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悪意の改心

 白いフラッシュバックから戻ってきたと思い知らせるには充分な感覚。

 柔らかい羽毛の感覚。普段、俺が眠っているごく普通のベッドとは違う高級感が漂っている。

 頭の下の枕も沈む感覚が気持ちがいい。


「ん……」


 瞼をゆっくり開く。妙に体がだるい。精神世界で少し無茶したのか。

 上手く調整が出来ないとつらいものだな。頭が揺さぶられるように気持ちが悪い。


 首を傾けると、視界に白の甲冑と青のマント。長い白銀の髪が視界に移る。

 だるい体を起き上がらせると傍らにはフィリオがいた。その表情は心配の色が伺える。

 近くのテーブルを見ると椅子に腰かけてクローネが眠っている。

 本当に寝ているのか、狸寝入りなのか分からない。寝息は立ててるがどうだか分からない。


 それよりも、フィリオの心配そうな表情から察するにそれは罪悪感。

 そうか。俺が倒れたこと、もしくは自分が残滓に取り憑かれた記憶からの罪の意識があるのだろうか。

 それは、どっちにしても無駄な罪悪感だ。

 俺が倒れたのは仕方がないし、残滓に取り憑かれたのもまたどうしようもないことだ。


「青葉、大丈夫? 体は……」


「ああ、心配すんな。もう、アレは出ない。ぶっ飛ばしてきたから」


「そうじゃなくて、君の体は大丈夫なのかい? 僕のせいで……」


 やっぱりな。罪悪感を感じている。

 でも、もう終わったことだ。フィリオが責任を感じることはないし、あいつは俺の中で消した。

 卑屈になる気持ちは分かるけどな。自分のことで誰かが関わって、しまいに倒れてしまえば勘違いもするだろう。


 でも、まだ違和感がある。フィリオから残滓を抜いたのは確かだが、その表情が妙に嘘くさい。

 何故なら、こいつは笑顔のままだからだ。


「お前、何で笑ってんだ」


 フィリオの表情は、心配そうに伺えども口元は緩んでいて形状し難い。不自然な顔だ。

 そういえば、あの残滓が言ってたな。悲しくてもフィリオは笑っていたという話。もしかして、その現象が此処にもあるのか。


「不快にさせたならすまない。僕は、昔からそうなんだろうね。誰かがつらい時は誰か一人でも笑っていないといけないっていう強迫観念があるのかもしれない」


「それって……」


 親に売られて奴隷になったって話だよな。

 多分、同じ境遇の奴らの中で周りが苦痛に喘ぐ中でフィリオだけは笑顔でいないといけないと思ったんだ。

 自分も苦しいのに誰かが明るくいないといけないと思った結果、その誰かを自分にした。

 痛みや悲しみ、負の感情を笑みに変える心の傷と障害を持ってしまったのかもしれない。


「聞くかい? 楽しい話ではないけれど」


 それを決めるのは、俺じゃない。

 楽しい話じゃない苦しい話を聞きたいなんて、俺には言えない。


「お前が言いたくないなら聞かない。お前の中の悪い奴は倒した。それだけでいい」


「…………」


 少し驚いたように呆然とした後、くすくすとフィリオは笑う。

 これは何の笑いだ。こいつの笑いの場合、笑顔の中に喜怒哀楽があるから分からない。


「君は、見た目の割にしっかりしているようだ。すまなかったね」


「笑ってるくせに謝ってばっかだな、お前は。そうだな、これだけ」


 これだけは言っておこう。そうしないと、また同じことの繰り返しになる。

 その時、また俺が近くにいるか分からない。いたとしてもどんなアクシデントが起きても分からない。


「お前が何を悟って諦めるに至ったとしても、俺がいる以上は可能性はある。――俺が、何とかしてやるから心配すんな」


 それが俺の仕事だ。諦められると、俺が困るんだよ。


「……それは、無理だ」


 自嘲的に笑うフィリオは、俺の髪を優しく撫でる。

 その薄い緑色の瞳を見据えると、それだけは無にも等しい。口元では笑い、目は全く笑わない。

 背筋にぞくりとした悪寒が走り、髪を強く引かれて顔を近付けられる。


「いっ、たたっ! 痛い痛い痛いっ!」


「青葉、この世界は不平等だ。幸福になれない者が哀れだと思わないかい? 何も知らずにのうのうと生きている者がいる裏で不幸な者も存在する。そんな世界……いくら、環境が整ったところで不幸の繰り返し。強者が弱者を蹂躙する救われない世界は、いっそのことない方がいいと思わないか」


 何だそれ。世の中が不平等だから、消した方がいい世界?

 そんなことを許されるなら、どの次元にも世界は存在しない。不条理なんて当たり前に転がっている。

 それを憎むのは、当事者だからというのは分かる。でも、それで周囲を巻き込むのは負の連鎖だ。


「それが、あいつの言っていたお前の悪意なら簡単だ」


 そうだ、簡単な話。フィリオ一人で背負わなくてもいいものだ。

 誰か一人で背負うものじゃない。不平等による怒りは概念のようなものだ。


「修復された世界で、どう生きていくか……それは定められたもんじゃねぇ。お前がその苦痛を知っているなら充分だ。救われないと思うなら、お前が同じ苦しみを抱いてる奴らを助けてやれ! 必死に生きようとする奴らまで巻き込むな!!」


「――ッ」


「お前は、地の底から這い上がって何の為に騎士になったんだ。それをよく考えてみろ! お前の仕事は何だ。お前の信念は何処にあるんだ。懸命に生きてる奴らまで否定して、不幸の境遇者は心まで不幸だと決めつけて淘汰することか!」


