(二十三)都市島・6
「では私めは此処で失礼します。お父上によろしくお伝えください」
慇懃に頭を下げる秘書官に向けて、アンテットは視線も合わせず、ひらひらと手を振った。
そんな彼女の態度にも馴れた様子で、秘書官はオラシオン小隊一同に向かって礼をすると、電気自動車の運転席に乗り込む。
「やれやれ、息が詰まっちゃうよ……」
「お嬢様も大変だねぇ~」
「だから、止めてってば……」
げんなりしながら2台の電気自動車を見送るアンテットを、トゥシェが茶化す。そんな二人の雑談を耳にしながら、ノリトはわくわくして、周囲を見まわしていた。
アルカイドの下町商店街、その拱廊の入口に、彼らは到着していた。
夏期間の強い日差しを受けて、商店街の白壁は輝いて見える。
灰色が大部分を占める市街地の中でもこの区画は別格で、同じく民間用の簡素な機能高分子繊維製建材で建てられているとはいえ、日常を楽しめるよう、きちんと塗装され、あちこちに装飾も施され、要所の植物栽培容器には花々が彩を添えている。
普段は無機質な基地建物に囲まれて暮らす彼らにとって、その様子はまるで、「さあ遊びなさい」と手招きしているようにも感じられた。
「一同、気をつけ!」
アウダース・ゼール中尉が声を張り上げる。
ノリトも思わず、姿勢を正していた。
イオキベだけ、焦れったそうに無精髭を掻いている。
「オラシオン小隊はこれより、12時間の自由時間とします。騎兵としての節度を守ること、定時を守ること、その他、注意点は無いわ。久し振りの休暇だもの、皆、楽しみましょう」
「わーい!」
スズの言葉に、小隊一同は、子供のように歓声を上げた。
「オラシオン大尉! お昼どうします?」
「ううん、特に考えてないの。適当にぶらぶらしながら決めようかと……」
「じゃあ、早めに小麦麺しませんかぁ? ずーっと狙ってたお店があるんです!」
(そんでその後は、海水浴!)
(えっ! でも、高いでしょう? あそこ……)
(大丈夫、大丈夫ぅ~! ね、アンテット?)
(そう、大丈夫!)
スズの両腕を取りながら、アンテットとトゥシェが小声で促す。黒髪の彼女がちらりとイオキベに視線を遣ると、彼の碧眼は明後日の方向を彷徨っている。小さく吐息をつくと、スズは二人に笑顔を向けた。
「じゃあ、行っちゃいますか?」
「さっすが大尉、そう来なくっちゃ!」
「うふふ~、楽しみだね~」
年の近い彼女たちは、顔形は似つかないが、まるで三姉妹のような雰囲気だ。
歩き出そうとした矢先、不意にアンテットが振り返って言った。
「あ、そうだ! レーニス! あんたも来なよ!」
「あ、いや、僕は……」
突然、赤橙色の瞳を向けられて、レーニスは薄茶色の瞳を泳がせた。
「僕は、いいよ。探したい実本があって……」
「またぁ? あんなの嵩張るだけじゃん!」
「あ、じゃあ、俺が一緒していい?」
「いいよ! 行こうよ! お腹すいちゃった~」
何故だか背を曲げ、とぼとぼと商店街に消えていくレーニス。賑やかに歩き出した女性陣と銀髪のソブリオ。
一方で、金髪碧眼の青年は、何事か辺りを見まわしていた。
「なんだよ、パーセウス」
「この辺にさぁ、煙草吸えっとこないかなぁ」
どうやら喫煙欲求を我慢できなくなったらしいイオキベの顔を、黒肌の中尉は呆れ顔で眺めた。
「お前な、今時、煙草なんぞ吸ってんの、お前ぐらいだぞ?」
「うっせぇなぁ、俺は由緒正しい喫煙文化の継承者なの! 免許皆伝なの!」
「意味わからん……。大体それ、一本、幾らなんだ?」
「一本、2百リーベ……」
「はぁ!? お前、一日に何本吸ってんの?」
「大体、十本ぐらい?」
「一ヶ月に6万リーベも掛けてんの!? 馬鹿かお前!?」
「お蔭で金が貯まらなくてさ……」
「当たり前だ!」
工房ではもっとスパスパ吸っていたはずだ。ピュラーの采配が無ければイオキベ工房の台所事情はどんな風になっていたかを想像して、ノリトは寒気がした。
「しょうがねぇなぁ……。煙草の吸える立ち飲み屋があったはずだ。行ってみるか?」
「酒も呑めんの!? 行く! 行く!」
「ラソン、行くか?」
アウダースに誘われて、つんつん髪を黄色く染めた少尉は頭を振った。
「酒類は止めときます。任務に支障をきたしますから」
「なんだ、そんな派手な頭して、お堅い奴だなぁ」
「髪色は関係ないでしょ。軽く商店街を回ってきますよ」
