愛の力
エイルと素材の選別をすると、殆どが使えるものだった。
充分なほどに魔除け香の改良に必要な量がある。三日と掛からなくても、数時間あれば改良品が出来上がるだろう。
恐らく、アニーがいたから効率的な買い物が出来たのだろう。やはり、そこは感謝しないといけない。
「ど、どうでしょう?」
レシピを描いている俺にエイルは、恐る恐ると声をかける。
そうだ、選別が終わった後にエイルを放置してレシピを描いていたんだ。
使うだけ使って配慮しない俺の浅はかさよ……。せめて、茶菓子でも出せば良かったか。
しかし、そう気遣うのも今までの俺じゃありえない。
更に言うと、気遣うことで不審に思われると同時にエイルも気を遣うだろう。
この微妙にギスギスした関係じゃ、信用や信頼も何もないよな。
「助かったよ。ま、あとは釜に投げ入れて放置するだけだし、その間にゆっくり茶でも飲もうぜ。お前も疲れてるだろ」
一緒に、と言うなら気遣いも何もないだろう。
コミュニケーション取っておきたいというか、話をする時間も欲しいし。
茶葉と湯をティーポットに入れて蒸らしている間に、棚から菓子を取り出す。
そうだな、今日はクッキーじゃなくてチョコレートにでもするか。
この世界では、カカオはかなり高騰してるが、俺にかかれば量産なんか簡単にできる。
「ん?」
服の裾を軽く引かれ、振り返ると上目遣いをしたエイルがそこにいた。
可愛い。可愛すぎる。上目遣いとか、男を誑かす秘密兵器とか言ったものだが、破壊力が強くてつらい。
「あの、青葉さん。やっぱり、おかしいですよね」
「おかしいって、何が? ああ、また前よりも柔らかくなったとか言う気か? 不満なら、当たるけど」
冗談もほどほどにしろ。意味もないのに強く当たる意味なんかどこにもない。
「いえっ、あの……理由があるんですよね。何か後ろめたいというか……青葉さんは優しい方なので、きっと私が何かしたのでは」
「俺が優しい? お前が何かしたから、優しい俺が気を遣って遠慮がちになったとでも?」
「ええ、その……あの……」
面倒臭い。いっそ、気持ちを素直に伝えられたらいいのに……この女、何か変化があると自分のせいばかりにする。
お前は何も悪くない。寧ろ、おかしくなったのは俺なんだよ。
俺が、お前を好きになったのが全ての敗因だ。
「お前はさ、俺のことどう思ってんの」
「え?」
「俺は、お前のこと信頼してる。信用の証明って、もっと明確な理由がなくちゃ駄目か」
「青葉さんが、私を?」
目をぱちくりと瞬かせてエイルは首を傾げる。
同じ志を持つパートナーという以外に、俺には下心がある。
でも、何があっても俺はエイルを信頼していることだけは揺るがない。俺がエイルを好きである限りは。
「世界を守りたいって言ったよな。それと同じ……いや、それ以上に俺は、お前を――」
「あ、青葉さん! いけません!!」
慌てたエイルが両手で俺の口を塞いで言葉を遮った。
「やっぱり、青葉さんの感情が乱れてます! このままじゃ、私達の契約がっ……!」
慌てた様子で挙動不審になったエイルの白い手は、自分の頭を抱えた。
こいつは何を言っているのだろう。
契約? 契約って、俺とエイルの最初の繋がりだよな。
俺の感情如何によって、契約が変わるってことはないよな。何を焦っているんだ、こいつは。
「私は、青葉さんが優しく素晴らしい方だと思っています。信用も信頼にも値する方だと。でも、私達は……私達は、契約の下での関係です!」
「…………」
そう……だよな。
エイルにとっては、俺達は契約の関係。信頼とか信用とかそういう類じゃなくて、共にいるのが当たり前なんだ。
