揃うのですから!」
 常盤の興奮に反して、私の心はどんどん冷めていく。
 五彩、そう呼ばれたのもかなり前のこと。同じ師匠のもと学んだ私達五人を、人々はそう称した。大会では上位を独占し、五人揃った演武は何年も経った今でも話題になるほど。
 けれどもあの頃と同じように剣を手に舞っているのはもう私だけ。紫苑は家の商いを継ぎ、真朱は武人として出世しはじめ、山吹は今二人目の子を宿している。気づいたら同じ道を進んでいる人は誰もいなかった。
「本当は、五彩の方々の演武も拝見したかったのですが」
「こればかりは仕方ないさ。今の山吹に舞えって言ったら、あの旦那に鼻折られるよ」
「……常盤、そろそろ着替えていらっしゃい。今日は特に良かったですよ。近いうちに五の型に進んでもよいかもしれません」
「本当ですか?」
 嬉しそう。兄の笑顔が快晴なら、この弟の笑顔は雲の切れ間からすっと射す光のようだ。ひたむきで、希望にあふれていて。
 ああ、彼はいつまで剣を両手に舞ってくれるだろうか。
「よかったな、常盤」
 汗がまだ残る弟の髪をかきまぜるようにし、千草はこちらを見る。
「師範業が様になっているな、お前。師匠に似てきた」
「自分が受けた教えのとおりにやっているだけよ」
 私達五彩の師は二年前に世を去った。あの人が今の私を見たら、どんな言葉を与えてくれるだろう。
 別室に下がる弟を見つめながら、千草は預かった木剣に視線を落とす。それはもともと彼の持ち物だった。
「現役時代を思い出すよ。このへこみ、真朱にやられたやつだ」
 現役時代──爪を立てるような響き。
「あいつらは最近来るのか?」
「真朱なら時折。千草は、今はもうまったく舞っていないの?」
 彼は苦笑する。余暇の大半は勉強に費やしてばかりだと。
「忙しいのね」
「まあな」
 でも、と彼は剣を構える。
「せっかくのじい様の祝いだ。演舞、お前と俺、二人でやらせてくれないか」
「え」
 千草は片目をつむる。
「真朱達と違って俺は暇だし。練習する時間はあるさ」
 来月には地方の役所に着任する彼は、その準備で忙しいはず。しかも、長い空白があるうえに、本番までわずかな時間しか残されていないのに。
「いいの?」
 無理だと即座に言わなかったのは、信頼がまだ私の中にあるからだろうか。天才と言われた彼への。
「じい様お気に入りのお前と、初孫の俺が舞えば、大盛り上がりよ。だからさ、先生」
 十三あたりからすくすくと伸びに伸びた長身を屈め、彼は私の顔を覗き込む。
「俺のことも指導してよ」
 つい目をそらす。
「冗談言わないで」
 ちりちりと胸が痛む。
「私があなたに何を教えるの」

 五彩と呼ばれた中で、私だけ優勝経験がなかった。武術大会では準々決勝で誰かと当たっては破れ、運よく準決勝に進めても決勝まで行けたことはほとんどない。
 しかも、それを誰も気に留めない。話題にすらならない。演武の感想だって、まっさきに名前を出されたことはない。いっそのこと周囲に落ちこぼれと蔑まれたかった。私は人々の関心すら引けなかったのだ。
 だから私は必死で練習した。手も足も酷使して、寝る間も惜しんで、何度も吐いたり倒れたりしながら。
 最終的に、私は大会で優勝するほどになった。けれどもそれは、他の五彩を上回ったからではなくて、彼らが全員剣を置いたからだ。
 彼らが双舞剣に捧げたのは青春。人生ではなかった。
 私だって、別の可能性がまったくなかったわけではない。でも、二つの剣をこの手から離したら何も残らない気がして、握りしめ続けた。私の喜びも怒りも悲しみも、すべて剣と共にあったから。
 気づけば、五彩の仲間も、先輩も後輩も、ほとんど残っていなかった。大空へと飛び去ってしまうように、一人また一人と別の道に進み、いつしか私の周りは皆の抜け殻だらけ。それは高く積み重なって、私の上空を狭めた。
 必死に修行を続けて、目標よりも早く師範の位を授けられたとき、私はひそかに納得できないでいた。自分は本当にふさわしいのかと。
 師匠はそれを見抜いていたのだろうか。
「確かにお前よりも優れた舞い手はいた。だが、お前ほど熱を入れて舞った者はいなかった」
 その言葉は私の慰めにも心の支えにもならなかった。
 経験を積むほど技が磨かれたのは事実。でも、千草達がもっと続けていたら? 彼らがもっと人生を賭けて舞っていたら?
