感情論の結果
俺は、窮地に立たされている。
エイルが戻り、ロープも外してもらい、いざ帰ろうかというところで安堵していた。
まず、そんなことがまかり通るかっていうのが間違い。
お前に安息の日々が待ってるか、それは否だと神が笑った気がする。
俺は、再びエイルと離れ離れになってしまったのだ。
帰ろうとした俺達に女子生徒達が押し寄せて、関係がどうだとか家柄は何だとかしつこく聞いてきて、まるでスクープを取られた芸能人のように揉みくちゃにされた。
こんな状態でエイルが休めるわけがないと思った俺は、二人での逃亡劇を気取ろうとしたのだが、見事なまでに……はぐれてしまったのだ。
俺達が召喚師と錬金術師として契約していることを知っている奴もいたが、面白がって捕まったのだ。
知ってるなら助けろ、ボケが。
そもそも、何で町中では俺のこと知れ渡ってんのに学園で知らない奴が多いの? なんて思ったが、答えは簡単。
上流階級の貴族様は、商店街や下町通りを歩かない。
ヤマネコ亭やシデン堂、俺のアトリエなんて身分違いの庶民が出入りするものだとして近寄りもしない。
エイルは魔導師協会長の娘で、トップクラスの貴族。
比べて俺は、しょうもない三流錬金術師。
身分違いもいいところで着てるものだって素材の高級感が違う。
俺に至っては、前に着てた服がローランにズタズタにされて駄目になってしまったもんだから、代用品。
モノトーン基調のラフな服という一般市民の通行人と同格の格好だ。
エイルの着ているシルク仕立てのワンピースとは天地の差。
召し使いかペットですかって質問まで入りそうで怖い。
「黒髪ってことは、錬金術師様? 錬金術ということは、魔法と違って道具を使うのでしょう? それなのに、無骨さのない手の美しさ。肌も綺麗ですし、男性とは思えませんわ」
「お手入れには何を使ってらっしゃるの? エイル様から何か頂いているのでしょう? 是非、参考に!」
「いいえ、エイル様が新しく雇った使用人かもしれません。あまりにも格好が釣り合わないもの!」
「そういえば、さっき裏庭で吊るされてた人に似てる……いえ、この人がそうよ! きっと何か罰を受けていたのね。エイル様が怒るなんてそうそうないことよ!」
耳元で黄色い声が大合唱し、俺の体は恐怖に震えて唇が戦慄いている。
喋れない。こうなってしまっては、もう無理。
ぐっちゃぐちゃに女に囲まれてしまっては、頭がおかしくなるし蕁麻疹も出そうになる。
助けて欲しいと周りを見渡すことも出来ず、文句のひとつも言えない。
挙動不審に萎縮する俺に構わず、女共は何かを言っている。
内容を理解するのも追いつかなくて目が回る。
「──全く、だらしない」
聞き覚えのある声と共に俺の体は持ち上げられて、抱きかかえられた。
姫抱っこ? これは、姫抱っこって奴か!?
せめて助けられるなら担ぐレベルでいいし、手を引くだけでもいい。
姫抱っこは、いらねぇ。軽々と持ち上げられるの、地味に傷付くからやめろ。
「うっ、わあああっ!!」
抱えた人物と共に俺の体は急上昇をして、空を飛び、学舎の屋上が見えた。
「し、死ぬ! 死ぬ!!」
足をバタつかせた俺に呆れたような息を吐いたその人物は、屋上に着地する。
着地したところで、俺はすぐに屋上のタイル床に投げ出された。
何このジェットコースター。目が回るんだけど。
混乱中に勢いのあるジャンプと滑空は本当にやめて欲しい。しかも、速いし。処理が追い付かない。
「あんたは死なないんだから、安心しなさいよ。此処から突き落としても、数分後には無傷よ」
銀の長い髪が揺れる。
顔を上げると、無表情で俺を見下ろすホムンクルスが腕を組んで立っていた。
「キサラ? 何でお前が此処にいるんだよ」
「私のことはいいのよ。あの程度の奴等に囲まれたくらいで、あたふたして情けない。エイルさんなんかとっくに逃げたのに、学園近くでうろうろしてあんたを探してる。浮遊魔法から空中で探そうとしてたのか、直前で止めたけどね」
何それ。うろうろしてるとか野生の小動物みたいで可愛いんだけど。
いや、そうじゃなくて浮遊魔法使おうとしてキサラが止めた?
