(八)航空騎兵・後編
ベネトナシュ空域基地での暮らしを始めたノリトとイオキベは、その豪華な朝食に驚く。
初日午前からイオキベは、小隊の航空訓練に参加していた。腕立て伏せ500回を賭けたアウダース・ゼール中尉との追従飛行訓練は、激しい航空技術が繰り広げられた末、イオキベに軍配が上がる。
一方ノリトは、アンテット・クライシ少尉の補助を受けつつ、整備士たちや「第一格納庫の主」であるピレルゴス曹長にも受け入れられ、搬送してきた赤茶色の航空騎兵の分解整備を始めていた。開放的であっけらかんとしたアンテットの魅力にどきまどしながら作業を進めるうち、昼が近づいていた。
自分の動悸も忘れ、少年が整備作業に没頭してからしばらく経った頃、昼を告げる響報が、夏期間の青空の下に鳴り響いた。
ベネトナシュ空域基地の隊員は足早に、あるいはのんびりと、業務に区切りをつけて昼食に向かう。
ノリトもまた、ピレルゴス曹長や整備士たちに一言告げると、第一格納庫を後にし、滑走路上の所定の場所に昼食を摂りに来ていた。
「お、に、ぎ、りー!?」
珍妙な声を上げながら、天然イ草製座布団に、イオキベはどっかりと胡坐を掻く。
激しい飛行訓練の後のはずだが、汗ひとつかいていないのが小憎らしい。
ベネトナシュ基地の滑走路の片隅、直径3メートルもある大きな紅い日除け傘が、真昼の太陽光を遮って影を作るその下には、天然イ草製のござが敷かれ、イオキベとノリト、トゥシェとスズ、そしてがラソンの5人が車座に座っていた。
ノリトもまた、両手についた油脂を雑巾で拭いながら腰掛けるが、目の前の光景に口を閉じることが出来なかった。
彼らの中心には、合成食品ばかりのこのご時世、貴重な食料が並んでいる。
漆塗りも鮮やかな大きなお盆の上の大皿には、白米で作られた握り飯が山盛りに、別なお盆には、こちらも山盛りの鶏の唐揚げがあり、副菜として、これまた盛りだくさんの、胡瓜や玉菜など、様々な野菜の漬物らしきものもある。
少年が何より驚いたのが、握り飯の山の傍らに、長方形に切り揃えられて積まれている、黒い紙のようなものだった。
「こ、これ、海苔ですか?」
「そうだよ~」
「信じられない……」
のんびりと答えるトゥシェの頬は紅く、午前中の体力訓練を終えた余韻が、桃色の唇にも残っている。
「まったく……最前線でこんな食事をしてると知られたら、大変よ」
同じく訓練後の火照りに頬を染めたスズが、お団子頭を解きながら言った。長い黒髪は素直にほどけ、控えめな胸元まで墨のような流れを作る。
「これ、どうやって食べるんですか?」
「いただきまーす!」
少年の問い掛けに答えたのは、右隣に座ったイオキベの行動だった。
素早く握飯を手に取ると同時に海苔を一枚さらい、手早く包むと大口で頬張る。
「……こ、こ、こ、米ぇーーーーっ!!」
(鶏みたいだ……)
イオキベの奇声に内心で突っ込みながらも、ノリトも彼の所作を真似、思い切って頬張ってみる。残りの三人も、思い思いに食事に手を付け始めた。
言葉にならない。
ぱりっ、と音を立てて海苔を割いた前歯を、その下の水加減良く炊き上げられた白米の弾力が受け止める。さらに歯を進めると、口の中を海苔の香りが満たし、少しだけ塩味のついた御飯が舌に広がる。噛み締める都度、口腔内で米が踊り、独特の海苔の香りが舞う。
「うわっ! 何だこれ、酸っぱい!」
少年は突然声を上げた――頬張った御飯がこぼれ落ちそうになり、慌てて口元を覆う。
「あはは、ウメボシって言うんだって、それ」
大きな唐揚げを小さな口に運んでいたトゥシェが、楽しそうに笑いながら、ノリトの手にある握飯の中を示す。拳大に握られた白米の中には、親指の爪ほどの赤い実が入っていた。
「私も、ベネトナシュに来て始めて食べたよ。かりかりして美味しいの」
恐る恐る指先で取り出し、少し噛んでみる――かりっ、とした歯応えの後に、じんわりと酸っぱさが口中に広がる。
