(三十四)窒素封印機体・3
「もう防護服、脱いでもいいぜ」
異常警報の解除を確認して、イオキベはノリトに声を掛けた。そう言いながら、とっとと自分の防護兜を外す。
まだ窒素残留を気にする少年を尻目に、碧眼の青年は手早く防護服まで脱ぎ捨てると、非破壊解析機を走らせた。
「――どうですか?」
ようやく防護服を脱ぎ終えたノリトが、イオキベの背中に問い掛ける。
青空色を基調にした、彼の騎兵服の背中が汗ばんでいるのが見えた。ひとまとめにした後ろ髪が、そこに張り付いている。
「耐劣化保管は完璧だな……。外装色以外は余裕。こりゃあ、楽な仕事になりそう」
次々と調査結果を映し出す制御基盤の画面を見ながら、イオキベはにんまりと笑う。
「この色、すぐには塗り直せないもんなんですか?」
少年は改めて機体に目をやると、思わず口にした。
黒灰色に包まれた眠たげなその航空騎兵は、同じ格納庫の中、この復元専用室の外に居並ぶ、紅色も鮮やかな討竜部隊機に比べると、なんだか鈍重そうで、いかにも貧相な感じがする。
「表面に残ってる保護層の影響でさ、蛋白由来塗料、食っちゃうんだよね」
ノリトは目を見張った。
灰色の保護層はうっすらとまだらに残っていて、それがこの機体を一層、みすぼらしく見せてしまっている――その保護層がそれほど恐ろしいものとは、考えもつかない。
「素手で触んなきゃ平気だって」
イオキベはいかにも容易く笑った。
ノリトは、急に威圧感を増したその機体から目を離すと、制御基盤の画面に視線を移す。
「やっぱり大きいですね……この機体」
「電磁射出機使うには専用接続器具が必要だなぁ」
全長24.3メートル、全高6.6メートル、空虚重量18.9トン――基本構造は変わらないが、通常の航空騎兵をそのまま大きくしたように見える。
特に外装で目立つのは、通常機の倍近くあり、形状も異なるその翼盾だ。通常機が凧様式盾なら、この機体のそれは、涙滴様式の幅広大盾のようだった。
「翼盾も普通じゃないですね……」
「昔の機体だからなぁ……なんでか分かる?」
「……どうしてなんですか?」
金髪の青年にからかうように問われて、黒髪の少年は口をすぼめて尋ね返した。
「翼盾が要求されたそもそもは?」
碧眼の彼の問い掛けに、少年はその黒い睫毛を伏せ、空軍士官学校時代に得られた知識を巡らせる。
「翼盾のそもそもは、機体安定のための舷外浮材――ああ、ロール方向の安定性が低いから、翼盾を大きくしたんですね」
見開いた瞳に、イオキベは満足そうに肯いた。
航空騎兵開発初期、重力制御の発達が未熟だった頃は、回転方向の安定性に難があった。それを高める目的で、自在に稼働させられる舷外浮材として、翼盾は付属するようになる。現代に至っては、翼盾無しでも十分に機体の安定を図ることができるが、人型形態への変形を前提とした必須装備となっていた。
「つまりその分、こいつに高難度機動をやらすにはちょいと骨が折れるってことだなぁ……まぁ、操縦手次第だけどさ」
「はあ……」
いかにも「自分の腕なら関係ないけど」という顔をされて、少年はあけすけに顔をしかめた。
最近までスズ・オラシオン大尉の前部座席に座り、新兵向け訓練まがいの機体試験を行っていたこともあり、イオキベが気安くいう「操縦手次第」がどれだけ大変なことか、実感できている分だけなおさら腹が立つ。
――ふと、ノリトはベネトナシュ基地に来てからのことを振り返った。考えてみれば、こうしてイオキベと二人きりで話すのは、随分と久し振りな気がする。
「中身もかなり違うぜ。なにしろ骨太だし」
愉快そうな目をして、イオキベが続ける。
確かに、内部骨格が通常より太い。それを包む動力伝導脈や外皮装も、通常機とは違う厚みを持っていた。
その他の駆動機器も、通常機よりサイズが大きい。加圧感知器は第三世代の形状をしているが、そもそも大きさが違っている。
