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二度目のキス

 学園は、ルーイエの町からそう遠くない距離。

 広場から裏道に入り、更にある貴族通りを渡った先にある。

 エイルの屋敷のすぐ近くということは、もしかしたら敷地のひとつかもしれない。

 もし、エイルが学園を動かせる権力があるとしたら、俺を筋肉部屋に放り込めたのは可能だ。

 真相は定かではないし、納得もしたくないが。


 そんな思考を頭の片隅で浮かべていた俺は、縄で擦りきれた皮膚の自然回復をしながら、学園の逆方向にあるアトリエに向かって歩く。


 聖水を飲むのが相当嫌なのか、エイルはとぼとぼと俺の三歩後ろを歩いてついてくる。

 無理矢理引き摺られるのは嫌だが、これもこれで……。

 三歩後ろを歩かれるのは悪くないが、あからさまに泣きそうな顔で歩かれると罪悪感しかない。


 俺、何もしてないよな。薬を飲んで体を治せって言うのがそんなにいけないか?

 お陰で誤解した町の奴らが俺達に声をかけて、場合によっては俺が責められる。

 エイルを労る奴がいても、俺を労ってくれる奴なんかいない。


 我慢だ、我慢。町の往来で怒鳴ったら、確実に俺がエイルを苛めている図が完成する。


「あ、あの……やっぱり私……」


「俺にお供するんだろ。泣き言はやめて腹括れ」


「ううっ……でも、苦いのも甘すぎるのも嫌です」


「………………」


 あ、やばい。限界近いかも。

 イライラするというか、もやもやと胸が騒ぐというか。


「お前さ、今まで薬どうやって飲んできたの? 魔力回復薬だって美味いもんじゃないだろ。少し草っぽい味するし、癖はあるし」


「あれは何とか我慢出来ます。薬の味が元々苦手なので、出来れば飲みたくないです」


「得意な奴は、そうそういないと思うけどな。料理と違って味の調整まで──味の調整?」


 少し閃いたことがある。

 いや、しかし……これで失敗したら、エイルは薬ってものを二度と飲めなくなる可能性もある。


「無味なら、可能か? カプセル状に……いや、でもな……液体の薬を粉末にするのが、まず時間かかるし。水ありきで飲まなきゃいけないデメリットが……そもそも薬嫌いのこいつに飲ませるのは──」


「あ、青葉さん?」


 俺がぶつぶつと呟いていると、エイルが顔を近付けてくることで我に返る。


「あ? んだよ、邪魔すんな。今、お前がいかに飲みやすいか考えてんだから」


「え、いえ……青葉さん。平気になったんですか?」


 平気とは何のことか。色々と頭がごちゃごちゃして平気ではないぞ。


「前は、顔を近付けたら脱兎の如く距離を置いて逃げたのに……」


 何だよ、そんなくだらないことか。


「押し倒されたり、耳元で囁かれたり、顔を触られたりしたら流石にな。それに、お前は召喚補正で嫌じゃないって言っただろ。うーん……ああ、今回は我慢しろ。お前の好みのために難しい聖水を改変する余裕なんかねぇ」


「は、はあ……」


 エイルが間抜けな声を出して首を傾げる。

 俺、何か変なこと言った?