そこに俺の感情があろうがなかろうが、エイルが俺を物と見ようが人と見ようが関係ない。
俺達は、友達でも恋人でもない。主従関係がある筈の契約上の関係。言葉と術で結ばれているだけだ。
気を遣ったり遣われたり、対等に会話したりすることがイレギュラーで、寧ろ俺がエイルに仕えていないといけない。
協力してくれとか、頼むとか……上から目線で話をしていたのは、俺だ。
こいつの優しさや人の好さに甘んじて、俺はエイルを主人ではなく、対等としての一人の人間と見ていた。
――でも、その気持ちは変えようがない。人の気持ちを簡単に引っくりかえすのは無理なんだ。
「俺は、お前のためなら命を懸けられる。お前は俺の契約者だ。絶対に守ってみせるし、盾にも剣にもなるって約束する」
こいつを守るのは、正しい俺の在り方だ。
エイルは、俺の上に立つ者。俺が世界を救う担い手だろうが、俺の上には契約者であるエイルが必要で守る義務がある。
「青葉さん……でも、それは嫌だって。いいように使われるのは嫌いだと」
「お前にだったらいい。俺は、女が嫌いだ。でも、お前だけは……」
ごくりと息を飲んだ。
チャンスがあるなら今だ。エイルがどう思うかという問題もあるが、俺の気持ちを知ってもらうには今しかない。
振られたら、その時は別の方法を考える。
どっちにしろ、今の不安定な状態じゃ俺達の関係は、良好なものではない曖昧なものになる。
ちゃんと、話さないといけない。気持ちを伝えて、どうしたらいいのか考えないといけない。
「お前だけは違う。俺は、お前のことが好きなんだ」
それを口にした瞬間、プツリと糸が切れたような音が脳の奥に響いた。
その直後、腰が抜けて力を失いかける。
「はっ……あ、は……ッ」
脂汗が滲み出て、呼吸が苦しくなる。あまりの苦しさに首に手を添えた。
息が出来ない。俺の身に何が起きた? 俺は、エイルに自分の気持ちを伝えただけ。それなのに、この現象は何だ。
「召喚副作用……? あ、青葉さん!」
エイルが蹲った俺の体を支える。
召喚副作用……副作用だって? それって、確か収穫祭の朝に保留にしてた謎じゃなかったか。
契約者と従者の関係に余計なものが混ざる。召喚獣なら、術者に対する対抗心だとかそういうの。
それで、事故が起きたらその皺寄せって奴が……どうなるんだっけか。
そうだ。その先を聞いていないんだ。
体感して分かったよ。何かしらのトリガーが引かれて、事故が起きて、そのペナルティが俺に来てる。
苦しいけど、少しほっとしてる。そのペナルティがエイルにいかなかったことを。お前が無事であれば、大丈夫。
だって、そのトリガーが引かれたのは……俺がエイルに想いを寄せたことだ。
きっと、一方通行じゃない。意識させたことで、お互いの感情がぐちゃぐちゃになって契約が切れたんだ。
エイルは、戸惑ってる。俺から告白されたことで、何か彼女を動かしたのかもしれない。
少しでも意識させられたかな。此処までしてされないということはないだろうけど。
「――俺は、エイルのことが……好きだよ」
呼吸もままならない状態で同じ言葉を伝えた。
プツリ、プツリとハサミで糸を切られていくようだ。このまま音が切れて、目を伏せたら二度と起きない気がした。
世界も救えず、元の世界にすら帰れないような気もした。
「……意識しないようにしてきたのに」
エイルの目から零れた大粒の涙が、俺の頬に落ちる。
「どうして、青葉さんが言うんですか。私だって、あなたのことが好きなのに……でも、あなたを苦しめたくないから忘れようとしたのに……!」
忘れようとした? 俺への気持ちを、とは?