それは、つまり──
「えぇっと……助けたってことか? エイルの代わりに俺のこと」
「結果論で言えばそうね。これで、あんたは私に二つの借りが出来た」
借りは分かる。助けてもらったことには感謝する。
でも、お前の性別分かる? それで俺の体質分かる?
今も僅かに震えてる俺は、キサラに助けられておいて密着したことを思い出すだけで怖い。
女に対する認識が迷子とはいえ、怖い。
女は怖いんだ。
体が拒否している。エイル以外の女を……例え、感謝したい相手だろうと体がいうことをきかないんだ。
「生まれたての小鹿じゃないんだから、震えてんじゃないよ。女に触れられた程度」
「お前には分からないんだよ! 俺の、俺のっ……この気持ちは!!」
「そうよ、分からない。あんたが思うほど、周りはあんたに興味がない。興味があるのは、肩書きがあるから」
それは、とっくに分かっている。
錬金術師としての能力がなければ、通行人以下。そして、異世界に立たされただけなら文字も読めない子供以下の生活すらままならない人間だ。
それは最初に理解しているし当たり前だとは思わない。
町の奴らもいい人ばかりで、気さくで生活しやすい環境になっている。
だけど、俺というより錬金術師だからというきっかけで仲良くなったからに過ぎない。結果はどうであれ。
ライドやアニーですら、それがきっかけだった。
俺というよりも、エイルが召喚したイレギュラーで土地に慣れない新顔だから良くしてくれたんだ。
向こうの世界で会ったエイルは、俺の魔力を通じて連れてきた。
俺そのものを見ていたわけじゃない。彼女に至っては、今も俺は……。
「此処まで来たら、貫くしかない。『錬金術師として』のあんたをね。私は、その存在を成長させるために協力するのよ。女が嫌い? 苦手? 怖い? 誰かと関わってこの世界とやりあうなら、それが弱点になることを知りなさいよ」
「んなこと言われても簡単に出来るかよ」
「出来る出来ないじゃない。やるしかないの。ホムンクルスを作るにあたって個体は女しか作れないんだからね」
「え……? は、はあ!?」
女しか作れない?
女しか作れないだと!? それ、どういうことだ。だって、ホムンクルスは──
「この世界の危機の意味分かる? 虚無によって魔力が失われるだけじゃなくて、女が子供を作れないから先の未来がない。だから、男より器官を作為的に作る女を必要としてるの。そのために増やすんでしょうが」
そんな話をしていたな、そういえば。
二十年前から徐々に人間の女性器官が奪われているって。
人間が影響されやすい世界の悪化は、体を蝕む。魔力を奪って枯れさせる環境なら、繊細な体を内部から壊すなんて容易いことだ。
「人口を増殖すりゃいいってもんじゃないの。あんたが一部のホムンクルスと子作りしまくるなら話は別だけど、体ぶっ壊れるでしょ」
「おぞましいことを言うな! でも、男も増やせばその分の調整は──」
「馬鹿もいい加減にしてよ。男は女がいれば、子孫を残せるんだからいいの。女は子供を産むのに限界があるし、育てるのだって大変なのよ。ホムンクルスは的確に仕事をこなすことは出来ても、体力は無限じゃない。機械っていうのかしら? そういうものとは違うわけ」
酷い言い様だな。確かに増やすだけ増やして育てられないのは子供が生きていけなくて、大問題だけど。
「生まれる子供はランダムだから、男だって増える可能性がある。でも、それはあんたの仕事じゃない。あんたの仕事は、女のホムンクルスを作ることよ」
「いや、男のホムンクルスも作れば割合的に……」