 こんな哀しい絶望感、俺は絶対に認めない。フィリオは勘違いしてネガティブになっているだけなんだと、思い知らせないといけない。

 錬金術師の仕事じゃない。俺個人の問題だ。こんな絶望を抱いた奴を前に放置なんか出来るかよ。


「本当に君は……君のような人間は、真っ直ぐすぎて眩しいよ。まるで正義の味方だ。出来ることなら、君に罰して欲しかったな」


「俺は正義の味方じゃねぇ。俺は俺の味方だ。お前を罰するとか意味分かんねぇし、する理由もない。逃げられると思うなよ。お前が抱いた悪意は、お前が克服するしかないんだよ」


 残念ながら、そこまでのアフターケアは出来ない。俺が踏み込める問題じゃない、フィリオの心の問題。

 ただ、俺は問うだけだ。「本当にそれでいいのか」と。

 相手の心に訊くことしか出来ないんだ。それ以上、踏み込めば逆に傷つけてしまう可能性がある。土足で踏み入らずに、玄関口で声をかけることしか出来ない。


「分かったら、手を放せ。毛が抜けるし、痛いんだよ」


「あ、ああ……すまない」


 オロフのおっさんといい、フィリオといい……この世界の奴らは、感情的になると人の頭を掴む癖でもあるのか。


「はは……青葉の黒髪は綺麗だね。酷く扱ったことを詫びるよ」


「はあ? こんなの俺の世界には山のようにいるぞ。お前みたいな白銀色の奴の方が珍しいし」


 寧ろ、向こうの世界で見たことないけどな。カラーパレットみたいに様々な色の頭ばかり並ぶ世界は、異世界ファンタジーならではだろう。


「……けじめはつけるよ、僕は」


 けじめ、とはどういうことだ。

 フィリオは特に悪いことをしたわけじゃない。悪かったのは、残滓でフィリオが何か悪を働いたわけではないとしたら、けじめなんてつけようがない。


「申告すれば、恐らくは作戦メンバーから外されて騎士という存在でもなくなるだろう」


「え、あ……いや、お前さ、何かしたの?」


 残滓に乗っ取られて意識の狭間を彷徨ってたという理由じゃ、申告された側も処理に困るだろう。大きな問題を起こしたなら別だが。


「錬金術師様を危険に晒したという罪、そして同胞であるルーク殿を殺害しようとした罪が僕にはあるんだ」


 それは、また困った罪だ。

 組織が動くような罪ではないよな。フィリオの自己満足でしかない。

 まさか、上手く言いくるめて自分を罪人にしようとしてないか。


「俺らが訴えない限り、罪にならないよな。お前、馬鹿か。未遂に終わってるし、それはお前の意思じゃない。お前の罪悪感の塊は、自分への戒めであって上が動くもんでもないんじゃないのか」


「それは……」


「言っただろ。お前の役目は何か、誰を助けるべきかって。それをやらないうち、お前は逃げられない。少なくとも、俺からは」


 俺が口角を上げて笑うと、フィリオは呆然と目を瞬かせる。

 呆気に取られたというべきか、少し思考が停止しているのかもしれない。

 こいつを捕まえるなんて奴がいたら、俺が返り討ちにしてやるさ。様子を見るからに、普通に生活出来ていたみたいだし。

 あの残滓は、虎視眈々とチャンスを伺っていた。それなら、恐らく大きな事件は起こしていない。

 フィリオに記憶があるなら、それは本人が一番分かっていることだろう。


「少なくとも、現段階で作戦抜けられると困るだろ。お前がどうしても罪滅ぼししたいってなら、俺の言うこと少しは聞けよ」


「え、あ……しかし、僕は」


「ああっ! 面倒くせぇな、お前は!! そこまで行くと鬱陶しいぞ!」


 俺は、フィリオに右手を差し出した。

 口で言わないと分からないのか。もう少し察しろよ。


「困ってた所を助けて、和解したなら握手だ。この手を取れ、フィリオ。なんか……あれだよ。友達的な、そんな感じの。嫌だったらいいけどな」


 友達が作れない意地っ張りの俺が手を差し出したんだ。これが空振りに終わる方が罪深いぞ。

 いいじゃん、終わったことで解決したんだから。解決したことをぐだぐだ言うのは好きじゃない。

 いい関係でいられるなら、それが一番いいだろ。


「僕が、錬金術師のあなたと……」


「この際、肩書きは気にするな。お互い、困ったら助け合う関係で何か不都合があんのかよ」


 俺が切れ気味に声を荒げると、フィリオは小さく笑い俺の手を掴んだ。


 本当に不器用な奴。俺もまた素直じゃいられないのも事実だが。

 拗れてるのは、お互い様だ。俺は、新しく出来た友人を大切にする。それで、俺も大切にしてもらう。

 小さい子供じゃあるまいし、友達になろうなんて言葉は恥ずかしい。


 それでも、この男は放っておけない。過去や未来がどうなろうと、不安定な今を負の感情で汚したくない。

 いい大人の男が、俺みたいなガキに圧倒されることが安定しない証拠だ。


 こいつのバックアップだって? するわけないだろ。路頭に迷ったガキじゃあるまいし。

 困ってたら助ける。助けを求めて、俺が必要なら何とかしてやる。

 気を抜いて馬鹿話をするのは、精神的にも悪くない。


 そうやって交友関係が築けるなら、それが平和でいられる。所謂、融通が利く関係って奴だ。

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