(四)超々音速
絶床空間に突如として発生した激昇気流。そこから出現した飛竜たちを前に、ノリトとイオキベの駆る航空騎兵は小浮島に身を隠すことを余儀なくされていた。このままやり過ごすことは出来るのか……。
一方その頃、弩級雷竜との激戦を終えて基地に帰還したスズ・オラシオン少尉は、司令に呼び出されていた。
辺境の基地としては不釣り合いなほど広い司令官用の私室で、スズ・オラシオン大尉はアウダース中尉を伴い、直立不動の姿勢を保っていた。
二人とも赤を基調に黒いラインの走った騎兵服を身に着けたままだ。
機能性を重視したベネトナシュ空域基地の中でもこの部屋だけは別格で、貴重な天然繊維製の壁掛けや絨毯、天然木材製の書斎机を始めとする家具類が設えてあり、さらには滅多に手に入らない珈琲の香りまで立ち込めている。
スズはまっすぐな黒髪を、少し小ぶりな胸元と背中に流していた。顔回りを走る墨のような髪の流れが、その白い肌と小さめの顔を浮き立たせている。身長は160センチメートルに満たないほどだが、凛とした意志がその水色の瞳に宿っていた。
極めて平静に報告するスズの隣では、彼女より30センチメートル近くも高いところから、アウダースが目前の、重厚感あふれる書斎机に座っている男をねめつけていた。がっちりとした肩を怒らせ、その黒い肌を苛立ちに光らせて、黒い瞳は今にも火花を吹きそうだ。
「なるほど、で? 報告は以上かね?」
騎兵新聞を読みながら、セーリオ・ガイツハルス少佐が言った。
赤を基調とした討竜部隊所属佐官服で、ふっくらとして下腹の出たその身を包んでいる。身長はスズより10センチメートル近く高いが、その体形のせいか、何となく小男に見えた。
「はい、以上であります」
「ふむ」
落ち着きあるスズの返答に、ガイツハルスは心持ち唇を歪め、珈琲を一口すする。
しばらく考える様子を見せた後、目前の部下二名を見据えて口火を切った。
「つまり? 我らが討竜部隊の優秀な操縦手かつオラシオン隊隊長であるオラシオン大尉は? 古参の隊員一名を損失させかつ自らの隊長機を大破させ? 挙句? 成果確認もできずに帰投した、ということだね?」
「はい、そうです」
いちいち語尾を上げて言葉を切るガイツハルスの物言いに、激高しそうになるアウダースを手で制しながら、努めて冷静にスズは答える。
「嗚呼、大地球の恵あらん」
大袈裟に困り顔を作り、ガイツハルスは天井を仰いだ。
スズの顔の横に来ているアウダースの肩が怒りに震えているのに気付き、彼女は内心で大いに苦笑する。
「これは本隊への報告に苦慮するよ? そうだろう? 大尉? 我が基地きっての優秀な騎兵が損失を被った上に十分な成果を持ち帰れなかった……何とも残念なことではないかね?」
「し、しかし! 相手は弩級雷竜でした! 一個中隊でも手こずる弩級竜種です! 最終確認できなかったとは言えこの成果は十分な――」
堪え切れずに声を上げたアウダースの顔に、騎兵新聞が飛んできた。
「貴様には発言を許可していないぞ中尉!」
立ち上がったガイツハルスの唇がわなわなと震えている。ぐう、とアウダースが声を噛み殺す音を最後に、司令官用の私室を静寂が支配した。
こんな時はやり過ごすしかない……そう知っているスズは、固く唇を結ぶ。
「……まあ? そんなことだから? 貴様は10歳も年下のオラシオンに抜かれ? 30歳にして未だに中尉止まりな訳だが?」
乱れた前髪を撫でつけながらガイツハルスが言ったのは、しばしの沈黙の後だった。
「33歳で少佐かつ基地司令の私を見習いたまえ?」
揉み上げと襟足を刈上げ、前髪だけ伸ばしている赤毛の頭髪を、ガイツハルスは「貴族的」だと考えているらしい。
「まあ良い、で? 他に報告事項は? 優秀な騎兵の目には何か止まらなかったかね?」
さらに前髪を整えながら、ガイツハルスは着席する。
「そう言えば……」
あの激戦を思い起こしながら、スズは気付いたことを語った。
「――あの雷竜は、5本指でした」
「5本指?」
スズの言葉を耳にして、不意にガイツハルスの手が止まった。
腫れぼったい茶色の目を細め、宙を見つめて沈黙し、貴重な革張りの椅子に深く背をあずけ、思案を巡らせている。
「……何か思い当りますか?」
「いや、いい、尉官級には関わりのないことだ」