「不思議な味……でも、美味しいです」
「ね~」
ノリトがそう答えると、栗色の緩やかなおかっぱ髪を揺らして、トゥシェは嬉しそうに微笑んだ。彼女もまた、お握りを頬張る。
「うめぇ! うめぇ!」
イオキベは次々と握飯に手を伸ばしていた。
ノリトも負けじと口に放り込む。
唐揚げも一緒に頬張ると、また格別だった。
天然の恵みに、皆、黙々と口を動かしている。
人間が住む場所ですら不足しているのに、自然栽培できる土地を確保することは困難を極めた。
同じく貴重である水資源を使って、水田により稲を育てることは、そしてそれを口にすることは、一般にはなかなか体験できない。ましてや、もはや自然には存在しない海水を必要とする石蓴を育て、海苔に加工する余裕など、一般には無かった。
「ウメボシ」というらしいこの食物も、素材の栽培から加工まで、きっと相当の手間がかかっているに違いない、少年はそう思っていた――ガイツハルスがいかに手を回そうと、普通に辺境基地に回ってくるものとは考えられなかった。
ラソンが大きな薬缶から冷たい麦茶を注ぎ、各々に湯呑を回す。
御飯で一杯になった喉に麦茶を通らせる。
紅い日除け傘の淵から見える絶床世界の空が、一層、青く見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そういえば、アウダースはまだでしょうか?」
麦茶で白い喉を鳴らしたスズが、イオキベに尋ねた。飛行訓練を終え、ソブリオ、レーニスと共に戻っていて不思議はない。
「ん」
握飯で頬を一杯にしたイオキベが、無精ひげの生えた顎を振って示す。
その方向、広い滑走路のど真ん中、炎天下にアウダースとソブリオが伏せていた。
アウダースは鬼のような形相で猛然と腕立て伏せをしており、間もなく500を数えようとしていた。同じく2番機に搭乗していたソブリオも、連帯責任で腕立て伏せをしている。こちらは渋々という感じで、ようやく400を越えたところだった――追従飛行訓練の賭けの結果だ。
「レーニスは……」
「ん」
再びイオキベが顎を振って別の方角を示す。
そちらでは、広い庇の下で格納庫の壁に手をつき、痩せた背中を折り曲げたレーニスが、盛大に吐いていた。その背中をアンテットがさする、というより、ぶっ叩いている。
「……ふう」
その様子をしばらく眺め、スズ・オラシオンが細い首を振って溜息をついた頃、アウダースが紅い日除け傘の作る影の下に入ってきた。
イオキベの右隣にどっかと座り込んだ彼の顔は汗に塗れ、その黒い肌を黒光りさせている。紅い騎兵服の中も汗だくなのだろう、機能高分子繊維が吸汗と代謝に懸命な様子が、その色合いの変化からも見て取れた。
彼の眉間には苦渋の皺が寄り、くっきりとした白目の中に浮かぶ黒い瞳は、稲妻でも発せそうなぐらい、怒りに輝いている。
「中尉、お茶を」
黄色い髪のラソンが差し出した大ぶりの湯呑には、たっぷりと麦茶が注がれていた。糸目の青年に眼だけで礼を告げると、アウダースは一気にそれを呑み干し、おもむろにイオキベに向き直る。
「……教えてくれ」
「ん?」
もぐもぐと口を動かしながら、眼だけをアウダースに向けるイオキベ。
「あんな追従飛行、どうやったら出来るんだ……教えてくれ、頼む」
悔しさを押し殺すようにそう言うと、アウダースは、がっちりと隆起したその肩と、騎兵らしく刈り上げられた黒髪の頭を、腰まで下げた。
ノリトは息を呑んでいた。
腕立て伏せを終えたソブリオがやってきたが、場の空気を感じ、そっと腰掛ける。
強い風が吹き、日除け傘をばさばさと揺らした。
あおられた黒髪を右手で押さえながら、スズはやわらかく二人を見守る。
他に動いているのは、頬張った握飯を咀嚼するイオキベの口だけだった。
音を立てて麦茶を呑み、口内の握飯を胃の中に流し込むと、イオキベは言った。
「――あんた、いい男だなぁ」
「俺は真面目に頼んでるんだ……!」