 結局千草と二人で演武をすることになって、練習している最中も、ずっとそんなことを考えていた。
 本当に憎たらしい。少し練習しただけで、彼はすぐに勘を取り戻した。
 式典用の剣は装飾が多くて重い。しかも正装だからさらに動きにくい。なのに千草は、まるでずっと続けてきたかのように、軽やかに舞うのだった。
 そうして迎えた杉祝いの当日。
 舞台の中央で二人並び、翡翠様に礼をする。そして五歩の距離を取って向き合った。
 太鼓が叩かれ、鐘が鳴らされる。
 回柄、回柄、足踏み、足踏み、二人同時にくるりと回り、三の構え、七の構え、跳ねながら距離を詰め、刃を合わせ、離れて、また合わせて。
 巧みな者同士が演武を行うと、刃の音が音楽のように聞こえる。彼が全盛期だった数年前に二人で合わせたときよりも、今のほうがずっと美しく聞こえるのは私が上達したからだろうか。
 千草はとても楽しそうに舞う。あの頃よりも生き生きと。私も動くのが心地よかった。
 今回の演武は四の型の発展形。突きの応酬がしばらく続く。
 千草の突きは特に速い。試合のときは、射るような眼光と合わさって、慣れている私でも時折身動きができなくなるほどだった。
 今は優しげで、素早さと気迫がなくなった代わりに丁寧になった。常盤とよく似ている。
 あのまま続けていたら、この人はどれほどの舞い手になっただろう──。
 千草の薙ぎ払う動きに合わせて私と彼の衣が浮く。立ち位置を入れ替え、今度は私。そしてもう六度、左右交互に刃を合わせて、二人同時に身を翻す。
 背を向け合って、太鼓の音に乗りながら二歩、そして立ち止まる。
 一瞬の静寂の後、歓声と拍手の洪水が押し寄せた。翡翠様も常盤も嬉しそう。
 終わった。祝いにふさわしい出来に仕上がった安堵感と共に、私は舞台をおりた。
「大成功だな」
 千草は汗をかきつつも呼吸はほとんど乱していない。
「よう。お疲れさん」
 紫苑達がやってきた。
「うわ、紫苑。何だよその腹。山吹と変わんないじゃん」
「千草! ただの脂肪の塊と一緒にしないでくれる?」
「夜遅いと腹減るんだよ」
 私達はすっかり大人になってしまった。彼らが剣を置いてから何年も経っているのに、こうして集うとあの頃に戻った気になる。
「ますますうまくなったな、瑠璃」
 真朱が私の肩に手を置く。
「本当に」
「さすが」
 口々に皆が言う。
「もう敵わないよ。すっかり置いて行かれたな」
 賑やかな声が去り、闇が襲ってくる。
 私は笑おうとした。でも無理だった。
 何と言ってその場を去ったのだろう。気づいたら庭の外れにいた。灯りも喧噪も遠い。
 獣のように声をあげて、簪も腕輪も首飾りも上着も全部外して、暴れるように舞ってやりたかった。
 さすが? 敵わない? 置いて行かれたのは私じゃない。あなた達がいなくなってから、どれくらい私が舞い続けたと思う? 五彩の残り物と言われないために、師範としてふさわしいと認めてもらうために。 
 私は五彩で一番にはなれなかった。皆がいなくなっただけ。
 彼らは本当に双舞剣に未練がないのだ。だから私の成長をあんなに屈託なく喜べるのだ。
 突き放さないで。置き去りにされた私を、そんなに朗らかに、軽々しく誉めないで。
 自分がひどく歪んだ存在に思えた。他の人のように、何にもなれないまま一人取り残された自分が。
 見上げる空は夜。闇。晴れているのに星が見えない。
 すべてが真っ暗だ。
「瑠璃」
 振り向くと、千草がいた。
「どうしたんだ、急に」
「別に」
「何でもなかったらそんな顔しないだろ」
 私はとっさに顔を伏せる。
「千草はさすがね。一週間足らずで仕上げてしまうのだから」
「それは──」
「……もったいないわね」
 彼は剣を捨てたのではなく、他にやりたいことを見つけただけだ。皆だってそう。双舞剣は彼らにとって通過点のひとつだったかもしれないけれど、決して嫌いになって離れたわけではない。
