(三十五)窒素封印機体・4
『……いいだろう』
頭部送受信機から響く低音に、レーニスはほっと肩をなでおろした。教官表示画面に映っているアウダースのいかつい顔が、心なしかほころんでいるのが、何より嬉しい。
『だが相変わらず近経路操作がうまくないな。設定、見直して来い。やり直し』
間髪入れずに指摘されて、はしばみ色の髪の彼は、なでおろした肩をさらに落とした。画面の中のアウダースの目が、いかつく光っている。
模擬飛行訓練装置のキャノピーが大きく前方に開くと、傍らには腕組みをしたアンテットが笑っていた。
「あんたさぁ、そんだけショートカットを入れてんのに、何で使わないわけ?」
「そんなこと言われたってさぁ……」
金髪も鮮やかな彼女に笑われて、青年はいっそうしょげ返った。――これが思う通りに行くなら、今頃は中尉にだって上がってるさ――その言葉を飲みこむ。
本来なら複雑で繊細な技術を要する戦術航空騎兵の操作は、制御系統の継続的な近代化改修により発達した近経路操作により、飛躍的に改善された。
特に操作系が複雑になる人型形態時は、任官して日の浅い少尉級操縦手では戦闘すらままならない場合が多い。
これを改善し、新兵級でも即座に戦場に出ることが可能になるよう開発されたのが近経路操作であり、蓄積され、洗練され、誰でも駆使できるように整備されたのが航空技術元型であった。
近経路操作はその名の通り、結果として期待される推力や機動に至るまでの煩雑な操作を、状況に合わせた調整まで含め、有機電脳に任せるものだ。
例えば、斜め下方宙返りで一定の推力を稼いだ後、人型形態に移行して背後に追いすがる敵に向き直り、電磁砲乱射によって体勢を乱させた後、一撃必殺の撃槍を発射する――こういった複雑な空中機動を亜音速、あるいは超音速で竜種と繰り広げるには、操作系が単純でなければ、人間の脳の認識と操作の限界を越えてしまう。
「お前、航空技術元型の組み方は上手いのになぁ……なんで実践できないんだ」
アンテットより向こう側、大型の浮上式画面の前では、筋骨たくましい両腕を組みながら、黒肌の中尉は小首を傾げていた。――さらにその向こう側にはもう一台の浮上式画面が稼働しており、そこではトゥシェが必死な様子で画面を操作しているのが見える。
アウダースが見つめる浮上式画面には、レーニスが彼専用に特化した航空技術元型が、抽象化された記号画像として、いかにも整然と展開している。
「だって中尉、レーニスすんごい優柔不断じゃないですか? 近経路操作だって形態ごとに16個もフルでつかってんのに、判断遅れちゃうから有機電脳の負荷も高いのなんのって……」
「お前は他人のことを言えた義理か?」
雷鳴に似た黒い瞳を向けられて、褐色の肌の彼女は舌を出した。
アウダースの画面掃作によって画面に表示されたアンテットの航空技術元型の展開は、一言でいってぐちゃぐちゃだ。
「得意な機動ばっかりやってるからこうなるんだ。いいか? 積み上げた技術元型の数が多ければ多いほど、お前には選択肢が増えるんだ。近経路操作の登録数は当然限られているが、近経路操作切替操作によって表現可能な機動は累乗的に増加する。空域とその気象、戦術と関連人員、つまり状況に合わせて必要な短絡経路操作を準備し、いかなる戦局も乗り越えられるようにすることが大事なんだ。多目的機であるFFR-135スレイプニルが活用できるのはその搭乗者が多目的だからこそで……」
(あーやべぇ、やべぇわぁ、完全にお説教体勢じゃん。……そういえば、お昼のメニューはなんだったっけ、ゴモク・チャーハンとかいうのだったような。「ゴモク」ってどういう意味? そういう名前の動物? 「チャーハン」って、人の名前だっけ?)