怒りに、アウダースが上半身を起こす。
今にも殴りかかりそうな勢いだ。
「分かってるさ」
笑みを浮かべ、イオキベもアウダースに向き直る――その笑みが、決して嘲笑でもせせら笑いでも無いことを、少年は知っていた。
「嫌いなやつに頭を下げるなんざ、なかなか出来るもんじゃない」
「……持ち上げるな! オラシオン小隊は強くなきゃならん。その為にも、知っておきたいんだ!」
「ん~……」
不意にイオキベは片膝を立てて横を向くと、困ったように無精ひげを掻いた。アウダースと目を合わせずに言う。
「アウダース、あんた、滑空飛行が得意だろ」
「……確かにそうだが」
突然指摘され、少し驚きながらアウダースが答えた。
基本的に重力制御とプラズマ推進で飛行する航空騎兵は、盾翼によって揚力を操り、速度や高度を稼いだり、推力偏向することはない。逆に、新兵にとっては、正式な航空術習得の妨げになる場合すらある。
その一方で、十分に基本航空技術を培い、絶床空間での飛行に馴れた一部の熟練操縦者の中には、盾翼を使っての滑空飛行、そして、より素早く正確な航空技術に、揚力を利用できる者もいた。
「……それが関係するのか?」
「うん。『見る』んだよ」
「――何か特殊な虚像把握の使い方でも?」
思わず、スズは口を挟んでいた。ラソンもソブリオもトゥシェも、そしてノリトも、興味深く耳を傾けている。
「うんにゃ、有視界で。2番機の推進機や……特に盾翼の動きかな。それであんたの、ちょっと先の動きを読むんだ」
ほう、と誰かが感心の溜息を漏らしたが、一同はまだ、半信半疑だ。思わず声を上げたのは、アウダースだった。
「そんな馬鹿な……いかに近距離で設定したとはいえ、距離300メートルだぞ。亜音速で飛び回る先行機を、目視だけで追える訳が無い」
確かに、いかに『見る』ことを試そうと、人間の視力で、300メートル先を動き回る航空騎兵の推進機や盾翼の細かな動静を追い続けることは、不可能に思えた。
「いやまあ」
イオキベはまた、恥ずかしそうに無精ひげを掻く。
「望遠画面を使ってさ」
「あっ……」
望遠画面であれば、操縦手の有視界外も含めたかなりの範囲まで、先行する機体を撮像機が自動で追うことができる上、拡大表示された機体の推進機や盾翼の動きも、細かいところまで把握できる。
イオキベは2番機を追尾撮影する望遠画面にだけ集中し、常にアウダースの操作を真似することにだけ、専念したのだ。
「ちょっと待て! それじゃあ、2番機がしくじったらどうなるんだ?」
「うーん、3番機もどかーん!……だな。先行機があんたじゃなかったら、やらんよ」
呆れたように両手を上げて、アウダースは溜息をついた。
その場の空気が、すっとほぐれるのをノリトは感じた。
「いや待て、ということはだぞ? 最後の全速急上昇全停止の時は……」
「ああ、あれね。そりゃあなあ」
笑い出しそうな顔で、イオキベが言った。
「ぶっちゃけ、3番機も完全失速墜落しかかってたわ。いやあ、あんたの判断がちょっとでも遅かったら、先に人型形態になって負けてたのは、俺の方だったさ」
「……なんてこった」
相好を崩して、アウダースは笑い出した。得心がいったのか、スズも笑みを作って、頭を振る。
残りの四人は、いきなり笑い出したアウダースの様子に、ぽかんとしていた。
「つまりイオキベさん、あんたは、虚像把握でも無く、風を読むでも無く、『ただ俺を見ていた』ということなんだな」
ようやく笑い終えたアウダースが言った。
この言葉に、ノリトも理解した。
つまりイオキベは、アウダースが揚力を使えるほどの熟練者であるからこそ、望遠画面越しの観察による先読みと複写操作のみに集中できたのであり、また、アウダースがおよそ訓練中に事故を起こすような操縦者ではなく、危険な時には即、賭けに敗れてでも次善の選択が取れる人間だからこそ、勝てたのだ――それにしても、先読みと複写操作できること自体、並の技能ではないのだが。
