(三十八)窒素封印機体・7
「最終確認、おーけー?
「各所、再確認! 良し!」
「遮光器再確認、おーけー?」
「良し!」
「おーけー」
きびきびと機体各所を見回った後、顔を覆った遮光器を、真剣な表情で再確認するノリト――相当にへそを曲げていたはずの少年は、どういう訳かすっかり機嫌を直している。
(隊長さんの気遣いの賜物か?……優等生はかーわいいねぇ)
思わずにやにやしながら、イオキベは鷹揚に制御画面を長軽叩した。
「総身伝達確認、開始」
小さな地響きのような音がして、防護信号線を伝い、整備台座のフラクタル動力から動力容量器、接源測定器、航空騎兵の四肢の先端に存在する末端神経回路へ、極小動力が導かれる。
――瞬間、黒灰色の封印機の全身に、青みを帯びた光が走った。
その光は、時に電流と火花を伴いながら、ひとつひとつ確認するように、機体表面を駆け巡る。
「自己認識。自機の状況を把握」
誰に問われるでもなく、金髪の青年は、その少し前に立ってまじまじと封印機に注目する、黒髪の少年の背中に解説した。
――青い光が止むのと入れ替わるように、防護信号線が接続された末端神経回路から、航空騎兵の内部に向けて、無数の光が伸び始める。
「自己解析。自機の内容を精査」
航空騎兵の両手、両足に該当する四つの末端、その末端神経回路から伸びる光は、定められた複雑な経路をめぐりながら、それでもまっしぐらに、機体のほぼ中央に位置する有機電脳を目指していく。
ノリトは言葉もなかった。
分厚い外皮装、何層にもおよぶ動力伝導脈を透過して、航空騎兵の全身に、その光神経線維束の構造が浮かび上がっていく。
光神経線維束が浮かび上がったその周辺の動力伝導脈は、鈍く蠕動を開始、振動が広がっていく。
――四肢から駆け巡る光が有機電脳に集った時、黒灰色の航空騎兵は目映く輝き、その全身を震わせていた。
「自己実現……さあ、かわい子ちゃんのお目覚めだ」
航空騎兵から溢れだした光は、機体復元専用に隔離された一角に佇む二人に、濃い影をつくる。
遮光器越しでも目を細めてしまうその強烈な光の中で、先刻まで泥のように沈黙していた封印機は、今や音を立てて震えていた。
フラクタル動力の始動を示す、聞きなれた笛音が漏れ聞こえてくる。
空気取入口から大きく吸気が行われ、機体背面の排気口から、勢いよく排出される。――直後、明らかに異音がし始めた。
不規則に蠕動する動力伝導脈が外装を揺らし、がだかたと震わせる物音は、徐々に激しくなっていく。――それはまるで、目覚めの苦痛のようだ。
ノリトは、このまま暴走が始まるのではないかと怖くなった。――少ないながらも彼の経験によれば、この異音は、動力増幅回路で異常放電が発生し、周囲の動力伝導脈に断絶が始まっていることを示すものだからだ。
少年の前髪が、ふわりと浮き上がる。――重力制御が開始されたことを示す、重力制御開始挙動の影響だ。
さらにプラズマ推進機に火が点った事を視認した時点で、ノリトは思わず振り返り、イオキベを見てしまった。
「イオキベさん……!」
――次の瞬間、封印機の全電源が落ち、光も振動も、まるで何事も無かったかのように掻き消えた。
黒髪の少年が激しく後悔した時には、金髪の青年は満面の笑みを浮かべて、彼の肩に手を置いていた。
「なぁにぃ、ノリトくーん、びびったのぉ?」
パーセウス・イオキベが絶好調で人をからかう時の口調だ。ノリトはうんざりして歯噛みした。
さらに金髪の青年は、余裕ぶって肩に腕をまわしてくる。
「極小動力なんだもの、こうなるの当然でしょお? 空軍士官学校で習わなかったぁ?」
「……習いました」
「あらいやだ! じゃあ、あたしの教え方が悪かったかしら? そんなはずないわよねぇ?」
「……ないです」
「あらぁ、じゃあうっかり? 忘れちゃってたってことぉ? あの機体に見惚れちゃったかな? この、お・ば・か・さん!」
「……しつこい! なにこの人しつこい!」
抗弁する少年を無視したイオキベは、さらにその上、背中から手を回すと、ノリトのこめかみに無精ひげをこすりつけ始めた。
「お馬鹿さんには、教育、教育ぅ!」
「きもい! この人きもい!」
「愛情表現だよぅ、愛情表現んんん!」
「まちがってます! 何かまちがってます!」
「いーひーひーひーひーおばかさーん!」
「――じ、自分だってさっき、スズさんに馬鹿呼ばわりされてたじゃないですか!」
「…………」
少年の逆襲は予想外の効果があった。
途端に、青年はしょんぼりと口をつぐんだのだ。
――模擬飛行訓練室で、例の「パ、ドン、ツーツーのぴろぴろ」をお披露目したイオキベを尻目に、スズ・オラシオン大尉は隊員たちに向け、容赦なく言った。
