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最難関、克服の契約

 ヤマネコ亭の一件から、俺はアトリエでエイルを待つことにした。

 闇雲にあの馬鹿を探しても今更遅い。あいつなりに悩んで買い物が出来るなら、と信じるしかない。

 故に、俺は彼女を待つために出入り口前で正座をして待っている。


「…………」


 正座をしてから時は一時間ほど。

 足が痺れて、自力で動けないという非常に間抜けな結果になってしまった。


 いや……いやいやいや!

 いくらなんでも遅い。遅すぎる。


 俺が買い物を頼み、その間にキューブの解析をして、ライドから服を受け取って、ヤマネコ亭で飯を食った。

 その時間で結構経ったはず。実質は、二時間以上経っている。下手をすれば、三時間経っているかもしれない。


 俺の自然治癒力が早いとは言え、痺れるものは痺れる。動けないものは動けない。

 少しでも動かそうものなら、痺れが激しくなり悶絶する。悶絶すると、更に痺れる。それをずっと繰り返しているのだ。


 頼むから、早く帰ってきてくれ。そろそろ泣きそうだ。

 いや、そもそも何故正座をして待つ必要があるんだ。

 普通に椅子に座って待てばいいのに、構えすぎて正座という選択をした俺は、アホそのものだ。


 この状態で帰ってきたとしても、俺は立てなくてみっともない姿を晒す羽目になる。

 そんな無様な姿を見せることはしたくない。

 此処は、無理矢理立って一番苦しい状態になる。自然治癒が発動して治るだろう。


「よし」


 足に力を入れると、前のめりに倒れた。あ、これ無理なやつ。

 さて、どうするべきかと間抜けにうつ伏せになっていると、アトリエの鈴が鳴り扉が開く音がした。


「あ、青葉さん!?」


 その声は待ち望んでいたものだったが、一番最悪な形で見られてしまった。

 顔を上げると、すぐに背けた。いや、うん……だってさ、うつ伏せで床に張り付いた状態で上を見たら自然に別のものも見えるだろ。


 いや、見てない。俺は見てないぞ。エイルのスカートの中とか見てないからな。下着とか見てないから。俺は、そこらにいる下心丸出しの男とは違う。

 女の下着とか、デパートのランジェリーコーナーを素通りすれば見られるもので興奮とかしないし。

 というか、あくまで下着とは己のアイデンティティや身を守るものであって、興奮させるものではない。

 下着とか裸とか興味ない。興味……なんか――


「……すみませんでした」


 自分に言い訳をする自分が一番恥ずかしい。愚かにも程がある。

 俺も男。好きな女の下着が一瞬垣間見えて、興奮しなかったと言えば嘘になる。


「あ、あの……何かありましたか? まさか、疲労のあまり病気などされてはいないですか? 顔が上気しているように見え――」


「あああああ! 何でもない! 何でもないから!! 不可抗力というか、そういうのじゃっ……!」


 勢いよく起き上がると、足の痺れが集中して悶える。

 天罰か……! 下心を露にした天罰なのか。よろしい、ならば甘んじて受けよう。そういうわけで、自然治癒早く発動して。


「そ、素材は……?」


 顔だけを上げると、首を傾げたエイルは両手に持った紙袋をテーブルの上に置いた。


「はい、出来る限りは。しかし、申し訳ありません。全額使ってしまって……」


「いや、それは問題じゃない。中身確認するから座って……いでっ!」


 起き上がろうとしたところで背中を蹴られた。

 エイルが俺を蹴る筈がないし、隣に移動してきたから場所的にありえない。

 恐る恐る蹴られた方向を見ると、そこには腕を組んで眉根を顰めた赤い髪の女……アニーがいた。

 間違いない。確実に怒っている顔だ。


「てめぇ、アニー! 何すっ――」


 抗議に声を荒げようとしたところで、首根っこを掴まれ、洗面台まで引き摺られる。

 扉が大きな音を立てて閉められ、胸倉を両手で掴まれた。待て待て、力強い。新調されたストールが切れる。

 あと、寒気がするから触るな。顔を近付けるな。


「青葉……あんたも男だったわけ?」


「は、はあ!? 何言ってんだよ。んなこといいから離せ! 俺の体質知っての嫌がらせか、てめぇ!!」


 女が嫌いだって再三言ってるのに、どうしてやめてくれないんだ。頼むから、触るな。一定距離での会話は出来るようになったが、苦手なものは簡単に克服出来ない。


「体質って女嫌いのこと? でもエイルのことは好きなんだ? 鼻の下伸ばして、顔赤くしちゃってさ。子供かっての」


「し、してない! 例え、そう見えたとしたって召喚補正であって……別に、俺は――」


「……うわ、青葉がおかしくなってる」


「何がだよ! いいから、この手を――」


 会話が出来ていない。おかしいって何だ。いきなり変人扱いしやがって。俺は、正気だ。何もおかしくなんてない。


「ちょっと前の青葉だったら、『そんなわけねぇだろ、おぞましいこと言うな』ってキレてたじゃん。さっきの様子見る限り、その片鱗は全くなくて、寧ろ喜んでいたというか……」


 分析されている。これだから、女という生き物は――!


