吊るされた男の受難
世の中というのは、何処の世界でも非情である。
俺は現在、学園の裏庭にある大木に吊るされている。
未だに怒っていたらしいエイルからの罰として。
それは、俺が構わないと甘受したので良しとしよう。
そして、俺は彼女に休めとも言った。
俺に心配をかけるからとか怒鳴られるからとか思ったのか、エイルはそれを受け入れて休んだ。
嗚呼、近くで休んでくれるなら俺にとってどれだけいいのか。
隣で「反省です」なんて言って頬を膨らませて一緒にいてくれたら、それはそれで幸せだよ。
しかし、俺を吊るしたまま「夕方、迎えに来ますから」という言葉を残して、あの女は去ったのだ。
周りから見たら、ただの吊るされた男。
知ってる? ねえ、知ってる? まだ腕だけ縛られて吊るされているだけで、吊るされた男って意味があるんだよね。
タロットカードでの吊るされた男の別名は、刑死者。つまりは死刑囚。
絶対この世界にタロットなんてないから、意味は理解してないだろうけど。
試練に耐え、その身を捧げよ……的なこと? 占いは信じないからよくは分からないが。
今の俺に相応しい言葉でもあるけどな。
罪を犯した意味では吊るされる謂れはあるが、エイルにとっては違うだろう。
高い所で吊るされれば、頭も冷えると考えている脳筋ゴリラ。
そんな単純な所は分かりやすくて悪くないが。
そんなわけで、俺は裏庭を素通りする生徒に好奇の目で見られる公開処刑を行われている。
「ねえ、何あれ。ちょっと変だよね」
「可哀相だよ、下ろしてあげた方が――」
「はあ? 嫌だよ。関わりたくねぇって。なんか怖いし、儀式か禊の準備なんじゃ……」
奇妙な動物を見るような生徒達の目が痛い。痛すぎる。
そもそも、これはエイルにしか解けない。
縄の絞めつけで両腕の皮膚が擦れて痛いし、鬱血もしているかもしれない。
すぐに治るから別にいいけどな。視線の方がつらいわ。
「はーあ? あれって、錬金術師サマじゃん」
折角、見られないように俯いて隠していたのにバレた。
そりゃ、木の真下に来られたら顔くらい分かるよな。時間の問題だって分かってた。
「マジか。サラサラの黒髪めっちゃ綺麗だし、少し可愛い系じゃね?」
「男だろ、アレ。女の子だったら、触り放題だけど男は無理無理!」
下卑た男子学生達の声が真下から聞こえて歯を食い縛る。
いつかこうなるって分かってた。だから、一人は嫌だったのに。
縄抜けが上手く出来れば苦労はしないんだけどな。魔法がかかってるってなると、流石に抜けられない。
俺に心得があれば別だろうけど。いや、そもそも抜けたらエイルに何をされるか分からない。
別のお仕置きをお願いしますなんて死んでも言えない。
こういう輩は無視だ、無視。
蔑まれるのは慣れてるからな。好きにしろ。いっそのこと寝るか。
「あ? 無視かよ。ったく、つまんねぇな。おっと、手が滑った」
「――ッ」
微力な雷の魔法が体に直撃した。マジかよ、無抵抗な人間に簡単に魔法撃つとか頭おかしいのか。
歯を食い縛れ。このくらい、我慢出来る。痛みは回復で何とでもなる。
「おい、やめろって! そいつ錬金術師なら、エイル様が……」
「お嬢様がいないんだったらチャンスじゃね? さっきの講義でイライラしてたし、少しくらいいいだろ」
いや、良くないから。俺が痛いから。
ストレス解消の玩具にされても困るし、当たるなら別の場所行ってこい。
「動かぬ者を甚振る余裕があるのなら、少しは勉学に励んだらどうなのかしら」
幼い女の声。
