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朽ち果てた集落

 獣の悲鳴、そして肉を裂くような音が耳に響く。

 本当は聞きたくない音。だけど、聞かなければならない音。

 躊躇なんかしたら、こっちの体が喰い潰される。そんな状態になるほどに動物達の変異は進んでいた。


「はっ!」


 息を吐くと同時に、体が二倍にも大きくなり牙や爪も鋭利になってしまった狼の胴体を横薙ぎにする。

 手に汗が滲み、剣の柄を握り直す。

 恐怖というものは、自分がまともであるということを認識させられて逆に安心出来て、それを改めて考えると嫌悪感を感じさせる。

 狼の体は地面に伏すも、元の姿には戻らずに変異したまま絶命していた。


 ──世界が悪化したと、体で教えてくれるには充分な現実だった。


「くそっ……! 前来た時は、こんなもんいなかっただろうが!」


 毒づいたところで変わらないものは変わらない。元の姿に戻してやることすら適わない。

 魔力を最小限に抑えて剣を振るい、俺を気遣ってライドやトーマが先行して戦い、軽い怪我でも何が起きるか分からないからとアイリが治癒魔法をかける。

 消耗したら落ち着くところで、俺が簡易錬成をしてアイテムを作って魔力回復薬をみんなで一気飲み。


 誤算だ。見事な誤算。

 ガキ共を連れてくるべきじゃなかった。

 自分のことで手一杯で面倒見れない。


「急ぐぞ。夜になったら、ますます魔物が強くなるんだろ!」


「は、はい。動物の野性的な活動よりも魔物としての本能のようです」


 アイリが答えると、トーマやライドも頷く。

 夜になればなるほどに獲物を狙い、本領発揮とばかりに襲い掛かる。それこそ死に物狂いで。


「帰りは転移香で帰るとしても、明るいうちに集落につかないとやべぇな」


 転移香というのは、俺が前にアイリとトーマを誘拐して町に戻った薬だ。

 薬というよりも香水に近い。香りの範囲を転移させられる。

 あの時以上に薬の効果は安定して、確実に町に戻れる。問題点としては、広場固定ということ。

 今度、色々な場所に行くにあたって何種類か作っておきたいところではある。

 これだけ魔物がいるなら尚更だ。


「あ、あの湖」


 ライドが指を差したものには、見覚えがある。

 ライドと競って巨大クラゲを倒した湖だ。

 今思えば、あのクラゲも変異した魔物だったのかもしれない。


「だとしたら、近いな。湖には近付くなよ。今、どうなってるか分からないからな」


「確か、此処から東の大きな樹の所だよな」


「ああ、そこまで一気に行く。お前ら、こっち来い」


 三人を俺を中心に集まらせると、俺はバッグから小さなスプレー瓶を取り、各々の手首に中身を吹き掛ける。


「これ、何だ?」


「魔除け香。洗剤みたいな匂いするけど、洗剤じゃねぇから洗剤欲しかったら別途依頼しろ。新作だから効果は自信ねぇけど、少しは魔物寄らないようになってる筈だ」


 使うのは初めてだしな。誰が好き好んで、魔除けのために魔物のいる場所に行くってんだよ。


「いつの間に……」


「昨日の昼間にな。近々、採取行こうとして作ってたのが効を為したな。疲れた奴いたら言えよ。疲労回復薬もある」


 今度、薬じゃなくて飴や菓子形式で回復薬考えた方がいいな。

 美味いもんじゃないし、何より液体だから水っ腹になって使用効率も悪い。


 疲れたと言う奴なんて一人もいなかった。空気の読める奴らで助かる。

 ひとまずは森を突っ切って、目的の場所へと辿り着く。

 途中、香水の効果が不安定なのか何度か魔物とエンカウントして戦う羽目になったが、使わないよりはマシで助かった。

 逆に呼び寄せるものだったら目も当てられないからな。


「風転石は? まさか忘れてないよね」


 トーマが目を細めて俺を見る。

 此処まで頑張ってきた俺なのにそこまで信用ねぇか、このガキは。


「ちゃんと持ってきてる」


 風転石を取り出して、鍵穴である大樹の根元にそれを嵌めようとしたときに俺は感じた。


 ──背筋が凍りそうになるほど、呼吸が苦しくなる悪寒を。


「青葉? どうしたんだ、まだ頭痛いか?」


「いや……大丈夫だ」


「お前こそ、回復薬飲んだ方よくないか? 顔色が──」


「大丈夫だって、言ってるだろうが!」


 心配するライドの言葉を振りきるように俺は、風転石を大樹の根元に嵌める。

 見えない壁が薄らと見え、それに触れた瞬間に俺達は森から集落の入口へと転移した。


「は? 何だよ……これ」


 水が綺麗で緑豊かな集落。トーマを迫害して、世間体ばっか気にしていて腹が立つ奴等だけど、生活に勤しんでいるエルフ達。

 それが、俺の知ってるエルフ達が住む集落だ。


 俺の記憶違いなのか。それともこの場所が間違った場所なのか。

 今、俺達が立っている場所は……何処だ?

