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地獄の蹂躙

 日が昇る前、ルーイエの町は昼夜の活気と見違えるほどに落ち着いたものだった。

 外にいるのは、見回りの警備員とそれに注意を促された足取りの悪い酔っ払いだけだ。

 睦月も未だソファで寝息を立てている。

 きっと、今なら俺に構う奴はいない。


 腰のバッグにアイテムと銃を装備し、帯刀も怠らない。

 嘆いている暇はない。準備は完璧だ。

 そろそろ、外の魔物の凶暴化も落ち着いた頃だ。今がきっとチャンス。

 足りない素材を集めるには、今しかない。

 ジルコニア鉱石を採取するために、足の届く範囲にあるアルバ鉱山へと向かう。

 既に仕事始めの坑夫あたりがいるかもしれないが、何とか話をつけたい。行ってみないと分からないしな。


 そっと家の扉を閉める。僅かに鈴が鳴ったかもしれないが、睦月が起きたところで俺には関係がない。

 少し動いた気がするが、俺の目の錯覚と信じよう。そうでないにしても、寝返りを打とうとしただけかもしれない。


「…………」


 今更、誰に見つかろうと構うもんか。俺は俺の仕事をするだけだ。

 世界の侵食が進んでいる。魔物が凶暴化し、無事な動物も魔物化している。俺の召喚主のエイルは目を覚まさない。


「きっと、何処かで――」


 何処かでまた誰かが死んでいる。魔力が枯れてしまって、世界に殺されている。

 もしくは、凶暴化した魔物の餌食になってるかもしれない。


 怖い。また、何処かでエルフの集落にいたあいつと会うのではないかと。

 もしくは、凶暴な残滓に出会うのではないかと。

 魔力を失わない限り死なないと言えど、痛い思いをするのは怖い。

 もしかしたら、魔力を吸われた後に殺されるかもしれない。

 きっと、女に触られる以上に。いや、それよりも――


「俺のせいで誰かが死ぬなんて、許されねぇ」


 黒幕が見えない以上、今の状態は救済を甘んじた俺の責任だ。

 森の奥の錬金術師は、外に出ることが出来ない。

 睦月は、人形師。力があるところで、きっと救済は求められていない。

 そうだとしたら、現状の情報で求められているのは……俺だ。


 誰か笑えよ。いきなり自意識過剰のヒーローぶって、世界を救おうなんてしてる馬鹿だって。

 先が見えないくせに的外れなことをしてるかもしれないって。無駄なことをして後で後悔するかもしれないぞって、指を差して大笑いしたっていい。

 それでも、仕方ないじゃん。俺は、こんなことしか出来ない。

 与えられたもので、出来ることをするしかない。自分の命を守るためにも。


 ――世界の命を背負った俺には、そうすることしか出来ないんだから。


***


 想定内通り魔物も大人しく、魔除け香を使えば殆ど襲ってくる奴はいなかった。

 無駄に戦闘に持ち込むと、仲間の血の臭いで集まってくる可能性があるから不利になる。

 何が起きるか分からない。しかも、今は俺だけだ。助けてくれる奴はいない。


「此処か」


 確かジルコニアって合成石じゃないかという、にわか知識なのだが本当の所は定かではない。

 だが、辞典でアルバ鉱山にて採取出来ると書いてるからそうなのだろう。

 鉱石の知識なんか、一般高校生の俺が知るか。この世界では、そうであるということだ。

 もしかしたら、別のものかもしれないし。そもそも、こっちの世界に来る前は名前くらいしか知らなかったぞ。

