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抵抗と悲痛の果てに

 あれから、どのくらいの時間が経ったのだろう。

 体のあちこちを喰われ、回復を繰り返すのは。

 体の一部分を咀嚼されれば時間経過で回復し、綺麗な部分を喰われる。

 繰り返し繰り返し、喰われて治る。地獄のような責め苦に嫌悪感すら飛んでしまいそうだ。

 痛みに叫び、声が枯れきったところで、擦った声も傷と共に自己治癒能力で元に戻る。

 その声が、次に与えられた悲痛の叫びに使われてしまう。命乞いすら虚しいものだ。


 仕事に入ってきた坑夫や悲鳴を聞きつけた動物達は既に物言わぬ亡骸。

 俺は、動くことの出来ない遊び道具にされていた。

 意識を飛ばせれば楽なのに、それが許されない。痛みに飛びそうになろうとも、自然治癒の温かさに意識を戻され、嬲られると激痛が走る。


「殺しませんよ、ええ。あなたの魔力は、この程度では枯れませんし、吸いとってもいませんから安心してください。ええ、決して死なせませんとも!」


 だったら、この拷問地獄から解放してくれ。

 そんなことを言う気力すら残っていない。

 かと言って、いつになれば解放されるのかもわからない。


 俺を殺さないと豪語しながら蹂躙するこの男は、沢山の人を……動物を殺した。

 まるで、埃を払うように無慈悲に。片手で俺を浮かせて、片手で邪魔者を殺す。


「は、はは……は、は……」


 呆れた笑い声さえ力が入らない。

 狂ってしまえたら楽なのに、俺の最後の理性がそうさせなかった。ちっぽけな抵抗なのかもしれない。


「化け……物……──あがあっ!!」


 まだ回復していない腹部を奴の指で弄られ、それが奥へと食い込む。


「いっ、ぐう! あ、がっ……ぐ、あっ!!」


「心外ですね。うっかり殺したらどうするんですか。私の名はローランと申します! どうぞ、恐怖と共にお見知りおきを」


 お前の名前とかどうでもいい。まずは、生きて帰してくれれば……そしたら、リベンジでテメェをぶっ飛ばしてやるよ。木っ端微塵に……お前に殺された奴らの分まで──


「おや、また飛びそうですか? しかし、しかしぃ? 残念ながら、左足が治ってきましたねぇ!」


「あああああっ!! いっ、ぐあぁっ、ひっ!」


 この回復した時の安らぎと奴の刃と化した手で抉られた痛みで霞んだ意識が戻される。


「は、はー……はー、ふ、は……」


 血にまみれた指を口の中に突っ込まれる。

 まともな言葉は発せないし、呼吸もままならないのに、無意味に口の中を調べるように指が這って吐きそうになる。


「喉笛千切ったら、それも治るんですかねぇ? ヒヒッ!」


「──ッ!?」


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。これ以上は、もう……もう──


「冗談です。もっともっと悲鳴をどうか。ほらっ、ほらぁっ!」


「ふがっ! は、ぎぃっ!!」


 口の中に指を入れた手で俺の剣を持ち、それが俺の右肩を抉る。


「どうですか、ご自分の武器の味は! ヒヒッ、ヒヒヒヒッ!」


 どうもこうも俺の悲鳴を聞いてるだろ、お前は。

 最悪に決まってるじゃないか。本当に、どうしようもない化け物の異常者。

 俺の体をこれでもかってほどに遊んでいやがる。



「────」



 ぼそりと俺の口から、息をするように言葉が発せられる。


「んん?」


「────」


 俺の意志。こいつに少しでも抗えたらという負けたくない気持ちがそうさせてるのかもしれない。


「この……人の体を貪る……虫、野郎……がっ……んぐっ」


 精一杯の俺の口から出た言葉が青白い枯れたような大きな手で塞がれる。


「この状況で逆らうとは愚の骨頂! アタマ、切れちゃいましたぁ? それはそれは、いけません。いけませんよ! まだ、まだまだまだまだまだ!! まだぁ! 足りないっ、足りないぃっ!」


 頭のネジがブチキレてんのは、テメェだろうがよ。

 多少の文句くらい言わせてくれたっていいじゃないか。言わせろよ!