え、好きって言った? こいつ、俺のことが好きだと言ったのか。
「召喚の儀は、愛情を結んだらリセットされてしまうんですよ。あなたが言ってしまったせいで、私の愛情まで持っていかれてしまったじゃないですか!」
何で俺がキレられるんだよ。そして、何だよその鬼畜仕様は。
お互いの愛が召喚の繋がりを切るなんて話……主従関係じゃなくなったので、契約は無効ですってか。
そんで、契約者を守るために従者を殺すわけか。とんだ黒魔術もいいところだ。
それでも、俺はこの鬼畜な召喚魔法を憎めない。確かめることが出来たんだから。
「は、はは……俺達、両想い……ってやつ、じゃん」
こんな馬鹿な目に遭っても、嬉しいなんて……本当にのぼせた野郎だな、俺は。
しかし、この状態はやばいな。せっかくの両想いなのに、死ぬのかよ。
「再契約します。後で、本当は好きじゃないなんて言わないで下さいね」
エイルの言葉に俺は小さく頷いた。心変わりなんて、する筈がない。
きっと、これからする契約は……前とは違うものだ。主従の関係じゃなくて、きっと別の……。
お互いに触れ合った唇からエイルの魔力が注がれる。
温かなぬくもりと、優しい香り。そして、体の奥底が熱くなるような湧き上がる力。
取り戻した力の中で、俺はエイルを抱きしめた。その体は、やっぱりあたたかくて耳まで上気したエイルが心底可愛いと思ってしまう。
「…………」
いくら契約と言っても、キスが長すぎるんだが。
嬉しい呼吸困難ではあるが、限界が近い。肺活量そんなにあるわけじゃないし、苦しさで俺の顔も赤くなる。
興奮で血圧が上がりそうだし、あまりにも長いと鼻血が出るかもしれない。
いや、落ち着け。これは契約だ。やましいことではない。
両想いだから、キスに後ろめたさはない。決してないぞ。寧ろ健全だ。
だが、このままだと俺が次のフェイズに移行しそうだ。
堪えろ、橋崎青葉。今してることは、恋人同士のそれではなく……この世界で生きるための契りなのだ。
「ぷはっ……!」
漸く口を離されたところで、肺に酸素が送られる。
苦しくないということは、再契約は完了したということだ。
「ん、何か……違和感が」
前と体の重みが違う。寧ろ、少し軽くなったような気がする。
愛の力で与えられた補正が増えたのか。それとも減ったのか。
「なあ、エイル。前とちょっと体が違うような……」
「青葉さん、以前の青葉さんの能力を覚えていますか?」
「ん、えぇと……錬金術、武器熟練、魔力が枯れない限りの不死、残滓の取り込み」
「はい。その四つのうち、ひとつが修正されました」
修正? それは、つまりその中のどれかが別の能力に書き換わったということだよな。
ちょっと待て。割とどれもないと困る能力だぞ。
「世界の救世主という意味があった青葉さんは、残滓を自ら取り込んで倒す力を所持していました。しかし、今は『理を受けた錬金術師』としての力を持ちます」
理を受けた錬金術師? 何それ。響きだけで言うと壮大なんだけど。しかも、意味まで辿り着けないんだけど。
錬金術師ってのは抜けないから、錬金術の能力は相変わらずか。もしかして、パワーアップしたとかかな。
……錬金術のパワーアップってどういうこと。より良いものを作れる知能とか技術ってことかな。しっくり来ない。
「残滓を取り込めない代わりに、あなただけに使える魔法があります」
「俺だけに使える魔法?」
正直、今までの能力も俺にしか出来ないからあまり変わらないような気もするが。
「己の魔力を増強し、想像力であらゆる魔法の具現化が可能となる『理の始原』です」
何その壮大かつチートな魔法。
自分の魔力が増える上に自分が考えたどんな魔法でも使えるって、強すぎないか?
強すぎて使うのが怖いんだけど、どうしたらいいの。リアクションに困る。
いや、違う。このチート魔法が成せる業は、絶大なものによってコントロールされてる。
「愛の力ってすげぇな」
かつて、アダムとイヴは人類最初の種として存在した。
二人の愛がなければ、人類は繁栄を迎えなかっただろう。
世界を繁栄に導くに必要なのは、愛だ。俺の受けた能力がそれを物語っているのだろう。
理の始源とはよく言ったものだ。
想像力や意欲が糧となり、力となり、具現化される。
もはや神の領域。生態系全てにおける強大な術で、禁忌とも言えるのかもしれない。
それを俺が使えるって?
イメージひとつしてしまったら、それでひとたび世界を救えるだろう。
そんな簡単な話でもないな。あまりに強すぎる。
一度に世界の問題を解決するのは難しいか。目に見えるものしか解決できないってことかな。
それにしたって、そんなチート魔法にはリスクがあるに決まってる。
大きすぎる力は怖いし、なるべく使いたくないような気もする。
恐らく、この新しい力は危険なものだ。それは分かっている。
己の容量を超えた力には、必ず何かがある。此処は、エイルにしっかりと教えてもらわないといけないな。