ガイツハルス少佐は軽く頭を振って言った後、再び乱れた前髪を撫でつける。
「本隊には上手く言い訳しておいてやろう。我が優秀な騎兵が左遷でもされては困るからな? そうそう、しばらく補充兵は無いと考えてくれよ? オラシオン小隊は訓練にでも勤しんでくれたまえ。もう隊員を失うことの無いようにな? あ、そうそう、隊長機の代わりも無さそうだぞ? 最近試験用に送られてきたアレ、あの黒灰色の旧型でも使っててくれたまえ。また壊しても良いようにな? で、何か質問は?」
「有難うございます、司令官」
スズがそう言うと、ガイツハルスは満足そうにうなずき、しっしっ、と右手を振る。
額に手を当てて敬礼をすると、彼女はアウダースを促し、司令官用私室を辞した。
――その数分後。
ベネトナシュ空域基地の通路を、アウダースの怒声が鳴り響いていた。
「あの腐れ豚野郎! オラシオン小隊の戦果を握りつぶす気ですぜ! 何が33歳で少佐だ! 司令官面しやがって! この基地を3日も空けてたじゃねぇか! 残した指示といえば『敵竜発見次第撃滅セヨ』って何様のつもりだ!」
「あの若さで基地司令だもの、本隊との繋がりは大事なんでしょう」
なだめるようにスズは言った。
33歳での少佐昇格、しかも基地司令就任は、かなり異例だった。本隊でガイツハルスは、相当に上手いことやったのだろう。
とはいえ、一方でスズは19歳で大尉に抜擢され、若干20歳にして小隊を任されている上に、他のベネトナシュ基地隊員からの信頼も厚い。前司令官の退役に伴い、一年前に赴任してきたばかりのガイツハルスからすれば、彼女はかなり面白くない部下なのだろう――スズはそう思っていた。
「大尉」
急に足を止め、気を静め、アウダースが言った。
「俺は大尉の年なんて気にしてませんから。大尉の操縦手としての技術、隊長としての才覚は、誰しもが認めてます。オンラードは残念でしたが、あいつは最後まで、大尉の部下であることを誇りに思っていたでしょう」
自分より10歳も年上の男の言葉に、スズは胸が詰まった。
オンラードとアウダースは、空軍士官学校時代からの同期だという。遺族の他は、誰よりもその死を悲しんでいるはずだった。
「ありがとう、中尉。その言葉に救われます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……これは救われないかも」
後部座席のイオキベが呟いた。
ノリトとイオキベの乗る航空騎兵は、人型起動形式で小浮島の側面に張り付き、突如発生した激昇気流に乗って上空、しかも10キロメートルほどの近距離に現れた飛竜たちの様子をうかがっていた。
周囲は小浮島の多い空域で、有視界ではかなり目くらましになっているのが幸いしているようだ。
十一時方向から現れた飛竜たちは、今のところ、赤茶けた航空騎兵が隠れる小浮島に目もくれず、三時方向へ飛行し始めていた。
飛竜たちが乗ってきた激昇気流が、発生した時と同じような速さで、あっと言う間に掻き消えていく。
大量の空気と水分子が拡散された後の絶床空間では、飛竜たちの姿がよりくっきりと見えた。
「亜級毒竜です……」
被視界画面の望遠画面を見ながらノリトは息を吐いた。
「亜級」の竜とは言え、その体長は20メートルを超える。
何より恐ろしいのは、彼らの持つ特殊な毒液が、航空騎兵の装甲をたやすく腐食させてしまうことだった。
集団でまとわりつかれては、ひとたまりも無い。
先ほど打った最後の電波放射式探知に映った竜たちの影は、優に40体を数えていた。
「こんだけの数、人類居住外空域でも見たことないぜ」
吐きそうな声でイオキベが言う。
ノリトはふと疑問に思った。
人類居住外空域はその名の通り、人類が住んでいない、現在は勢力外となっている空域だ。その空域は、界平線を境にした上空の5割以上と下空のほぼ全て、つまり、絶床空間の大部分を占めている。
数々の奇怪な浮島が浮かび、あらゆる竜たちが跋扈する、とノリトは教わっていた。通常であれば、航空騎兵でも滅多に出ることが無いし、ましてや一般人では思い起こすことすら稀だろう。
(イオキベさん、調査部隊と関わりがあったのかな……)
そんな考えが少年の脳裏を走った時、後部座席から、イオキベが焦りの声を上げた。
「やっべ! ノリト! 虚像把握管制、こっちに寄こせ!」
珍しく、イオキベが慌てていた。
