知らぬ間の秘密
アニーの含みを込めた笑いと共に発せられた言葉にエイルは混乱していた。
青葉の繊細を装う壁を壊す。
それは即ち、青葉の女嫌いを無理矢理に治すという意味にも捉えられる。
「アニーさん、いくらなんでもそれは……」
無理だとしか言いようがない。
あそこまで頑なに拒む青葉の嫌悪感を払拭する方法があるというのなら、恐らくアニー自身が試している。
青葉の言葉や態度で傷ついた者はエイルやアニーだけではないことは確かだ。
「アイリに聞いた話だと、あいつって女嫌いっていうよりも恐怖症みたい。つまり、恐怖の克服さえ出来ればいいんでしょ?」
「アイリちゃん? どうして、アイリちゃんが……」
「高熱のトーマを助けるためにアイリが青葉に依頼してサニー湿原に行った件で知ったみたいよ」
「えーと、それって……」
確か青葉とエイルが喧嘩別れをした後に起きた件だった。
高熱を出したトーマが集落のエルフ達に見放され、いてもたってもいられなかったアイリが青葉に依頼を出して一緒に薬の素材を取りに行ったという。
その採取の途中に青葉が女性恐怖症ということをアイリは確信したらしいという話を聞いた。
「恐怖の根源を叩き潰せば、あいつの腐った態度も直せるでしょ。ま、それが問題なんだけどさ」
「アニーさん、それが青葉さんの傷を広げることになったら大変なことに……。私は大丈夫ですから」
「大丈夫じゃないの! 問題も問題。大問題よ! あいつに何があったか分からないけど、そのせいで他の女の子達が傷つくのが嫌なのよ」
「でも、それは……」
きっと触れてはいけない。本人が口にしない限り、触れてはいけない傷な気がする。
「自分にどんな大変な過去があろうと、それで関係のない人を傷つけていい理由にはならないのよ。この恐怖症問題は、あたしの個人的な感情だけじゃない。ライドも真剣に考えてる。でも、ほら……青葉ってさ」
少し言い淀み、アニーは溜息ひとつ吐いた。
「思ったより傷つきやすいっていうか……他を傷つけたから、責任取って傷に塩ぬれなんて言えないでしょ。友達として」
「それじゃあ、どうやって……」
「交換条件よ」
いまいち理解が出来ず首を傾げるエイルにアニーは目を細めて笑う。
「あんた達に足りないのは信頼関係。少しずつ良くなっていってると言っても、今のままだと世界の破滅が先になっちゃうよ。だから、あんたも話しなさい。自分のこと。自分の正体を」
「そ、それは……」
「『私はお金持ちのお嬢様で魔法に長けてます』だけじゃ信頼されないよ、エイル」
アニーの指摘にエイルは、ぐっと息を飲んだ。
確かに一理ある。相手の深淵を知るために自分がその代償を払わないのは、アンフェアであることも分かる。
「か、覚悟が……」
エイルは今にも泡を吹きそうなほどに顔面蒼白で震えていた。
「あああ、ごめん! ごめんって! 具合悪いのにごめんね、エイル。すぐってわけじゃないけど……あー、本当にごめん。でも、いつかは……」
「わ、分かってます。恐らく青葉さんもこの気持ちと一緒なんだと……。いずれにせよ、お話しなければいけないのですが……でも、すぐには」
「うん、だから難しい。でも、信頼されたらあんたらは良いパートナーになれる。あたし達も協力は惜しまないよ」
「はい、すみません」
目尻に涙を浮かべたエイルにアニーは罰が悪そうに頬を掻く。
「こっちこそごめんね。余計なこと言った?」
「いえ、そんなことありません。ただ、もう少しだけ時間が必要だと思います。私にも青葉さんにも……」
「あー、そっか。そっちが先だもんね。あんたのお父さんが出した依頼を何とかするまでは休まらないもんね」
「はい。人形師の方とまずお話をして、協力を頂けるかそこからなので」
「そうねぇ。んー、でもそれもまたやばくない? あ、いや……なんていうかさ」
「え?」
はは、と空笑いをするアニーにエイルは目を丸くする。
「その人形師の人、女性だったらさ……青葉、交渉出来ないんじゃ」
はっと大きく目を見開き、エイルはベッドから降りて走り出そうとする。
それをすかさず、アニーは首根っこを掴み制止する。
「はい、戻ろうね」
「離して下さい! 青葉さん! どうか落ち着いて下さい!!」
「落ち着くのはエイルの方だから。どうぞベッドに戻ってお休み下さい」
「で、でも……アニーさぁん、何でそんないじわるするんですかぁ!」
涙目で訴えるエイルが何処か可愛く思えたのか、僅かな悪戯心を口に出した自分を少し悔やみながらアニーは小さく笑った。
「大丈夫、現場にはトーマやライドがいるから。青葉から目を離さないようにね。ライドは多分アテにならないけど」
「た、頼みの綱はトーマ君だけですか」
「下手な大人より大人だからね。最悪、青葉をぶっ飛ばすくらい手を使わなくても出来るし」
楽し気なアニーの様子にエイルは頬を引きつらせ、諦めたように肩を落とす。
「ハーフエルフ……恐るべし、ですね」
「錬金術師よりトーマが最強の生物じゃないかしらって思うわ、マジで」
***
比較的晴天の下、賑わう広場でアイリと歩いていたトーマは軽くくしゃみをひとつした。
鼻がむず痒いのか、少し擦る様子にアイリは心配そうに顔色を伺う。
「トーマ、大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと鼻が痒いくらいだけど……空気も体調も悪くないし、変だな」
「気を付けてね。また熱出したら大変だし」
「大丈夫だよ。もうあんなヘマするもんか。それよりもいいの? 人形劇、見たかったんじゃない?」
広場で催されるらしい人形劇とやらの見世物に興味があったようだが、トーマは青葉の監視するということを理解していたからかライドにアイリを頼むつもりが、彼女はトーマの後をついてきたのだ。
人形師を見ておきたいという名目で残ったライドには、単に見世物を見たいだけではないのかという疑惑しか浮かばなかったが。
「ううん。トーマと一緒の方がいいし」
「そう? まあ、いいけど。それもこれもあの三流錬金術師がテントに残るなんて選択するから……。面倒くさいな」
「まあまあ。終わったら、美味しいもの作ってもらお?」
「……ヤマネコ亭で甘いの奢らせてやる」
不貞腐れた様子でベンチに座り、青葉に目を見遣る。
「青葉さんの所に行かないの?」
「僕とあいつで会話になると思う? それにアイリが罵詈雑言浴びせられるの我慢できないし、此処からなら見るだけでいい。変なことあっても一瞬で飛べるから」
「そっか。じゃあ、食べる? さっき、クッキー買ってきたの」
アイリが紙袋から袋に包装されたクッキーを取り出しそれを見せると、少し躊躇ったがトーマは頷いた。
「うん、食べる」
その答えが返ると、アイリは嬉しそうに包装されたクッキーの袋のリボンを解いた。




