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大切な友人のために

 祭りの前日を控えた俺は、漸く一息つけたと背伸びをする。

 レシピ書いたり、調合ばっかりしていたものだから首が痛い。

 明日は色々とあるだろう。ただの祭りだけじゃなくて、人形師に会って話を聞かせてもらわないとな。

 少しでも疲れを残さないようにしよう。そうしたいのは山々なのだが──


「汚すぎんだろ」


 アトリエが汚い。

 レシピや図鑑は、机じゃ飽き足らず、床やベッドにまで散乱している。

 錬金術の調合に使った器材や食事の食器は洗わずに放置。

 この俺が……この高校生家政婦代表のような俺が、こんな所業をしていることがありえないのだ。

 元の世界じゃ、家に塵ひとつ残したことなんかない。

 本棚は常にシリーズ順で、それ以外だとすると五十音順で並べる。

 そもそも、床に物を置くのが嫌いなのだ。

 それが、何故……何故、こんなことに?


「掃除……掃除しなきゃ」


 うわ言のように呟くと、箒と雑巾を持って掃除を始めた。

 疲れとかそういう問題ではない。

 目の前にあるのは、ただただ汚れた俺のアトリエ。

 俺が放置した汚れという敵だ。


***


 ライドとアニーは、翌日の祭りのセッティングのために外に駆り出されていた。

 自分たちも出店することには変わりないが、既に準備は出来ているため、本業の店番くらいしかやることがないのだ。

 しかし、委員会から招集がかかったことから行かざるを得ない。

 一時、閉店。どうせ町の店で忙しい場所なんて、宿屋とヤマネコ亭くらいだ。

 外からの客が来るとしたら、その二つの店が忙しくなる。

 装備品店や雑貨屋は二の次だろう。


「さてと、あらかた終わったな。アニー、そっちどうよ」


 力仕事が終わると、ライドはアニーの元へと向かう。

 しかし、アニーは一緒に手伝いに出てた友人と楽しそうに笑っていることからして、彼女も仕事を終えたのだろう。

 何故なら、アニーは誰よりも仕事に一生懸命で中途半端を嫌う。

 それをずっと間近で見ていたのはライドだ。


「青葉のとこにでも行ってくるか。あいつ本当に飯食ってんのか」


 以前、金がなくてろくに飯を食べていなかったという青葉のことを思い出す。

 力を入れてしまえばすぐに折れてしまいそうなほどの細い腕。正直、あれを見た時は本当は女性なのではないかという錯覚に陥りそうになった。

 だが、流石に男と女の体の区別くらいは骨格で分かる。



 広場から数分の場所にアトリエはある。立地的に言えば、一番いい場所だ。

 この町、ルーイエは広場を中心に様々な店が並ぶ。シデン堂、ヤマネコ亭、宿屋やその他の店。


「羨ましいよな、くそ。うちなんかちょっと外れてんのによ」 


 アトリエの扉を軽く数回ノックする。

 普段なら作業中でもない限りすぐに顔を出してくれるが、何度扉を叩いても返事はない。


「留守か? それとも調合中? いや、窓空いてるな。青葉、入るぞ」


 相変わらずの返事がないが、扉を開けてアトリエに入る。

 壁や床が綺麗に磨かれ、器材や書物も整理整頓されている。

 髪の毛ひとつ落ちていないほどに掃除されていた。


「マジかよ。これ一人で? いや、エイルさんが来た可能性も……。あ、でもエイルさんも今日は忙しいんだったっけ」


 様々な思考を巡らせるが、当の家主が見当たらない。


「青葉?」


 部屋の奥、浴室から人影が見えた。


「何だ、風呂か。おーい、青葉」


 浴室の扉を躊躇なく開けると同時、衝撃がライドの顔面を直撃した。


「うるせえ、入ってくんな!」


 ライドに一発入れたインナー姿の青葉の蹴りは中々に重苦しく痛い。

 落ち着いた青葉は溜息ひとつ吐くと、丁寧に濡れた髪を拭いた。


「いってて……。別にいいだろ、男同士なんだし」


「プライバシーってもんがあるんだよ。人の縄張りに入るんじゃねぇ」


「縄張りってな……。お前、今のが女の子でもその蹴りかますのかよ」


「はあ?」


 何を言っているんだとでもいうように青葉が呆れる。

 ライドだと分かって蹴るには、あまりにも早すぎる。

 明らかに、突然の侵入者に対する報復としか思えない。


「女だったら寸止めくらいか。後で怖いし」


「あ、やることは変わらないのか」


「んなこた、どうでもいいだろ。何だよ、覗きか」


「男のサービスシーンなんか嬉しくねぇよ。窓も扉も空いてるし、本人いねぇから探してただけだ」


「だからって浴室まで来るか、普通」


 やれやれと肩を竦め遠慮なく着替える青葉を、ライドはぼうっと見ていた。


「んだよ……。じろじろ見るんじゃねぇよ」


「お前さ、可愛い顔してるし肌も綺麗なんだから大事にしろよ」


「何をだよ」


「だから、肌」


 ライドが青葉の左肩にある傷痕を指差した。

 今は痣になっているが、当時は大きな怪我だったのだろう。傷痕の面積は小さくはなかった。


「──ッ! 見たのか」


「見たというか、見えたというか。まあ、誰だって怪我くらいするもんさ」