 

「ん、ぐ……ぐっ……!」


「興が冷めますねぇ、ええ。よろしくない。求めていない言葉は、よろしくありませんよ? 非常に憎い魔力を蓄えている錬金術師殿。ええ、ええ、憎たらしい。快楽を求めるほどに憎い」


 ──うるさい。


 もう、やめてくれ。これ以上、苦しめないでくれ。


 狂気の塊。殺戮に満ちた瞳。暴食。

 こいつは、こいつは……やめろ、冗談じゃない。何で、こんなラスボス染みた奴が哀れでどうしようもなくて、それで──


 ──悲しいほどに狂い笑って、傷つけられるんだ。


「んん? 何か伝えたい? 何を、何を伝えますか!? その小さな口で、正しい言葉をどうぞ!」


 俺の口から手が解放されると、漸く口が利ける状態になる。


「──……し」


「聞こえませんねぇ! ほら、力を振り絞って!!」


 何て、怖い……悲しい生き物だ。

 俺は、恐らくこいつを知っている。この狂気と執着と当たりようのない悲しみを知っている。肌で感じていた。


「残滓……の、集合体……っ!」


 前に戦った奴の比じゃない憎しみと悲しみ。

 倍や何十倍なんかじゃない。

 苦しみの果てに憑いた体をボロボロにして、形を変えてしまうほどの狂気を孕んでいる。


 今、こいつを取り込むほどの力は俺にはない。

 それほど精神力が強いわけでもないし、今言葉が出るのだって最大の勇気だ。

 こいつに干渉なんか、出来るわけが──


 ローランの喉元が震えて笑っているのが見える。


「おお、おお……何故、何故、私が残滓と見紛うか! やはり、そろそろキてますか。狂いますか!」


 記憶ですら、恐らく曖昧。

 元から自分は、こうであると信じて疑わない。自分が何者であるかすら理解出来ていない。


 俺だって、こいつのことは理解したくない。

 推論でしかないし、哀れよりも憎しみが強い。

 でも、こんな存在を許してはおけない。普通じゃない。かと言って、残滓一匹レベルの強さでもない。

 そう考えれば、複数が集約してひとつの体に憑いたと考えるのが一番の近道。

 思考よりも感覚で感じた、俺の答え。


 答えに辿り着いたところで、俺はビビりの弱いちっぽけな存在。

 戦うのも怖い。逃げることも出来ない。

 自発的に逃げられるとしても、それをしてしまえば町が滅ぼされる。

 だとしたら、こいつが飽きるまでのサンドバッグになるしかないだろ。

 死ぬほど痛くて苦しくて、みっともなくて狂いそうでも、俺のせいで守りきれる人達を手放すわけにはいかない。


「────」


 何を偽善者ぶってる、橋崎青葉。

 我が身を犠牲にしているだけで、救っているとでも?

 嗚呼、仕方ない。仕方ないと言い訳をするのか。

 お前が奴にぶつけた言葉を思い出せ。

 お前は、暴食の羽虫にいたぶられているだけだぞ。

 根本的なことを思い出せ。

 他者に好き勝手にされていい体か、お前は。

 お前の体は、誰のものか。目の前の虫のものか?


