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夜の空の下で

 町から少し離れた森の奥地にその建物はある。

 個々によって見える姿を変える建物は、彼にとって廃墟に見えた。

 森に住む錬金術師に会いに彼は此処へ来たのだろう。

 鋭利な刃のような瞳で建物を見上げる。

 彼の手は、通りがかりで襲われた狼の血で染まっていた。


「何しに来たの」


 背後から首に添えられるナイフと凛とした声に、彼は薄ら笑いを浮かべた。


「中間報告。不器用で可愛い子に家を探してもらった」


「そんなどうでもいい理由で会いに来たわけ? 涼しい顔で動物を殺し回ってるくせに」


「やだなぁ、人を殺人鬼みたいに。正当防衛って言葉は教えてもらったよね。──キサラ」


 ナイフを持っていた存在、キサラの腕を取るのは睦月だった。


「相変わらず可愛いなぁ。精巧で美しい。俺、良い仕事してるって思わない? あ、ヤバい。恋しそう」


「ご託はいいの。窓口は私。用件を」


「うん、了解。青葉って、錬金術師としては雑魚すぎない? あれ、召喚主に依存して魔力が安定しないのかな」


「──ッ、睦月! あの方を愚弄する気!?」


「あの方? あー、青葉の召喚主のこと。キサラの激昂する姿ってレア。スマホあったら写メりたいくらいに可愛い」


 挑発的に喉元で小さく笑い、睦月はキサラに耳打ちして低く囁いた。


「今のままじゃ、この世界は絶望的。そっちも対策考えてって、母さんに伝えて。愛する息子からの伝言」


 キサラの瞳が戦慄き、背を向ける睦月を睨む。


「睦月、会って。私も同席する。何か不穏なことしたら許さないけど、あんたには権利がある」


 睦月は振り返り、困ったように頬を掻く。


「いやー、怖いお姉さんついてる状態でディープな親子の会話とか無理だって。あ、それから青葉が残滓にやられることはないってことも伝えて」


「やられることはない?」


「そっ、自分の中に入れて倒せるの。ただ、リスクが伴うから……うーん、青葉には協力するけど俺と母さんの召喚主……名前出すのもムカつくや。そいつを殴るのが目的だから。早いとこ、依頼は片付けちゃうね」


「慎重に動いて。錬金術師そのものが壊れたら、全てが無駄だから」


「そうだね。誰も得しない。俺は、母さんと元の世界に帰る。それは絶対に。だから、キサラ」


「言わなくても分かってる」


「そっか」


 睦月の笑顔は何処か儚げではあるが、言葉に嘘はないということが作られた存在であるキサラにも分かっていた。

 だからこそ、母親と共に元の世界に帰るという彼の願いを叶えるために支えるのも自分の役目だとも理解出来る。


 それでも──


「じゃ、母さんによろしくね。キサラも無理しないで」


 キサラは、困り事を誰にも頼らず笑顔で誤魔化そうとする七陸睦月が大嫌いだった。


***


 シデン堂の私室で、トーマは今にも怒りで膨れ上がりそうな程に分かるほど不機嫌だった。


「あ、あの……トーマ、どうしたの?」


「別に何でもない」


 アイリが尋ねても、トーマは部屋のクッションに顔を埋めていた。


「明らかに何かあった様子なんだけど……珍しいね、そこまで態度に出るの」


「そんなに出てる?」


「うん。帰ってきてから風船みたいに膨れてる」


「だって……」


「ん?」


 柔らかく笑みを浮かべるアイリをちらりと横目で見ると、再びクッションに顔を伏せた。


「ライドは無償の善意で僕らを助けた、なんて思ってた自分が馬鹿らしくて」


「ライドさん?」


「ライドは、僕を助けてくれた。今まで生活して裏切ることだってなくて、アニーも僕らに良くしてくれて……でもさ、ただの同情だったらって思ったら悔しくなって……何か、よく分からない」


