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クローネの憂鬱

 膨れ上がって割れそうなほどにクローネは頬を膨らましていた。

 支えていた筈の青葉と、ついでかどうか分からないフィリオが消えた後、厭らしい笑みを浮かべたルークまでもが大広間から姿を消した。

 残されたのは、クローネとジェシリアだけ。使用人は、何のリアクションを起こすこともなく、軽く会釈をして去って行った。


 腑に落ちない。非常に不愉快。クローネは、青葉を連れて行かれたことに腹は立てたものの、もっと許せないことがあった。


「面倒臭い……だるい……これ、私が連れて来ないといけないじゃない。放っておいて帰りたい。ああ、でも青葉君のせいでアイデンティティというものが……」


 青葉の血を使って作られたクローネにとって、彼のお節介で無駄に相手を思いやるという感情が僅かにあるせいで放置することが出来ない状態にある。

 面倒臭がりで、なるべくなら無駄な努力はしたくないと思う彼女にとって、これからすべき行動は無駄じゃないと知ると考えるだけで億劫になる。


「全くだよ。このまま放っておくわけにもいかないし、錬金術師だけならまだしもフィリオまで巻き込むなんて、お仕置きが必要だね」


 ジェシリアは肩を落とし、クローネの腕を引く。その様子は少し機嫌が悪いようにも見えた。


「え、なになに。どこに行くの?」


「あんたは錬金術師を探しに行くんだろ。だったら、あたしはフィリオを探しに行く」


「あー……まぁ、探すのもそうなんだけど。うーん、事態はもっと深刻というか」


 間延びした口調のクローネに苛立ったジェシリアは、掴んだ腕を力強く握った。

 しかし、クローネは顔色ひとつ変えずにジェシリアの手を振り払った。


「もう少し泳がせたかったし、青葉君なら太刀打ち出来るとは思うんだけどね。多少なりとも心配はするのは、悲しいかな。ホムンクルスとして当然なんだよね」


「あんた、何を言ってるんだい? 泳がせるって、ルークのことか。生憎だけど、あいつら二人の方が錬金術師より重い。少なくとも、あたしにとってはね」


 焦りにも似たジェシリアの瞳の奥を見つめるクローネは、やれやれとでも言うように息を吐く。

 仲間思いだなとは思っても、クローネにとっては所詮他人事。

 クローネが危惧するのは、青葉の安全だけではなかった。


「言ってしまうと、三人共……なんだけどね。まあ、いいや。話してる時間も惜しいし、心当たりの場所はあるの?」


「あ、ああ……いや、ルークの屋敷にはあまり来たことないし」


 顔を強張らせながら爪を噛むジェシリアは焦っている。よほど仲間が大事なのだろう。

 作られた存在のクローネには、その気持ちがよく分からない。

 大事な仲間という絆の感情を知らない。知識で知っていたとしても感じたものではないから知らないし、別段興味もない。

 早く眠りたい。早く安心して横になりたかった。

 しかし、それが許されないのが青葉という作り手を守った方が良いという義務感。

 世界を救うための部品としてある自分にとって、核となる青葉を失うわけにはいかない。


「誰か来る、かも」


 クローネが大広間の入り口を見ると同時に屋敷の鐘が鳴る。

 何て都合がいい、なんて内心呟く。客が誰であるかも扉を開かなくても分かる。

 一人一人違う魔力を感じられる。優秀な自分を呪った。

 青葉のように他人の魔力を感じなければ楽なのに。余計なことを考えずに済むのだと。


「おーい、ルーク! いるか」


 男の大きな声。ああ、ついさっき聞いたばかりだ。感じる魔力は二つ。

 どちらも面識はある。クローネにとっては、つまらない用事に付き合わされて出会った者達だ。


「ドルイド! オロフ殿も来たのかい」


 大柄な体のドワーフと横柄な態度を取るエルフの男。今の状態では、好都合だろう。

 ドワーフの男、ドルイドはルークの保護者を気取っていた。

 エルフの男、オロフは感じは悪いが仕事熱心だ。

 そういう意味では、ジェシリアも似たような側面がある。


 仕事上の仲間を思いやる、善人と言えば善人なのだ。

 仲が悪いように見えて、彼らは仕事熱心。脅威を排除し、世界を守るために必死なのだろう。

 本当なら、そうである……ということだけは、分かる。志が一緒の同類ではあるが、一致しない。

 あの会議の中で一人だけ、一致しない者がいた。それは、この場で語るべきではないし語る必要もない。