「亜級毒竜の群れには必ず斥候がいるんだった!」
「えっ?」
「群れから離れて周囲をうろつく奴がいるんだよ!」
ノリトが慌てて制御盤を操作した時、毒竜類特有の、金属をこするような咆哮が上がった。
――気づかれた。
群れから離れて大きく回り込んだ二体の亜級毒竜が、小浮島に隠れた航空騎兵の、よりによって正面、しかも5百メートルほどの至近距離からこちらを直視し、咆哮していた。
ノリトは総毛立った。
電波放射式探知を切り、虚像把握も使えていない状況下で、多くの小浮島によって目くらましされていたのは、むしろこちらの方だった。
「飛行形態! 垂直急降下! 動力制御弁全開放!」
イオキベの叫びに、ノリトは反射的に機体を操作する。
二人の乗った航空騎兵は弾かれたように小浮島を離れると、瞬時に飛行形態へ移行、機首を重力方向に向け、まっしぐらに垂直急降下した。
対界平線高度がぐんぐん下がる。
対界平線高度がマイナスに入れば、人類居住外空域だ。
視界に入った絶床空間の下空中央に、空の青さが翳る先、底無しの蒼黒い空域が口を開けている。
「ううう、俺のバカ! うっかりさん!」
愚痴りながらも、イオキベは思索を全回転させていた。碧眼が自身の虚像把握範囲を確認する。
(IFレンジ、2千、年は取りたくねぇなぁ)
――それで、イオキベは決めた。
「……ノリト、全管制こっちに回せ!」
「どうするんですか!」
叫び返しながらも、少年の手は制御基盤を走る。全ての管制がイオキベに渡った直後、前部座席と後部座席の間に隔離壁が上がった。
「何するんですか!」
少年の声が悲鳴に近くなる。
「前と後ろで虚像把握管制を割るぞ! 俺は追いすがってくる毒竜共を叩く!」
叫び声で指示しながらも、イオキベの両手は高速で制御基盤を動いていた。
「お前は超々音速飛行をやれ!」
虚像把握管制が強制的に2つに分岐され、前部座席と後部座席に振り分けられる。
さらに、超々音速飛行管制のみがノリトに戻ってくる。
ほぼ同時に、電波放射式探知が接源、探知電波が打たれる。
本来なら有り得ない挙動を強いられて、制御系統は唸り声を上げていた。
――イオキベは単独で航空騎兵の操縦と戦闘を担い、ノリトを超々音速飛行に専念させようと言うのだ。
「何言ってんですか!」
少年の声が絶叫に近くなる。
「レーダー見ろ!」
イオキベが怒鳴る。
探知機の画面に目をやると、先ほどの斥候二体が、垂直急降下する航空騎兵を確実に追ってきているのが分かった。さらに上空の亜級毒竜の群れも、網のように広がりつつ、この機体を狙ってきている。
二人の乗る航空騎兵は、垂直急降下で初速と推進力を稼いでいた。
だが、もともと激昇気流に乗って高速移動していた亜級毒竜たちはそれに勝る速度で迫り、追いつかれるのは時間の問題だ。
うまく逃げ切れるだけの加速を得られたとしても、機首を上げれば上空には群れが待ち構えている。機首を上げなければ、あと数十秒で対界平線高度はマイナスに入り、人類居住外空域だ。
――亜級毒竜たちの限界速度を遥かに上回る超々音速飛行で、上空へ離脱する以外に手は無かった。
「ノリト、超々音速飛行だ! やれ!」
イオキベが怒鳴る。
「できません!」
少年は絶叫した。
「何でイオキベさんがやんないんですか!」
「俺のIFレンジは2千っきゃねぇ!」
「僕なんて5です!」
「自慢すんな! 俺は操縦手じゃないんだ!」
「僕なんて操縦手失格です!」
「阿呆! おまえのが出来る!」
「根拠は何なんですか!」
「勘だ!」
「馬鹿ですか!」
「うるせえ! やれ!」
「……うわぁぁああああああああーーーーーー!」
――ノリトは叫んでいた。
視界が暗くなる。
空軍士官学校時代の思い出が脳裏を埋めようとする。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『――アルトラ・キャビテーション・ライド。
通称「UCR」。
秒速6千8百メートルで絶床空間を掛け抜ける。
いかなる竜にも勝る、
航空騎兵の「超々音速飛行」手段だ』
空軍士官学校当時の教官の声が脳裏に蘇る。
頭部装着型学習機に初期航空騎兵の画像が映る。
当時10歳のノリトは、感嘆の声を上げていた。
学習機を通して、同期生たちも同様に
声を上げている様子が伝わってくる。
だが、次の言葉に、ノリトは唇を噛み締めた。