 ぐっとクッションを強めに握りしめるトーマにアイリは、ぷるぷると震えて我慢が出来ないとでもいうように吹き出して笑った。


「あははっ、それで機嫌悪かったの?」


「な、何だよ! 別にそんな……笑い事じゃないし、アイリだって分かるだろ。集落で暮らしてた頃とは雲泥の差で、僕らがこうやって話すことが自由なのがどれだけ──」


「そうだね、ライドさん達や青葉さんに感謝しなきゃ」


「錬金術師はどうでもいい。僕、あいつ嫌いだし」


「そっかぁ。ね、ベランダ出ようか」


 トーマの腕を引いて、アイリは部屋からベランダに出る戸を開いた。


「やっぱり、集落と違って町の明かりは綺麗だね」


「ふん、あそこは夜になったら少しの松明だけじゃん。僕のところなんかいつも真っ暗だし」


「うん。トーマは、いつもつらかったもんね」


「別につらくない。アイリだけでも味方だったから。そのせいで、アイリは大変だったけど」


「大変……かなあ? トーマも大事だし、おじいちゃんも憎めないのは確かにつらかったかも。でも、今こうやってトーマと町の明かりを見れるのは嬉しいよ」


「は? 何それ」


「何なのかな。でも、ライドさんやアニーさんが私達を一緒に居させてくれてることは感謝しなきゃ」


 にっこりと笑いかけるアイリにトーマは息をつまらせ、ベランダの柵に手を掛けて俯く。


「アイリは、同情でも嬉しい?」


「うん。私は、トーマと一緒にいられるから嬉しいよ。あ、おじいちゃんのことが気にならないっていうわけじゃないけどね」


「あんなの忘れなよ。孫より世間体ばっか気にしてるんだから」


「そうはいかないよ。お父さんとお母さんが死んじゃってから、ずっと育ててくれたんだもん。トーマは子供すぎるよ」


 子供扱いされたことに気を悪くしたのか、トーマは口を尖らせて眉を寄せた。


「何だよ、お姉さんぶっちゃって」


「精神年齢なんだと思うよ。女の子は男の子より、ちょっとだけ大人なんだって」


「何それ。誰が言ってたわけ?」


「ミルヒさんが、この間ね」


「あの馬鹿ネコ……」


「腐らないの。トーマは拗ねるといつも長いんだから。ね、お姉さんに困ったこと話してみる?」


 からかうように悪戯めくアイリは、いつもの小動物のように控えめな少女ではない。

 信頼出来る誰かにだけ見せられる余裕の表情。

 それは、今よりも幼い頃から一緒にいたトーマだけに向けられるものだった。


「もういい。ライドが助けてくれた事実は変わらないし、何も不満なんてない。人の過去に土足で入るのは駄目だよね」


「うん。まずは自分達が精一杯生きるために頑張ろ?」


「一生、世話になるわけにもいかないしね。働ければ一番だけど、僕らを相手にする奴等なんて一握りだし」


「今は出来ることだけ」


「ん、出来ることだけ」


 トーマとアイリは頷いて手を握る。

 夜なのに空がアンバランスで気候が不安定なのか、思った以上に冷える。

 冷たくなったアイリの手を、トーマは握り直した。


「少し寒いかも。中に入ろ?」


 いつもの捻くれたものとは違う、僅か優しい笑みをトーマは浮かべる。

 それに同調したアイリは、冷えて少し赤くなった頬を見せて笑顔で頷いた。


***


 その頃、ヤマネコ亭では大惨事となっていた。

 物が壊れているわけでもなく、酔っぱらいが騒ぐのなんか日常茶飯事だ。

 しかし、今夜だけは違う。


「ほんとにさぁ、俺が何したってんだよぉ……異世界で頑張ってんのに、いっっつもトラブルだらけで……そろそろ泣いていいかなぁ」


 テーブルに伏しているのは、この世界では珍しい黒髪。男性にしては、華奢で中性的な容姿の橋崎青葉だった。

 その青葉が涙声で頬を赤らめ、蕩けたような目でライドに話しかける。

 もはや、普段の面影は殆んどない。