 そのくらい、今の此処は異質な場に見えた。


 清流の水は赤黒く、豊かだった緑は黒と茶の混ざったお世辞にも綺麗とは言えない色。

 地面の土には黒い点が無造作に散らばり、まるで血のように……いや、これは土の色と血の色が混ざっていて黒くなっているんだ。


「トーマ、アイリと一緒に隠れているんだ」


 ライドの表情が強張ると、流石のトーマも冷や汗を掻いて涙目のアイリを抱き締め、木陰へと隠れる。


「青葉、行くしかないんだろ。子供には、もしかしたら──」


「あ、ああ……お前がいて助かったよ」


 もしかしたら、じゃない。確信だ。

 絶対に、死体が転がっている。

 地面の血痕がそれを物語っているんだ。

 本当は、俺だって逃げ出したい。でも、そうしたら此処に来た意味がない。

 せめて、生存者がいることを……何処かに隠れているかもしれない。


「あ、あれ……」


 集落の中央に人影がいくつか見えた。

 誰か蹲っている。蹲っている人影以外は全員倒れているから、仲間の死を悲しんで泣いているかもしれない。

 悲しみに水を差すのは、心が痛むが……。



 ──ぐちゃ、ぴちゃ……ボリッ、グキッ、ぐちゅっ……



 嫌な水音と共に硬いものを砕く音まで聞こえた。


「ひっ……! あ、あ、あっ! ああっ!!」


 予期しない光景に悲鳴が出て、金魚のように口をパクパクとさせて喉奥が渇く。息が苦しくなる。


「青葉、何見て……──ッ、こっちだ」


「や、嫌……だ……喰っ、んぐっ──」


 ライドに手で口を封じられ、近くの家の中に連れていかれる。

 取り乱すななんて方が無理。頑張った方だと思う。吐かないだけマシだ。

 何これ。スプラッタ映画か何か? 映画なら作り物で良いのに、おかしい。おかしすぎる。


 死体を貪り喰ってる奴を見て、悲鳴上げるなって方が無理。

 俺がファーストコンタクトでただ事じゃないことを察してから見たライドですら、手が冷たくなって震えていた。


「あ、あいつ……死体を……人の体、喰って……何で……何で……! はっ……はあ、はあ……あ、あっ……はっ、はあっ……!」


「青葉、ゆっくり息をするんだ。大丈夫だから。少しずつだ」


 過呼吸になって、喉がヒュウヒュウと鳴る俺の肩をライドが掴む。

 残滓に殺されそうになるより、目の前のグロテスクな光景に頭がパニックになりそうだ。

 何でだよ。何で、死に直面する時よりも俺はこんなに混乱しているんだ。


「ラ、ライド。チビ共も連れて此処から……はあ、はあ……げほっ! は、離れなきゃ……」


「ああ、分かってる。お前は、まず呼吸を」


「すぐに……すぐ、行くから……あいつがチビ共見つけたら、やばいから。先に……」


 此処はエルフの集落。集落が狙われたならエルフを狙ったんだろ。

 エルフの純血であるアイリや、半分であれど血を引いているトーマが一番危ない。

 しかも、此処はアイリの実家。クソジジイが生きている保証だってないなら、遠ざけるべきだ。


「悪いけど、お前を放置するほど薄情じゃない。動けないなら背負うけど、それとも肩貸すか」


「大丈夫だ、歩ける……。取り乱して悪い」


 此処で俺がしっかりしねぇと、負担が全部ライドに行ってしまう。

 しっかりしろ! 考えるのは、出てからだ。

 最悪、俺は魔力さえあれば死なない。こいつらを守れるのは俺だけだ。



「──耳障りな声がすると思えば……おやぁ、美味しそうなご馳走が落ちていますね」



 隠れていた家から先行して出ようとした俺だったが、頬が冷たくも(しわが)れた手に撫でられる。


「あ……」


 顔が近い。黒いローブを身に纏い、死人のように青白く、白い長髪で痩せこけている男の口元は血で赤く染まり、それは死神のようだった。

