金銭管理を学べ
青葉から渡された財布を握り締めたエイルは、シデン堂のアニーを訪ねた。
質を拘る青葉なら良いブランドの香料を使った方がいいとは思ったが、金銭感覚を無視することは出来ない彼にとっては、高ければいいというものではないらしい。
金銭感覚が凡人と違う貴族育ちのエイルにとっては、それこそが首を傾げる要因だった。
金貨が百枚だろうと二百枚だろうと変わらないと思っているが、その一枚一枚が人々の生活を左右するものだと考えてみれば、憂いてしまう。
その感覚の鈍さで自分がいかに今まで甘い汁を吸って生きてきたか。
異世界人の青葉ですら気遣うそれを、エイルは気遣うどころか理解も出来なかったのだから。
「──それで、相談に来たわけか。あたしが適任なの? それって」
ティーセットと茶請けのクッキーをリビングテーブルの上に置いてアニーは、丁寧にティーポットからカップにハーブティー注ぐと、そのカップをエイルの目の前へと置く。
「うちのプランターで育ててるミントのお茶。頭すっきりするよ。今、トーマとアイリが植物に嵌まってんだよね」
「トーマ君とアイリちゃんが?」
「そそっ。おじいちゃんに教わってね。植物は、心のリハビリにもいいからさ。最近、色々とあったし」
頬を掻いて苦笑いをするアニーは窓の外の庭を眺める。
「あの子達、もう帰る場所がないから。おじいちゃんも怪我がまだ治ってないし」
「あ……そう、ですよね」
エイルは肩を落として、カップの水面に映る自分と目が合う。暗い表情をしている。
エルフの集落が滅ぼされて故郷を失った彼らにとって、帰る場所はない。
今、此処で生きていくしかないという事実が不憫に思えて仕方がない。
アイリやトーマが帰る気はなくとも、いずれは帰るべき故郷だというのに、既にそれは存在しない。
「プランターの栽培セットにしてもお金がかかる。生活するのも食べるのももちろんね。──で、話を戻そっか。何で素材とお金の話をあたしに? その手のものなら、エイルの方が詳しいよね。アロマとか香水とか」
エイルに視線を戻したアニーは、「よっこいしょ」と若者らしからぬ掛け声と共に椅子に座る。
「相場がよく分からないんです。青葉さんの言うコストを抑えたものというのがどの程度のものなのか。しかも、大量に必要らしくて」
「ふーん。ま、エイルに金銭の管理を任せるのは不安かもね。予算は、いくら渡されたの?」
アニーに問われたエイルは、慌てた様子で財布を取り出して中身を数える。
「えっと……五百リールです」
「ふむ、白金札が五枚。暫くは満足に送れる生活費ってところかな。青葉もかなり奮発したねぇ」
「え、でも……五百リールじゃ香水の類は無理じゃないかと」
「あ、うん。エイル、狂ってるわ。金銭感覚」
呆れたように目を細めてアニーがクッキーを一口食む。
よくわからないという様子で首を傾げるエイルに、今度はやれやれとばかりに肩を竦めた。
「まずは、全部金貨でやらなかった青葉の采配は褒めるべきね。庶民の買い物でエイルが金銭のやり取りなんか出来ないし、お釣りも数えられなさそう。勉強させるのも丁度いい」
「どういうことでしょうか……」
「要は、おつかいするにしても正しくよ。一リールでも不足で帰ったら、怒られる。商売の基本、買い物したら『お釣りは結構です』は使わないこと。あんたの悪い癖でもあるしね」
渡した金が多くとも、エイルは釣りを受け取ろうとしない。
それは、相手に対する礼だからと何とも緩い財布の持ち方をしているからだ。
エイルは、何度も商品の倍以上の金銭を払ったことがある。
それを見兼ねたアニー達が何度も注意をしているのにも関わらず、繰り返してしまう。
金に対する頓着がなさすぎるお嬢様に周囲は頭を抱えるのだ。
故に、エイルは使用人に買い物を任せていた。
しかし、青葉の力になりたいと思ってしまえば、買い物くらいどうということはないと思っているのだろう。
その甘さは、目の前の友人が一番痛感している。
「白金札一枚が金貨何枚分か、分かる?」
「え、えぇと……」
「即答出来ないから時間切れ。通貨について、順番にいこうね」
メモ用紙を取り出したアニーは、慣れた手つきで紙にペンを走らせる。
「まずは下から。一リールは金貨一枚。次に金貨十枚分の十リールで銅札、金貨百枚分もしくは銅札十枚分の百リールで白金札、白金札十枚分で銀札の千リール。で、銀札十枚分が一万リールの金札」
「え、えぇと……以外と種類があるんですね」
あまりの世間知らずにアニーは、硬い木製テーブルに勢いよく伏し、鈍い音を立てて額を打つ。
「ガストンさん……娘を箱に入れっぱなしで腐るよ、もう。召喚術や武術よりも一般常識教えてやって、頼むから……!」
アニーは歯を食い縛りながら拳を強く握る。
しかし、最初から全て教えていたらきりがない。小さな子供の数字数えを何年も教えるようなものだと頭を抱えそうになる。
「一緒に選んであげる。買い物は、その時に教えてあげるから……。もう、自分が損するような買い物しちゃ駄目だよ」
「すみません。異世界人の青葉さんですらしっかりしているのに、この世界に住む者として恥ずかしいです」
「まあ、青葉は三日くらいで覚えてたけどね。錬金術師が金管理出来ないのって致命的だしさ。ということで、善は急ごうか」
「え、でもお店は……」
「ああ、いいのいいの。売り上げは好調だから今日は休む。ライドに店番なんか任せられないしね」
馬鹿にするようにケラケラと笑うアニーにエイルは、どうしたらいいものかと不安そうな表情になる。
「あの、近いうちに私がお店手伝います! この穴埋めは絶対に!」
そこで、アニーの笑顔が固まる。
ろくに金の管理もできないお嬢様に店を任せるなんて軽率な真似をしたら、破産する。
その様子を想像してアニーは、何度も首を横に振った。
「任せられるわけないから……! エイル、適材適所って言葉も覚えて!」
我慢ならないというように頭を抱えたアニーは、友人の天然かつ恐ろしい余計な気遣いに声を上げずにはいられなかった。
ちょっとわかりにくかったかもしれないので、追記として今更ですが通貨のお話です。
共通して単位は「リール」と呼びますが、支払うべきお金はそれぞれです。
漢数字ではなく、普通の数字で書かせていただきます。
金貨:1枚で1リール。
銅札:1枚で10リール。金貨10枚分。
白金札:1枚で100リール。金貨100枚分。銅札10枚分。因みに白金とはプラチナのことです。
銀札:1枚で1000リール。金貨1000枚分。銅札100枚分。白金札10枚分。
金札:1枚で10000リール。金貨10000枚分。銅札1000枚分。白金札100枚分。銀札10枚分。
ほぼ、札が多いです。硬貨は金のみです。
価値は、1リールにつき日本円でおよそ100円になります。
しっかりとした情報を作中で何とか書ければいいのですが、今後の課題として頭に入れておきます。




