少しだけの勇気
「へぇ、とうとう刺されたんだ」
説明した後のトーマの第一声がこれ。
お前、話聞いてた?
「少し前に滅多刺しにされたけどな。あと、お前の精神性の毒で定期的に暴力を喰らってる」
正直、ローランに蹂躙された時と比べれば可愛いものだ。
簡単に回復が追いついた今となっては、痛くも痒くもない。
「解決策は知らないけど、話を聞く程度は出来ると思う。僕自身、売られそうになったこともあるしね」
「私も……集落に怖い人が来たことあるの覚えています。震えて喋れなかった私を、おじいちゃんが守ってくれました」
「そういえば、じいさんは大丈夫か」
あの朽ち果てた集落で生き残ったじいさんは、大怪我をしていた。
心配なのは、確かだ。
本当は悪い奴ではないと思っているから。
迫害という許されない行為をしたことは事実で歯痒くもあるが、それにも理由があるのだろう。
トーマからしたら、憎悪を感じても仕方ないことではあるが。
「快復に向かってる。あんたと違って、簡単に傷が治るわけじゃない。立って歩くくらいは出来るけど」
ぶっきらぼうに言い放つトーマは、目を細めてリリアの腕を無理矢理に掴む。
「…………ッ」
肩を強張らせたリリアだったが、すぐにトーマを振り払う。
息が荒く、震えている。
今の行動でリリアの顔は青褪めたものになった。
「裏の世界で使われてたのは、本当みたいだね。普通なら、このくらいで怯えたりしないし」
「力強く掴まれたら、ビビるだろ。珍しいな、お前がいきなり物理に走るなんて」
「これは確認だよ。ねぇ、ライド」
壁に凭れて立ち、様子を見ていたライドにトーマが声をかける。
「僕が連れて行かれそうだった時のこと、覚えてる?」
「ああ、お前の人間嫌いの原因だろ。俺が見たのは、初対面の頃に少しだけど。前にもあったって言ってたな」
それは俺とライドがエルフの集落に初めて行った時のことだろう。
巨大クラゲを倒して生臭かった俺達に風呂を提供してくれた。
俺は、アイリの家。ライドはトーマの家の風呂を借りた。
その時に一悶着あったことは聞いてるが、詳しくは知らない。
「知らない奴らが何度も代わる代わる来て、僕を金にしようとした。だから、凄く怖くて……次にいつ来るかと怯えていた。抵抗すると暴力を振るわれる。そんな奴らに連れて行かれる場所なんて、絶対良くないものだから」
思い出したくもないことを言わせてしまった気がする。
そういえば、俺も何度か当事者になりかけたことがある。
自信と実力があったから、返り討ちに出来たから免れた部分でもあるけど。
但し、リリアやトーマは子供だ。
暴力を振るう大人が怖くないわけがない。
例え、実力が伴っていたとしてもだ。
冷静だからって恐怖がないわけじゃない。
暴力は怖いものだ。それが正常だ。
「で、何の道具にされたの?」
「トーマ! そんな聞き方……ッ」
アイリがトーマに対して声を荒げると、苦しそうな表情をする。
しまった。正常と考えながらも気分のいい話じゃない。
トーマは真実を引き出そうとして非情の振りをするが、手は震えている。
アイリはトーマの袖を引きながら涙目になっている。
俺だけでやれば良かった。
無関係の奴らを巻き込んだことに後悔して歯を食いしばる。
そうだよ。刺されたのは俺で、刺したのはリリアだ。
この二人の後ろに何かあったとしても、こいつらは関係ない。巻き込まれた被害者と言ってもいい。
でも、引き返すことは出来ない。
この状況を作った時点で。言わせたくない言葉を言わせてしまった時点で。
「言わなくていい。今回のこととは関係ないだろ、そんなの」
言わなくていい。聞かなくていい。
言ってどうする。聞いてどうする。お互いが傷付くだけだ。
「あんたのそういう所、嫌いだよ。中途半端に同情して、周りを巻き込んで、最終的に自分のせいだって表情浮かべて……反吐が出るくらい人間らしい人間で偽善者だね」
「トーマ! 青葉さんは悪気があったわけじゃ……」
「悪気がなかったら偽善を振り撒いてもいいの? 悪気がなくて、それをベストって判断したこと自体、問題だと思うけど」
何も言い返せない。
俺は、偽善者だ。知ってる。今の行動も何もかも偽善を行う為の手段であり、エゴでもある。
トーマが偽善を嫌うのは、本音を言い合える心から歩み寄りたい奴らがいるからだ。