神妙な顔をつくりつつ、アンテットは昼ご飯のことを考えることにした。
「あーん! 中尉! また失速しちゃいましたぁ!」
甘ったれた声がして、アウダースの額に稲妻の筋が浮き上がった。――浮上式画面の前で、トゥシェ・ドゥルキスが両手を組みながら眉根を寄せ、栗色のおかっぱ髪を揺らしている。
思わず上がりそうになる怒声を飲みこんで、アウダースは彼女の方に向き直り、大きく溜め息をついた。――大尉を目指す彼にとって、性差別などで指弾される訳にはいかないのだ。
(ナイス、トゥシェ!)
厳格な中尉のお説教から解放されたアンテットが、アウダースの背後でガッツポーズを取る。
「お前、目はいいんだがなぁ……」
トゥシェは未だに、ひとつの航空技術元型を専用特化するのに四苦八苦していた。
推力と機動に関わるひとつひとつの操作を組み直し、自分が扱いやすい「元型」にしていくのだが、現実的な範囲を超えると、「失速」が発生してしまうのだ。
「だってぇ、推力もちゃんと増加してるのに、高度取ると勝手に失速しちゃうですもん……」
トゥシェが組み直している航空技術元型経路図を眺めながら、アウダースは改めて溜め息をついた。
「いや、だからそれは、機首上げが早過ぎだと、何度も言ってるだろうが……重力制御は大きな瞬発力をもたらすが、気流を無視できるほど万能じゃない。お前の搭乗機には実体があるんだ。下手に高度を取ろうとすれば気圧に『打倒』される。特に超音速飛行においては…………ちょっとまて、この機動、どの速度下で行うつもりなんだ」
「マッハ5です」
「馬鹿かお前!」
「わーん! 馬鹿って言われた! 中尉に馬鹿って言われたぁ!」
「あー! 中尉がトゥシェを泣かしたー! なーかしたーなーかしたー! おねえさん兎に言ってやろー!」
「…………気をつけ!」
ついにアウダースの怒声が飛び、三人は直立不動の構えを取った。――レーニスには理不尽な気もしたが、この際仕方ない。
「くちばしの黄色いひよっこが、俺に文句か?」
「いいえ、ちがいます!」
「卵の殻も取れない奴が、俺に意見か?」
「いいえ、ちがいます!」
「自分の飛び方も心得ない奴が、訓練を拒むのか?」
「いいえ、ちがいます!」
今にも稲妻をまき散らしそうな眼差しで、アウダースは三人を見渡した。
「……よし! それでは、訓練を続ける!」
「了解であります!」
「トゥシェ、貴様は航空技術元型の組み上げを続けろ。ただし、音速比1以下でだ! それと、泣き真似はもう少しうまくやれ!」
「了解であります!」
「アンテット、貴様はレーニスに替わって模擬飛行訓練に入れ。ただし、近経路操作は8つ以上使え! それと、上官の背後でガッツポーズをするな!」
「了解であります!」
「レーニス、貴様は近経路操作設定を減らせ! むしろ近経路操作切替操作を駆使することを考えろ! それと、あー……何でもいいから頑張れ!」
「い、了解であります!」
「いいか! 技術元型を組み上げ、近経路操作にうまく設定しろ! 近経路操作こそ、航空騎兵の命綱だ! それを忘れるな!」
「了解であります!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
電算室にまで響き渡ってきた中尉の声に、苦笑しつつも、スズは安堵した。
イオキベが来てからの彼は、より強く上昇志向を持つようになった反面、少し賢明にやろうとする傾向が見えている。
これを指摘したら、彼をひどく傷つけることになるだろうが、それはアウダースの柄じゃないと、スズ・オラシオンは感じていた。
「近経路操作こそ命綱……か。僕もそうやって叩き込まれましたよ」
その銀髪の奥から、透明な機能高分子繊維製ガラスで隔てられた模擬飛行訓練室を眺めつつ、やけに懐かしげにソブリオが言った。