「ああ、喧嘩でもしていないか心配していたんだがな。二人共、良い関係で取り引きが出来たかと様子を見に来たところだ」


「ふん。大きな問題があれば、作戦に支障が出る。私は、仕方なく様子を見に来たのだ」


 お節介と捻くれ者。全く忙しなく、賑やか。

 これが吉となればいいが、二人は屋敷の構造を詳しいだろうか。

 クローネはぼんやりと二人を見比べ、ドルイドに視線を集中させる。


 そういえば、ドルイドはルークの保護者気取りをしていた。

 それならば、この屋敷に赴くことも多いだろう。

 そうだとしたら、少しは役に立つのではないかと頭を捻らせる。


「ん、どうした。ホムンクルスの嬢ちゃん、俺の顔に何かついてるか。はっはっは、まさか見惚れていたわけじゃ――」


「おじさんってよくこの屋敷来るよね。憶測で物を言っちゃうけど、ルークと仲良しみたいだし」


「お、おお? 確かによく来るが。ルークの親父さんとよく商談をするからな」


 なるほど、仕事の取引相手の息子なら気にかけて当然かと分析して、クローネはジェシリアに視線を移す。

 意図を察したのか、ジェシリアは頷いた。


「困ったことになってね。ルークが錬金術師とフィリオを何処かに転移させたみたいだ。本人もその後を追ってね。自分も向かったなら危険な場所じゃないと思う。心当たりはないかい?」


「ふむ、なるほど。ああ……もしかしたら、地下牢かもしれん。ルークは優秀だが、まだ幼く魔力の蓄えが充分ではない。呪術で誰かを遠くには飛ばせない。そうなると、屋敷の敷地内かもしれんなぁ」


 見た目の割に上手く考察出来ている。てっきり、脳筋で知恵は人任せと思っていたが。

 いや、もしくはルークをよく見ているからなのかもしれない。

 クローネは、情報を得たひとつから思考の糸を辿る。


 青葉達がいるのは、屋敷の地下牢。だが、そこは何処から繋がっているだろうか。

 もしかしたら、別の情報も必要か。嗚呼、面倒だと思いながら、今度はオロフに視線を向ける。

 彼は、役に立ちそうもないか……と思っていたが、フラッシュバックする。


 初めて会った時、彼は青葉を敵視をした。何をしたか。

 そうだ、彼は青葉の魔力を体で感じた。更にその前には、大事なものを手に入れた。


「髪の薄いおじさん、青葉君の髪の毛持ってる?」


「誰が薄いだ! 飼い主も飼い主なら、従者も失礼だな。髪の毛? あんなもの持っているわけがないだろう。あんな庶民の髪など」


「だよね、そんな都合よく持ってないか。青葉君の魔力食らってビビったし、爆弾は手元に置きたくない安全地帯にいたいタイプ。でも、あんなもんじゃ済まないよ。青葉君の本当の力って」


「ふん、あんな小僧の程度の低い魔力なんぞ……」


 毒づくオロフには付き合ってられないとばかりにクローネは、息を吐く。

 しかし、この場にいるからには利用しない手はない。


「その目で確かめてみる? んー、多分だけど……閉じ込められてる地下で凄いこと起きるよ」


 クローネの言葉を聞き逃さなかったのは、オロフだけではない。ジェシリアもドルイドも引っかかった。

 地下で凄いことが起きるという意味。今は、悪いことしか思いつかない。

 同じ場所にいるルークやフィリオも巻き込まれるのではないかという不安を煽るには充分な言葉だった。


「ドルイド、地下に行こう。悠長なこと言ってられないね。小娘の言葉が虚言であったとしても、本当に何かが起きたら戦力を二つも失うことになる」


「おう、そうだな。部隊だけじゃねぇ。あいつらにとって、先の長い未来だ。あいつらを失うのは、俺達にとって絶望的だ。オロフ、社会的にもよくねぇだろ。あんたの金ヅルが減るわけだしな」


 ドルイドの皮肉にオロフは眉を寄せるが、渋々とそれを頷いた。

 やはり、ドルイドは筋肉に物を言わせる馬鹿ではないようだ。人の使い方を分かっている。


 ドルイドは名の知れた商売人なのではないか、逆にオロフは金を稼ぐ株主……貴族揃いの会議メンバーと組織が痛手を食うのは不利なのだろうとクローネは感じたが、最早そんなことはどうでもいい。


 今は、問題を片付ける。彼らを手伝って恩を売っておくのもいい。

 青葉の実力を見せれば、彼らの青葉に対する評価も変わる。

 それに貢献する義理はないが、義務がある。

 その義務が己を縛る鎖ということを知ると、世界を救うのは骨が折れるこの世で一番面倒な仕事なのだと不快な気持ちになったクローネは、先導する大人達の後を追うために足を踏み出した。

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