「まあ、そういうこと」
照れたように、イオキベが鼻の頭を掻く。
また風が強く吹いて、紅い日除け傘と、彼の金髪を揺らす。
「イオキベさん」
「んあ?」
急に真面目な顔をして、身を乗り出したアウダースが言った――いつの間にか、イオキベを敬称で呼んでいることに、少年は気づいた。
「あんた、オラシオン小隊に来ないか」
アウダースの思わぬ一言に、一同が固まる。
スズ・オラシオンの水色の瞳に、動揺が走る。
「今、うちには攻撃手が足りない。小隊としての組織的な機能も、残念だが低下してしまった。あんたみたいな人間が必要だ。隊長機の後部座席に座り、オラシオン大尉の片腕になれる人間が必要なんだ」
イオキベはアウダースへ、無表情な顔を向けた。
スズはうつむいた。
「あんたが居るじゃないか」
「あんたは俺より上だ。技術だけじゃない、理知と機知、その必要を、俺はこの前、思い知った。俺たちが、この先も、生き残る、そのためにも」
ノリトはそっと、一同の様子をうかがった。
トゥシェはイオキベを見つめている。
ソブリオは驚いたようにアウダースを見ていた。
うつむいたスズ、ラソンがその様子を眺めている。
「一介の民間人をいきなり精鋭部隊に編入ってありえんの?」
「退役騎兵が戦線復帰する例は他にもある。うちの司令官もそういう手管には長けてる奴だ。実績を上げている大尉の上申があれば、本隊だって無下には出来んさ」
「あんた近衛騎兵は嫌いじゃないの?」
「そんな狭量なことでは、小隊を強くはできん」
イオキベは、くしゃくしゃと頭を掻いた。
日除け傘の影から外れた長い金髪が、陽光にきらきらと踊る。
「あんた、ほんと、いい男だなぁ」
「なら……!」
「あー……ごめん、でも、無理だわ」
微笑みながら、しかし真摯な瞳で、イオキベが告げる。
「このまま、工房で人生を終えるってのか」
アウダースもまた、真剣な瞳で食い下がる。
「俺、惚れた女がいてさ、もうちょっとでどうにかなんのよ。そいつと一緒に飛び立つまでは、死んでも死にきれないぐらいなんよ」
「だが……!」
「――アウダース、もう止しましょう」
風にあおられる黒髪を首筋で押さえ、うつむきながらスズが遮った。
白い頬に、長く黒い睫毛が映える。微笑みを浮かべて目線を上げた時、その水色の瞳は、切ないぐらいに澄んでいた。
「その人の名前の由来、知ってる? 『翼で駆ける男』よ。どこにでも行っちゃうわ」
「大尉……」
しばらく彼女の瞳を見つめ、アウダースは頭を下げた。
「……差し出がましいことを言いました。申し訳ありません」
風が止んだ。
イオキベは微笑んだまま、自分の膝頭を見つめ、頭を掻いていた。
誰も、何も言わなかった。
ノリトには、何が起こったのか、良く分からなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――もう! 大尉! こいつどうにかしてよ!」
滑走路の片隅をすっかり沈黙が支配した頃。
足音高くやってきたのは、アンテットだった。
青ざめたノーリスを引きずるようにして、紅い日除け傘の影に加わる。
「6年も騎兵やってて今更飛行訓練で吐くとか有り得ない!……何かあったの?」
その場の雰囲気を敏感に感じ取る褐色の彼女。
一方のノーリスはそれどころでなく、よたよたと座布団にへたれ込んだ。
「おい、ノリト、ゲロ仲間が来たぞ」
「い、イオキベさん、ひどい!」
二人のやりとりに、思わずスズが吹き出す。
それを切っ掛けに、沈黙していた一同は、ノリトを除いて、どっと笑った。
「ノリトくんも大変だったよねぇ。あの操縦席、掃除したの私なんだよ!」
「えっ!」
栗色の瞳をきらきらさせて、トゥシェが無邪気に胸を張る。超々音速飛行の前後、ノリトが吐き戻してしまった吐瀉物は、完全には排出されず、一部が操縦席を汚してしまっていたらしい。