向こうと比べて手狭な電算室は、模擬飛行訓練室とは反対側の壁に大型の浮上式画面がある以外は、大型汎用電算機とその端末に覆われていて、三人もいればそれで一杯だ。
「近経路操作こそ命綱……か」
いかにも複雑な顔をして、黄色い髪のラソンがつぶやいた。――そのつぶやきを聞き、スズ・オラシオンは改めて、浮上式画面に目をやる。
スズ、ソブリオ、ラソンの三名は、数日間の対弩級竜種想定訓練で蓄積された、パーセウス・イオキベの飛行記録を観察していた。
「近経路操作、使ってないですね、彼……」
「これ、中尉が知ったら何ていうか……」
二人の言葉に、黒髪の大尉は、肩をすくめる。
「型破りな人ってことが改めて確認された、そういうことでしょう。……アンテット達には内緒にしときましょう。真似すると行けないから」
三人は少し、笑った。
「あー、もうちょっと参考にできると思ったんだけどなぁ……これじゃあ、真似のしようもないですよ。見てくださいよ、ここ。翼盾の振りの慣性モーメントで頭を上げて、人型形態に移行して電磁砲照準まで2秒です。近経路操作無しで」
「慣性モーメントだけで頭を上げたんじゃなさそうよ? ここ、プラズマ推進装置を一瞬、吹かしてる。内部骨格の仮想質量も6時方向にずいぶん寄せて、ほら、ここでまた戻してる」
「どんな操作したらそうできるです? 手動で」
ラソンの問い掛けに、スズの声が止まった。
「……後で、やってもらいましょう、彼に。依頼主からの希望として」
三人はまた、少し笑った。
「あーあ、こっちはあっという間に終わっちゃったなぁ……戻りますか、模擬飛行訓練室に」
背伸びをして、ソブリオが言った。
うなずいて、踵を返すスズ。
その瞳を、ラソンの細い目が捉えた。
「……どうしたの?」
「なぜあれだけの人が退役してるんですか? 工匠とはいえ、退役が許可されるレベルじゃないですよ」
スズは大きく苦笑した。
「本人に聞いてみれば? 元々、軍人ていう柄じゃなかったんでしょう。大方、命令違反で懲罰房行き、それでも素行は治らなくて、軍法会議の末に軍籍剥奪、放逐ってとこじゃない?」
ラソンもまた、大きく苦笑した。
「行きついた先が零細工房……なるほど、分かる気がしますよ。それにしてもまあ、二人だけで分解整備なんてよくやりますね」
「ほんとにね……そういう主義なんですって」
スズが苦笑を重ねる。
「ピレルゴス曹長だって支援してくれるでしょうにね。……それとも、窒素封印機体に、何か秘密でもあるんですかね?」
三人の動きが止まった。
「どうしたんだよラソン、らしくないな。あれが試験用に送られてきたのは、随分前だろ? みんな面倒がって触ってなかっただけじゃん、あれ」
ソブリオの声に、ラソンが苦笑を重ねる。
「あー、ごめん、詮索好きなんて俺の柄じゃないな……。いろいろ型破りな人で、つい気になるんだ。……大尉、大変失礼しました」
頭を下げたラソンに、スズは笑顔を返した。
「気にしなくていいのよ。だって、ここに来たときからして不審者じゃない、あの人。経歴だって不審だし、言う事は適当だし……それに私、ひとつだけ彼の秘密を知ってるの」
虚を突かれた顔をして、ラソンの動きが止まった。
肩をすくめながら、スズが言った。
「超々音速飛行の時、『ママ!』って言ったそうよ、ノリト君の話だと」
初めて聞くスズの下手な冗談に、二人の動きが止まった。
「……これも私の柄じゃないわね」
舌を出したスズに、思わず二人は笑った。
(つづく)
じみぃーに続きます。
じみぃーに。
じみぃー……へんどりっくす!(意味なし)
されば次回まで、ごきげんよう!
フライ・ルー!(へんどりっくす!!)