特に目立って大きいのが、内部空気貯蔵槽、機能高分子原液貯蔵槽、そして――。
「追加フラクタル鉱石貯蔵室!」
少年は思わず声を上げた。
機首から後方へ向け、操縦席、制御系統、フラクタル動力と続くその先に、円形の電磁石壁で形成されたフラクタル鉱石用の追加貯蔵室が存在している。
通常、公開仕様資料で航続距離9000キロメートルを誇る航空騎兵に、追加フラクタル鉱石の必要はない。
いかに広大な絶床空間とはいえ、人類居住可能空域は限られているし、そこには展開されるおよそ108の航空騎兵基地は相互に哨戒空域を補い合いつつ、待機状態から5分以内に救援に駆け付けられる距離、すなわち500キロメートル圏内に、他の一つ以上の基地が存在する――ここ、アルカイド基地の近縁にも、ミザール基地、コルカロリ基地の2つが存在していた。
「長距離飛行前提? なんでだろう? そもそも設計思想が違うのかな……こんなのに乗って、どこまで行こうって言うんですかね、昔の人は」
「さあねぇ、どこまでだろうねぇ」
イオキベは肩をすくめると、非破壊解析機の進捗に目を戻す。進捗表示は間もなく80%を越えようとしている。
「運用開始は……ホーム歴4421年……約600年前! これ、ほんとに飛べるんですか!」
「まあ、飛べんじゃねえの? ひとまず分解整備してみようや」
「うわ! 基底入出力機構も古い! これ、今の制御系統に乗るんですかね?」
「まあ、乗っけてみりゃ分かるんじゃね? 有機電脳に大きな違いはなさそうだしよ」
率直な問い掛けをはぐらかされて、ノリトは少しむっとした――そして、もう一つ、まったく見慣れない装備が内蔵されていることに気づいた。
制御盤が示すその装備には、二振りの『振動剣:太刀様式』の名称が灯っている。
「……イオキベさん! これ、近接戦闘武器が標準装備されてます!」
「あー、そうみたいだな」
だんだんまだろっこしくなってきたらしい金髪の青年が、いい加減に言葉を返す――そう言えば、イオキベの名を呼ぶのも、ずいぶんと久し振りな気がした。
「浮島開発用の工作重機なら振動式分断器具が装備されてるのも分かりますけど、なんで航空騎兵に? 昔は竜種と近接戦闘でも行ってたんですか? こういうのにも航空技術元型って存在するんですか? というかイオキベさん使い方知ってるんですか?」
「……あのな、ノリト」
進捗表示が100パーセントに達した時、イオキベは碧眼を切り返すと、じっとりとした視線を少年に寄せた――少し危険が近い時の眼差しだ。
「いいか、いい男ってのはな、いい女を目の前にして、それをほっといてべらべらくっちゃべったりしねぇの、わかる?」
一気にまくしたてられて、ノリトは後ずさる。
「なんでか? いーちゃいちゃする大事な時間を失くしちゃうから! 見ろ! 目の前に鎮座ましますこの航空騎兵を! 俺たちを待ってるわけ! おとなーしく待ってるわけ! それをほっといてべらべらくっちゃべってるほど無駄な時間はないわけ! つまり! こういう時に俺たちがすべきことは……?」
しばしの沈黙の後、少年は好奇心を押し殺して言った。
「全解析完了後、光神経線維束の総身伝達を確認、基底入出力機構を立ち上げて最新版制御系統を導入、整備台座に接続後、分解整備開始です……」
「……よしっ!」
満面の笑みを浮かべるイオキベ。
(かわいこちゃん、って……こんな不格好な機体なのにさ)
その笑顔に押され、こっそりと溜め息をつくと、ノリトは接源測定器を取り上げ、黒灰色の航空騎兵へと足を向けた。
(つづく)
あーもう何というかぬるぬると地滑り的に伸びきって恒星間航行並に隔たって続くこの物語ですが、続きます!
続きますから!
ねばー・ぎばっぷ!
とりあえず次回掲載予告するのも申し訳ないので控えますが毎週月曜日に次話掲載を志して世に馥郁たる沈丁花のごとくこの春に!(錯乱)
されば次回まで、ごきげんよう!
フライ・ルー!(ねばー・ぎばっぷ!!)