『――その為には、
高い虚像把握能力が必要だ』
僕はもう3千だよ。
私なんて3千5百を超えたのよ。
同期生たちのお喋りする声が聞こえる。
『――虚像把握能力は、およそ8百年前、
初めての航空騎兵乗りである、
ルー大尉が発現した』
『――元来は竜のみが持つ
特殊能力と言われていたが、
竜との長い戦いを経て、
ついに人類も体得するに至ったのだ。
これを期に、人類の居住域は急速に拡大、
人類と竜との戦いの形勢は、
一気に人類へと傾くのだ』
『――さあ今日は、8百年前当時の
映像を確認してみよう』
頭部装着型学習機に映像が流れ始めた。
まだ画素数の少ない時代だからなのか、
映像は荒い。
先ほどの初期航空騎兵が、
青い機体を輝かせながら飛んでいた。
当時はまだ単座式だった操縦席が映る。
ルー大尉と思しき、凛々しい金髪碧眼の青年。
管制室が映る。
管制室の虚像把握受像機に、ルー大尉が
把握する絶床空間の虚像が描かれ出した。
実証実験は成功しているらしく、
大柄な男性管制官が喜びの声を上げている。
『……ナッシュ、今日はこのまま
超々音速飛行に入ってみるぜ』
『無理するなルー!
人類の存亡はお前に掛かってるんだぞ!』
『ナッシュ、竜は待ってくれない。
今、俺が飛ばなくて、何時、誰が飛べるんだ?』
『分かった、ルー。
そこまで言うならやってみよう』
『大地球の恵あらん!』
再び映った初期航空騎兵が、
その先端から重力球を放出、
先端空間を開いていく。
だが、安定しない。
機体はぐらぐらと揺れ、
今にもフラクタル爆発を起こしそうだ。
頭部装着型学習機から、
はらはらする同期生たちの様子が伝わる。
10歳のノリトもまた、息を呑んでいた。
……そう、ここで、管制官の彼が叫ぶんだ。
何度もこの映像を見ているから、
ノリトもすっかりタイミングを覚えている。
『――飛べ! ルー!』
男性管制官の声と、ノリトの声と、
同期生たちの声が重なる。
可愛い生徒たちの様子に、
楽しそうな教官のくすくす笑う声も聞こえる。
青い初期航空騎兵は、
その期待に応えるように安定すると、輝く。
もう一台の撮像機からの視点。
重力鎖に沿ってまっしぐらに、
超々音速飛行で飛び去っていく初期航空騎兵。
男性管制官、ノリト、同期生たちの
歓声が重なり、学習機から一斉に響く。
再び管制室の虚像把握受像機が映る。
ルー大尉の描く虚像が、絶床空間の
ほぼ全てを捉えている――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――げぼぉっ!」
ノリトは盛大に吐いた。
防護兜の中に、自分の吐瀉物が巻き散らされる。
胃液に紛れ、海老の匂いが鼻につく。
「ちょ、おま、大丈夫か!」
前部座席の様子に、慌てたイオキベが声を掛けてくる。
「……だいじょうぶら、ないれす」
虚ろな目で自分の虚像把握範囲を確認すると、「0」だった。むしろマイナスになってしまえばいいのに、とノリトは思った。
「……ぼくには、むりれす」
涙目で訴える。
防護兜の保護機能が働き、内部に充満した吐瀉物、涙、鼻水が速やかに排出される。
さらにそれらは、前部座席からも迅速に排出されていく。それでも、鼻の奥に酸っぱい匂いは強く残っていた。
「あー、大丈夫そうだな。隔壁閉めといて良かった」
「大丈夫じゃないです! 僕には無理です!」
心無い大人の言葉に、少年は叫んだ。
「うるせえ! こっちはそれどころじゃねえ!」
心無い大人が叫び返す。
電波放射式探知には、上空の群れからも、毒竜たちが次々に垂直急降下してくる様子が把握できた。
間近に迫る二体の亜級毒竜は、金切り声を上げながら、両腕を精一杯に伸ばし、その4本の爪に機体を捕えようとしている。
(IFレンジ、750……ノリトの属性に回した分、俺がキツクなったな――だが)
冷静に計器を確認しながらも、イオキベは自分の体中を、炎のような感覚が走るのを感じていた。
「――ここは反撃と行くか!」
イオキベの操作に従って、赤茶けた航空騎兵は、頭部を上空に向ける形で、瞬時に人型起動形式へ移行する。
同時に、右腕の撃槍を展開、両足のプラズマ推進装置を吹かせた。さらに、重力制御も合わせ、重力方向に逆らって急制動する。
(迫り来る敵なら、短距離虚像把握でも対応できる!)