イオキベの軽口を、ラソンは苦笑して受け流すと、独り歩き出した。
「ノリト、お前はどうする?」
「あ、じゃあ――」
僕も一緒に行きます、とアウダースの問い掛けに答えようとしていた少年の腕を、赤髪の少佐が、がっ、と掴んだ。
「いやいやノリト君の付添は私がお願いされていてな? まあ、不案内な彼にアルカイド市の様子を紹介しようと思っているのだよ」
「えっ、あっ、その……」
黒髪の少年の助けを求める視線に、目前の大人二人は顔を見合わせた――イオキベがアウダースに耳打ちをする。
(……あいつを生贄にしよう)
(……仕方あるまい)
(……ひ、ひどい!)
二人の振る舞いに、結論を察した少年が、内心で絶叫する――底意地の悪い笑みを浮かべたイオキベが、ひらひらと手を振った。
「了解、じゃあ、お守りは任せたぜぇ」
「勿論だとも! 任せたまえ!」
(少佐のお守りの事なんだけどな……)
決然と立ち去るアウダースの厳つい背中と、今にも舌を出しそうなイオキベのにやにや笑いを見送りながら、ノリトは内心で呟いた。
(大人って、ずるい!)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
下町商店街の中は、想像した以上に混沌としていた。
拱廊のある中央通りをひとつ外れると、人とすれ違うのも困難な程の小道が入り組んでいる。クライシ家の後ろ盾を得たアルカイド市の活況を察して、次々と一般市民が流入しており、無計画な増設が続いている為らしい。
その分、市場の賑わいは相当なもので、こんなに多くの店や商品が並び、人々が行きかうのを見るのは、ノリトには初めての経験だった。
「市長のオーサー氏は鷹揚な方でな? 他の都市島からの移民も、次々受け入れておるのだよ。まあ、食糧の一大生産都市となったアルカイド市には? 人手は多いに越したことは無いしな?」
ガイツハルス少佐の説明を聞き流しながら、少年はあちこちに視線を走らせていた。
食材屋、総菜屋、小料理屋、軽食屋――美味しそうな匂いに溢れている。
服飾店、雑貨店、騎兵新聞の販売店、家具店、家電製品店――人波を避けて歩く。
そんな中には、職業斡旋所と、そこに並ぶ人の群れも見られた。
住民たちは皆、思い思いの服を着ている。髪の色、眼の色、肌の色、背格好も実に様々で、騎兵服姿の二人が通りがかっても、周囲の人々は、あまり気にする様子は無い。
「いつもなら? 私は高級住宅街でのんびり過ごすんだがね? まあ、ノリト君には? こういう場所の方が刺激的か? と思ってね?」
きょろきょろと見て回る少年の姿に気を良くしたのか、満足そうにガイツハルスが言った。これでこの人と一緒じゃなけりゃいいのになぁ、とは言葉にできず、ノリトは口の端でもごもごとお礼を言う。
(この人、何のために僕なんかを道連れに選んだんだろう)
商店街の裏路地散策に小半時間も費やそうと言う頃、その疑問は解消された。
ガイツハルスが不意に、細い四つ辻の角にある店の前で立ち止まる。そこは、裏路地にしては少し広めの装飾品の店だった。
「あ、ああ、ああ! そういえば!」
「な、なんですか?」
「ぴゅ……」
「ぴゅ?」
「ピュラーちゃんにお返しをしなければならんな! やや! こんな所に、丁度よく、装飾品の店があるじゃあないか! アルカイド市に来たついでだ、何かを買っていこうじゃないか、どうだね?」
「あー……」
ようやくノリトは、得心がいった。
「い、いいと思いますよ」
「そうだろう! そうだろう! たまたま、思い付いたんだがね! いやあ、ほんと、たまたま! どれ、ノリト君? 見繕ってくれないか、一緒に?」
(最初からそのつもりだったんじゃないか……)
少年は渋々頷くと、嬉々として足を運ぶ、少佐の背中を追った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「首飾りがいいな、首飾りが! 瑪瑙? 緑柱石? 黄水晶? うーん、黒曜石なんてのも手か? ど、どう思うかね? ノリト君?」
「えーっと、こっちの月長石なんてどうですか?」
「いいね! だが、色が白すぎるな。ピュラーちゃんの胸元には映えないかも?」
「じゃあ、この菫青石なんてどうです?」
「いいね! だが、ピュラーちゃんの深紅の瞳には似合わないかも知れないぞ?」
ピュラーちゃん、どんな服を着てるんだね?
