(二十二)都市島・5
「あらかじめ言ってくだされば、色々と歓待のご用意もできましたのに。市長もたまたま休暇中でして、お出迎えもできずに申し訳ありません」
把手を操りながら、その秘書官は後ろの座席に声を掛けた。
「いやいや、構わんよ! 少佐にして司令官である私だが? あくまで私的な休暇目的だからな? 今回は?」
「は、はぁ、そうでしたか」
客室付格納庫から降りた途端に威勢の良くなったガイツハルス少佐が、鷹揚に言葉を返す。それに対して、秘書官は曖昧な笑顔で応じた。彼が声を掛けたのは、どちらかというと少佐ではなく、さらにその後ろの座席に仏頂面で座っている、アンテットの方だったからだ。
「どうだね? アルカイド市の状況は?」
「は、はい、お蔭さまで、生産、加工、流通、滞りなく」
「結構! 結構! 我がベネトナシュ基地としても鼻が高いぞ?」
そんな秘書官の様子を全く意に介した様子も無く、ガイツハルスは何やかんやと、彼に話しかけ続ける。少佐のいつもの調子に、左隣に座るスズは内心で大いに苦笑していた。
――オラシオン小隊の一同は二台の電気自動車に分乗し、軍用滑走路からアルカイドの市街地へ向かっていた。
開放屋根の座席からは、離れ行く討竜部隊機、近づき来る灰色の市街地、その向こう、カルデラ湖を湛えた緑成す山、そして、絶床世界の蒼穹が見渡せる。ベネトナシュ基地に比べ、対界平線高度が2千メートルほど低いこのアルカイドでは、空の青さが一層、濃く見える。心なしか、大気も甘く感じた。
「市街地に送って下さるだけでも助かります。折角の休暇、時間が惜しいですし」
「そう言って頂けて嬉しいです」
オラシオン大尉の柔らかな謝意に、運転席の彼が横顔を赤らめる。アンテットの左隣でその様子を観察していたノリトは、何故だか苛立った。
「アンテットが居ると、電気自動車の送迎付きで助かっちゃうよね~?」
「もう、やめてよそういうの、ほんとに……。何かってーとあの連中、お父上によろしく、お父上によろしくって、こんな小娘にさ、バカみたい」
右隣に座るトゥシェの悪戯っぽい言葉に、褐色の肌の彼女は、本当に嫌そうな顔で返した。どうやら、アルカイド市長の秘書官がわざわざ出迎えに来たのは、クライシ家のご威光が背後にあるらしい。
「どんな人なんですか? アンテットさんのお父さんて」
「えー? うーん、おっさんだよ、ただの、禿散らかしたおっさん」
『禿散らかしたおっさん』という表現に、ノリトとトゥシェは思わず吹き出した。
娘からしてみれば、地球連合の重鎮という地位なぞ関係なく、父親は単なる父親なのだろう。――それが、ノリトには羨ましかった。
「だって見てみ? ほんとに禿散らかしてんだぜ?」
「え! どりどり! 見して見して! あ~……」
「や、優しそうな人ですねぇ」
騎兵服の小型腰部鞄から小型電子書板を取り出すアンテット。
彼女が素早く軽叩した画面に表示されたのは、一組の年配の夫婦の画像だった。
書院造というらしい古典的な木造家屋の玄関先に立つ二人は、おそらくレンズの向こうにいるのであろう娘に向かって、柔らかく微笑んでいる。二人とも小柄で、どこかの小市民のようだ。小太りの男性の頭髪は……確かに少し、いや、かなり薄くなっていた。
「なんか、地球連合の重鎮には、とても思えないね~」
「だろ? その癖さ、怒ると超怖ぇの。あたしゃ何度、ゲンコツを喰らったか……」
「えー! 子供に暴力とか、有り得ない!」
「だよね! だよね! ちょっと庭の木を折った位で、すっげぇ怒るの!」
(それは怒られても仕方ないんじゃ……)
どんだけお転婆だったんですか、という突っ込みを、ノリトは辛うじて堪えた。
「それにしても……」
「似てないね~、アンテット」
黒髪の少年が控えた言葉を、栗色の髪の彼女が率直に言った。
画像に映し出された一組の夫婦は、どちらも瓜実顔で、黒髪、黒目、肌の色も褐色というより、黄色に近い。金髪、赤橙色の瞳、褐色の肌、顔形から体形まで派手に見えるアンテットとは、似ても似つかない。
「隔世遺伝らしいよ、あたし。何世代にもわたって混血が進むと、たまにあるんだって」
「へぇ~、そうなんだぁ。私は孤児だから、そういうの分かんない」
あっさりとそう言ったトゥシェの顔を、ノリトは驚いて見つめた。
電子書板越しに二人の視線が重なり、訳も無く少年の鼓動が高まる。
「ん? どしたの?」
「あ、いえ、僕も早くに両親を失くしたもので」
「そうなんだ……。ノリトも大変な思いをしてんだな」
