奪われた肉体
「あー、これはやばいかもな」
ベッドに横にした青葉を見て睦月は呟いた。
青葉は生きている。それは、彼が息をしていることで確認出来ている。
しかし、彼の瞳に光は宿っていない。少し前の憎まれ口を叩くことはなかった。
「魔力の回復で戻ればいいけど。青葉の場合は、意識を持って行かれるのか」
アトリエには、睦月と青葉しかいない。
青葉を襲った町娘はその場にいない。
それは、青葉が意識を手放した瞬間に睦月の鎧人形が娘の体を貫いたからだ。
付着した血も遺体も片付けた。その処理には慣れていた。
人形師として異世界に存在する睦月は決めたのだ。現実的にどうやったら世界を救えばいいのか。
そのうちのひとつとして、錬金術師を狙う敵を排除する。
敵が救世主を放っておくわけがない。
その思考に辿り着くと、その敵は誰なのか。この世界を異常に導いている存在。
二十年前から起きている異変。恐らくは単独のものではない。
「理不尽に死んだ奴らが恨みを持つ……か。どこの世界も一緒なのに、負の感情って怖いな」
その片棒を担いでいるのは自分だけど、と自嘲気味に笑って青葉の前髪に触れる。
「起きたら青葉に説明しなきゃな。絶対に怒られるけど」
目を細める睦月は、床に落ちている青葉のペンを手にする。
「"握らせるだけでいいから、お願い"って、死にかけたのに何しようとしたわけ。まあ、何でもやっちゃいそうだけど。……殺さない選択肢もあっただろうけど、俺には無理かな」
息をひとつ吐く。そこでアトリエの扉が開き、鈴が鳴る。
また何か余計なものが来たかと睦月は穏やかなものとは比べ物にならないほどに鋭い目つきになり、構える。
これでも異世界人として召喚された身。青葉は相手の魔力を感じないらしいが、痛いほどに睦月は感じていた。
体が微かに痛くなるような魔力。しかし、先ほどのものとは違う。純粋な異世界人特有の魔法を持つ者の魔力だった。
「何、そんな怖い顔して」
まだ声変わりをしていない背丈の低い少年。トーマだった。
「何だ、君か」
「随分な挨拶だね。それで、家主は? さっき、おかしい力がこのアトリエから……」
トーマがベッドに目を向けると、変わり果てた青葉の姿に目を戦慄かせ睦月を吹き飛ばした。
「うぐっ……!」
「こいつに何をした!?」
「違う。俺じゃ……」
「じゃあ、誰? お前、こいつ見て普通に見える? こんな物言わない魂だけ抜けたような姿……アイリに見せたら卒倒する! いくら魔力を使ったって、此処まで枯れるなんて――」
「頼むから、話を聞いてくれって。いってて……すげぇ魔法。手も詠唱もなしでこれって、ラスボスかよ」
「――ッ」
ぐっと歯を食い縛り、トーマは睦月を睨みベッドで目を虚ろに天井の一点を見つめる青葉に目線を移すと壁を強く殴る。
「何のために僕がつけてたのか……!」
「今現状、青葉を治す術は俺にはわからない」
「あんたがやっていないとなると残滓だろ。もしくは、あんたが……」
「君、残滓のこと知って……いや、俺は違う! あんなものと一緒にするな。そもそも、俺は青葉と同じ世界の人間だし」
「どうだっていい。今はこいつから滓を抜かないと」
青葉の首元に手を添えると、トーマは大きく深呼吸した。
「理不尽に世界に殺された魂の憎悪の残り滓。これが異世界人に付着したら体の異変を起こすし、あんたより僕の方が適任だよ。原因が異世界人じゃないだけマシ。症状だけ分かれば対策は可能だよ」
「対策……青葉を治せるのか」
「可能性としてはね。こいつがこのままの方があんたにとって都合がいいなら、僕を殺す? 相手になるけど」
「冗談はやめてくれ。俺だって青葉を助けたいんだ。だけど、こうなってしまったらもう……」
「付着した悪いものを取り除けばいいだけ。こいつ、魔力使っても寝れば回復するから」
寝れば魔力が回復する。確か、ヤマネコ亭でそんな話をしていた気がする。
耗弱病にかかった森の中に住む錬金術師は、外に出ると魔力が枯れる呪いを受けた。だから回復が難しい。
だが、青葉の場合は意識を持って行かれている。魔力が枯れ続けるわけではない。
眠りにつければ回復する。今現状、青葉が受けている呪いはまだマシなのかと睦月の中で希望が湧いた。
「青葉は、残滓に憑かれた少女にやられて意識を閉ざされたんだ。脳死に近いというか……植物状態に似た症状」
「やっぱりね。そいつは逃げたの?」
「それは、俺が……」
「殺したの?」
「………………」
無言は肯定の証と察したトーマは拳を強く握った。
「人間は嫌いだけど……嫌いだけどさ、こういうのが破滅に近いってよくわかる。あんたを責めることは出来ない。体ごと仕留めなきゃ、あいつらはまた狙ってくるから」