ピュラーちゃん、どんな色が好みなんだね?
そんな事をガイツハルスに尋ねられても、ノリトはただ曖昧な返事しか返すことが出来なかった。
イオキベ工房の日常で少年が目にするのは、地味な土埃色の作業服を着たピュラーの姿だけで、他の服を着ているところは見た覚えもない。個人的な会話もほとんどしたことが無いので、好みの色など知った事ではなかった。
そんな訳で二人は、次から次へと、とっかえひっかえ飾り棚から商品を取り出しては、ガイツハルス曰く「薄紅色の髪で深紅の瞳で白い肌で楚々とした所作のピュラーちゃんが土埃色の作業服を着ていても似合う首飾り」を探して、一時間近くも掛けていた。
最初は愛想良く応じていた装飾店の店員も、今はうんざりした顔でガイツハルスの要求に応じている。
「シンプルに金の首飾りはいかがですか? 無難ですが、きっとお似合いですよ?」
「有り得ない! 無難なものなど、ピュラーちゃんには相応しくない!」
「ではいっそ、値段で勝負するのはいかがでしょう? 高価な物ほど喜ばれますよ?」
「有り得ない! それならそもそも、下町の装飾店なんぞに来たりしないぞ!」
「下町の装飾店」呼ばわりされた店員が顔をしかめる。やっぱり最初からそれが目的だったんじゃないか、とノリトは思った。
「いいかね! お返しという物は、頂いた物より高すぎてもならんのだ! 変に高価な物は、却って失礼だ! ある程度の範囲で、取って置きを用意する……其れこそが、紳士からの返礼という物ではないかね? どうだね?」
「処置無し」という感じで店員が肩を竦める。
その気遣いをベネトナシュ基地で発揮すれば良いのに、とノリトは思った。
(それにしても、暑いなぁ)
見上げると、天頂に差し掛かってきた太陽が、下町の裏路地にその熱量を注ぎ込んでいる。雑多に建ち並ぶ店舗に遮られ、風の通りも良くない。
ふと、装飾店の向かい角に間口を開いた、立ち飲み屋の看板がノリトの目に入った。
『太郎の立ち飲み屋~美味しい飲み物、冷えてます~(喫煙可!)』
ごくり、と少年の喉が鳴った。
恐る恐る背後の様子を窺うと、ガイツハルスは既にノリトの存在を忘れ、ピュラーへの「取って置き」を選ぶのに夢中になっている――このまま、そっと抜け出しちゃおうかな……そんな考えが過る。
「――お前さ、道案内が方向音痴ってどういうことだよ!?」
「――やかましい! どんどん増設されるから、時々分からなくなるだけだ!」
「――時々ってお前、どう考えてもこの道、さっき通ったじゃねぇかよ!」
「――さ、さっきの人が間違えて教えたんだ!」
聞き慣れた二人の声が通りに響いてきたのは、そんな時だった。
(つづく)