航空騎兵は、追いすがる二体の毒竜に対し、中空でいきなり向き直った。盾を掲げ槍を構える空の騎士の姿に、二体の斥候はたじろぎ、翼を広げて急制動をかける。
だがそれは、イオキベの思惑通りだった。
二人の機体を追う亜級毒竜が、その変形と急速推力偏向に不意をつかれた瞬間――。
――突撃! 先を行く毒竜に、航空騎兵の撃槍が突き刺さる。
――瞬時に炸裂! 撃槍を構成する超硬繊維がミクロン単位で運動、垂直方向に伸び、毒竜を体内から突き破る。
――さらに捻転! 針山のように膨れ上がった撃槍が捻られ、青い絶床空間で、体長20メートルの亜級毒竜が塵となって爆散する。
――そして急旋回! 爆散した毒竜の体液から機体を守るため、即座に推進装置を吹かせる。
まるで空中を跳躍しているようだ。
同時に航空騎兵は、襲い掛かる二体目の毒竜に向き直っていた。
突撃! 炸裂! 捻転! 急旋回!
二体目の斥候が宙に散る。
鳥肌が立つほどの戦闘航空技術だった。
――『急速降下しつつ急旋回する目標は、上空から狙いづらい』――空軍士官学校時代の教官の声が、ノリトの脳裏に蘇る。
「……まだか!」
イオキベか荒い声を上げた。
「IFレンジ、0! 無理です……!」
全身を縮めて、ノリトは叫んだ。
「うるせえ! やれ!」
「無理です! 僕は……僕はルー大尉みたいには成れません!」
上空の群れから次々と亜級毒竜たちが垂直急降下し、押し寄せてくる。
機体は今もなお、絶床空間の下空、蒼黒い人類居住外空域に向かって降下し続けている。
「――おまえ、怖いんだろう」
急に優しい声になって、イオキベは言った。
仲間二体の散った空間を、怒りに咆哮しながら毒竜たちが迫ってくる。
「――絶床世界を感じるのが怖いんだろう」
イオキベの声は優しかったが、容赦が無かった。
機体はついに対界平線高度のマイナスに入った。
「……怖いですよ!」
「……拠り所なんて無いんです!」
「……世界のことなんて何も分からない!」
――ノリトは固く目を瞑り、絶叫していた。
「僕は独りなんです!」
「――それが世界の中心だ!」
触れ合った記憶すら残っていないが、父親に殴られたような感覚を、ノリトは覚えた。
「それが世界の中心だ!」
イオキベはもう一度、怒鳴った。
「お前の世界はお前が世界の中心だ!」
「それが虚像把握の根源だ!」
「お前の世界はお前が描け!」
「描いた世界がお前の力になる!」
「その力が世界を開く!」
「開けばその世界は、お前が操縦手だ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ノリトは目を見開いていた。
果ての無い絶床空間の青に、自分が独り、ぼつんと座っている。
その後ろでは、金髪碧眼の青年が、懸命に制御基盤を操作していた。
フラクタル動力がその背後で蒼く輝き、航空騎兵の全身に熱量を送っている。
その熱量に沿って、自分の搭乗する機体の全身が、くっきりと浮かび上がった。
間近に二体、いや三体の亜級毒竜。
さらに後続で十四体、垂直急降下している。
さらに上空の群れに意識を伸ばすと、自分たちを狙って網のように広がり、急降下の用意をしている。
――ノリトは現在地からベネトナシュ空域方面に目を凝らした。
上空には毒竜の群れ。
その周囲におよそ5百個ほどの小浮島。直径30メートルから100メートルほどのそれら小浮島はお互いに、最小で10メートル、最大で5百メートルほどの距離を持っている。
小浮島が浮かぶ空域を越えてさらに向こう。高積雲が広がっているが、把握できる範囲内では問題は無さそうだ。一つだけ大きめの浮島が隠れているが、これは避ければ良い。
目前の被視界画面が目に付いた。