「いえ、すぐに空軍士官学校に入りましたから、そんなには」
「――ご両親は、どんな方だったの?」
不意に、三人の会話にスズが入って来た。長い黒髪をお団子にまとめた頭を巡らせ、白いうなじが引かれた弦のような曲線を描く。その後れ毛に目を奪われつつ、ノリトはどぎまぎと返答した。
「その、討竜部隊だったそうです。十年前、三歳の時、第二次ベネトナシュ空域戦で亡くなったと聞いてます。肖像も残ってないので、僕にはほとんど、親の記憶がありませ――ぅわっぷ!」
突然、豊かな胸に顔を抱き寄せられて、少年の息が止まった。
「ノリト! あんた、オラシオン小隊においでよ! 何だったらピレルゴス曹長んとこの整備班でもいい! あんな変なおじさんの工房にいるより、ベネトナシュ基地の方がずっといいさ!」
どんな母性本能が爆発したのか、ノリトの黒髪に、アンテットが頬を寄せる。
「……まあ、うちにも鬼大尉はいるけど」
「……何か?」
「し、失礼しました! 撤回いたします!」
その鬼大尉から氷のような微笑みを向けられ、金髪の彼女は即座に敬礼、全面降伏した。男の子としては嬉しい苦痛から解き放たれて、少年がむせる。
「な、何事だ!? 私の面前で破廉恥な事はいかんぞ! 許さんぞ!」
騒ぎに振り返ったガイツハルス少佐が、後部座席での出来事に目を剥いて叫んだ。何をそんなに慌てる必要があるのか、風に赤髪が乱れ、頬が赤くなっている。その様子を見たトゥシェが、くすくすと笑う。
「それぞれの出自について話をしていたんです、少佐」
「なに、出自? ああ、ガイツハルス家ついて聞きたいのかね?」
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
「よかろう、そもそもガイツハルス家は代々、騎士としての名誉を何より重んじ、大破壊前からの勇猛な一族として引き続く家柄で、私も早くに空軍士官学校に入学、将来を任される人材として、我が家の5千年の血筋を次代に繋げていくことを心に……」
仕方なく聞き役に回ったスズの様子を窺い、ほっとしたアンテットが敬礼を下げた時、後続の電気自動車から、どっ、と爆笑が起きた。あちらはイオキベ、アウダース、ソブリオ、ラソンにレーニスと、男だらけだ。
話題の中心はレーニスのようで、何が面白いのか、真っ赤になって俯く彼の肩を、イオキベが嬉しそうに、ばんばんと叩いている。――その様子を見て、アンテットが呟いた。
「なんか最近さ、レーニス、あたしを避けてるみたいなんだよね。何なんだろ」
「そ、そうですか? そんな事ないと思いますよ?」
「そうかなぁ、考えすぎかなぁ」
思い当る節は大いにあったが、はしばみ色の髪の青年に配慮して、とりあえずノリトは、とぼけておくことにした。
「――あっ! 月だよ! 月!!」
ノリトたちを乗せた電気自動車が大きく迂回路を描いた時、カルデラ湖を湛えた山の山際から顔を覗かせたのは、真円を描く望月だった。硬貨ほどの大きさのそれは、絶床世界の青に押され、今はうっすらと白く、控えめにその存在を表現しながら、天頂へ向かっている。
「ほんとだ! 七年振りだっけ? 望月季節は」
「あれが……月! 僕、初めて見ます」
「そうなんだ? 私は二回目、かなぁ」
「大破壊前は満ち欠けする物だったそうだよね」
「あれが満ち欠けって、どんな風になるんだろうねぇ」
「じゃあさ、お昼は月見で一杯、てのはどう?」
「アンテット、割とおやじだよね。私は泳ぎたい! もう夏期間が終わっちゃう~」
「泳ぐったって、海水浴料、高くない?」
(だいじょうぶ! 少佐がいるから……)
(ああ! あいつに持たせちゃうか!)
悪巧みに入った二人の雑談を聞き流しながら、ノリトはぼんやりと月を見ていた。
うっすらと白い朝の満月は、絶床空間の青に隠された、虫食いの跡のようにも見えた。
(つづく)
▼ご連絡
「(二十一)閑話・ピュラー、その頃」の回、最後のピュラーの台詞を次のように修正いたしました!
修正前)(これが仕上がれば、彼は、飛べる)
修正後)(これが仕上がれば、この子は、飛べる)
意味深ですね!(←お前が言うな)
月も出てきましたし、み、みず、水着も出したい!(←変態)
ノリトにも夏を楽しんで欲しいと思いつつなかなか進まない話に勝手にゲシュタルト崩壊!
それにしても、格好良いですよね! 「ゲシュタルト」!
「悶えろ! 俺のゲシュタルト!」……みたいな!!(←もういい、もう休め)
されば次回まで、ごきげんよう!
フライ・ルー!(げしゅたるとー!)




