(二)発進
イオキベ工房に身を寄せていたノリトは、ひょんなことから航空気騎兵の現地搬送を、しかも操縦者として任せられることとなる。
空軍士官学校には在籍していたものの、中途退学の落ちこぼれである少年は懸命に拒否したが、「女たらしでむしろ悪人」のイオキベ工房長に押し切られてしまう。
手際よく離された加圧感知器が、戦術航空騎兵の後部背面に開いた制御系統に、音も無くはまる。
咥え煙草に鼻歌まじりで接源測定器を一瞥し、開いていた後部背面を閉じると、外装に組み込まれている光神経線維が働いて、開口部が完全に接着される。
イオキベは盛大に紫煙を吐き出すと、クレーンを巻き上げつつ、手についた油脂を胸元で拭った。回り階段を下りてくる少年の姿に気づくと、にやりと笑う。
「なかなか似合ってるじゃないか」
薄紅色を基調に白のラインがあちこちに走る、ぴったりした騎兵用戦闘服を身に着け、ノリトは盛大に顔をしかめていた。配色を同じくした防護兜を脇に抱えている。
「なんで工房に騎兵服があるんですか……そもそもこれ、誰のなんですか」
「ピュラーのだよ」
「え」
自分の身に着けた騎兵服がピュラーのものだと知って、少年は大いに慌てた。機能高分子繊維を素材とする騎兵服はかなりの伸縮性を持っているが、そういえば確かに、ワンサイズ小さい気もする。
「うちは機能高分子繊維の特化工房だぜ? 騎兵服ぐらい自前で作れるよ」
「なんで必要なんですか」
「付き合いで色々必要になんだよ……俺だってほら、似合ってんだろ?」
そう言って胸を張るイオキベは、青空色を基調に黒のラインが走る騎兵服を着用している。
「胸元、油脂で汚れてますよ。手を拭くときは雑巾使ってくださいよ」
「おろ?」
呆れ顔で指摘するノリトに、イオキベは自分の胸元を見やった。
「いちいち小うるさいなぁ……動力系、神経系も状態万全、さっさと出るぞ」
うざったそうな物言いだが、その表情は楽しそうた。
航空騎兵の機体前方、操縦席のすぐ後ろにある封印装置をイオキベがいじると、風防が開いた。複座式操縦席の後ろ側に、颯爽と乗り込むイオキベ。ノリトもため息をつきながら、前側の操縦席に着くべく、梯子に足をかけた。
「パース」
「おう、どうした」
操縦席に駆け寄ってきたのはピュラーだった。
薄紅色の前髪が揺れている。
イオキベの名前「パーセウス」の愛称は「パース」というらしい。人間関係の少ないノリトではあったが、イオキベのことをそう呼ぶのは、ピュラーしか聞いたことがない。
「残りの白パンを包んだ。粘状副菜は鮮度があるから避けた。代わりの副菜を入れた」
「弁当かぁ、気が利くなぁ、ありがとさん」
すでに後部操縦席にいるイオキベの代わりに、ピュラーは二つの包みをノリトに渡す。どうも二つのうち一つは、ノリト用らしい。
「あ、ありがとう」
一応、少年は感謝の言葉を搾り出した。ピュラーの深紅の瞳が、そんなノリトの黒い瞳を捉える。
しばらく少年を見つめた後、ピュラーは不意に目をそらした。何事もなかったかのように、イオキベに声を掛ける。
「無事を祈る」
そう言いながら、航空騎兵の機体から遠ざかるピュラー。仕方なく、ノリトは梯子を上って前部座席に向かった。
「おう!」
ピュラーに応えながら、気の早いイオキベが動力を始動させる。風防まで閉まり始めて、ノリトは慌てて前部座席に飛び込むと、防護兜をかぶった。
「あ! 弁当!」
「もう」
後ろから掛かった声に、ノリトは急いで、後部座席に包みの一つを放り投げた。
「気をつけて……」
勢いを増すエンジン音に紛れて、ピュラーの声が聞こえる。
一瞬差で閉まった風防の向こうに、心配そうにこちらを見上げる眼差しがあった。これまで全く見たことのなかったピュラーの表情にノリトはどきりとする。
「機体制御、そっちに回すぞ」
後部座席から掛かったイオキベの声に、少年はハッとした。――視界の端を、二階の管制室に向かって走るピュラーの姿がかすめる――無理矢理、意識を操縦に集中させた。
「各系統再確認、開始」
空軍士官学校で叩き込まれた流れを思い出す。
「気圧維持、問題なし」
「神経系統制御、問題なし」
「重力制御、99%で推移、問題なし」
「武装制御、特に撃槍動作、問題なし」
「フラクタル動力、出力開放制御、問題なし」