『本講義において私は、こんな「馬鹿な真似」を
おまえ達が採用することは主眼にしていない。
重要な点は、こんな「馬鹿な真似」をせずとも、
適切な航空技術元型の構築、
望ましい近経路操作の設定、
近経路操作切替操作の習熟により、
こんな「馬鹿な真似」を意識せず、
このような高等空中機動を
十二分に再現できるよう訓練することだ。
こんな「馬鹿な真似」は、そういうものが
どこかに有ると知っていればそれでいい。
本件では特に、いかに気圧による打倒を避け、
速やかに頭上げできたか、そこを理解せよ。
こんな「馬鹿な真似」は論外のさらに外だ。
近経路操作こそ、航空騎兵の命綱である。
それを忘れるな!』
『了解!』
パーセウス・イオキベはじっとりとした目線を宙に投げると、いじけたように声を漏らした。
「いやだからおススメしねぇよって何度も言ってんのにさぁ…………ていうかなに? あの隊長、おかしくない? 『ご教授ください』とか自分から言っておきながら、挙句に『馬鹿だ馬鹿だ』と人をさらしあげやがってなんだよあの能面黒髪美人!」
「能面」は良く分からないが、「黒髪美人」は悪口じゃないんじゃないかなぁと思いつつ、ノリトは笑ってしまった。
「でもイオキベさんあれって……」
言いかけて、黒い瞳の少年は口をつぐむ。
青年の碧眼が、ひどく優しげに、彼を見つめていたからだ。
「お前、いい表情で笑うようになったなぁ」
――思わぬ一言にノリトは狼狽し、耳まで紅くなっている自分に気付いた。そんな様子を微笑ましげに見つめるイオキベとの間に、しばらくの沈黙が流れる。
「あ、あの……基底入出力機構の立ち上げに入ります!」
何とかそう絞り出すと、有機電脳入出力用の防護信号線を掻き集めるようにして、少年は慌てて封印機に足を向けた。
(そんなに防護信号線、使わねぇだろ……)
そんなからかいの言葉は胸に納めて、青年はしばらく、その細い肩を見守った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あれ、二人は?」
山盛りの割擂馬鈴薯と分厚い厚切り肉焼きでお盆いっぱいにしたソブリオが、腰掛けつつ、左隣のレーニスに尋ねる。
「残業だって言ってました。今日中に基底入出力機構の立ち上げまでやるって、イオキベさん、張り切ってましたよ」
丁寧に肉を切り分けていたレーニスが、肩をすくめつつ、笑顔で返す。
「あん人も何屋さんなのかわっかんないよね。全手動操縦で飛んでたかと思えば、嬉々として旧型航空騎兵の復元でしょ? 飛ぶかどうかもわかんないのに……あー! もう! 切れないよこれ! レーニスのと交換してよ!」
筋張った厚切り肉焼きに手を焼いていたアンテットは、ついに小刀を放り出した。
「無茶言わないでよ……」
「あれでしょ、ガイツハルス、またどっか出掛けてんじゃない? あいつがいないといっつもこれじゃん」
確かに、今日の献立は比較的簡単なものばかりだった気がする。昼食は五目炒飯だけだったし、夕食は割擂馬鈴薯に厚切り肉焼きにパン、それだけだ。――そうは言っても、民間にはお目に掛かることも難しい食事なのだが。
「……お前ら、すっかり贅沢になったんじゃないか? 民間じゃ天然の白パンですらご馳走なんだぞ? まして肉だぞ? 肉! 肉が出るだけ有難いと思え!」
アウダース中尉が凄みを効かせる。
「天然塩もありますからね……俺としちゃ、ありがたいですよ」
肉好きらしい銀髪の彼は、塩入れを手に取ると、嬉しそうにたっぷりと振りかける。
「肉と塩、生命の基本だものね」
「でも、体が塩っ辛くなっゃいますぅ……」
スズの苦笑に、トゥシェは渋面を重ねた。
その手元に、小さな錠剤入れが滑り込んでくる。
ラソンが、糸目を一層細くして笑っていた。
「そんな時には身体調整剤、おひとつ?」
「やめてよね、これ、嫌いだもん」
――目も合わせずにトゥシェが投げ返す。
「そういえば、司令、ほんとにいないんですか?」
「午後から本隊へ向かれたわ」
「またぁ? ついこの前も行ったばっかじゃないですか。何しに行ってんのあいつ?」
「本隊からお呼ばれされたんだってぇ。うきうきして出掛けてったって聞いた」
「トゥシェ、情報早いなぁ……」
「じゃあ、指示は例のごとく?」
「『敵竜発見次第撃滅セヨ』……ですって」
スズ・オラシオンの苦笑が、総員を締めくくる。
「あいつほんと役立ねぇな……」
唸りながら黒肌の中尉は、小刀ではどうにも歯が立たない、筋張った厚切り肉焼きを、思い切りよく食いちぎった。
(つづく)
ご無沙汰ですが急ぎ足!
されば次回まで、ごきげんよう!
フライ・ルー!(急ぎ足!)




