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新しい服

 ──非常に不安だ。


 何が不安かというと、エイルの金銭感覚についてのこと。

 一応は、五百リール。言ってしまうと五万円相当渡したんだが、大丈夫か。


 正直、俺的には痛い出費だ。一月分の食費を渡すようなものだから、痛みがないはずがない。

 エイルの親父から貰った金に手を付ければ簡単だが、大金を手に取れば感覚が麻痺しそうだ。


 "金と酒と煙草とギャンブルと女には溺れるな。"


 父さんの教えのひとつではあるが、最後は間違いなく溺れない。寧ろ避ける。

 酒と煙草とギャンブルについては、未成年だから今のところは大丈夫。


 ヤマネコ亭で酒で酷い目に遭ったらしいが、覚えてないし思い出したくない。

 確実に弱いことは証明されたと思うけど。


「はあ……」


 今の俺を見たら、何て言うのかな。あの人。

 少なくとも、怒ったり呆れたりはしないだろう。争いごとや相手を責める行為だけは嫌いな人だし。


 母親に逆らったこともないし、俺の姉にもいいように使われていた。

 俺だけは、父さんの味方でいようと思った。怒ることが出来ない人を都合よく使うなんて行為は、許せないから。


 誤解がないように言っておくが、母や姉が家族として嫌いなわけじゃない。

 それでも、男と女の派閥に俺達家族は分かれてしまった。


 母さんは、父さんが嫌いじゃない。意地悪するのが愛情表現。

 父さんは、それを分かってるから言い返さないし、言われるままに従っていた。

 だけど、それとこれとは違う。ストレスが溜まらないわけがない。

 結果として、父さんは一人で家を出た。俺が中学を卒業する少し前のこと。

 きっと、今の家が耐えられなかったんだ。本当のことを聞いたわけじゃないけど、そう思った。


 母さんに話を聞いたところで「暫く帰って来ないよ」としか言わない。

 暫くっていつだよ。それもまた無責任な話だ。


 そこから、俺が小間使いになったわけだが。

 出ていくなら、俺も一緒に行きたかった。

 俺は、父さんのことを信頼しているわけだし。

 困ったときに相談できたのも――


「いやいや、そうじゃない。今は向こうのこと考えてる場合じゃねぇっての」


 首をぶんぶんと勢いよく横に振って、作業机に向かったまま顕微鏡を覗く。

 顕微鏡が映しているのは、残滓から手に入れたキューブの欠片。

 試しに赤いキューブをナイフで削ったら、簡単に欠け落ちてしまった。

 その指先に乗るほどの小さな欠片を顕微鏡にセットして、レンズの奥を凝視する。

 赤の結晶の先に何かないかと探っている。


 エイルに買い物を頼んでいる間、俺だけが休んではいられない。

 素材が手に入るまで、同時進行としてこっちの方も解決させたい。


 残滓を倒して、謎のキューブが何故手に入れることが出来るのか。

 精神世界と現実世界で、あれだけがどうしてシェア出来ているのか。

 そもそも、何の物体なのか。

 今後の活動に対する糸口になるかもしれない。


「うーん……」


 解析出来ない。ただの赤いガラスにしか見えなくて、何の素材で出来ているかも不明。

 魔力を感知出来ない体だから、関係することだとしたら一人じゃ無理だ。


「あー、わっかんね! 何だよ、これ!」


 頭を乱暴に掻くと、怒りと比例するように作業テーブルを強く叩いた。

 それと同時に、間抜けな音が腹の奥から鳴り響く。


「そういや、朝から何も食ってねぇな」


 鳴り続ける腹を抑えるが、エイルに金を渡して痛い出費をしてしまったし、ヤマネコ亭に行く気にはなれない。

 ランチタイムも過ぎているし、一番安くて済むのは自炊だ。


 冷蔵庫を開けてみると、そこそこの食材が入っている。簡単な食事は作れる。

 前に作ったホワイトソースがあるし、野菜や肉もチーズもある。グラタン程度なら作れる。パスタやシチューもありだ。


「ボリューム出したいし、バケットも入れるか」


 キッチンに立ち、料理を始めようと食材と調理用具を取り出そうとする。

 そこで、扉の鈴が鳴る。視線を向けるまでもない。来客だ。


 いちいちタイミング悪いな。せめて飯を食って少し落ち着かせてから来て欲しかった。

 三大欲求の主たる食欲は、抑えきれないものだしな。

 死ぬことはなくても、魔力供給が難しい。

 俺にとっての魔力は、体力よりも重要視されるのがつらいところだ。


 いずれにしろ、今は面倒な依頼を受けられない。

