信用の可能性
ランチタイムが過ぎたヤマネコ亭は、やや閑散としている。
ヤマネコ亭が混み合うのは、昼の飯時と夜の酒場と化した時にだけだ。
それがこの店の日常だ。つまりは、今は客足が殆どない。
だからこそ安心できるし、耳障りなウエイトレスがいることにも慣れた。
それに慣れてしまわないと、ろくに飯も食べれない。
「おう、青葉にライドじゃねぇか」
ダンが腕を組んで歓迎してくれる。
こいつの人柄の良さも店の収益を上げる原因となっているのかもしれない。
ダンは、金を少し払えば情報も売ってくれる。
レストラン兼酒場だけではなく、情報収集にも持って来いのヤマネコ亭は、この町で重宝されているだろう。
俺みたいな多種を求める奴や冒険者にとってはありがたい。
「ランチって流石に終わったよな」
「おう、とっくに完売だ。お前がいつも食ってる野菜サンドならすぐに出せるぜ」
「ああ、いや……腹減ってるからな。それとチキンパスタも頼む」
俺がレシピを売っているおかげか、着々とヤマネコ亭にメニューが増えていった。
それも俺や睦月が馴染みのあるメニューだ。これがまた好評で、世界を越えても味は認められるものなんだなと思うところがある。
「ライドも好きなもん頼めよ。今日は奢る。装備品の礼だ」
「お、いいのか。じゃあ、同じもんで。俺も食べてないしな」
「おう、待ってな。すぐに用意したらあ」
笑顔で了承したダンにメニューを渡したところで気が付いた。
ミルヒがいない。いない方が俺としては助かるが、違和感を感じる。
この店は、ダンとミルヒが切り盛りしてるから二人が揃っていないと何かあったのではないかと思う。
「ミルヒは?」
「ああ、夜の仕込みだ。珍しいじゃねぇか、青葉があいつの心配なんてよ」
「は? 心配なんかするわけねぇだろ。いないから気になっただけ。世間話の一環だ」
仕事するときはしてるんだな、あの馬鹿猫も。
普段から野郎共ばっか相手にしてるから、世渡りの上手い奴にしか思えなかったけど。
仕事という仕事は目に見えなかったが、上手くやれてるようならよかった。此処が潰れるのは、俺が困る。
「ああ、そういえば……欲しい情報があるんだけど、いいか」
「情報内容にもよるぜ。何が知りたい?」
料理の手を進めながら、ダンは不敵に笑う。
あらゆる交渉術を試みたが、ダンの情報を値切ることだけは出来なかった。
こいつには、俺程度のガキが上回ることは出来ない。
「――巨大キメラ」
ぽつりと俺が呟くと、ダンもライドも驚愕したように目を見開いた。
待て。何で、ライドまで驚く? 何か知っているのか。
「何でそれを知りたい?」
「俺がそれに首を突っ込んでるからだ。エレンペラの上の奴らが作戦を立ててるけど、俺は入る余地を無理矢理ねじ込んでいるだけだ。情報が殆どない。解決させたいんだよ。――この世界を守るために」
「………………」
「信用出来ないか? 金は払う」
ダンの強張った視線に負けまいと俺も眼光を鋭くさせる。
大柄な体のダンから睨まれるのは、珍しいことじゃない。でも、今回は少し違う。
金を払えば、全てを話すわけじゃない。
ダンは、相手を信頼して話してもいい者と判断してから取引を行う。上手に渡る善意ある情報屋でもある。
つまりは、金と信用。それを支払わないといけない。
金を払うのは、貯金を削ればいい。
でも、信用を支払うことは身を削る。常にダンという情報屋を信頼し、信頼される努力が必要だ。
俺は、ヤマネコ亭に通って話をすることで信用を得てきたつもりだ。
ライドやアニーに対しても、信用を失うことはしていない。
でも、今回の情報に関して言い淀むダンから話は聞けるか? それほどの信頼をダンは俺に向けているか。
「ったく、妙なもんに首突っ込みやがって」
「仕方ねぇだろ。見過ごせるかよ」
「そうだな。ま、まずは飯を食え。話はそれからだ。腹が減ったら、頭も働かねぇもんだろ」
それは確かに。さっきから、腹の虫が鳴りそうで堪えている。
まずいぞ。今のタイミングで鳴ったら――
「…………」
静かな空間に内側から響くような間抜けな音が、数秒鳴った。
フラグだったようだ。我慢出来なかった。しかし、その空気を読まない音を恨まないと言えば別の話だ。
「ほらよ」
カウンターに出された野菜サンドとトマトベースのチキンパスタとスープが、空腹を更に煽る。
この店の飯が美味いのは、情報を売る上での努力の成果でもある。