虚像把握範囲、2万。
数値に驚愕するより先に、体が反応していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――超々音速飛行、行きます!」
少年は叫び、安全装置を解除、UCR始動桿引いた。
人型形態の航空騎兵の胸部機構が開き、フラクタル動力がむき出しになる。
動力の核で青く輝くフラクタル鉱石が稲妻を放射する。
放射された稲妻の中心に、蒼い輪郭をまといながら、黒々とした球体が形作られ始める。
その、重力球の色合いを見つめながら、何となく絶床空間の下空中央の色合いに似てるな、とノリトは思った。
「――ちょ、待て! タイミングを考えて」
急に開始された超々音速飛行に、イオキベが慌てた声を上げる。
フラクタル動力をむき出しにするUCRの開始時は、高機動を強味とする航空騎兵にとって、致命的な隙が生まれる時でもあった。
気づくと、イオキベ自身の虚像把握範囲は「0」になっていた。
(ノリトの属性に全部持ってかれたか)
UCRが開始されているため、操作系はすべて前部座席に集中され、後部座席からは機体制御不能となっていた。
電波放射式探知を見なくとも、被視界画面には三体の亜級毒竜が肉迫しているのが映し出されている。
中空で動きを止めた航空騎兵を、毒竜たちの爪が確実に捕えようとしていた。
(ああ、まぁいいか……俺、これ以上やれることねぇし)
毒竜たちの金切り声を間近に聞きながら、イオキベは頭の後で腕を組んだ。
「――超々音速飛行、実行!」
少年の指が、UCR発動引金を引いた。
直径1メートルほどの、蒼く輝く黒い球体が、航空騎兵の胸部から斜め上空へ向け、超々音速で射出される。音速の衝撃波と重力異常で、機体がぐらぐらと揺れた。その煽りを受けて、肉迫していた三体の亜級毒竜も大きく体勢を崩す。
射出された重力球からは、蒼く輝く黒い紐のようなもの、重力鎖がまっすぐに伸び、航空騎兵の胸元、開放されたフラクタル動力に繋がっている。先端空間が開かれ、超々音速に航空騎兵が耐えられる道筋が出来上がる。
――毒竜たちの爪が辛うじて機体を捕えようとしたその刹那、コンマ1秒で680メートルを進んだそれを追うように、航空騎兵もまた、絶床空間を弾け飛んでいた。
同時に、機体は飛行形態へ自動的に移行。重力鎖は背部フラクタル動力から操縦席の真下をくぐり、機首から伸びて重力球を追う。
――赤茶けた航空騎兵は、音速比20で絶床空間を駆け昇っていた。
機体の周囲を、絶床空間の青が、滝のように流れていく。前方を飛ぶ漆黒の重力球から、青が怒涛のように溢れ、過ぎ去っていく。
風の音は聞こえない。
先行する重力球の超回転による空洞現象により、その軌跡には真空流域が生じる。
重力鎖に沿い、「先端空間」と呼ばれるこの後方流域を行くことで、航空騎兵は一切の空気抵抗を無視して飛んでいるのだ。
「ヒャッホーーーーーー!」
眩暈がするほどの光景に、イオキベは歓喜の声を上げていた。亜級毒竜の群れも、あっと言う間に後方だ。
一方、少年は必死だった。
常に虚像把握し続け、絶床空間に浮かぶ小浮島を察知、絶えず重力球を操作、望ましい重力鎖の道を描き、かわしていく。
ノリトの虚像把握範囲内には、次々と新しい情報が、超高速で入ってきていた。
(この先で小浮島の群れを抜ける。高積雲に隠れた浮島を回避)
(その先10キロメートルに下降噴流発生を確認)
(周囲に巨大乱雲の恐れあり……)
「――ノリト、良くやった! ノリト! おい、坊主!」
後部座席からイオキベが声を掛けるが、少年から応えは無い。
計器を確認すると、ノリトの虚像把握範囲は6万を越えていた。
(まじで千里眼級じゃねぇか!)