アイリやライドによってトーマの心は安定した。
それに泥を塗っているのは、俺だ。
勝手に巻き込んで決めつけた。子供の心に傷をつけた。
「……ッ、は……っ」
突然、喉に何かが詰まったような息苦しさを感じた。苦しいのは、俺じゃないのに。
「青葉さん?」
エイルが俺の顔を覗き込む。
心配させまいと歯を食い縛って、いつも通りを装った。
それから、トーマ達に目を向ける。
「そうだ。俺は偽善者だ。開き直るつもりはねぇ。でも、こいつの力になりたいって気持ちは、嘘じゃない。リリアを傷付けて人を刺すようなことをさせる奴がいたら、ぶっ飛ばしてやりたいんだよ……! こんなガキに最低な選択肢を与えた奴は、絶対許せない」
俺を殺すか、社会的に追放されるかの二択なんて、後悔どころじゃない。絶望だ。
そんなものをこんな子供に与えるなんて、俺は認めない。
偽善者でいい。非難されてもいい。
自分のエゴのままで動くし、余計な世話だって焼いてやる。
「大丈夫ですわよ。ただの家政婦として使われていただけですわ」
俺とトーマが言い合いをして冷静になる時間が出来たのか、そう告げたリリアの口調は取り繕ったものになった。
「完璧を求められる家政婦代わりの奴隷。よくある話ですわ。錬金術師様も想像することは容易いでしょう」
そりゃ想像だけならいくらでも出来る。妄想も入り混じる嫌な想像だけどな。
今は憶測で話をしたくない。
情報から得た想像や妄想なんていらない。
何より、嘘を聞く気はない。
「嘘をつくな」
「……本当ですわ。嘘なんて」
「じゃあ、何で今更だ。今更、取り繕った口調でいる」
もう分かってる。
リリアは弱い女子供で、気高い貴族紛いではないって。
貴族に憧れて自身を保とうとしている同情に値する奴だって。
本性がバレて、余裕がなかった奴が繕うものなんか嘘しか出ない。
これも勝手な決めつけではあるが、誰にでもあることだ。
空気を読む、もしくは自分の存在感を薄くする為に情報を与えない。
俺の世界じゃ、当たり前の人間関係だ。
社会がある世界なら何処でも必要になる。
だけど、リリアの発言はハズレだ。
お前が主役だ。お前を遠ざける発言はするな。
「そう……言わないと、そうしないと、助けを求めそうな気がしますの。刺した相手に縋るなんて身勝手が許されるわけありませんわ」
「んなもん気にすんな。身勝手でいいだろ。何より、俺がいいって言ってんだからいいだろ」
「でも……」
「俺はお前に同情してる。お前の境遇を哀れんでいる。そして、俺は被害者になった。殺されかけた。だけど、俺を殺そうとしたのはお前じゃない」
これで「言いたくない」と言われれば、話は終わりだ。
残念だが、警備団に突き出すしかない。
社会的に殺されるより、牢屋の方が安全だ。衣食住が確保されるからな。
「お前の答えを聞かせろ」
助けを求める勇気は、己の壁のひとつだ。
それは、分かってる。
分かってるから、俺に出来ることなら最後まで引き受ける。
「……た……け、て」
涙ながらにリリアは、声を振り絞る。
頑張れ。あと少しだ。
「助けて……助けて下さいっ! 私は、自由になりたいっ」
契約成立だ。よく頑張った。
「エイル、リリアを抱きしめてやってくれ」
「え、あ……はい!」
エイルがリリアを優しく抱きしめてやると、リリアは堰を切ったように号泣した。
俺の視線は、トーマに向いた。
「悪かった」
「別に僕に謝る必要ないよ。何とも思ってないし、こっちも言いすぎたからね」
こいつ、精神年齢が実年齢の一回り行ってるな。
いや、違うな。そう見せてるのか。
少し生意気な声の弾みで大人ぶってるようにも見える。
「トーマは本当に子供なんだから。困ってる人がいたら放っておけないのに、素直じゃないね」
アイリが小さく笑う。長年の付き合いである友人からしたらバレバレなんだろうな。
さて、これからの問題は……。
「リリア」
約束通り話してもらおう。
「出来る範囲でいい。話してくれ。それとも、少し休むか」
リリアは首を横に振った。
精神的な疲労でつらそうには見えるが、本人としては心の中の凶器がそうさせないのかもしれない。
「いえ……今、全てをお話しします」
「そうか」
話すことは勇気が必要だ。でも、無理はして欲しくない。
だから、無理のない程度でいい。少し楽になれ。