「──ちが、う……俺の……」


 俺はこのまま、こいつが飽きるまで蹂躙されて大人しくされる程度のものかと。

 取り柄なんか立派なものでもないし、欠点だらけで、卑屈で、ビビりで……そして、弱い。

 でも、ひとつだけ。これだけは譲れない。


「俺の体は……俺だけの……ッ」


 俺だけのものだ。他人に自由にされることを許すほど安くない。


「おお、おお……求められぬ強い瞳。そのような、そのようなものは! ものは! あなたには相応しくないぃっ!!」


「ぎっ、ああああああっ!!」


 治りかけの腹を右肩に刺していた剣で裂かれる。

 どれだけの血が流れたんだ。狂わせて欲しい、飛ばせて欲しいと何度も思っているのに、強がれば強がるほどに相手を刺激してしまう。


「がっ、あ……はー、はあ……ぐうっ!」

 

「狂われるのは今ではない! しかぁし! その瞳も心地良きものでもない!! 私を残滓と騙るその口は、全て……全て全て全て! 悲痛と苦しみの絶叫に!! さあ、さあさあさあ!!」


「いぐああああっ!! も、もう……あああああ!!」


 ぐちゃぐちゃと音を立て、俺の内臓にまで届くローランの指の動きに痛みと苦しみで狂いそうになる。限界を越えている。

 遠慮することなく、血がぼたぼたと更に地面に水溜まりを作る。


 此処までされて生きてるの、凄いよな。

 しかも、狂うこともない。意識も飛ばせない。

 やられっぱなしは悔しいから、安易な言葉で罵る。

 結果、馬鹿みたいにブチキレてる奴を煽って苦痛を伴う。

 最低最悪の地獄。こんなんじゃ、首を飛ばされて死んだ奴らの方がマシだよ。

 おかしいほどの回復力を伴う自己治癒能力なかったら、とっくに体を喰い潰されている。


「──ッ!?」


 左首を噛まれ、ズルズルと汚く啜られる音がする。

 確か、その場所は俺の魔力が流れる器官の入り口。魔脈という場所。

 待って。待ってくれ、そこをやられたら……そこをやられてしまったら、俺は──


「や、め……そこ、は……ああっ!!」


「おっと、濃いと思えば此処でしたか。危ない危ない。殺してしまうところでしたよ。しかし、しかし……この魔力、癖になりそうですねぇ。これでは、奴等が欲しがるのも無理はない。あと少しだけ──」


 再び勢いよく啜る音が聞こえる。

 やっぱり、こいつも残滓じゃないか。魔力を吸われると、体の細胞が焼ききれるのではないかというほどに熱い。


「あっ、が……ぐ、あ……つ……」


 視界が暗くなりそうだ。あの時と……最初の残滓に体を取られた時と同じように目の前が真っ暗になりそうな感覚。


「これはこれは、いけません。美味でつい奪いすぎましたか。視なければならないというに、それを奪ってしまっては私の美徳に反しますね、ええ。ゴミのような抵抗でも、それが出来たあなたに称賛を! そして、塵のような存在と絶望し、最後まで視る権利をあなたに!! 嗚呼、何と私は慈悲深いことか」


 慈悲なんてこれっぽっちもない奴がよく言う。

 そんな言葉すら発せられずに、金魚のように口を開閉させて酸素を求める俺に飽きたのか、それとも殺さないという約束を……もしくは目的を為すためか、ローランは俺を解放するために地面に投げ捨てた。