 それを考えたら、所持知識と新発見した知識が混合して俺の頭が爆発する。


「元の世界に帰ったら、少しは勉強しよ……」


 美術と現国以外は、全部平均点というのも悪くはない。だが、損はないよな。

 元の世界の勉強をする前に、この世界救っておかないといけないのだが。

 それで、魔力の蓄えが良くなったら……きっと――


「俺を召喚した責任は取れよな」


 エイルには、元気になってもらわないと俺が困る。

 そうじゃないにしても、俺を安心させるために早めに起きて欲しい。


 鉱山の入り口を見ると、まだ坑夫は来ていない。仕事を始めるのはまだ早いのか、俺にとっては好都合。

 悪いが、少しだけ頂けるものを頂いていこう。大量に採取はしないから安心してくれ。

 普通に考えたら、不法侵入の宝石泥棒ではあるのだが。


「鉄、銅……違うな、もっと奥か」


 そう簡単に物が見つかったら苦労しないよな。

 少しでも早めに回収はしておきたいが、慌てずに周りをよく見て――



「――よく見ると、面倒なもん見てしまうんだよな」



 ぼそりと呟いて、態勢を低くする。一瞬の遅れていたら、筋肉だらけの腕で首を絞められていたところだ。

 背後には、筋肉質で大きな一本角が生えた褐色の亜人が二人。


「おいおい、何でこんな所に華奢な人間がいるんだよ」


「空振りに終わってやんの。ダセェな、お前。バレたら面倒だから、さっさと殺そうぜ」


 ああ、此処にも不法侵入の宝石泥棒がいる。一緒にされるのは腹が立つが、致し方ない。

 二人程度なら、その間に採取は可能だ。

 世界が危ないってのに、呑気なものだよ。


「お前、馬鹿かよ。人間だぞ。そんで、よく見りゃ良い顔じゃねぇか。石見つけるより、高く売れ――」


 亜人が言い終える前だった。そいつの頬に俺の撃った銃弾が頬を掠める。

 銃声が暗い鉱山の中で響き渡る。


「おっと、手元が狂った。で、何が高く売れるって?」


「お、俺の顔……俺の顔にテメェ!!」


 元々、良い顔でもねぇだろうが。何ハンサムぶって自分の傷口抑えてんだよ。


「動くと、次は掠り傷じゃ済まないぞ。俺は、急いで――」


 言いかけた時、異臭がした。ツンとした血の臭いが脳天まで突き刺さるような感覚。

 慌てて鼻と口を塞ぐ。吐きそうになり、蹲る。

 目線を地面に向けると、先ほどまで声を荒げていた亜人と隣で笑っていた奴の二つの首が転がっていた。


「え、あ……えっ……!?」


 顔を上げると、二人の胴体も倒れている。

 何でいきなり、首が飛んでるんだ……。俺、何もしてないぞ。


 ゆらりと蠢く影が二人のうち、首が飛んでいるから分からないが片方だ。腹を裂いて不気味な水音を立てる。

 あの耳障りな、ぐちゃぐちゃとグロテスクな音とズルズルと何かを啜る音。

 嗚呼、最近見た光景。骨を噛み砕く音も聞いた。聞きたくない、嫌な、嫌な音。見たくない光景。


「い、あ……や、やめ……」


 やめてくれと言葉にしたいのに出来ないもので、体が震えて頭を抱え縮こまる。

 見ないように目を閉じて、聞こえないように耳を塞ぐ。

 足が動かない。動かないなら、せめてせめて……見せないでくれ。聞かせないでくれ。

 閉じた目から涙が滲んで溢れるのが分かる。唇がぶるぶると戦慄くのが分かる。

 俺の足元には、人の首が転がっていて、その近くでは首の持ち主の体が喰われている。


 生きているとはいえ、元気に食事が出来るほどに動けるのおかしくない?

