罪の意識
ペリドットのような薄い緑の瞳がゆっくり開かれ、銀の髪が揺れる。
白の甲冑が金属の擦れるような音を立て、フィリオは額を抑えて起き上がる。
「此処は……」
薄暗い地下牢のある部屋。
そう、青葉が転移されると共に自分も転移した部屋だ。
しかし、それは自分の意思ではなく、一緒にいた悪しき魂がしてしまった行為だが。
牢にいた時間を忘れはしない。青葉が悪しき魂を残滓と呼んで己から解放してくれたことも覚えている。
そのお陰か、心に抱え込んでいた重石が今は軽くなった気がする。
「フィリオさん!」
ルークの顔が目前に迫り、フィリオは双眼を瞬かせた。
「ルーク殿……」
そうだ。彼は、子供故の悪戯で青葉を地下牢に閉じ込めていた。
知的と言えど、子供は子供。今回の件がなければ可愛いものだと思うが、それを責める資格は自分にはありはしない。
それよりも、今は──
「僕は……いや、青葉と彼の者は」
「それが……」
ルークがフィリオから目を逸らすように、横たわっている青葉に視線を向けた。
丁寧に寝かせられているが、青葉の光を帯びた黒の瞳は濁ったもので、暗闇に閉ざされたように瞳孔だけが開いて脱け殻のようになっている。
活発的で自己顕示欲が強かった彼は、人形のように微動だにしない。
「先程、青葉さんがフィリオさんの体に大きな魔力をぶつけたんです。その後、ばたりと倒れてしまって。フィリオさんも同時に」
「彼は、戦っているのか。たった一人、あんなものと」
「僕には、何がどうなっているのか。フィリオさん、その……」
何と声をかければいいのか分からない。
体は大丈夫か、気分は悪くないか、今まで自分達を騙し続けていたのかと言いたくても、それが言えない。
ルークにとって、フィリオは兄のように慕う人物。
怪物に長く支配されて戦ってきて疲弊した彼を休ませてあげたい気持ちが先行した。
「いえ、今は休んで下さい。魔力の消費も激しく見受けられます。それに──」
「ルーク殿」
ふわりと優しく微笑み、その笑みとは裏腹に拳を強く握るフィリオは立ち上がる。
「僕は、裁かれるべき人間です。気を遣って頂いたこと、感謝します」
裁かれるべき人間という言葉にルークの瞳が戦慄き、フィリオのマントを力強く引く。
「うわっ……!」
しかし、強く引きすぎたせいで共に短い悲鳴を上げて倒れてしまう。
普段のフィリオなら、それをものともしない。倒れることなどあり得ないのに、疲弊した今はルークを支えるどころか自分も転ぶ始末だ。
「ごめんなさい! 怪我はないですか?」
「ええ、大丈夫です。少し首が絞まりましたが」
咳払いをひとつ、フィリオは首元を抑える。
マントと甲冑を繋ぐ装飾の鎖が圧迫して気管を絞めつけたことを知ると、ルークは涙目ですがるようにマントを強く握り締めた。
「あああ! ごめ、ごめんなさい! 僕、そんなつもりじゃ……っ!」
「ぐっ……ですから、首が……ですね」
「す、すみません!」
手を離したルークがフィリオの身なりを整えてやろうとするが、苦笑いを浮かべられ制されたことで肩を落として目尻に涙を浮かべる。
「大丈夫です、僕は。心配して頂いてありがとうございました」
再び立ち上がり、身なりを整えたフィリオは踵を返し、階段を上ろうとする。
彼を留めようと再び手を伸ばそうとするが、先程の手前、同じことを繰り返すだろうと掴むことは出来なかった。
しかし、掴むことが出来ないのなら──
「フィリオさん!!」
声で呼び止めるしかない。彼の行こうとする末を止められるとすれば、現状を知る青葉が行動で示すだろう。
しかし、その青葉は闇の中。止められるとしたら、自分しかいないのだとルークは叫んだ。
「裁かれるべき人間なんて……フィリオさんは何も悪くありません! きっと、デタラメです。フィリオさんの悪意が怪物を呼び寄せたなんて話……そんなの、人の弱さに付け込んだ詭弁に決まって──」
背中に向けて放った言葉は、振り向かれたことで喉奥に詰まった。
悲しげで儚い笑み。恐らく、彼は悲しんでいることだろう。
しかし、彼は笑むことをやめない。
それが、彼故の誇示としたらその笑みを崩す自分こそ咎人ではないかと、ルークは思ってしまうのだ。
だが、友であり兄のような彼の過去を知る一人として放っておくことが出来ないのも事実である。
「ルーク殿、申し訳ありません。彼の者があなた方に伝えたことは全て真実。悪意と絶望に墜とす為に囁かれた言葉としても、嘘偽りなく僕は絶望に身を委ねた。この世界は救われないと判断したのも事実。全て手遅れなのです」
全てが手遅れと発したフィリオの言葉にルークの表情が石のように固まり、喉の奥がカラカラに渇く。
笑いながら、絶望を口にして世界を救うことを諦めた堕ちた騎士と認めた。
それが、ルークにとって悲しくて堪らない。
自分の思っていたフィリオは、希望に胸を秘めた騎士。
過酷な人生を歩めども、茨をその剣で振り払い、前向きに生きてきた人間なのだと思っていたのに。
そう思っていた己が過大評価しすぎていたのだろうか。期待して慕っていただけなのかと、胸が痛くなる。
「それを決めるのは、あなたじゃないよ」
階上から聞こえ、複数の靴音が地下に木霊する。
見上げれば、クローネと己の仲間達が視界に入った。
厳しい声でフィリオを否定したのは、やる気も覇気も全くない筈のクローネ。
しかし、今の彼女からは僅かな怒りをぶつけられたような気がした。
ごくりと息を飲んだフィリオは察した。
此処で捕まる意味、それはよくないことではある。どれだけ責められてもおかしくないことだと。
しかし、それよりも残滓に支配されていた自分。仲間を裏切っていた事実からの罪悪感の方が、つらいものだと思わずにはいられなかったのだ。