「この単細胞。世界中をホムンクルスにしたいわけ? 極力、人間の遺伝子を残さなきゃ生態系の均衡が保てないでしょ。ホムンクルスなんか、偽りの命なんだから」
偽りの命って自分で言うか。あるもんはあるんだから、偽りでも何でもない。
キサラ、お前が生き証人だろ。
「最終的には、人間そのものの血が世界を導くのよ、馬鹿。人間が一番の魔力供給出来る生き物なんだから、何よりもそれが優先なの。本当に頭の悪い底辺錬金術師ね。純血とはいかなくても、人間である錬金術師の血を引いてるホムンクルス相手なら混血よりは──」
捲し立てるように喋っていたキサラは、言葉を止めた。
失言をしたとでも言うように、目を逸らす。
確かにキサラにしては、喋りすぎている気がする。
口数が少なくて自分で考えさせるように話すキサラが此処まで説くのは初めてだ。
「あー……ホムンクルス作成の知識は持ち合わせてるし、錬金術師の体の一部が必要ってことは憶測だが分かってる。素材不足で今は作れないだけだ。んなことより、間に暴言を吐かれる方が致命的だから柔らかく言え。ボッコボコに言われて傷付くわ」
「は? 何それ、慰めてるつもり?」
「ちげーよ、アホ。物事を優しく言えって言ってんだ。口が悪すぎにも程があるんだよ」
俺が言えた義理ではないが、こいつよりはマシだ。
何でこいつは、此処まで口が悪いんだ。やっぱり、教育の問題か。
「口が悪い……ね。そうよ、ホムンクルスにも感情がある。いくら偽物の命でもね。生きている奴からの細胞を拝借した命なんだから、あるのよ。余計なものが……余計な感情が」
余計なもの? 余計なものだって?
感情が余計なものなんてことはないだろ。
寧ろ無かったら、無感情の世界が出来て子供を作る以前に夫婦間が破綻するぞ。
「感情がねぇ生き物を作るのは作り手からしたら、哀しいことこの上ねぇな」
ロボットを作る気にはならない。
命は、感情あってのものだ。冷たい無感情な存在を必死に作るのは哀しいし、虚しくもある。
「俺だって感情なかったら女嫌いもねぇし、淡々と作業出来る。体を痛めつけられたところで何も感じないし、悲しくも怖くもならない。ただ、欲が生まれない。それは嫌だ」
「欲? 何それ。喜怒哀楽じゃなくて?」
「喜怒哀楽は必須だろ。ただ、それは自然と受け入れるものが殆どじゃねぇのか。攻めの感情である欲やモチベーション、自分がこうありたいって思う気持ちがねぇと成長もクソもねぇだろうが。世の中つまんねぇだろ」
機械みてぇな淡々とした世界なんて、俺は勘弁願う。
無感情で何が生まれる? 経過のない、結果しかない死んだ世界だ。
「そ、それが……」
「あ? 何だよ」
キサラの様子がおかしい。
体を戦慄かせて、吐き出したいのに吐き出せないような苦しそうな声だ。
言いたいことがあるなら、さっさと言え。
さっきまで饒舌だったくせに何だよ、こいつ。情緒不安定じゃねぇか。
「それが、あんたを殺しかけたとしても……同じことが言えるの? 綺麗事ばっか言って死にかけた癖に強くなりたいとか、頭のおかしい馬鹿が」
また、わけの分からん暴言頂いたもんだ。
こいつは、一人で何をキレてんだよ。
「あの時、私はあんたを助けてやれなかった。物陰に隠れて、ボロボロにされたあんたを見ているしか。落ち着いた頃にのうのうと現れて、平静を装いながら皮肉を言うことしか出来なかった欠陥品に同じこと言えるわけ? 恐怖なんて感情なかったら──」
「その先を言ったら、ぶっ飛ばす」
怒りを覚えた。こいつ、何勘違いしてんの?