顔を上げると、俺を虐めていた男子学生の背後には背の低いツインテールの少女が立っていた。
切れ目の琥珀色の瞳が俺を捉える。
体が少し縮こまってしまったのは、やはり女性恐怖症からだろう。やっぱり、無条件で反応してしまうようだ。
制服を見るからにやはり学園の生徒。年齢はアイリやトーマと同じくらい。ウサギの耳を生やした亜人だ。
「さあ、次の授業があるのでは? それとも無意味な時間を消費してまで此処に留まる理由があるというのかしら」
「ぐっ、この……!」
男子学生が言い返そうとしたところで少女が睨む。
同時に連れの学生が目線で諭し、虐めはなりを潜めた。
逃げるように男子学生達が走り去ると、口からは相変わらず俺の素直じゃない言葉が吐き出される。
「……礼は言わないからな」
「結構。私も望んでいませんから。ただの学生の気まぐれと思ってくれれば、それで構いません。彼の非礼を許す必要もありませんわ」
貴族か何かか。妙に上品な喋り方をするガキだ。
「お前は行かないのかよ。授業とやらはいいのか」
「ええ。私は、自主休講ですので」
サボリを堂々と宣言すんな。さっきの野郎に言えたことじゃないだろうが。
「此処でティータイムに興じようと思ったのですが、余計なものがいる程度。もし、小鳥の囀りのように美しい声で歌ってくれるのなら……とは思いましたが、難しいようですわね」
「悪かったな。歌は苦手だし、てめぇを喜ばせるもんなんてねぇよ」
「ふふ、口汚いのは噂通りですわ。錬金術の腕が確かなら、それに見合う作法も身に着けたらよろしいかと」
「喧嘩売ってんのか」
いちいち勘に触るし、余裕を持った表情が気に食わない。
大木に寄りかかり、少女は手にしていたバスケットから水筒を取り出した。
木の上からじゃよく見えないが、半分開いたバスケットの中には少し不格好なマドレーヌやクッキー等の菓子が見える。
使用人が料理下手なのか? 少し気になる。
こいつ、マジでおやつタイムとやらを楽しもうとしている。勉学を励む学び舎で優雅なもんだな。
「食べさせてあげましょうか? オレンジピールが苦手でしたら別ですが、啄むように食べるのなら直々に」
「なめんのもいい加減にしろよ、クソガキ。俺は物乞いじゃないし見世物でもない」
「これは失礼。そうですわね、あなたは口を閉ざした方が見目は良い。今度、その姿に似合うドレスと殿方をこしらえましょうか。その際は、口封じ魔法を使わせて頂きますが」
「てめぇ、人を馬鹿にするのも大概にしろよ! 絶対、友達いねぇだろ!!」
俺が言えたことじゃないけどな。こいつの人の神経を逆撫でにするセンスは目を張るものだ。
絶対に嫌われるタイプ。
常に上から目線。物理的には、俺が上にいるのだが。
余裕の表情でこの口調。絶対に気の合う友達なんかいないだろ。
「まあ、失敬な。金貨をバラ撒けば、友達と呼ぶ方々はおりますよ」
「それは友達じゃなくて、単に媚びてるだけだ」
友達料ってやつだろ。お友達とやらは、お前じゃなくて金が好きなんだよ。悲しいな。
やっぱり、貴族の娘かよ。面倒なものに捕まってしまった。
早くエイルが戻ってきて縄を解いてくれればいいんだけどな。関わりたくない人種だ。
学生らしくお勉強とやらをしてくれ。俺も帰ったら、錬金術師らしく錬金術の勉強するから。
「――ったく、俺ンとこで騒ぐんじゃねぇよ。鼻タレのガキ共」
何処からか、野太い声がした。
超至近距離だから周囲を見渡せば分かるが、それらしき人物が見つからない。
直下の少女の声とも違う。それどころか、少女は急に不機嫌そうな表情を浮かべている。
