木漏れ日のような人(4)
「どうして、僕なんですか?」
運ばれて来たサーモンのソテーにフィッシュナイフを入れながら、ずっと疑問だったことを問うてみた。
彼女は驚いたように目を開き、少しだけ間をあけて、ふっと私の手元に目をやった。ほんの少しだけ、頬が赤らんでいるようにも見えた。
「あの。一目惚れなんです。」
しばらく経って彼女が発した声は、今までの軽快なしゃべり口や、明るいハキハキとした声とは裏腹な、か細く消え入りそうだった。その意味を捉えられず、僕がしばし言葉を失っていると、慌てたように彼女は付け足した。
「いや、あの、違うくて。その。私、絵をやってるんです。主に油絵なんですけど。趣味で絵本を書いたり。それで、本屋さんの軒下で雨空を眺めるあなたに一目惚れ、というか、あなたを描きたいと思ったんです。」
そう言ってうつむく彼女の表情はうかがえない。真意を図りかねて、また尋ねる。
「それは、僕をモデルにして絵を描かせてほしいという、オファーと受け取ってもいいのでしょうか。」
言い終わるのとほぼ同時に、彼女は勢い良く顔を上げた。その瞳は、僕を吸い込んでしまうのではないかと思うほど、深い藍色で輝きを纏い、とても澄んでいた。本当に、この人の目は綺麗だと、そう思った。
「いいんですか?!」
あまりの勢いに、少し気圧されながら、まだOKは出していないんだけどなぁ、と心の中で呟いた。だが、僕はただのサラリーマンで、特に趣味も持たず、休日を持て余している身なので、断る理由も見当たらない。
「いいですよ。ただ、休日だけになるので、たまにしか出来ないと思いますが。それでもよろしいのでしたら。」
すると、彼女は眩しすぎるくらいの笑顔で、ありがとうございます!と、頭を下げた。
それほどまでに喜んでもらえるなんて思ってもみなかったので、少々驚きもしたが、彼女の笑顔を見ていると、自然と笑みがこぼれた。
「モデルって、具体的に何をすればいいんですか?」
しばらく色んな話をした後、そう言って、最後の一口にサーモンとハーブライス、そして付け合わせのサラダを全て口に入れた。サーモンは少し濃い味付けだったが、ライスはハーブの香りが重視されているのか薄味で、サラダにかかったドレッシングの酸味も、サーモンとよく合っていた。
彼女は、口に入っていたものを大切そうにゆっくり噛み締めてから飲み込んで、ナイフとフォークを揃えて置いて、口を開けた。
「そうですね。今日みたいに、一緒にランチを食べてお話しさせてください。」
「え?」
思っていたモデルのイメージとは全く違った返答に、素っ頓狂な声を出してしまった。彼女は、それはそうなりますよね、と言って笑った。
「私の場合、美大生のデッサン課題というわけではないので。あくまで私の趣味に過ぎませんし、その人そのものを写し取るより、その人の雰囲気とか、性格を映し出すようなを描きたいんです。言い換えれば、被写体は私の脳内に作り上げたあなたということになります。でも、そうですね、貴重な休日を私用でいただくことになるので、お代は...」
流れるように彼女が言うので、相槌を打っていたテンポのまま、うっかり、はいと答えそうになってしまったが、慌てて彼女の話を遮った。
「いや、お代なんて、いただけません。休日に何もすることがなくて暇をしてる身ですし、予定が入るだけでありがたいですから。」
そう言う私を見て、でも、と彼女は少し不服そうに思案していたかと思うと、ぱっと何時もの笑顔に変わり、
「じゃあ、それでお願いしてもいいですか?」
と言った。もちろんです、と答えると、そのタイミングで、深雪さんがこれでもか、というほどたくさんのベリーが乗ったタルトを持って来た。どうぞ、と言いながらテーブルに置かれたタルトは、ツヤツヤとした木苺やさくらんぼがが所狭しと並んでおり、とても美味しそうだ。
「美雨さん、とても幻想的な絵を描かれるんですよ。そこの本棚にも、彼女の絵本が置いてあります。ご覧になりますか?」
深雪さんは小さな皿に入ったハーブをティーパックに入れ、それを軽く揉みながら言った。そこからフレッシュなハーブが薫りたつ。
カウンター席の方を見ると、壁が本棚になっており、いろいろな厚さ、大きさの本がたくさん並んでいた。
「是非、見せて頂きたいです。よろしいですか?」
すると、深雪さんはにっこりと笑い、ティーポットにハーブを入れると、本棚の方へ歩み寄り、一冊の絵本を抜き取り、僕の前へ置いた。
「これが、私の一番好きな彼女の絵本です。」
そう言って、彼女はしゅんしゅんと音を立てているやかんのいる調理場へ戻って行った。
〜次回更新〜
『木漏れ日のような人(5)』は
2015/03/15 0:00 に更新予定です