 その枯れ木のような手にも血がついている。そのせいで、俺の頬にもそれが付着した。

 ニヤリと笑ってみせたそいつの歯には、ブヨブヨとした肉の欠片が挟まっていて不気味さが際立てられていた。


 間違いない。こいつが、スプラッタ映画を現実に持ち込んだ張本人だ。


「あなた、普通の人間ではありませんねぇ!!」


「──ッ」


 一瞬の身の危険を感じた俺は、咄嗟に剣を抜いて男の腹に突き刺した。

 男の腹に血が滲み、ぼたぼたと垂れた血が地面に染みを作る。

 だが、それだけでは終わらない。

 

「流石に躊躇出来ねぇ! 『流転する疾風(エアリアルスピナー)』!!」


 ああ、遂に技に名前付けてしまった。

 中二病属性が俺にもあるってことか。いや、そんなもんあってもこの世界じゃ良い発想が起きて分かりやすくなるから損はないけど。

 まだそんなことを考えられる冷静さが残ってて助かった。本当に助かった。そうじゃなければ、本格的に頭がおかしくなってしまっている。


 刀身がエメラルドの光を帯びて周囲から風が巻き起こり、その風が家の外にある樹木ごと目の前の男を吹き飛ばす力を発揮した。

 砕けた樹木の下敷きになった男がどうなったかなんかどうでもいい。今は命あっての物種だ。


「行くぞ、ライド!!」


「あ、ああ!」


 漸く隙が出来たところで俺達は走り出した。  

 相手の生死を確認する暇もなく、今は逃げることだけ考えた。

 だが、問題は俺達のところ以外でも起きていた。


「おじいちゃん!!」


 アイリとトーマの傍らには、一人の老人が傷だらけで倒れていた。

 間違いなく、アイリの祖父で集落の長であるクソジジイだった。


 何でこのタイミングなんだよ。見捨てるわけにはいかないだろ。

 だけど、安心出来たのも事実だ。


「木陰に行ったら倒れてた。自分だけでも守る結界持ってるなんてしぶといね」


 トーマが憎まれ口を叩く。

 お前が抱き締めてるのは、そいつの孫だぞ。

 身内を目の前にそういうこと言えるのがすげぇな。

 アイリは、顔を真っ赤にして泣いていて言葉を発する状態じゃなくなってる。


「アイリのじいさん!? 青葉、俺が担ぐから転移香を」


「ああ、すぐに行くぞ」


「魔力は大丈夫か? あれ、回復薬と違って魔力消耗するアイテムなんだろ。さっきの技でかなり疲れたんじゃ」


「大したことねぇよ、あんなもん。アイテム使うくらいの余力はある。そもそも、アイテム使うときはそこまで使わないしな」


「うわ、自覚ない奴って怖いな。後で説教な」


「んだよ、それ」


 信用ねぇな、くそ。

 確かにアイテム過剰使用で倒れたことはあるけどさ。

 あの時よりは、自分の管理が出来てる筈だ。


「──振り向くなよ」


 来た道を振り返ろうとして、ライドに耳打ちされる。

 気になるとは言え、慢心するなということだ。

 今は、これ以上の犠牲者が出ないことが大事だ。


「おら、お前ら固まれ」


 転移香を撒くと、香りが届く範囲が光り輝く。

 香りが漂うまで時間が少しかかる。

 もし、あいつが生きていて……いや、冷静になれ。あの一撃で生きているわけがない。

 確証がないとしても、今は死んでいるということを祈るしかない。そうであって欲しい。


 あれは、人の形をした化け物以上の化け物だ。


「………………」


 トーマがアイリを抱き締めながら震えてる俺に目配りするも、転移香の効果が発揮して俺達は集落から町の広場へと転移した。


 ──その瞬間、振り返ってしまった。


 無惨に朽ちた木々の残骸からひとつの影が揺らめく姿を見てしまった俺は、再び背筋が冷えた感覚が嘘じゃないとその身で感じてしまったんだ。

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