 どんな化け物だよ。体を貫かれて吹き飛ばされても平気な化け物なんて、それこそチート。食事は人の体。

 エルフの集落から移動するにしたって、こんなに早く奇跡的に遭遇するのなんておかしいだろ。

 恐怖を感じるなって方が、無理だ。


 どんな武器やアイテムを作ったところで、俺自身が怖がって何も出来なければ全て終わり。

 俺は、物に頼って強くなった気がした。俺は意味がある存在で、錬金術が使えるから世界を救えるって。

 怖いっていうマイナスの感情が、逃げるということさえ許してくれない。


 逃げる――

 そうだ、逃げることなら。アイテムで逃げることなら出来る。こないだのように、俺の作ったアイテムが。

 鞄を漁る手が震える。何処にしまったっけ。確か、転移香は鞄の内ポケットに――



「逃げたら、近隣の町をフルコースにしますよ」



 耳障りな枯れた声と内容に俺の体が固まる。


 逃げたら、フルコース。


 俺が逃げたら、近隣の町……今、世話になってるルーイエの町。

 あの町が、エルフの集落みたいに滅ぼされる。それは理解出来た。

 恐怖でカチカチと歯が擦れる音がする。


「ええ、ええ。いいですよ、そのまま手を下ろして」


 言葉のままに、手を下ろす。

 顔を近付けてきた死神のような顔が三日月形の口元で笑い、俺の頬に触れる。

 恐怖で逆らえない。動けない。動いたら、町が……みんなが――


「ええ、ありがとうございます。素晴らしい。あなたの弱さが、雑魚に横柄な愚かさが、本物の脅威を目にした恐怖が素晴らしい! 実に、実に感情的で命あるものらしく! すぐに傷付けてしまうのが惜しい」


「………………」


 ――終わった。


 俺は、殺される。

 惨たらしく、ぐちゃぐちゃに貪られて、骨も残さずに……消される。


 何が救世主だ。

 何が異世界から来た錬金術師だ。


 見事な空振りの異端児。ピエロですらない。

 これを切り抜ける芸のひとつも思いつかない。何も考えられない。


「ただ、あなたに足りないものがある! それ即ち、狂気!!」


「――ッ、ああああああっ!!」


 首を噛まれ、奴の舌が俺の傷口を抉る。


「いっ、痛い! 痛いぃっ!! あ、ああああああっ!!」


 何かを探るかのように俺の首の中を弄る舌に俺は叫び、鉱山の中で絶叫が木霊した。


「……?」


「あ、があああっ! あ、ああ、あああっ――!」


 突如離され、俺は地面に伏した。

 真っ赤な血が地面に滲む。


「ああ、ああ……あなたは……あなたは、そうなのですか。あなたは、愉悦でも甘美でも素晴らしくも何ともない……! 悲鳴も足りない! 何ともない!! あなたは、まだ……まだまだまだまだまだ、まぁだ! まだっ!」


「あ、あ……う……」


「最後まで、最後まで最後まで! 視ないと、絶望して、自分で狂気を孕み、砕け散らなければいけない人ではありませんかあっ!!」


 何を……言っているんだ、こいつは。

 頼むから分かる言葉で言ってくれよ、俺の分かる言葉で……さ――


「おお、塞がっていく。驚異の自己治癒能力は、奇なり! 嬲りましょうか? もっと、もっと叫び足りませんかぁ?」


 喉がはち切れそうだから、これ以上は勘弁してくれ。

 首を喰われても、俺の傷は確かに塞がっていってるのが分かる。あ、死なないってこういうことね。

 これまずい。魔力吸い取られるまで今の痛み、もしくはそれ以上の痛みを伴うってこと? 冗談きつい。


「――たす、けて……」


「フヒヒッ、ヒッ! 駄目ですよ、ええ。あなたは、視るまで絶望を繰り返さないといけない」


 だから、何言ってんだってば。視るとか、絶望だとか。

 絶望はとっくにしてるんだよ、お前を見た時点でな。


 嗚呼、これ無理。

 頭がおかしくなりそうで、意識が飛ぶ。限界……――


「壊しても直る玩具ならば、少しくらいは……少しくらいは、私に譲って下さいね!!」


 耳障りな狂った笑いと共に、俺の体が死神の手に貫かれ、その手が持ち上がることで俺の体も浮く。


「────!!」


 声にならない叫びと奴に飛び散る俺の血が、これから始めるぞとばかりに合図を始めた。

 気を失うことすら許されない地獄の蹂躙を――

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