「オイオイ、黒髪の金作りさんよ。何処見てんだ。お前の吊るされてるモン、ちゃんと見えてる? その黒曜石みてぇな目は、石コロか?」
洋画の吹き替えのような、おどけた喋り方に現状を理解していないが、時間はかからなかった。
俺が吊るされている大木から、目と鼻と口という顔のパーツが浮かび上がる。
つまり、声の主は大木。俺を吊るしている土台の本人だったのだ。
「……失礼します」
少女は、バスケットに水筒と食べかけの菓子を押し込み、逃げるように早足で駆けていく。
まあ、木が喋ったらビビるよな。この世界だと珍しくも何ともないが、あまりにも怪訝な声色。
まるで、さっきまで俺を馬鹿にしていた人物とは別人のようだった。
「相変わらずだな、あのガキは。入学当初から何も変わっちゃいねぇ」
「普通に俺もビビったけどな。ワンクッション置いてから喋れよ。目利きする必要ないと思って普通の自然物だと思ったわ」
自然の姿をしている植物や物質が突然喋るこの種族は、有機族。
因みに動かない物体が喋る種族は、無機族。
この二つの種族は、基本的に大人しくて動くことはないし物事を静観する生態系。
周りが干渉したり、身の危険さえなければ寝ているような奴らだ。
話しかけられれば話すし、何もしなければ自然の摂理に従って動く。
木なら土や自然の栄養補給をする。ティーポットなら素直に茶葉と湯を注がれて美味い茶を淹れる。
因みに加工物はどちらにも該当しない。
更に言うと、意志を持たない本物の物質・物体はある。
有機族と無機族なのか本当に物そのものなのかの見極めが必要だ。
俺が加工や錬金術で使うのは、意志を持たない方。ちゃんと目利きで見極めはしている。
「オイオイ、金作りの坊ちゃんよ。俺は正真正銘の自然だぜ? 栄養補給バッチリのこのデカさが物語ってんだろ。樹齢……あー、寄る年並みには勝てねぇな。なんか長い感じで生きてんだから、そこは頼むぜ」
「何を頼んでんだよ。大体、金作りってやめろ。錬金術師だからな。大量金貨増産機みたいに言うな」
「ハッハッハァ! 錬金術師なんてぇものは、最初は金を作るのが語源だろうが。異世界からの救世主? んなもんは、後付けの結果として必要なもんの派生だ。錬金……つまりは、金だよ金。金を作る存在だ。俺が樹木として何とか清浄な空気を送っているようにな」
何で面倒なものが去った後に面倒なもんが来るんだ。
錬金の意味とかどうでもいいわ、クソジジイ。ああ、説教くさい感じの面倒な種類?
それも欧米被れのわざとらしい吹き替え風。有機族なら、それらしく黙ってろ。
「何でもいいから、金作りはやめろ。青葉だ。名前で呼べば、それが一番楽だろ」
「オーケイオーケイ、青葉。俺はトトだ」
「トド……? ああ、でかいからとか」
「ハッハッハ! 安直かつハズレだ、青葉。トトな。名前なんか必要ねぇと思ったが、あの貧乏嬢ちゃんのリリアがつけたもんだからそういうことにしてる」
「リリアって、さっきのガキか。あ? 貧乏?」
どう見ても貴族だったんだが。
あの物腰といい、木陰でティータイムの仕草といい、喋り方も貴族そのもの。
「あいつの水筒の中身を知ってるか? なんと、薄い紅茶の出涸らしだ! なぁにがオレンジピールだぁ? 菓子も不器用に自分で捏ねた砂糖も入っていない味気のないもんで、バスケットはなけなしの小遣いで買った安い工芸品に手を加えたもんだ」
マジかよ。紅茶の出涸らし、砂糖のない菓子、安い工芸品……嘘だろ。
遠目で見えなかったから、細部まで分析出来なかったか?
