(二十五)間話・彼の竜、その頃
巨大な深紅の瞳を開き、不意に、彼は目覚めた。
(――どこだ?)
虚像把握を薄く、浅く広げ、彼はぞっとした。
すぐ下方に、黒藻宙底層が口を開けている。
その僅か2百メートルほど上空を漂う小浮島に、彼は居た。
黒藻たちは必死に身を捩りながら、彼を食い尽くそうと大気を這い上っては、浮島の電離流域に阻まれ、離散する。それを執拗に、延々と繰り返している。もし、浮島に十分な電離流域が無ければ、彼はこうして目を覚ますことは無かったろう。
(――いつだ?)
右の目は見えない。
左の目で、上空を窺った。
懸命に視線を操作すると、白く輝く、真円の月が目に入った。
いつの間にか、人類侵略空域は、闇夜季節から望月季節に入っている。月の角度からして、まだ、新しい季節に入り立てのようだ。
意識を失ってからおよそ十日、そう、彼は推測した。彼の寿命からすると一瞬だが、この空域で眠るには危険すぎる長さだ。
(――どうなっている?)
体はまったく動かない。
頭を起こせない。
彼は思念を振り絞り、僅かばかりの電流を表皮に走らせると、頭部をはじめ、各部位を順々に、虚像把握で観察した。
何より誇らしかった彼の琥珀色の鱗は、今や輝きを失い、黒く淀んだ色をしている。
大丈夫、膂力が戻れば、輝きもまた、戻る。
浮足立つ心を、彼はそう言って宥めた。
我ながら自慢だった形の良い頭部、長い首、肉付きも力強い左腕、左胸、左の翼。
ああ、大丈夫だ、かなり痛んではいるが、回復できそうだ。右目は損なわれているが、きっと、きっと再生できる。
両脚は?
――筋繊維は激しく損傷しているが、大丈夫、誘電飛行も、すぐ取り戻せる。
尾は?
――部分的に内部骨格が粉砕しているが、大丈夫、また、敵を屠る力は甦る。
腹部
――内臓に支障が出ている。根源的な力が出ないのは、その為だろう。いったん、安全空域まで戻り、そこで時を過ごすしかない。嘆く心を、彼は慰めた。
右胸、右腕
――そこで、彼の心は、絶叫した。
右胸には大きな穴が穿たれ、右肩から先は、千切れ飛んでいた。
表皮を走査していた電流がその大穴に潜り込み、剥き出しになっていた竜心に触れる。
青い光を微かに放ち、喘ぐように脈動していた竜心がその鼓動を乱すと、経験した事の無い激しい痛みが全身を駆け廻り、彼の体は、大きく慄いた。
その時、体長約160メートルの弩級雷竜は、自分の致命傷を知った。
月光に煌々と照らされて、彼の体は力無く、暴食層も間際の小浮島に横たわっていた。1千5百年もの間、その力を誇示してきた彼の強靭な体は、無残な姿を晒していた。
(――なぜ、なぜこうなったのだ?)
戦慄く体を宥め、泣き叫ぶ心を抱き締めながら、彼の精神は必死に記憶を手繰った。
そうだ、絶床空間を墜落し、この小浮島に激突したのだ。
その前は、そうだ、強い衝撃に、千切り飛ばされ、弾き飛ばされたのだ。
その衝撃は、そうだ、奴らだ、奴らによってもたらされたのだ。
あの、紅い、紅い航空騎兵によって。
全ての記憶と共に甦ってきたのは、激しい怒りだった。それは、自分自身への怒りをも伴っていた。
(――油断していた)
完全に油断していた。
自分のような弩級上位竜種に、たった4体の航空騎兵如きが適う筈もない。そう思っていたのだ。
だが、奴らの制空能力は、予想を遥かに超えていた。先達から伝え聞くよりも、遥かに高い意志力と、行動力を持っていた。
初撃を避けられたのは想定内だ。
その後の三連撃、奴らの連携こそ見事だったが、何ということは無かった。隙をついての反撃に、奴らは大きく算を乱したはずだ。
特にあの、一番動きのひょろっちかったあの航空騎兵、ああいうのから個別に撃破していけば、模範狩猟の如くに、自分は勝っていたはずだ。
(――あの4体が特別だったのか?)
それとも、人類は今をもって尚、急速に成長し続けているのか?
何とか爪を喰い込ませたあの1体、あの1体ぐらいは倒せたか?
それとも、あれぐらいの傷は、航空騎兵にとってどうと言う事は無いのか?
息も絶え絶えに、小浮島に力無く横たわる弩級雷竜。今の彼に、それらの答えを得る術が、有ろうはずもなかった。
(――どうする?)