感情を捨ててまで助けてくれとか、立ち向かってくれとか誰が頼んだ?
欠陥品? ふざけんじゃねぇ。
これだけ人間に近くて立派な奴が欠陥なんて、俺は認めない。
もし、キサラがあそこで俺の代わりになってやられてしまったら、俺自身が後悔に潰されて戻れなくなる。
しかも、あそこでは俺が狙われていたんだから、その犠牲は無駄に終わるんだ。
「確かに俺は、あの場で誰かに助けて欲しいとか守って欲しいって思ったけどな。あの後に、お前が町まで運んでくれたことに感謝してんだ。しかも、ご丁寧に睡眠薬を投与してくれたのは大したもんだと思ってる」
あの時は、意識を飛ばしたくて眠りたくて堪らなかった。
苦痛を伴っていた俺にとって安息が少しでも欲しかった。
だから、憎まれ口を叩かれようとも平気。
休ませてくれた上に運んで貰ったことは、紛れもないキサラからの借りだ。
「意味分からないんだけど。私は、たかが──」
「たかが、ホムンクルスって言うなよ。世界に重宝される錬金術師だろうが、作られた命のホムンクルスだろうが知ったことか。あそこで運ばれなかったら冷たい地面で俺は、誰かの助けが来るまで動けなかったんだからな。回復するとは言え、あの状態ですぐに帰るなんて不可能だった。──それが、お前が感情を持つことで俺を助けた結果だ。くだんねぇこと言ってないで、お前は口の悪さを直せ」
何て面倒くさい奴だ。
あれは俺の問題で、俺の罪だ。
キサラは居合わせただけで悪いことなんかないし、寧ろ助けただろ。何が不満だと?
あんな狂気にまみれてブチキレた奴がいて怖くないわけがないだろ。
そういった感情もなかったら、俺はそういう奴も恐怖に値する。
あの惨状を見て平気でいられる神経があったら、理解に苦しむ。理解もしたくない。
「…………口の減らない馬鹿」
「ああ!? だから、そういうのを──」
「私に説教したかったら、立派な錬金術師になってから言いなさい。出来損ない」
僅かにキサラの口元が綻ぶ。
こいつ、俺の言ってること分かってる?
あまりにも酷い暴言吐かれると、俺の心が傷付くって言ってんだよ。
まあ、でも少しはマシな表情にはなったか。
苦しそうなさっきの顔よりは、ずっといい。
こっちも嫌な思いをせずに済むからな。
「あ、そういえば! お前、うちに忘れ物したよな。あれって──」
「あれは、あんたのものよ」
俺のもの?
いやいや、あの麻袋に入っていた鉱石は、お前がうちに置いていったものだろうが。
つまりは、お前のものだから。俺のものといきなり言われても困る。
「先生に頼まれた土産よ。言ってるでしょ。私は、あんたに協力するって。言語理解出来てる? 脳味噌入ってないなんて言わないでよね」
何でこいつは、話すたびに俺を罵倒するんだ。何か恨みでもあるのか。
協力は非常に有り難いが、頼むからソフトに俺を取り扱ってくれ。
ホムンクルス作る前に、その存在を不信にさせるような言葉だけはやめろ。
でも、あの鉱石を貰えるなら……後は睦月の作る人形だけか。
キサラを見れば分かるが、完璧な出来とは分かる。
でも、何をどうやってあいつは作れる? 工程は? 製作時間は?
「うわああぁ……間に合うのかよ」
残り少ない期間、俺は果たしてホムンクルスを作れるのか?
成功しなかったら別の手を考えるしかないし、その余裕は少しは持たせたい。
そのためには、胡散臭い人形師に血反吐吐くまで頑張って貰うしかない。何があろうともな。




