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恋金術の定義

作者: s




「先生、何してらっしゃるんですか?」


 室内には、コポコポと規則的な音が響く。

 目の前にあるフラスコには奇妙なピンク色の液体が満たされており、それからうねる様に出ているチューブの先には、これまた不思議な赤色の液体で満ちたフラスコがつながれている。

 よくよく見ていれば、室内には試験管やらフラスコやらといった実験器具がそこら中に張り巡らされており、たくさんの書類が床に散らばっている。

 この間片付けてあげたばかりなのにな、とリズは溜息をついた。


「何って、実験だよ、実験! それも世紀の大発明のね!」


 そう言って縁なし眼鏡を中指で押し上げながらキラリと目を輝かせたのは、この家の主、先生こと胡散臭い自称錬金術師ハロルドである。


「これはね、とても偉大な実験なのだよ。リズ君」


 そう言ってウキウキとした表情を浮かべるハロルドに、リズは唇を尖らせた。


「先生、今日が何の日か知ってますか?」

「今日? さて、何の日だろうね。ああ! 危ない。貴重な実験材料を溢すところだったよ。ああ、リズ君。そこ、気をつけ給え」

「ていうか、先生。少しは片付けたらどうですか?」


 あんまりにも酷い有様を見兼ねてそう口にしたとたん、ハロルドの眼がキラリと光った。


「は。片付ける!? 片付けるとはいったい何を以って片付けると定義するのだろうか!? もし、君が今この状態を見て片付けるという発想に至ったのだとしたら、それはつまりこの状況を散らかっている、と定義しているということであり、その定義とは君の中で君が定めた極めて不安定な要素の集合であり、つまりそれは万人にとっても散らかっているという同じ定義付けをされるかどうかという論点から考えると、例えば私にとっては」

「……もう、いいです。先生。私が片付けます」


 要するに片付けるのが苦手なのだろうハロルドに、リズは今日何度目かの溜息をついて片付け始めた。


「ああ、気をつけ給えリズ君。その書類は……」

「はいはい、分かってます。左から二番目の棚の三段目にある青いフォルダでしょ?」

「う、うむ」


 通りから子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。

 窓から外を覗けば、色とりどりの花輪が家々に取り付けられ、道中を大勢の人たちが行き交っている。

今日のために特別にお洒落をして仲良く腕を組んで歩く恋人同士の姿を見つけてしまい、リズは慌てて首を振って書類を片付けた。


「先生?」


 体は棚に向けたまま、視線だけを後ろに送ると、ハロルドは片手に持ったフラスコから机の上のフラスコに、スポイドから紫色のとろりとした液体を抽出しているところだった。


「うむ?」

「先生は、行かないんですか。花祭り」


 とたんに机の上のフラスコからボワン、と音を立てて白煙が上がる。


「ぎゃっ! ああ……また失敗だ」

「先生、床汚さないで下さい。ほら、こぼれちゃう!」

「あ、ああ、うむ。すまない」


 慌てて書類をよけ、持ってきた雑巾で緑色に変色した液体を拭き取る。


「それで、何だったかなリズ君。何か……そう、花がどうとか」

「花祭りです、先生」


 今日はこのアースレイド国の始祖王にして偉大なる女王陛下アゼリア=ミルドワーズの生誕を祝う日なのだ。


「ああ、そうか、もうそんな日だったのか。いや月日の流れというのは実に早く不思議なものだね、リズ君」

「……そうですね。私はこれほどまでの騒ぎに今の今まで気づいていなかった先生の方が不思議です」

「ん? 何か言ったかね」

「いえ、何も。きゃっ!」


 絞った雑巾と水が化学反応を起こしたのか何なのか、じゅっと音を立てて再び白煙が上がった。


「リズ君!」


 焦った様子で駆けつけたハロルドに手を取られ、水に浸される。

 熱くなった指先に、突然与えられた冷たい感覚に、ちりりとした痛みを覚えて身を震わせた。


「大丈夫。大丈夫だよ、リズ君。こうしていれば後も残らないだろうから。悪かったね、怖い思いをさせて」


 そう言って微笑んだハロルドに目を奪われ、リズは思わず俯いた。きっと頬が真っ赤に染まっていることだろう。


「……先生」


 だらしなく一つに束ねられた灰色の髪の一房が視界を掠める。

 よれよれの白衣から、日々、奇天烈な実験まみれの生活を送るハロルドの不思議な匂いが漂う。


「何だろうか?」


 優しくタオルで手を拭われながら、リズはハロルドの横顔をじっと見つめた。


「先生は、何の実験をしてらっしゃるんですか?」

「む、気になるかね?」


 ハロルドと目が合い、こくりと頷く。

 花祭りも気にとまらないほどの大切な実験なのだろうか。

 私が、一緒に祭りに行きたいと誘うのもちょっと憚られるような、大事な実験とは何なのだろう。


「では、リズ君には特別に教えて差し上げよう」


 ごくり、と唾を飲み込み、ハロルドの言葉を待つ。

 耳元に近づくハロルドの顔に、ばくばくと心臓が脈打つ。

 そうしてそっと呟かれた言葉に、リズは一瞬、息を止めた。




「愛だよ、愛」




「……は?」


 口をあんぐりと開けてハロルドを見つめた。


「世紀の大発明だろ、リズ君! 愛とは何なのか、人類史上最大の謎にして最大の奇跡! それを解明することが出来れば世界中の人々が恋に悩む必要もなくなるというものだ。ああ、素晴らしいと思わないか、リズ君。あともう少しで何かが分かりそうなのだよ」

「……」


 目を輝かせて悦に浸るハロルドの顔に、リズは馬鹿馬鹿しくなってタオルを投げつけた。


「リズ君? どうし……」

「先生の馬鹿ぁ!」


 そのまま踵を返してドアを勢いよくあけて飛び出した。


「え! え? リズ君!? どうしたのだね、リズ君!?」



 賑やかな喧騒がこだます町の中、恋人たちの時間は過ぎていく。

 年に一度の美しい祝祭と共に。





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