沸き立つ怒りを何とか制御して、彼は考えた。
(安全空域に戻り、体を癒すのだ。
さもなくば、ここで犬死だ。
置いてきた仲間たちは、我を嘲るだろう。
笑いたい者は笑えば良い、我は確信を持って、
我が身を以ってまた挑むのだ)
(だが、そうしたら、あの子は、
嗚呼、あの子はどうなるのだ。
我が愛しの妹御はどうなるのだ。
1千3百の年を共に過ごし、
この半世紀を独り彷徨うあの子はどうなるのだ)
(竜種のため?
人類のため?
此の世界のため?
そんな物は知った事か!
何故に、愛しの妹御を、
生贄に差し出さねばならないのだ?
何故に、我が妹御が、
そんな物を背負わなければならないのだ!)
(我は妹御を取り戻し、
仲間の元へ凱旋するのだ!
だが、どうやって?
嗚呼、どうやって!?)
彼の精神は懸命に考えた。
身動きが取れるようになるまでここで休むには、あまりに時間が掛かり過ぎる。かと言って、救難咆哮を上げることは、彼の自尊心が許さなかった。
後悔と怒り、焦りと痛みが、彼の心と体を苛んだ。その時――。
『過剰摂取、ヲ 、スノレノ夕゛』
(――誰だ!)
突然、潜り込んできた声に、彼の精神は震えた。その選択肢は、竜種にとって最悪の結果をもたらすことを、彼は知っていた。
『急速進化、ヲ 、スノレの夕゛』
確かに、彼を支える小浮島には、十分なフラクタル鉱石が眠るのを感じる。それを過剰摂取すれば、そして急速進化を果たせば、力を取り戻せる――いや、かつてを上回る力を、得られるだろう。
だがそれは、竜種としての破滅と、彼の精神の死を意味していた。
(誰だ! 魔竜か!? 巫山戯た呪術は止めろ!)
思わず暗黒色の竜の名前を口にしたが、その声はむしろ、彼の心の奥底から沸いてくるように感じられた。
『今⊃ソ、膂力、ヲ 、取‘ノ 戻ι、妹御ヲ、取‘ノ 戻スの夕゛』
『愛ιノ、妹御、ヲ 、取‘ノ 戻スの夕゛』
『愛ιノ、妹御』
『愛ιノ』
(嗚呼! 嗚呼! 嗚呼!)
妹御の事を想うと、彼の心は大きく軋み、精神は歪み、肉体は震えた。
真円の白い月は天頂に差し掛かり、季節が進んでいくことを告げている。
もはや、一刻の猶予も無いのだ。
昏い波が、彼の精神を覆い始めた。
(愛しの妹御を取り戻すのだ! 愛ιノ、妹御、ヲ 、取‘ノ 戻スの夕゛!!)
(この痛みを奴らにも与えてやるのだ! 奴、ラ 、にモ、与ヱテ、ヤノレの夕゛!!)
彼の心と肉体が、止め処なく絶叫を始めた。
白い月に照らされ、彼は激しく身震いをした。
(ならん! 誇りある竜種の一員として、それだけは、ならん!)
彼の精神がそう叫んだ時、心の奥底から、あの情景が差し込まれた。
――竜。
絶床世界の青を、たおやかに飛ぶ白金の竜。
蒼穹色の瞳を輝かせ、界平線のどこまでも先を見つめる、美しい竜。
彼が唯一、彼以外に、何よりも守りたいと想った、あの、白金の美しい竜。
(嗚呼……)
ついに弩級雷竜の精神が膝を折り、心が求め、肉体が求めるままとなった、その時――。
右胸に穿たれた大穴、そこに剥き出しになった彼の竜心が、蒼黒く鳴動した。神経線維が這いずり出ると、自分を支えている小浮島に喰らいつく。
弩級雷竜の神経線維に侵入された小浮島が、中心から引き裂かれ始めた。縦横に走る亀裂から、まるで悲鳴のように、フラクタル鉱石の青い光が漏れ輝く。
(嗚呼、リュシー)
神経線維が小浮島中核に到達した時。
彼の精神は小さく溜息をついて、混沌に呑まれた。
『……ハ ハ ハ ハ ハ ハ 、アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \』
変異していく弩級雷竜を嘲笑う、何者かの哄笑が、絶床空間に鳴り響いていた。
(つづく)
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どぅう゛ぉるずぁあーーーっっっく!!(←洗面器に顔をつけて最大限に息を止めた後のような叫び)
はぁ、はぁ、はぁ……表現するのって、難しい!!(←何を今更)
どうやったら雷竜の苦しみなんて表現できんだよこんちくしょーっ!!(←何を今更)
という訳で、和気藹々(?)の都市島編の合間の間話です。
閑話でなくて間話なのは、あんまり長閑な内容ではないからです!(きらっ☆)
それにしても、弩級雷竜くん、話せる(?)んですね!
しかも、激しく妹病(?)みたいですね!!
僕には実妹は居ませんが、脳内なら三人ぐらい居ます!(きらっ☆←HENTAI)
されば次回まで、ごきげんよう!
フライ・ルー!(きらっ☆)