固い条件を提示して情報を売るだけじゃ、商売にならない。料理の上手さや人柄もダンならではの武器だろう。
今は、この料理をありがたく頂くことにしよう。
でも、悠長にご飯を頂いた後で……なんてことはしていられない。時間はない。
くそ、財布の中身がどんどん軽くなるな。
「…………」
口に料理を運びながら、ダンに目配りをする。
仕方ないとでもいうようにダンは溜息を吐くと、ヤマネコ亭を閉めて誰も入れないようにした。
幸いにも俺達以外の客はいない。よっぽど聞かせたくないのだろう。
「ったく、高ぇぞ。命を落とすような危険な情報だ。責任は、俺にもあるんだからな」
「大丈夫だ。俺達は、死なない。簡単に死んでやるもんかよ」
「俺……たち?」
訝し気な表情でダンとライドが顔を見合わせる。
「俺とエイルがいるんだから、滅多なことは起きない」
エイルには、掠り傷ひとつ負わせたくないしな。怪我なんか絶対にさせないし、俺が片付ける。
上の奴らにしたって、俺が守ってやる。
魔力を奪われなければ死なない俺は、いくら切り刻まれても平気なんだから。
「……ああ、やっぱお前に情報は売れねぇ」
「はあ!? 意味わっかんねぇよ。何でだよ!」
俺の覚悟をぶっ壊す気かよ、この毛むくじゃらの親父は。
「目を見りゃ分かる。青葉、周りを考えろ。嬢ちゃんに背中を預けられるほどに、打ち解けられたのか。女嫌いのお前が?」
「そ、それは……」
俺は、エイルを信じているし、出来るだけ庇護したいとも思う。
エイルだって、俺のことを信じてくれる筈だ。いつも、彼女は俺を信用してくれてる……と思う。
「情報の前に、お前ら二人が話し合え。話はそれからだ」
「どういう意味だよ。エイルが俺を信じてないとでも?」
「そういうことじゃねぇ。話せば分かる。本当にお前らが命を預けられる関係なのかってことをな」
意味が全く分からない。
でも、ダンが提示するこの手の話は有益になることは分かる。
今の俺には、この情報を得る資格はないということだ。
ライドに目を移すと、優しく頭を数回叩かれた。
心なしかガキ扱いされた気分だが、ライドも趣旨を分かっているらしい。
決定的なことがある。俺の思い違いなのかどうか答え合わせしなければいけない。
エイルとの対話が必要で、それが命を預けられるほどの対等な関係じゃない限りは戦線に共に出るべきではないということだ。
恐らく守られるのは俺で、エイルは俺を守るためなら自分の命も厭わない。
俺もいざとなれば、エイルを守るために命懸けで傷つくだろう。
きっと、その関係がよくないんだ。それは、互いを対等と見ない。信頼の証でも何でもない。
「悪かった。少し頭に血が上ってた」
「そりゃ、いつものことだろうが。野郎共に負けねぇほどに、お前は血気盛んだぜ?」
おどけた様子でダンが笑う。
沈んで落ち込んだ俺を責めることはしない。こういったアフターケアも良い奴だって思う。
「んじゃ、食ったらさっさと仕事しないとな。あいつに買い物任せてたし」
そう言って、野菜サンドを口に運ぶ。
新鮮な野菜と薄いパン生地、それを僅かに刺激するマスタードソースがいい味を出している。
「え、エイルさんに買い物?」
ライドが信じられないと言った様子でパスタを絡めていたフォークを皿の上に落とした。
腕を組んでいるダンは、難しい顔をしている。気まずそうな、それでいて遠慮したような表情。
「いや、あー……いい社会勉強なんじゃねぇか」
言い淀んで出した言葉がそれなのは、相当なものなのだろう。
エイルが金銭価値を分かっていないと理解するには、充分な情報を二人は俺に与えた。
「は、破産……!」
いくら、予算を渡したところで上手く買い物が出来なければ意味がない。
俺には、エイルが奇跡的に普通の買い物が出来ることを祈るしかなかった。
そして、叶うのなら……誰か、あの馬鹿女に金銭管理のレクチャーをしてくれることを願う。
そうでもしないと、いくら小銭を稼いだところで俺が生活出来ない。
協力するパートナーとして、生活が出来ないのは致命的だ。
「…………」
自分が呪術かけられてるとか、巨大キメラで世界が危険な今のような問題を抱えたというのに、悠長だとは思う。
それでも、もしエイルが出来ないことを俺が教えられたら……と、妙な願望を抱える俺は、正真正銘のアホとしか思わずにはいられなかった。