 呆けてるエイルを放って歩を進める。いちいち構ってられるか。


 モルタルの地面を歩き続け、赤い屋根の家に辿り着く。

 シンプルな木造の扉を引くと、室内側についた鈴が涼しい音を立てる。


「散らかってるのは諦めてくれ。掃除してる暇ねぇし、睦月が寝泊まりしてるからよ」


 あんなことがあった後で掃除出来るわけがないしな。まだ上手く力も戻ってないし、本調子ではない。

 本当ならすぐにでも片付けたいところだが、睦月のスペースもあるし上手いこといかない。

 あいつが自分の工房に腰を落ち着かせた頃に手伝わせるのは確実として、俺も調子を取り戻さないと。


 その為には──


「さて、と……」


 俺の出来ること、錬金術をやるしかない。


「あの、私にお手伝い出来ることは?」


「お前、馬鹿か。お前の薬を作るために作業しようとしてるのに何で手を借りるんだよ、このアホ」


「うぅ……相変わらず、厳しいです。でも、出来ることがないと」


 そうか。暇と言えば暇だよな。

 でも、こいつに掃除を任せるのもな……。

 作業スペースを除いた場所にしたって、お嬢様に暇だからと掃除だけさせるのも気が引ける。それが、お互いの手足だとしてもだ。

 せめて、見える範囲にいてくれないと落ち着かない。


 かと言って、寝てろと俺のベッドで寝かせるのも色々とまずい気もするし……睦月が間借りしてるソファーなんて問題外。

 ソファー周辺は、ごちゃごちゃして汚い。イライラする。


 周囲を見渡して何かないかと探す。

 テーブルの上の麻袋が目についた。


「何だこれ」


 麻袋を手にして、中を覗きこむ。

 中には、袋狭しと詰められた透明な宝石。ダイヤ……ではない。

 ジルコニア鉱石が入っていた。


「え、何で?」


「あ、それは昨日キサラさんが……」


「キサラが? 忘れ物か」


 人の家に堂々と袋ごと忘れていくなよな。

 取りに来たときに嫌味を言われるか、届けに行ったときに嫌味を言われるの二択しかないだろ。


「えーと……どうなんでしょう。睦月さんに伺ってみては」


「睦月? ま、いいや。今の目的は違うし、今度返す。くそ、一個くらい欲しいところだけどな」


「その鉱石が必要なんですか?」


「ああ、ホムンクルスの材料。これを取りに行こうとして、昨日の惨事だ。今度会ったときに恵んでもらえないか交渉するか」


 まさか盗むわけにもいかないしな。分かりやすい所にでも置いておこう。


「ホムンクルス……そうですね、その使命が」


「もう少しで作成段階に入りそうなんだよ。睦月の人形が出来て、俺が中身を作って融合出来れば……やってみないと分からないけどな」


「ふふ、何だか最初に拒絶していたのが嘘みたいです」


「抵抗がないと言えば嘘になるけどな。でも、大事に育てる。ホムンクルスだって命だからな」


「本当に青葉さんは、命を重んじる素敵な方ですね」


 命を重んじる、か。素敵でも何でもないけどな。

 目の前で誰かが死んだ、命が脅かされたなんて体験しなければ……俺は、きっと此処まで過剰に命に対して敏感にならなかっただろう。


 この世界での死を見る前に、俺は別の理不尽な死と直面しているんだ。

 俺が元の世界にいた時の過去……ライドに見られた右腕の痣も関係している。



「──聞きたいか、俺の女嫌いの理由」



 エイルの瞳の奥を見据える。

 驚愕に目が見開かれたのが分かる。感情が顔にすぐに出て分かりやすい奴だ。

 好奇心旺盛でもあるし、興味もあるだろう。

 きっと、こいつは頷く。聞きたいと、口にするだろう。


 誰もが同じ反応をしたように、きっと──


「お話したくないのなら、聞きません」


 意外な返答だった。

 話したくないのなら聞かないと、エイルは口にしたんだ。


「えっ、あ……そりゃ、そうか。良い話でもないもんな」


 何を口走ろうとした、俺は。

 完全にオープンにしようとしてんじゃねぇよ。

 俺の女嫌いの過去なんて、この世界にいるエイルには関係ねぇだろうが。


 大体、エイルは例外で耐性があったとしても俺の話をぶちまけるのは違う。

 涙を見せて色々と泣きついたり反省したり仲直りしたりしたとしても、こいつが女であるのは変わりないんだ。


 しっかりしろ、橋崎青葉。しっかりするんだ!

 ついつい、楽になるために話そうとするんじゃない。墓まで持っていけ。


「気にならないと言えば嘘になりますが、話したくない過去を聞こうとは思いません。頑なに女性を拒む青葉さんにとって、それはつらいものなのでしょう。ですから──」 


 その先を言うな。

 優しい瞳で、優しい声で、そんな健気な態度で……俺を見るな。


「ちょっと待ってろ!」


 慌てて俺は、洗面所に駆け込み鍵をかける。

 洗面台に頭を突っ伏し、蛇口から水を被ると文字通り頭を冷やした。


「冷て……」


 ぼたぼたと水滴が濡れた髪から零れ落ちて、シャツに滲み、床まで水浸しになった。


 何で!?

 何でだよ! 興味あるのに聞かないとか、好奇心よりも相手の気持ちが優先出来るとか馬鹿なの?


 俺のクラスメイトの女子とか、暇潰しに俺が休みの日に何やってただとか、教室にいない間に何処行ってただとか聞いてくるんだぞ。

 煩わしいことこの上ないだろ。鬱陶しいだろ。


 幼なじみの愛美なんか、俺が見た夢の内容とかまで聞くし、女ってのは男をリサーチする生き物じゃないの!?


 それでボロを出したら、それをネタに情報網を広げて恐喝するんじゃないの?

 え、おかしくない? 女ってそういう生態系だよね。


 エイルって、マジで女なの?

 それとも、俺の認識をねじ曲げる天才なの?