「まぁ……それも、そうか」


「あ、踏み込んだなら謝る」


「いや、別に。それよりも向こう行って座ってろ。すぐに茶でも出してやるからよ」


「おう、分かった。悪かったな」


 苦笑いを浮かべてライドは、浴室を出ていくと扉が小さな音を立てて閉まった。

 青葉はその場に座り込み、膝を抱えてタオルに顔を埋めた。

 冷静に返せたのが自分でも不思議なくらいで、傷痕のある左肩をぐっと掴んだ。


「誰だって怪我をする。そうだ、誰だって……俺だって、普通の人間なんだ」


 それは、蚊の鳴くような小さく震えた声。

 涙が出そうになることを堪え歯を食い縛る青葉は、立ち上がって鏡に映った自分を睨む。


「男だろうが女だろうが、痛みは平等だろうが」


 何者かに訴えるかのように怒気を孕ませた声で青葉は、鏡に映った自分に拳を当てた。



 一方、アトリエで寛ぐライドは酷く気落ちしていた。


「地雷……だよな、あれ」


 平静を装うとしても顔に出る青葉の表情が脳裏に張り付いて離れない。

 恐らくあの怪我のエピソードは青葉にとってのつらい思い出なのかもしれないのかと考えると、ライドは友人を傷つけてしまった自分が許せなくなる。


「アニーにデリカシーねぇって言われるの、こういうことなのかもなぁ」


 天井を仰いで盛大に溜息を吐く。

 しかし、この話をいつまでも引き摺るわけにはいかない。さっきの出来事は、胸の奥に秘めて気にしないようにするしかないのだ。


「ん……?」


 チリンチリンと鈴の音がして、扉が開かれる。

 音のした方に目を向けて、青葉に錬金術の依頼をしにきた客であろうその人物に近付いた。


「あー、すいません。今、閉店中で――」


 頬を掻き浴室を横目で見るも、すぐに客人に目を向ける。


「──え……?」


 ぐらりとライドの体が床に落とされる。

 背筋に悪寒が走った。目の前の人物は、普通の客ではない。

 恐らくは良くないもの。友人を巻き込む前に外に出さなくてはと、ライドは起き上がろうと腰を浮かせようとするが、強い力で抑えつけられ首を一舐めされる。


「かはっ……!」


 恐ろしいほどの不快感と倦怠感、そしてチリチリと体の細胞が焼ききれそうになるほどの激痛。

 これまで、どんなことをしたってこんな苦しみは味わったことがない。

 ライドの中に一つの未来が見えた。


 それは、『死』だ──


 このまま、自分は死ぬのではないかという恐怖と、それ以上にその危険が友人に迫るのではという予感がして、せめて友人だけでも助けてやりたいと思ったライドは、必死に相手を引き剥がそうとした。

 しかし、その抵抗も虚しく、焼けるような激痛と不快感に打ち勝てはしなかった。


「くっ……そ……! 青葉……逃げ──」


 そこでライドの意識は暗転し、体の全ての力が抜けた。

 友人を守ることすらできない不甲斐なさを呪いながら、それでも逃げて欲しいとだけ。己より友の身を案じていた。

 ライドを襲った人物は、舌なめずりをして彼を解放する。

 愉快そうに喉元でくくっと笑いながら、浴室を見た。

 しかし、そちらに向かうことなく踵を返してアトリエを去ったのだ。

 まるで、何も知らない青葉が顔面蒼白にして震えることを楽しみにするように。


***


「悪いな、遅くなって。今、茶でも──」


 平常心に戻って心の整理がついたらしく、浴室から出た青葉は、茶葉の入った缶を取り出す。

 しかし、寛いでいる筈のライドが見当たらない。


「ライド?」


 周囲を見渡すことで、漸く視認すると同時、手に持っていた缶を落としてしまう。

 見つめた先には、無造作に床に伏している友人。


「おい、ライド。何こんなとこで寝て……おい、こら! 起きろ!」


 何度も顔を叩くが、返事はなく生気が抜けたように意識を失っているライドに青葉の肩が震えた。

 呼吸をしていることから、死んではいないものの浅い。


(俺が、ぐだぐだ悩んでる間に何が……いや、これって)


 青葉には心当たりがあった。

 アトリエに訪ねてきたであろう誰かによってライドは、自分の代わりに犠牲になった。

 青葉を狙うもの。恐らくは、前に襲ってきたアニーに憑依した魔物だ。

 錬金術師の魔力を欲している魔物が、人間であるライドの魔力を吸ったらどうなる?

 そもそも、どうして顔が割れている青葉を狙わずにその場に居合わせただけのライドを襲った意味が分からない。

 いずれにしても、今は理由を探してる余裕なんてない。

 今はとにかく、ライドを回復させるのが一番の優先事項だ。


「この様子だと、根こそぎか。くそ、待ってろよ!」


 ライドをベッドに寝かせて青葉はアトリエを飛び出した。

 頼るべき者は、青葉にとって一人しかいなかった。

 とにかく、友人を救うためには一分一秒でも惜しい。それが女性だろうが関係ない。頭を下げたっていい。


「頼むぜ、エイル……!」


 走って走って、使用人達を蹴散らしてでも彼女の力と知恵を借りる。

 青葉には、それ以外の最良の策が思いつかなかったのだ。

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