 日常的な依頼を遂行することも大事だって分かってるけど、今は命がかかってる。

 呪術をかけられている俺の体も、巨大キメラに襲われる町のことも気がかりで仕方がない。日常の依頼は挽回できる。


「あ、悪い。飯食べるところだったか」


「ああ、ライドか。何か用か」


 視線より認識した声は、ライドだった。

 目を向ければ、大きな紙袋を持っている。

 特に何か注文した覚えはないが、相変わらずの親切心か。

 それとも、俺の知らないところでエイルが注文したのか。


「お前の新しい装備品。前の服、ボロボロになっちまったろ。エイルさんに聞いた」


 紙袋を主張するように見せてライドが笑う。

 確かに今は簡易的な服で、恥ずかしいことはないが身軽すぎる格好だ。


 今思えば、この簡易的で庶民のモノクロ調の服でよくエレンペラに行けたな。

 俺やクローネはともかく、ガストンさんは恥ずかしくなかったのか。


「なんか悪いな」


「いや、外出も多いだろ。一応、前より強度は上げといた。最初に採寸したサイズと変わらないけど、太ってたり痩せてたりしたら調整するぞ。ひとまず着てみてくれ」


 そう言われてしまえば、飯は後だ。

 わざわざ作って届けてくれたライドには、多少のもてなしはしないといけないしな。

 太っても痩せてもいないとは思うけど、自信がない。

 健康に気を遣う余裕なんてないほどに忙しかったからな。


「んじゃ、茶でも飲んで待ってろよ。すぐ着替えてくる」


「気にするなよ。そんな難しい服じゃないし、待ってる」


「そっか。じゃ、すぐに戻る」


 あまり気を遣いすぎるのはよくないか。

 親しき中にも礼儀ありなんて言葉はあるが、遠慮を重ねると少しずつ友情が壊れていく。

 駆け引きなんてものは、表面上の友人同士で充分だ。少なくとも、俺達は信頼している友情関係であると思っている。




 洗面所へ向かうと、紙袋に入った装備品を取り出す。

 白のロング丈Tシャツに黒のジャケット、複数の金具がついた濃茶のレザーベルト、黒のズボンに同じ色のショートブーツ。それから、モノトーンの細かいチェック柄ストール。


 ──前より少し洒落てやがる。


 残滓に首狙われることもあるし、ストールはありがたく使わせてもらおう。他の服についてもありがたい。


「こんなもんか」


 着こなしはよくわからんが、普通でいいだろう。下手に崩すのも悪い気がするし。

 サイズも丁度いい。着心地が良すぎて怖いくらいだ。それでも、感謝はしないとな。

 強度も確かに前よりはしっかりしている。妙に体にフィットするのは、ライドの魔法で防御力でも上げているのかもしれない。


 洗面所から出ると、ライドと目が合う。

 分かりやすい奴だ。目をキラキラと輝かせて俺を見ている。

 いや、見ているのは自分の作った服だろうけど。


「やっぱ、似合ってるな。青葉って少し背が低いけど、スタイルいいし。体のラインがしっかりしてる服っていう意見は良かったな」


 どういうことだ。誰かから意見をもらったってことか。


 そうなると、妹のアニーか。

 いや、アニーが、いちいち俺の体を気にするか?

 逆にこの兄妹は服装のセンスとか分からないように思えるし、エイルが意見を出したとも微妙だ。可能性がないわけじゃないけど。


「おい、誰の意見を取り入れたって?」


「ああ、睦月がな。前と同じでいいんじゃないかと思ったんだけど、デザイン画まで持ってきたから共同制作って感じ」


 なるほどな。一番納得する。

 ストールをこしらえる意味も分かってるし、人形やそれに見合う服にご執心の睦月が考えたとしても不思議じゃない。


 それにしても、体のラインとか変態かよ。

 女を見るというならともかく、男の体を……いや、気持ち悪い以外の何ものでもないし、考えるのはやめよう。

 今は、何も考えずにライドに感謝しておく。


「因みにデザインの中にはワンピースもあったぞ。可愛いレースつきの」


「……お前がそれを選ばなかったことが、一番ありがてぇよ」


 肩を竦めたところで気が緩んだか、腹の虫が鳴った。

 それを聞かれてしまうと、ライドがヤマネコ亭へ行こうと誘ってきた。


 流石に節約したいからパス、なんてナンセンスなことは言えない。ついでに飯でも奢って礼をしよう。

 ランチタイムが終わった今は、グランドメニューしかないだろう。腹が空いた今は、量も食べてしまう。


 ──財布が軽くなっていくのは、泣けてくるけどな。

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