 わかっていた。
「ねえ、千草。あなたは今の生活、楽しい?」
 顔を上げれば、千草は昔と同じような瞳で私を見つめていた。皆伝や優勝を目指していたときのような。
「もちろん。難しくてやりがいがある」
 彼の返事も、問う前からわかっていた。
 千草は私の手を取る。幼い頃のように。
「常盤もお前のこと探してた。戻ろう」
 二人で無言のまま歩く。口を開いたら自分の醜さを曝け出しそうで、何も言えなかった。
「お前は相変わらず……剣が好きだな」
 ふと千草が優しい声で呟く。
「ほっとした」
 そう。好きだからこそ、皆にずっと続けてほしかった。正当な勝負で勝ちたかった。双舞剣にはそれほど価値がないのかと悩んだ。寂しかった。
 千草、今のあなたの言葉は私には辛すぎる。剣を離さないと選んだのは自分のくせに、飛び去ってしまったあなたたちが眩しく見えた。
 剣に価値などないと、私自身が思っていたのかもしれない。それで好きと言える?
 自分への苛立ちが募る。今すぐ発散させたくてたまらない。
 突然千草が立ち止まった。
「瑠璃、痛い」
 どうやら手を強く握りすぎてしまったようだ。
「ごめんなさい」
 彼は吹き出した。
「本当に昔から変わらないな。何かあるとすぐに剣を握りたがる。嬉しいことがあっても悲しいことがあっても相手しろってうるさくて」
「そんなこと、ない」
「毎日毎日飽きることなく稽古してさ」
「……飽きる飽きないという話じゃないわ。私にとって剣を握るのは日常なのだから」
 そう口にしてふと思う。たとえ五彩で一番になったとしても、私は今と変わらぬ生活を送っていたのではないかと。
 未熟だから留まり続けているわけではないと、思いたかった。
 千草はにこりと笑う。
「たまに戻ってくるよ。その時はまた一緒に舞おう」
 また、か。
「ええ……」
 彼が次に帰ってくる時は、胸を張って笑顔で迎えられるだろうか。

「先生、どうしましたか」
 ふと気づくと、目の前に常盤がいた。窓からは嫌になるほど明るい日差し。
「ごめんなさい。考え事をしていました」
「先日の宴は本当に眼福でした。いつか五彩が揃った演武も拝見したいです」
「千草の舞は素晴らしい出来でしたね」
 常盤は先日の演武を真似る。
「兄が言っていました。先生は教えるのが上手いと。おかげで自分もすぐに調子を取り戻せたと」
 杉祝い後、千草は本格的に出立の準備に入った。もしかしたらもう一度顔を合わせることなく行ってしまうかもしれない。
「……そう」
「最初はあんなに難しい演目で焦ったそうですよ」
 もっと簡単なのを選んでもよかったはずだ。けれども私はあえてそれをしなかった。
「あなたのお兄様は天才と呼ばれていましたから」
 年が離れているとはいえ、自分よりもはるかに優れた兄を、邪気なく慕う常盤の姿は、今の私にはまだ少し痛い。
 でも、彼はそんな私の思いなど知らぬと言わんばかりに微笑む。
「僕も兄上も、先生の舞い姿が一番好きですよ」
 直刃のような言葉に、私は数秒だけ目を閉じて、ゆっくりと開ける。
「ありがとうございます」
 きっとこれからも、優れた舞い手が現れて、別の道を決めて去ってしまうだろう。そして私はそれを惜しがりながら見送るのだろう。
 それでも私は剣を置かない。
 私は五彩の誰にも勝てなかったけれども、このまま舞い続けたら、彼らが見なかった光に出会えるかもしれない。私だけの光に。
 積もった抜け殻を思い出と呼んで大切に取っておくのも、ひとつ残らず踏みつぶしてしまうのも、私次第。
「常盤。四の型を復習しましょう。おいでなさい」
 ああ、千草は四の型が好きだった。剣を受けながら見る常盤の表情が、あの人のそれと重なった。


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