イオキベは呆気に取られた。
空軍士官学校を放校になるレベルではない。
「ノリト! 良くやった! もう大丈夫だ!」
イオキベの声に、必死なものが混じり始める。虚像把握にのめり込むあまり、絶床空間に心を囚われてしまう……そんな操縦手を、彼は何人か見てきた。
「ノリト! もう大丈夫だ! このままだと虚像把握過剰するぞ!」
必死に声を掛けても、少年から応えは無い。
「――くそっ」
イオキベは焦りを抑えつつ、搭乗機の管制を取り戻すべく、制御盤に指を走らせた。
だが、出力開放制御、重力制御、虚像把握管制、超々音速飛行管制が戻ってこない。
その時、警告音が鳴った。
超々音速を維持するのに必死な少年の耳には入っていない。
イオキベが制御盤に目をやると、機体に搭載している第四世代加圧感知器に異常が発生していた。
――これまで抑制されていた負荷が、操縦席に掛かり始める。
このままでは、超々音速飛行による負荷、あるいは減速時の負荷に、操縦席の二人の肉体は耐えられないだろう。
「うおーい! ノリト君! ノリト君! やばいっすよ!」
加圧感知器の異常が影響し、急激に負荷が増大していく。
「俺たち、『押しつぶされた肉詰め』になっちゃうよ!」
イオキベが声を張り上げるが、少年には響かない。
――ノリトは既に、虚像把握を止められなくなっていた。
どこまでも続く、絶床世界の青の中、どこまでも意識を広げていく。
それは、想像したことのない苦しみと、信じられないほどの愉悦をもたらしていた。
「……仕方ねえ、相当無茶苦茶だが、奥の手だ」
イオキベは舌打ちをして、おもむろに、前部座席と後部座席を隔てる隔壁を開いた。
「――うおりゃっ!」
気合を込め、先芯と中底に鋼板の入った、騎兵服の重たい靴底で前部座席を蹴りつける。
「おわっ!」
後頭部に衝撃を受けて、ノリトは我に返った。
脳裏を占めていた虚像把握が解かれ、少年に有視界が戻ってくる。
その途端、航空騎兵は姿勢を崩した。
重力球を追う重力鎖から外れそうになる。
重力球の生む先端空間からはみ出せば、機体は音速比20で空気と衝突、一瞬でバラバラだ。
「機体制御! 超々音速飛行、緩やかに停止!」
イオキベが怒鳴る。
現状をまったく呑み込めないまま、それでもノリトの体は動いた。
機体を先端空間に沿わす。
超々音速飛行管制を従わせ、減速させる。
重力球が、速度を落としながら、徐々に小さくなる。
それに連れ、重力鎖が徐々に細くなる。
合わせて、航空騎兵が、急激に減速していく。
(こいつが優秀で助かったぜ……)
操縦席に掛かった減速による負荷に、少年はようやく、加圧感知器の異常を示す警告音に気づいた。
「い、イオキベさん……?」
「黙って機体制御してろ! あと、IF管制、こっちに寄こせ!」
「は、はい!」
負荷に耐えつつ、少年の指は制御基盤を這った。
後部座席のイオキベに虚像把握管制が統一される。
(IFレンジ、1千、困っちゃうね)
計器を確認してイオキベは内心呟いたが、虚像把握をこれ以上、ノリトに担わせる訳にもいかなかった。
――音速比10、9、8、7、6……。
機体は着実に減速していくが、警告音も強くなる。加圧感知器内の加圧感知毛が次々に破損、その精度を急速に低下させているためだった。操縦席はがたがたと揺れていた。
(俺が丹精込めたんだぜ……もってくれよな、加圧感知器ちゃん)
航空騎兵は、自ら射出した重力球に追いつこうとしている――重力球が機体の目前に迫る頃、重力鎖がふっつりと消えた。
先端空域が閉じ、機体は再び、風圧に包まれる――それを見送るように、重力球も淡い光を残して消えた。
(ふぅ……)
超々音速飛行を終え、ノリトは安堵のため息をつく。赤茶けた航空騎兵は、ようやく音速を下回ろうとしていた。
――その時。
イオキベの虚像把握が真正面、十二時方向に小浮島を捉えた。直径20メートルほどと小型だが、この速度でぶつかれば機体は跡形も無い。
「イオキベさ……!」
小浮島を目視したノリトが悲鳴を上げた。
(避け切れない……!)