ひとつひとつ確認しながら、風防と連動した被視界画面の制御基盤を操作し、動力を結んでいく。
「おっほう、空軍士官学校の優等生っぽいな」
「からかわないでください」
イオキベの軽口に、イライラと少年が返す。
『こちら管制室。工房上部ハッチを開放する』
短波無線からピュラーの声が響いてきた。
すぐに工房の天井が開かれ、陽光が風防を照らす。差し込む陽光に反応し、風防ガラスを形成する素材が瞬時に変化、操縦に余計な光線を遮断する。
「ハッチ開放確認、出ます」
『無事を祈る』
そう応えたピュラーの声は、もういつもと変わりが無かった。
「発進!」
軽く動力制御弁を開けると、FFR―135戦術航空騎兵は、音も微かに、速やかに上昇を始めた。黒髪がふわりと上がり、内臓が少し浮くような感覚をノリトは覚える。フラクタル動力による重力制御開始挙動だ。
上昇しながら、二階の管制室前を通過する。
ガラス越しにピュラーの姿が見え、遠ざかる。
その数瞬後、ノリトの眼前には果ての無い大空があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
かつて人々が住むところは、「惑星」というものだったという。
直径1万2千キロメートルにも及んだというその土の塊は、前時代の終わり、巨大な竜との戦いの末、粉々に砕け散ってしまった。
大陸は失われ、海洋すらも消えた。
かつて存在した惑星は、その地核から砕け散ったからだ。
重力に従うとどこまでも落ち続ける、およそ支えるもののない、上下どこまでも青い空間は、やがて「絶床空間」と呼ばれるようになる。
そうして人々は、大空というにはあまりにも広すぎる「絶床空間」に散らばる、幾千幾万もの「浮島」に、身を隠すように過ごす事を余儀なくされた。
大きな転換をもたらしたのは、「ホーム」と呼ばれる前時代からの巨大建造物と、そこに集結した人々の組織「地球連合」、そこで発達した技術である「機能高分子繊維」、「フラクタル動力」、そして「戦術航空騎兵」だった。
「地球連合」は、絶望した人々に結束をもたらし、竜と戦い続け、生き抜くための土壌を生み出した。
「機能高分子繊維」は、散り散りになり、無軌道にさまよう浮島と浮島を結ぶ、長大な柱管路さえ製造することを可能とし、鉱物資源や木材が極端に乏しくなった世界に、様々な代替素材を与えた。
竜種に対抗するために必要な文明の維持、動力源としては、「フラクタル動力」が希望の光となった。
そして「戦術航空騎兵」とその乗り手は、竜から人々の生活圏を守る、現代の騎士となった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
いつの間にか、イオキベ工房は5百メートルほども下方にあった。
上下左右、まったく果ての見えない青い空間、そこにぽつりと浮かぶ小さな浮島に、さらに縋りつくように建っている工房を見下ろすと、例えようも無く心細くなってくる。
そんなイオキベ工房の浮島からは、ここからでは目を凝らしてもほんの糸のようにしか見えないが、直径10メートルほどの柱管路が二時方向に伸びているのが分かる。
そのパイプラインを10キロメートルほど辿ると、ポセイディア商会も所在している、人口1万人ほどが居住する大きめの隣の浮島につながる。
さらにそこから、複数のパイプラインが別々の浮島に伸び、やがて「ホーム」の存在する巨大な浮島につながる。
パイプラインは浮島と浮島をゆるやかに支え合うだけでなく、内部に組み込まれた光神経線維によって、情報の断絶をも防いでいた。
パイプラインによるこの巨大なネットワークは、「ホーム」を中心にしながら蜘蛛の網のようなものを形成するところから、人々から単に「ウェブ」とも呼ばれている。
「六時方向、高さ7キロメートル、直径15キロメートルほどの積乱雲を確認」
「あらら、二時間後にはうちに命中しちゃうかな。昨日、洗濯しといて良かったね」
「当機目的方向とは重なりません。今のところ障害になりません。それ以外に考慮すべき事案はありません」
『ホーム方面、スラファト空域の気象に際立った異常は見られない』
短波無線から、ピュラーの補足する声。