確かに菓子は不格好だったし、バスケットは布で飾られてたから分からなかったけど。
飲み物が出涸らしって相当に不味い気がするぞ。
「何を見栄張ってるのか知らないけどな、あの出涸らしを根っこに零された時は吐き気がしたぜ。飲めたものじゃねぇ」
「……そこまで見栄張るのは、相当な理由だろ。見栄の理由は、恐らく上下関係。家系か個人かは分からないが。格差っていうのは、どの世界でも厳しいものなんだな」
「今度は正解だ、青葉。世界とは比べられないが、この学園にも闇ってぇもんはあるのさ。自分を守るために努力して適応しようとしている生徒が大勢いる」
「だろうな。さっきのいけすかねぇ生徒は、どっちかと言えば上流だろ」
俺に容赦なく魔法をぶっ放した奴の顔は、どう見ても人を蔑んだような余裕の表情。
ああいうのにはろくな奴がいない。偏見だけどな。
貴族を一緒くたにしたら、エイルまでその仲間になってしまうからそこは省きたいところだ。
「連続正解。奴らは上流階級の貴族様だが、リリアは最下層だ。だが、成績優秀で二軍でありながら、ほぼ一軍の戦線にも加えられるほどの力を持つ。だから、周りは理解して近寄らないのさ。強力な魔導師に殺されるんじゃないかって恐怖してな」
なるほどな。さっきの生徒の連れが制止していたのは、それが理由か。
リリアがただの生徒だとしたら、石を投げて魔法をぶっ放して虐めていたかもしれない。
弱者が強者を恐れる力関係。でも、どうしてそれを知ってあいつは取り繕う? 周りが逆らわないのを知っていて。
「俺には、関係ない」
そうだ、関わってはいけない。
助ける義理もないし、力があるとしたら自分で何とか出来るだろう。
「そうだ、関係ねぇ。だが、でかすぎる力ってのはよ、周りを助けられても自分を潰すことになるかもしれねぇぜ? もしくは、救いたいものすら不幸にするかもしれねぇ。青葉、お前さんがエイルの嬢ちゃんから何かを貰うなら気を付けた方が良い」
「てめっ、話聞いたのかよ!」
「そりゃあ、俺の耳元で喋ってりゃ聞こえるさ。お前が強くなりてぇってしつこく女に求めてる姿も、やべぇ力を与えようとしてる嬢ちゃんの姿も会話もよ。俺ぁ、幾つもの生き物を見続けてんだ。力に溺れんな、青葉。これは年寄りからのアドバイスじゃなく、『警告』だ。リリアにも言ってることだがな」
植物に警告と言われてもな。お前も気の短い生徒に燃やされないように頑張れとしか俺は言えないが。
力がない以上、どんなもんかも分からないし、いまいちしっくりとこない。
何となく言いたいことは分かるけど、無関心を気取る有機族であるこいつが何で出てきたのかも分からないが……何か心配しているのか。
遠回しに何かを伝えようとしているような気もする。
「おい、トト。言いたいことがあるなら――」
「お、愛しのハニーが来たようだぜ。あんま見せつけるなよ、金作り。うるさくて寝不足だ」
言い逃げするようにトトが顔のパーツを消して何も反応を示さないようになった。
てか、何で俺がエイルのこと好きだって知ってんだよ……!
ジョークだな。俺は普段通りの振る舞いを怠ってないし、ジョークで言ってるんだよな。
小走りで走る人影がひとつ。金色の長い髪が揺れている。
トトの言葉は俺の不安を煽るが、今は置いておくことにする。
だって、何も手に入れてない状態で危惧する必要はないし、予想も出来ない。
エイルの体が治るのも今日明日じゃ無理だろう。
ひとまずは、あの可愛らしい存在に縄を解いてもらって自由になるのが先決。
縄抜けのひとつも出来ない吊るされた男は、可憐に見える脳筋召喚師のお嬢様に頼るほか身動きを取ることが出来ないのだ。