「うんうん、青葉は頑張ってるのみんな分かってるから。──ああ、もう! 誰だよ、青葉に酒飲ませた奴は」


 青葉を宥めるライドは、カウンターを睨む。

 その視線は、ダンとミルヒに向けられていた。


「なあ、青葉が頼んだのってフルーツジュースだよな」


「ああ、確かにな。──ミルヒ」


 ミルヒを睨む目がもう一人分、追加される。


「あ、ほら……最近、カクテル頼むお客さん多くて。てへっ」


「てめぇ、わざとだろ!」


 ダンが怒鳴ると、ミルヒは怯えたのか感情を表すように猫耳と尻尾がピンと立つ。


「お酒飲めない年なんだってさ、青葉は」


「たまには、いいんじゃないの? ストレス溜まってるなら、酒に逃げたってバチ当たんないわよ」


 口を尖らせるミルヒと力なくテーブル倒れてる青葉を見比べたライドは、深く溜息を吐いた。


「ミルヒ、酒どのくらい入れた?」


「ティースプーンの半分? 殆んど入れてないわよ。九割以上、ジュース」


「それでこれか。体に合ってないのかな」


 悩ましげに三人が唸る横で、青葉は周囲を見渡した。


「喉、渇いた。同じのぉ! 体あっつくなるやつ!!」


 呂律ですら不安定で目が据わっている青葉の肩に腕を回したライドは、立ち上がらせた。


「体熱くなるのは駄目だ。今日は寝ような。送るから」


「あ? 何、彼氏面してんだ。俺は男だからな、気持ち悪ぃ。あーんな、おぞましい生物みてぇな女扱いしてんなよ!」


「青葉は、立派な男だから安心しろって。その男前を見習いたいくらい」


「男前なんかじゃねーよ、バーカ! 俺なんか絵しか描くだけの脳がない小間使いで、ううー……」


「はいはい、男が簡単に泣くな。青葉の絵も錬金術も誇れるものだから、卑下すんな。──あ、俺ら帰るな。料金は……っと」


 ポケットの財布から金貨を取り出そうとするライドをダンが制した。


「今日はミルヒの奢りだ。早くそのガキを寝かせに行け」


「えっ、ちょ……!」


 腑に落ちなかったのはミルヒだった。

 ほんの悪戯心が、まさか自分の給金にまで響くと思わなかったからだ。


「ああ、いや。俺の分だけでもな。悪戯された青葉はともかく、俺は無事に飲み食いしてるし。ミルヒ、営業中に客で遊ばないようにな」


「うー……はぁい。分かりましたぁ、もうしません」


 耳を垂れて肩を落とすミルヒが反省したのを見届けて、ライドは食事代をダンに手渡す。


「悪いな」


「全然。今日も美味しいご飯、ご馳走さん」


「青葉のこと、大丈夫か?」


「ああ、こいつ? うん、軽いし。俺は力持ちだからな」


「はっはっは!! そりゃそうだ! 鉄慣れしてる奴なんか、そんな細い体余裕だよな!」


 大声で笑うダンに僅か驚いてしまうが、ライドは頷いて青葉を背負う。


「ほら、行くぞ。背中に鼻水つけんなよ」


「うるせー……熱いやつ飲ませろ、馬鹿!」


「はいはい。じゃ、俺はずっと馬鹿でいいよ。アトリエ着いたら、水飲もうな。お前が蒸留した美味しいやつ」


「おー」


 ライドの背中で頭上にガッツポーズを掲げて、青葉は目を伏せた。

 やれやれと苦笑いを浮かべたライドは、ヤマネコ亭を出て青葉のアトリエへと歩く。

 それを見送ったダンは、腕を組んで目を細めてミルヒを見つめた。


「ミルヒ、三割減給な」


「ええ!? 三割でかいよ~! お願い、もう少しだけ何とか! もうしないって!!」


 夜のヤマネコ亭にミルヒの悲痛の叫びとダンの拳骨の音が響き、酔いの冷めぬ客達を沸かせた。


 賑やかな町の夜を謳歌するものもいれば、憂う者もいる。

 恐らく世界が危機に陥ろうとそうでなかろうと関係のない形として作り上げている。



 ──和気藹々とした町の上空で新たな亀裂が生まれていたことに気付く者など、この時は誰もいなかった。

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