(二十一)閑話・ピュラー、その頃
「頂きます」
背筋を伸ばし、細い指を合わせると、ピュラーは木製の箸を取った。
小さな食卓の上では、味噌汁、ご飯、そして鰯の煮付けが湯気を立てている。
この一年ほど、イオキベ、ノリトと三人で囲んできたこの食卓で、一人の朝食を迎えることに、実のところまだ馴れていない。あの黒髪の少年には想像もつかないだろうが、ピュラーにもそういう感情はあるのだ。
まず、味噌汁で唇を軽く湿らせる。
「……美味し」
懐かしい味わいに、深紅の瞳が潤んだ。
もしガイツハルスがその表情を見ていたら、頂点前方宙返りからもんどりうって、床下に向けて完全失速落下していたことだろう。
目前の料理は、ベネトナシュ空域基地から送られて来たものだ。味噌汁は素材をお湯で戻したものだし、ご飯や鰯の煮付けは、缶詰に入っていた物を電子調理器具で温めただけだ。それでも、イオキベ工房のあるこの空域では、なかなか手に入る物では無かった。
食材だけでなく、それに似合った御飯茶碗に汁椀、皿に木製の箸まで送ってよこしたのは、イオキベならではの配慮というものだろうか。
鰯の煮付けから一口、そしてご飯を一口、白米の食感に煮付けの醤油仕立ての味わいが絡み、口腔にじんわりと満たされていく。
箸を置き、味噌汁を一口。
僅か三品の朝食なのに、心から温まることが、ピュラーには不思議だった。
食材と共に同梱されていたのは、『当分帰れない』という、イオキベ直筆の手紙だった。先だっての電文も踏まえ、現地での行動はうまく行っているようだ。彼のことだ、きっとその身を賭けてでもやり遂げるのだろう。
(それなら私は、私のことをしなければ)
楚々とした所作で料理を味わいつつ、ピュラーはイオキベとの出会いや、この工房で始まった生活、イオキベを通して知り合った賑やかな仲間たち、一年ほど前にやってきた黒髪の少年の事を想った。――何やらもう一人、良く喋る赤髪の男性にも会ったような気もするが、そちらは上手く想い出せなかった。
残った味噌汁を白い咽喉に通した時に、同じ階にある通信機から受信の警報が鳴った。
『よう、ピュラー! そっちの首尾はどうだ!』
頑丈そうな男の声。
ルーメン・ブラーヴだ。
「上手く行ってない。機能高分子原液の醸造までは良かった。ただ、その後の造形が難航している。やっぱり、パースじゃないと作業効率は良くない。私では65%程度。求められる精度まで行かず、一回、失敗してしまった」
『イオキベの65%なら大した工匠振りじゃねぇか。あいつ変なとこ凝り性な上に結構ドジだしな。機能高分子原液の残量なんて気にしねぇで、失敗しまくりだったんじゃねぇか?』
通信機越しに、豪胆に笑うルーメンの声が響く。
「まあ、それはおいといて」
『あ、ああ、そう』
瞬時に話を逸らされて、大柄な男は気の抜けた声を返す。
「超短波無線なんて使って、平気?」
『ああ、それなら問題ないさ。あっちで何故か発生した混線に乗っかってやってるし、万が一にしても、アウリスお手製のの秘匿通信を解析できる奴は、まず居ねぇ』
そう、と返しながら、ピュラーはルーメンとアウリスの二人の容姿を思い浮かべた。
しばらく有視界では確認していないが、巨体に禿頭のルーメン、長身で豊かな起伏の持ち主のアウリス・ウェヌスタは、お似合いの夫婦にして、兵站と諜報に関する熟達者だ。
『例のブツの座標特定が出来たってよ』
「分かった」
さらりと言ったルーメンに、さらりとピュラーは返した。
『望月季節のうちに、事は起こりそうだ』
「了解。こちらの作業を急ぐ。灯火のあらんことを」
『灯火のあらんことを!』
それを切りに、通信機は押し黙った。ピュラーはそそくさとその場を離れると、食卓に残された食器を食洗機にそっと仕舞い、階下に向かう。
普段ならノリトがこまごまと働いている工房。
その一角を占有する思象追跡型工作機。
いつもならイオキベが背を預け、紫煙をもうもうとさせている三日月型の寝椅子に、ピュラーは腰掛けた。寝椅子にはすっかり、煙草の匂いが染み付いている。ノリトは嫌がるその香りが、ピュラーは何故か、好きだった。
休止状態にしていた思象追跡型工作機を目覚めさせると、思象追跡端末を装着する。大型の被視界画面に光が点り、ピュラーの薄紅色の前髪を照らした。その向こうには、直径5メートルほどのガラス球が、入力を待っている。
(間に合うかな)
(いや、間に合わせなければ)
(これが仕上がれば、この子は、飛べる)
ピュラーは軽く目を瞑ると、全神経を思象追跡に集中させた。
(つづく)
なんか都市島編が長くなっちゃう感満載(無計画)なので、閑話です!
閑話!
いい響きですね、閑話!
次回「都市島・5」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(かんわ!)