計器を素早く確認しながら、よくある手引書通りの事務的なやりとりを進める。
「……系統確認、もう一つ、忘れてるもんが無いかい?」
後部座席からのやわらかい投げ掛けに、ノリトはぎくりとした。無意識に、いや、意図的に、忘れていたことを思い出す。少年は、自分の鼓動が急速に高まっていくのを感じた。
「虚像把握範囲…………『5』、致命的」
絞り出すようにして、ノリトは言った。
(たったの、5)
視界が暗くなる。
空軍士官学校時代の思い出が脳裏を埋めようとする。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦術航空騎兵の『操縦者』には、欠かせない能力があった。
『虚像把握能力』。
果てのない絶床空間において周囲の存在を理解する能力。それは、自分の周辺世界を理解するための能力とも言えた。
「IFレンジ」と略称されるその範囲において、航空騎兵の操縦者は、いかなる気象条件、電波障害の元でも、範囲内のあらゆる存在、変化、動静を瞬時に把握することができる。この能力は、時に上下の区別すら付かなくなる絶床空間において、亜音速ないし超音速で飛行しながら、同じ速度で肉薄する竜種との戦闘には、必須の能力だった。
もちろん、虚像把握以外にも、周囲を探知する手立てはあった。例えば、アクティブ・レーダー。
機体から電波を放射、その跳ね返りを測定することで、有視界では確認できない障害物や存在の大きさや位置を機械的に把握する、いわゆる電波放射式探知技術は実在していたが、自ら電波を放射することで、逆に、竜から先に気付かれるという致命的な欠点があった。
たとえ数瞬でも、竜に先に索敵されるということは、航空騎兵にとって命取りだ。
空軍士官学校後期、11歳を数えるその頃には、ノリトの虚像把握能力は著しく低下し始めていた。つまりそれは、航空騎兵として空を駆け、人類を守る「守護者」として、ノリトの成長が絶望的となったことを意味していた。
空を駆ける事が、分からなくなった。
空を駆ける事が、怖くなった。
空を駆ける事が、出来なくなった。
その他のすべてにおいて及第、むしろ優秀な成績を納めていたノリトが放校になったのは、そのためだった。
『IFレンジ、5……? おまえこのままだと、ゴミになるぞ?』
それまで親しく接してくれたはずの教官が、ある日を境に、針のような言葉を投げるようになった。その言葉は、イオキベ工房に来てから一年近くが経過する今でも、澱のようにノリトの脳裏で淀み、時に激しく渦巻くのだった――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「♪竜のパンツはどんなパンツー?
どんな色ー?
どんな柄ー?」
突然、突拍子も無い歌が聞こえて、ノリトは毒気を抜かれた。知らずに垂れていた頭を上げ、ため息をつく。
「……イオキベさん、何ですかその歌」
「虚像把握範囲『5』じゃあアレだからさ、探知は電波放射式探知にして、後は有視界でのんびり行こうや」
欠伸でもしそうな勢いで、イオキベが言う。
「でも、それじゃ、こっちの位置が丸わかりになります」
「前線に出るわけじゃなし、電波探知ばんばん打ったって、この辺に竜が出るわけじゃあるまい」
「でも、やっぱり僕じゃ……」
声を細くするノリトに対して、イオキベは歌声を張り上げた。
「♪履いーてみたいな竜のパンツー!
どんな色ー!
どんな柄ー!」
「だから何なんですかその歌!」
「知らないの? 竜のパンツの歌」
「……ピュラー! このおじさん、下品!」
思わず、短波無線に向けて少年は声を張り上げていた。
『少なくとも私は履いている』
「そういうことじゃないよ!」
さらに思わず、腰を浮かせるノリト。
「もう……」
座席に座りなおして、少年は大きくため息をつく。
「……知りませんからね!」
動力制御弁が大きく開かれた。
投げやりな決意と共に、絶床空間の青へ、航空騎兵は吸い込まれていく。
(つづく)
少年の頃の僕がイオキベ工房に入ったら、たぶんイオキベをぶん殴ってると思います。
下品な大人、いくない!(げひひひひひ)
次回「強襲」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(ぱんつー)