(距離750……!)
その時すでに、イオキベの狙いは定まっていた。
「パイルバンカァーーーーーーっ!」
左翼に展開した撃槍が、即座に超音速で射出される。射出の反動で、機体は一気に減速する。二人の体が激しく揺られる。
一瞬後、石くれ、土くれと粉塵の中を航空騎兵は通過した。
――超音速の槍はあやまたず、目標の小浮島を粉砕していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ああ……」
ゆっくりと中空に停止した航空騎兵の後部座席で、イオキベが呻いていた。
「『パイルバンカー!』とか叫んじゃったよ、俺。恥ずかしい……」
笑おうとしたが、ノリトの口から出たのは嘔吐だった。
防護兜から排出された吐瀉物が、今は隔壁で隔たれていない後部座席にも漂ってきたが、イオキベは何も言わない。
「……よく頑張ったな、ノリト」
思わぬ言葉に、少年は後部座席を振り返った。
イオキベが、いつもの皮肉っぽい笑いではない、優しい微笑みを浮かべている。
言葉を失くした少年の視線の向こうで、不意に、青い光が瞬いた。
「イオキベさん、あれ……?」
イオキベも頭を巡らす。
機体後方、約5キロメートル、先ほど小浮島が有った場所に青い輝きが生まれ、光を強めている。
「再結合だ」
感慨深げに、イオキベが言葉を漏らした。
「あれが、再結合……」
撃槍による炸裂でも破壊されなかった小浮島中核のフラクタル鉱石が、周辺の物質を呼び寄せ、再び小浮島として甦ろうとしているのだ。
「あいつに重力球を当ててたら、フラクタル爆発だ。危なかったな、俺ら」
笑い出しそうなイオキベの声に、少年は長い吐息をついた。
「IF管制、そっちに戻すぜ……幾つだ?」
「IFレンジ……5です」
超々音速飛行時の数値が信じられない。
ノリトはがっくりと肩を落とす。
イオキベは笑った。
「ノリト、所在公知電波を打ってくれ」
「どうするんですか?」
「ここまで飛べば、ベネトナシュ基地も目と鼻の先だ。連中に気づいてもらおう」
「でも」
ためらう少年をイオキベは促した。
「ちょうど良いや。再結合見物といこう。そんで、再結合した小浮島に取りついて休もう。俺ぁもう、ほとほと疲れたよ」
「分かりました」
――フラクタル鉱石の青い輝きが最後に亀裂を埋め、光の放射が止む。
所在公知電波を打ち、のろのろと引き返す頃には、小浮島の再結合が終わっていた。爆散して失われた物質も多いため、元の大きさの半分ぐらいになっている。
ノリトは航空騎兵を人型機動形態に移行させると、小さくなった小浮島に取りついた。機体の安定を確認すると、座席に深く、背をもたせかける。
電波放射式探知の探知範囲に、討竜部隊を示す機影が四つ灯った。方向からして、ベネトナシュ基地から来たのだろう。
少年は深くため息をついた。
「そういえば」
――軽く目を閉じながら、ノリトはイオキベに聞いた。
「何となく疑問だったんですけど、なんで『人型形態』って言うんですかね?」
「そりゃあ、お前」
――夕暮れが迫っていた。
「人型機動は『男の子の夢』だからだろ」
そう言ってイオキベが笑う。
ノリトも笑った。
緊急発進してきた討竜部隊の赤い航空騎兵が近づく頃、13歳の少年は、前部座席ですっかり寝息を立てていた。
(つづく)
イッヒ・リーベ・ディーーーッヒ!!!(叫び)
長い!
エピソードを2つに分ければ良かったです。
しかもあれこれ盛り込み過ぎ!!!!!(絶叫)
文章量をあらかじめ見積るのって難しい……。
何かまとめきれずにノリト並に吐きそう!
次回「辺境基地」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(吐瀉)