(二十九)都市島・11
くちゅん、とトゥシェがくしゃみをした。
ノリトが慌てて、乾いた大型手拭を彼女の元に運ぶ。栗色の髪の彼女に「いいこいいこ」されて、黒髪の少年は激しく照れている。
白い甲板用長椅子に腰掛け、スズ・オラシオンは、その様子をぼんやり眺めていた。
先刻の表情がまるで嘘のように、トゥシェ・ドゥルキスは笑っている――だが、先ほど彼女が見せた怒りは、その強い眼差しは、本物だった。
イオキベから打ち明けられた話と総合して、考える必要があった。
(――私は今、分水嶺にいる)
白い砂浜はすっかり暮れなずみ、波打ち際の二人の姿も、見えづらくなりつつある。空の雲は厚さを増して、風は一層、冷たさを増していた。
どちらに流れるか、決めなくてはならない。
その時は、きっと、近い。
彼女は確信した。
「あん人たち、来ないっすね~。どうしましょう。……大尉?」
アンテットに声を掛けられて、スズはほっとした。訝しげにスズの顔を覗き込む、勘の良い金髪の彼女に対し、微笑む。
「ちょっと当てが外れちゃったわね。寒くなってきたし、帰りましょうか」
「そうっすね。あー、残念、イオキベさんとも遊びたかったなぁ」
「私も、それだけは残念」
「え? なんすか?」
「んーん、何でもない!」
まるで帰りを促すかのように、砂浜に点在する街灯が、其処此処と点り始める。肩に掛けていた大型手拭を外しながら、スズは残る三人に声を掛けた。
「帰りましょう! 寒くなってきたし……」
「はぁーい! 行こう? ノリトくん」
「は、はい」
「あーあ、お城、すっかり崩れちゃったなぁ」
砂の城を懸命に補修していたレーニスも、遂に諦めて立ち上がる。
五人が大型日除け傘や甲板用長椅子を片づけ始めた時、忘れた頃に聞こえてくるその歌が、男共の野太い声と一緒に、風に乗って流れてきた。
『♪ララーンラ ラーララーラ ランラランララ~
ララン ララ~
ララン ララ~』
すっかり厚くなった雲の向こうで、太陽が界平線と最後の口づけを交わした、そんな頃だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「♪竜のパンツは 良いパンツ~
すごいぞ~
すごいぞ~
♪さがせ! さがせ! 竜のパンツ~!
どこだ! どこだ! 竜のパンツ~
♪あれかな それかな
これかな どれかな~っ!
僕らの 未来は 竜のパンツーっ!」
全く意味が分からない。
スズは細い眉根を寄せると、こめかみを軽く、指先で押した。
砂浜の向こうから低音域男声を響かせてやって来たのか、あろうことか、一様に真っ赤な極端丈無水着を身に着けた、イオキベ、アウダース、ソブリオにガイツハルスだった。
全員、いや、ガイツハルスを除き、全身の筋肉を誇示しながら近づいてくる。
イオキベは、一升瓶を右手に掲げていた。
一同、完全に酔っ払いの風体だ。
「だーはっはっは!……黄昏降りるアルカイド、誰が呼んだか知らないが、たぶん誰も呼んでない! 然らば自ら名乗ろう! 竜パンツ部隊『リュウパンツァー』、登場!!」
街灯の下で止まると、イオキベが叫んだ。
四人の男共は、その灯りの下で、それぞれ思い思いの決定的姿勢を取る。
――良く見るともう一人、こちらは完全に普段着のラソンが、困った顔で端の方に立っていた。彼も酔っているようだが、流石に付き合いきれない、そんな表情だ。
「何か凄いな、アレ」
「げぇ……何アレ」
「あっはー! 何アレ馬鹿じゃない! 大尉! 変態です! 変態が接近中!」
「対応策を検討中です……」
「い、イオキベさん! 何やってんですか……!」
なぜか感心するレーニス。
心底嫌そうな顔をするトゥシェ。
何やら愉快そうに声を上げ、アンテットが接近中の集団を指差す。
スズはこめかみを押さえながら、辛うじて返答する。
思わずノリトは、得意気に姿勢を取る金髪碧眼に声を掛けた。
「違うぞ少年! 我々はリュウパンツァーだっ!……パンツァーレッド、とうっ!」
「パンツァーレッド、参上!」
「パンツァーレッド、見参!」
「パンツァーレッド、推参!」
「俺は他人でーす」
それぞれ「パンツァーレッド」を名乗りながら、四人が走り出した。ラソンはひらひらと手を振りながら、力無く歩みを進める。
「なんで全員レッドなんだよ!」
「お前ら、レッドは俺だぞ!」
「中尉はどう見てもブラックでしょ!」
「なんだとぅ? 俺の血の色を見せてやろうか!」
「それはどう見ても力瘤です! ぼ、暴力はんたーい!!」
「君たち! 、私が部隊長色に決まってるじゃないかね!?」
「お前はその下腹をどうにかしてから言え!」
「はいはーい、どーでもいいでーす」
「ラソンてめぇ、付き合いわりぃぞ!」
早くも仲間割れを始めるリュウパンツァー。
それでも彼らは、立ち尽くすノリトたち目掛け、猛然と走った。
「ケケケケ! 見敵必殺!! まずはあのなまっちろい小僧カラ血祭リダー!」
「ゥォオオオオ!!」
「うわーっ!? どう考えても悪者だーっ!!」
正義の味方には決して浮かべられない笑顔で、先頭を走るイオキベが少年に襲い掛かる。
――すっ、とその間に立ちはだかったのは、結い上げた黒髪も麗しい、大尉だった。
「ケケケ! ナラバお前から……ぅどぼぉぇえっ!?」
意味もなく跳躍したイオキベの脇腹に、スズ・オラシオンの後ろ回し蹴りが吸い込まれる。
(ひィっ!?)