「錬金術師は、いくら串刺しにされようと切り裂かれようと死なない。でも、特有の魔力が枯渇した状態で攻撃されたら……」
「そういうことか。その辺は、あんたの方が詳しいや。でも、本人に先に話した方が良い。僕が知ったところで出来ることは少ない」
「いや、心強いよ。青葉をこのままになんてしたくない。でも、どうすれば……」
動揺を隠しきれない睦月に構わず、トーマは青葉の頬に触れた。
「魔脈を見つけるしかない。結構、危険だけどね。こいつの体に流れてる魔力の器官から不純物を取り除く。下手したら死ぬけど」
「え、ちょっと待てって。死なせたら駄目だろ」
「じゃあ放っておくわけ!? 僕は絶対に破滅なんかさせたくない。アイリを守るために、こいつには世界を救ってもらわないといけないんだよ!」
誰かを守るために懸命になる感情は睦月にはよく分からなかった。
元の世界にいた頃、平和なあんな世の中で誰かを守るために一生懸命になる機会なんてない。
平々凡々に生きて、日常を漂うだけで危機なんて感じない。それが当たり前だった。
この世界に来てからだって、特別な誰かを守りたいなんて思わなかった。
義務だけ果たして帰る。そのためには現実的な処理を行って、終わらせる。
だから、授かった力で平気で殺すことも出来たのに……。
相手の気持ちまで遡ってしまったら、自分がバラバラになりそうだ。
「青葉は、どうして――」
どうして世界を救おうとしたのか。
自分が死なないためか。しかし、そうなると少女を殺そうとした睦月を止めようとした挙動の説明がつかない。
あの場で助けを求めていることだけをしていれば、こんなことにならずに済んだというのに。
「お人好しの馬鹿。これだけで救世主の条件は揃ってる。こいつの持つ馬鹿は、僕やあんたには不可能だよ。腹が立つから勝手にやったことでも結果的に相手を救ってんだからね」
青葉の体に触れながらトーマは呟くが、睦月には理解できないことだった。
「見つけた」
トーマが青葉の左側の首筋に触れる。
「今から僕の魔力をこいつに入れるから。不純物を消すほどの大量の魔力を注ぐけど、こいつの体が耐えられれば自分の魔力に上書き出来る筈」
「だ、大丈夫なのか? 君の消耗もまずいんじゃ」
「僕は平気。ただ、こいつの意識を戻すために刺激はしちゃうけど――」
言いかけて、トーマは体が焼ける感覚を味わった。
「ぐあっ!」
何かに弾かれるように青葉からトーマの手が離れた。
「やっぱり無茶だ! 残滓の魔力を消すなんて」
「ち、違う……」
「え……?」
震える声のトーマの肩を支えながら、青葉に視線を移す。
「……ああ、錬金術師の体ってこういうものなのか」
青葉の声ではあったが、底知れぬ冷たい感情が伝わってきた。
「ま、マジか。最悪じゃないか、これ」
睦月の口角が引きつり、その肩が揺らぐ。
「なーんか、普通の体とは違う感じ。ま、これはこれで楽しいけど」
青葉の口元が歪んだ笑みを浮かべる。
「そんな、さっき俺が殺した筈の残滓が」
「はい、当たり。お前のガラクタが斬った瞬間に、青葉君に乗り移っちゃったわけなのでした」
睦月は膝を落とした。
「俺は人を殺しただけ……いや、確かに仕留めた」
「仕留められるわけないじゃん。あんなガラクタで。そんなこと出来たら腕の良い冒険者様が救世主だっての! あっははははははは!!」
ギリッと歯を食い縛り、睦月は青葉を睨む。
青葉の顔で彼が決してしないその表情に怒りを感じたのは、睦月だけではない。
「だったら、此処で仕留めるしかないよね。その体を返してもらうために」
「やれるものならやってみれば? この体は、天下の錬金術師様の体だよ? 武器を握らせたら最強。お前らなんて一瞬で血祭りにあげられる」
「さあ、それはどうかな。だって、その体って何がどうなるか分からないものだよ。その異質なものがまだ生きてるなら自滅する可能性もある。――ほら、怖くなっただろ。錬金術師!!」
トーマが声をかけたのは、青葉に取り憑く残滓ではなく青葉自身だった。
「ねえ、お前の体にあの化け物いるんだけど? 傷つけることしか能がないし、お前の嫌いな女が体の中にいるって最悪じゃない?」
「は? このガキ何言ってんの。そんなこと言っても聞こえるわけ」
「魔脈に触れた瞬間、お前の意識が見えた。僕らは何も出来ない。多分、そいつを殺せるのはお前だけだよ。それは、呪いじゃなくて――」
トーマは喉元でクッと笑った。
「お前が敵を取り込んで中で殺す力だ。自分の体なんだから、誰かに頼ろうなんて思わないでよね。お前が何とかしろ」