 カランと金属音が鳴る。俺の傍らには、先程まで腹を刺していた剣が転がっている。

 指先ひとつ動かせない。回復を待つしか、俺には出来ない。

 死体が積み重なり、血が広がるこの冷たい鉱山で一人、休息を待つしか。


「また、お会いしましょう。次は、次は! もっともっと良い絶望で。世界を守れるなど思わずに生きることすら恐怖と思えるあなたと。ヒヒッ、フヒヒヒヒッ!」


 最悪で醜悪な笑い声と恐怖を煽る呪いのような言葉が姿と共に瞬時に消える。

 既に枯れたと思った俺の涙が一筋だけ流れた。

 狂えずにいた反動が来ているのか、ビクビクと体が痙攣する。

 意識を飛ばしてしまいたい。飛ばしたいのに、目を伏せれば狂気に満ちたローランの死神のような顔が脳裏によぎる。


「う、あ……あ……」


 満足したかよ、俺。

 自分がゴミのように扱われたのに、守れた人々を直視出来るか。

 何も感じずに今まで通り接することが出来るか。


 串刺しにされて、切り裂かれて、死ぬ直前まで苦しめられて、それでもまともであると思えるか。

 同じことがまたあるかもしれないと思うのに、まだ世界を救う気か。そうまでして誰かが傷つくのを嫌うか。この偽善者め。

 帰りたいという願望を越えている程の苦しみを味わっただろう。

 こんなに、こんなにも自分は傷つけられているというのに。その傷を誰も分かってくれない。


「誰……か……」


 助けて欲しい。守って欲しい。

 弱くて情けなくて何も出来ない、ちっぽけな存在を守ってくれないか。


 いっそ、壊れた方が楽なのにそこまで残そうとするか。自分は自分であるという小さなプライドを。

 全魔力を吸いとられてゲームオーバーになれば、終わり。諦められれば、楽だ。

 それなのに、どうしてまだ生きたいなんて思うのか。あんな思いをしたのに。

 どうして、自我を保っていられるのか。小さな意地ごときで。


 ひくついた細かい痙攣が止まらない。

 体の回復が戸惑っているのだ。

 魔力を磨り減らしたこの体の何処を癒そうかと探している。


「誰、か…………」


 ──俺に力をくれ。


 この世界を救うために、少しでも前向きになれるように。

 俺を守ってくれないなら、俺が守れる力をくれよ。

 手の中に収まる程度の力でいいから、与えて欲しい。恐怖を払拭するための力を。

 それだけで、変われる気がする。



「──まるでボロ雑巾ね」



 頭上から声がする。

 聞いたことがある……凛として強い意志を持ったような声。

 長い銀髪が視界に入ると、それが何か分かってしまった。

 森の錬金術師に仕えるホムンクルス、キサラだ。


「死なない体も大変ね。弱くて動けないくせに、あんなもんに口先だけで逆らうなんて馬鹿もいいところよね」


 少しくらい優しい言葉とかかけられないのかな、こいつ。

 ゴミみたいにボロボロになってる人間と、大量の死体があるのに顔色ひとつ変えやしねぇ。


「ああ、でも……魔力が減少してるから、瀕死か。あんたに死なれると迷惑なのよ」


 だから、もう少し優しい言葉をかけろって。

 言葉にしてねぇから伝わらないか。せめて、察しろよ。

 こちとら、身も心もズタズタにされてんだ。

 まともな言葉なんか出ないし、言い返す力だってない。起き上がる気力もない。


「下手に動かすと、内臓出ちゃうかもね。お腹が一番深いか……」


「キサ──」


「喋らなくていいよ。傷が広がるだけだし、有意義な会話は出来ない上に求めてもいないから。仕方ないから、後で連れてってあげる。傷が癒えてもゴミクズみたいだけど、あの町があんたの拠点なら帰りなさい」


 やっぱり教育がなってねぇぞ、あの女錬金術師。

 優しさという感情をこのポンコツに教えてやれ。これ重要。心もつらくなるわ。


「あんたが守らないといけないものが何か、身を持って知ったでしょ。ああいう頭がぶっ飛んだクズとも戦わなきゃいけない世界なのよ、此処は。だから、成長して欲しいの」


「………………」


「あんたは錬金術師。道具を作るのが仕事よ。武器を上手に扱えても、戦い方は知らない。どうしても、強くなりたいなら──」


 強くなりたいなら?

 そりゃ、俺だって無用な争いは避けたい。

 武器なんか上手く扱える。足りないのは、臆病な気持ちだけの筈だ。



「──軍隊にでも鍛えてもらうことね」



 笑えない状況で更に寒い冗談を言われた俺は、ほんの僅か気休め程度に震えていた唇が上がった気がした。

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