宵闇を走った鮮やかな白い一閃に、一同は悲鳴を呑み込んだ。
「コ」の字の体勢で、パーセウス・イオキベの体は綺麗な放物線を描き、三時方向に消える。――それでも一升瓶を離さなかったのは、流石と言えた。
「…………成敗っ」
(成敗って言った!? 今この人、成敗って言ったーっ!?)
スズの呟きを聞いて、ノリト達は慄然とした。
猛然と続いていたアウダース、ソブリオ、ガイツハルスが、彼女の前で急制動する。
「……気をつけ!」
「はっ!」
三人は直立不動の構えを取った。
彼女と目を合わせられないのか、目線は、すっかり昏くなった曇天を向いている。
「……貴官らの所属と姓名を述べよ」
「ベネトナシュ空域基地、第1小隊所属、アウダース・ゼールであります!」
「同じく、ソブリオ・フェルマーであります!」
「同じく、というか、えーと、そこの司令官をしております!」
身じろぎもせず、スズは言葉を続けた。
「……リュウパンツァーという組織について詳細を述べよ」
「さ、先ほど結成されました、酔いどれ部隊であります!」
「い、今しがた解散いたしました! 解散いたしました!」
「じ、自分は嫌だと言いました!」
(ず、ずるいですよ少佐!)
(最低だな……)
(うるさい! お、お前らが巻込むからだ!!)
緊張が走る砂浜で、たっぷり沈黙を守った後、スズはようやく、にこりと微笑んだ。
「……ならば、良し。合流を歓迎します」
心からほっとした顔で、三人は胸を撫でおろす。
すっかり、酔いも醒めた様子だ。
怒りの姿勢を解いたスズの傍らから、アンテットが顔を出す。
「やーいやーい! 怒られたー! おねえさん兎に怒られたー!」
「しす……なに?」
「何でもありません!」
「いーなー、僕も入りたかったなぁ、リュウパンツァー」
「……あんたも後ろ回し蹴り喰らうよ、レーニス?」
「ぐぅ……俺としたことが、パーセウスに釣られてしまった」
「だろう中尉? あいつと関わるといつもこれだ」
まだ気をつけを解かず、敬礼をすると、ソブリオはスズに向かって言った。
「大尉! 花火を買ってまいりました! ご一緒にいかがですか!?」
「あら、それは嬉しい! ちょうど昏くなったし、いい時間ね。やりましょう」
「え、えーっへん! おっほん! 代金はな、私の懐から出したのだぞ?」
「あら、少佐、それは誠に有難うございます」
「花火、ここにありまーす」
麻袋を掲げながら、遅れてきたラソンが言った。どうやら、リュウパンツァーの荷物持ちをさせられていたらしい。
「ありがとう、ラソン。……どうしたの? その格好?」
「市井に紛れてのんびり羽を伸ばしてたら、イオキベさんに見つかって」
「災難ね……。相当騒いだんじゃない? 周りにご迷惑掛けてないかしら……」
「まあ、始末書で済むぐらいには」
それを聞いて、スズは眉根を寄せると、両の目頭を押さえた。まぁいいわ、いざとなったらこれで、少佐を強請りましょう。あの人は、始末書なんて書きたくないでしょうし――そう考えることにした。
「あと、これを」
「あら、ありがとう! ずいぶん気が回るじゃない!」
ラソンがスズに手渡したのは、手拭生地の上着、人数分だった。乾燥させたばかりなのか、まだほっこりと暖かい。受付で借り受けてきたのだろう。
「イオキベさんの入れ知恵ですよ。でも、あの人と呑むのは、もう勘弁……」
そこまで言うと、ラソンは敷物の上に倒れ込んだ。そのまま、寝息を立て始める。
(困った人たちね……)
いそいそと花火の準備をし始めるアウダース達を横目に、スズは苦笑すると、ラソンの体が冷えないよう、今しがた渡された上着や、まだ乾いている大型手拭を掛けた。そして、先ほど自分が蹴り飛ばした物体を見遣る。
器用にも一升瓶を抱えたまま、イオキベは大の字になって伸びている。その体を、しゃがみ込んだノリトとトゥシェが、つんつんと突いていた。
「きもーい、きもーい、リュウパンツァーきもーい」
「ちょっと、トゥシェさん! 変に起こさない方がいいですよ……!」
あの子たちにも上着を渡さなくちゃ――笑顔になったスズが立ち上がった時、暖かい海風が吹き、彼女の前髪をあおった。それに続くように、上空を覆う雲が晴れ始めた。
スズ・オラシオンが天を見上げると、真円の月が穏やかに顔を覗かせ、彼女の白い額を照らした。
(つづく)
やあ、少年の夏が終わるまで、あと1話!
ちなみに、「リュウパンツァー」はドイツ語で言う「戦車」とは関わりありません!
また、「何よりも好きなアニメに対する熱い愛が必要」な一部能力者の事でもありません!
同音異義語が豊かな世界で、僕は幸せです!
ちなみに、「リュウパンツァー」は見るからに変態紳士に分類されます!
現実でやっちゃダメ! 絶対!
されば次回まで、ごきげんよう!
フライ・ルー!(ぱんつぁー!)