「顔が……」


 顔が熱い。

 頭がこんがらがって、処理出来ない。

 俺が間違ってるのか。俺の見てる女は全て間違いなのか。


 俺のこの認識が間違いだとしたら、俺は加害者じゃない全女性に激しい偏見と差別を押し付けている。


「ぐちゃぐちゃだ。わけわかんね……何で、あいつは──」


 俺の欲しい言葉をくれるんだ。

 求めていた「話したくないなら無理をするな」っていう言葉をくれるんだ。


 これじゃ、まるで俺がちょろいだけの男みたいじゃないか。


 少し高鳴る鼓動を抑えるために胸元を強く掴む。

 嬉しいとか恥ずかしいとか悔しいとか、そんなんじゃない。

 ただ、混乱しているだけ。知恵熱に似たようなものじゃないのか。

 何だよ、この感情は。


「ありえねぇよ、くそっ……!」


 欲しい言葉を貰っただけで、相手を好きになれたら苦労なんてしない。

 これは、召喚補正。そうじゃないと説明がつかない。


 あの日の屋上の時から、召喚儀式は始まってたんだ。

 あの顔を見て綺麗だとか、嬉しそうな笑顔を見て胸の鼓動が早くなるとか、心配されると心配させたくないとか……そういうのは、全部偽りの感情。召喚補正という都合のいい鎖だ。


「青葉さん!!」


 洗面所の扉が開かれる。

 普通の音じゃない。ガキィンと何かが外れる音までした。

 あれ……俺、鍵かけたよな?

 今の音って、まさか部品が壊れた音!?


「あー! お前、何扉ぶっ壊してんだ!!」


「青葉さんが中々戻らないから心配で……って、びしょ濡れじゃないですか! 風邪引きますよ!」


「ざけんなよ! 人の家のもん、ぶち壊しやがって! 待つって行動出来ないの、お前!?」


 修繕費がいくらかかると思ってんだ。流石に弁償させるぞ。


「扉の件は後で何とかします! それよりも髪を乾かして着替えを……えっと、タオル──」


「待て、勝手に物を触るな! ──うわっ!」


「きゃっ……!」


 洗面所の棚に手をかけようとしたエイルの腕を引っ張ると、床を濡らしていた水で足を滑らせて俺達は転げ落ちた。


 踏んだり蹴ったりだ。全く、何でこいつはトラブルばかり持ち込むんだ。

 やっぱり、俺の杞憂だ。女なんて──


「え……?」


 俺は床に倒れていた。

 そして、共に転んだエイルは俺の上に重なっていた。

 これは、召喚補正にしたってやばい。こんなに密着したら、背筋に悪寒が走るだろ。


「え、あれ?」


 ──悪寒ではなく、体が熱を帯びていた。


「えっ、あ……は、離れろ!」


 流石に離れてくれないと困るが、エイルの白い指が俺の指を絡め取ってますます密着した。


「青葉さん、お話があります」


「離れたら聞くから! だからっ……」


「離れたら逃げるじゃないですか!」


 そりゃ、逃げるわ。

 何で、離れろって言った矢先に拘束してくるの?


 エイルが更に顔を近付ける。

 絹糸のように美しい金髪と宝石のような碧眼が綺麗で目が離せない。


「あ……」


 答えが、分かったかもしれない。


 今まで見たどの芸術品よりも、エイルは魅せてくれる。目を惹くものとさせてくれる。


「私が不快な思いをさせたなら謝ります。それに、もし何かに悩んで口に出せるようなら──」


 この綺麗な存在は、俺の……俺だけのものであって欲しい。

 そう思ったら、握られた手を強く握る。

 肌に触れたい。その柔らかい唇を確かめたくなった。

 黙ってくれ。黙って、その口を閉じてくれ。


「青葉さ──」


 俺が強く握りしめたことに動揺して力が弱まったエイルを抱き寄せる。

 優しい言葉を並べて俺の名を呼ぶ口を塞いだ。

 手なんかじゃない。同じ肌を感じられる唇で。


 召喚補正? 偽りの感情かもしれない?

 そんなもの知ったことか。

 俺は、手放したくないからこんなことしているんだろ。


 人であろうと、物であろうと、エイルを傷つけられたり壊されたりするのは絶対に嫌なんだ。

 見た目も中身も綺麗で美しい、こんな存在を誰にも渡したくない。


 俺は女が嫌いだとか怖いとか、そんな枠に囚われてエイルをいつか手放してしまうんじゃないか。そして、きっと後悔する。


 傍にいることを良いことに油断して、誰かに奪われてしまうのは──絶対に嫌だ。


 二回目のキスは、俺が奪ってしまった。


 誰にも渡したくないという、一方的で浅はかで相手の気持ちを無視したやり方で。

 エイルの無防備さにつけこんだ酷くズルい行動だ。


 いくら、言葉を並べても体は素直だ。

 俺は、男だ。女に対してどれだけ恐怖を感じて拗れてても、男なんだ。



 ──好きな女が無防備に近付いて何もしないほど、我慢出来る生き物じゃない。

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