大人たちに笑われていじけるというより、それをトゥシェに掃除させてしまったことに気が咎めて、少年はすっかり消沈してしまった。
「それでもノリトは超々音速、やり遂げたんだろう? それに比べてあんたは何さ! 操縦手の癖に後部座席にふんぞり返ってるだけで吐いてちゃオラシオン小隊の名折れだよ!」
今にも蹴りつけんばかりのアンテットの言葉にも、レーニスは反論すらできない。ラソンに注いでもらい、涙目でゆっくりと、その瞳と同じ色の麦茶を呑んでいる。
「まあ確かに、凄まじかったからね……全速急上昇全停止なんて、俺も初めてだったし」
ソブリオが珍しく言葉を挟んだ。
「どっかの誰かさんがムキになるからさぁ」
右隣の中尉を横目に見ながら、にやにやとイオキベが言う。
「ぐ! 貴様!……タネさえ分かれば、貴様ごときに!」
その一言は、アウダースの闘争心に、あっという間に火を点けたようだ。
「あれ、あんたの方が上だ、って言ってたの、誰だっけ?」
「あれはそれそのつまり今のところはということだ!」
「へっへっへー、他にも隠し技が無いとでも思っているのかね? 中尉?」
「こいつ! ほんとムカつく野郎だな!」
ガイツハルスの口真似をして見せるイオキベに、アウダースは掴みかからんばかりに怒鳴った。
ソブリオが肩をすくめ、唐揚げに手を伸ばす。湯呑を口元に運びながら、ラソンは静かに笑っている。
「ね、ね」
左脇をつつかれて、ノリトはびくっとした。
トゥシェが悪戯っぽく笑っている。
「あの二人、すっかり仲良しさんだねぇ」
「え、ええ、そうですね」
ノリトとトゥシェも、再びお握りを手に取った。
「……次も、イオキベさんの後部座席に乗せてください」
一同は手を止め、弱々しい声の主に注目した。
「……こんな有り様ですいません。でも僕、もっと上手くなりたいんです」
顔は青ざめたままだが、薄茶色の瞳はしっかりとイオキベを見つめている。
「そっちはどうよ」
アウダースに向かって出していた舌を引っ込め、イオキベが少年に尋ねた。
「今日中には完了できます。整備主任はどこかの工房長よりずっと親切ですし」
「へへっ」と笑っただけで、イオキベは少年の皮肉を受け流した。
「ということらしいから、俺は構わないぜ。隊長の判断は?」
「是非とも。そういうお約束ですし」
愉快そうな碧眼とは視線も合わせずに、スズが答える。
また、風が吹き始めていた。
総髪をほどいたアンテットの波打つ金髪が、風にあおられて広がる。仁王立ちしたまま、憤然として気持ちの納まらない彼女の気持ちを、代弁するかのようだ。
「さ、アンテット、もう良いでしょ?」
スズが、穏やかな眼差しで彼女を見上げる。黒絹のような髪が風になびく様は、納まらないアンテットの気持ちを、たしなめているようにも見えた。
「……分かりました」
さっきまで髪を留めていた真っ赤な布製髪飾りをはめた右手で、アンテットは乱れ髪を整えつつ、呼吸を整えると、ノーリスの傍らに腰掛けた。
「ノーリス、食べよう? あんた午後も飛行訓練でしょう? 食べなきゃ持たないよ」
「う、うん」
のろのろと上体を起こして、ノーリスがようやく握飯に手を伸ばす。
それを見て、思い出したように、アウダースも握飯を手に取ろう――としてイオキベに取られた。
「……貴様というやつは!」
「かかかかかか」
怒声を上げるアウダースに対し、イオキベは、善良な人間には一生出せそうもない笑い声を上げた。
壮絶な握飯の取り合いが始まり、大皿の上はあっという間に綺麗になっていく。
堅物の副官とお握りを奪い合う金髪の男の横顔を眺め、そっと吐息を漏らし、スズ・オラシオンはその視線を、絶床空間、上空の青に投げた。
(つづく)
ザ・昼飯!……という回になりました(汗)
別に「握飯」にまでルビ振る必要は無いんですが、そういう作品だもん!(開き直り)
次回「空葬」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(らいすぼーる!)