「な、何が望みだ!? まさか、本人に……」


「どんだけ酷い女よ、それ。というか、女嫌いのあんたがエイルにだけデレデレしてたら周りにバレバレだから気をつけなさいよ。気付かないのは本人だけだし、エイルって高嶺の花だから恨みを買う可能性だってあるんだからね」


 エイルが高嶺の花?

 確かに、あいつは綺麗だし美人だし繊細な見た目ではある。貴族らしい気品もある。

 でも、実際はアホで脳筋ゴリラで意外とキレやすい性格。女としての魅力は、俺にしか分からないと思うのだが。


「うわ、分かってない顔。まあ、あんたと並べば女友達にしか見えなくもないけど。喋らなければ」


「馬鹿にしてんのか、てめぇは」


「そうじゃなくて、目を離さないことって言ってんの! あの子、自分で思うよりも無防備なんだから。世間知らずだし、お金の使い方もよく分かってないし。今回は、あたしが使い方教えてたからいいものの……」


 やっぱり買い物は一人で出来ないのか、あの馬鹿女は。今までどうやって生きてきたんだ。

 アニーが一緒だから買い物が出来た? それを考えたら、こいつには頭が上がらなくなるぞ。


「なんか……悪かったな。面倒かけて」


 俺が頼んだ買い物で余計なもんまで巻き込んだ。俺の落ち度だ。謝ろう。


「何言ってんの。あたし達は、友達でしょ。困ったことがあったら頼りなさいよ」


 友達は認めるが、頼りたくはない。あくまで頼るのは、ビジネスとしてだ。

 パートナーとして頼るのは、エイルだけ。俺は、それで充分だ。基本的に別の誰かまで巻き込んで守る余裕はない。


「頼れって言う前に、手を離せ。さっきから悪寒が半端ねぇんだよ」


 アニーの手を振り払うと、その手を瞬時に掴まれて指を絡めさせられた。


「――ッ、ぎゃああああああっ!! 触るなって言ってんだろ、馬鹿!」


 人の話を聞かないのか、こいつは。友達っていうなら、友達の嫌がることはしちゃ駄目だろ。

 流石に涙が出てくる。怖い怖い怖い。助けてくれ。この柔らかい肌が、細い指が怖くてたまらない。


「何がそんなに怖いのよ。頼むからそのトラウマも何とかしてよ。仮にも客商売やってて女の子が嫌いなんて言ってたら、悪い噂立っちゃうからね。一緒に仕事してるこっちも迷惑するから」


「分かった! 分かったって! そのうちなんとかするから、手離せ!!」


 思ってもいない口約束をして、すぐに気付いた。

 アニーが極悪人の如くにやりと笑って見せて、手を離す。

 すぐにこれが狙いだと思い知らされた俺は、しゃがみこんで頭を抱えた。


 俺は何ということを言ってしまったんだ。

 しかも、アニーに。商売上手の約束を守らないと相手を殺しかねないような女と約束をしてしまった。

 女嫌いを克服すると、俺は自ら言ってしまったのだ。


「青葉さん、アニーさん? 一体何が……」


 扉から顔を出したエイルの可愛らしい顔ですら、今はプレッシャーでしかなくて俺は打ち震えた。


「ちょっと仕事の話。ね、青葉?」


 アニーの笑みは崩れることなく、肩を二回ほど叩かれると、あのクソ女は颯爽と上機嫌に去る。

 これは、契約だとでもいうように。


 錬金術師として世界を救う契約。

 復唱の呪術による命を握られる契約。

 そして、女嫌いを克服せよという契約。


 どれだけのクライアントと契約すればいいのだと思いながら、オーバーヒートした頭を冷ましたいと思った。

 まずは、少しずつ片付けよう。

 命あっての物種、命を握られている契約を最優先にアイテムを作らなければ。


「素材の選別するから手伝ってくれ……」


 ふらふらと覚束ない足で洗面所からアトリエに戻ると、少し心配したような表情のエイルが戸惑いながら頷いた。

 そりゃいきなり情緒不安定になってる男がいたら驚くよな。悪いけど、何も聞かずに手伝ってくれ……なんて思う俺は、つくづく都合のいい自己中野郎と思わずにはいられない。


「青葉さん、顔色が悪いようですが……あの、大丈夫ですか?」


「あ、ああ……うん。大丈夫。自業自得のダメージだから」


「…………?」


 小首を傾げるエイルには何も伝わらないようだったが、それでいい。これは軽々しく物事に甘んじた愚かな男の問題だ。

 お前との信頼を確かめ合う要素に必要なものではない。だから、安心してくれ。それですら必要な材料だなんて言われたら、いい加減泣くぞ。

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