(十四)人類居住外空域・後編
人類居住外空域での調査飛行を続けるウチーチリ飛行隊。幾つもの浮島を発見、調査するも人類が利用できないものばかりで、かなりの時間を空費していた。
調査飛行の断念をウチーチリ少佐が告げた時、パーセウス少年の虚像把握が大型浮島を捉える。浮足立つ飛行隊隊員たちと、これを今回の最後の機会とする苦渋の決断を下すウチーチリ。
順調に引き揚げ準備作業が進む中、大破壊前の古代地球から残っているという、「古代遺物」が発見される。ウチーチリの制止も間に合わず、パーセウスはそれに触れてしまうのだった。
轟音が響き渡り、パーセウスは20メートル近くも弾き飛ばされた。周囲の低木が受け止めてくれなかったら、全身を強打していたことだろう。
古代遺物に触れた右手から右腕、右肩にかけて、燃えるように熱い。大岩の側面から流し込まれた何らかの力が右手から差し込み、右肩で折り返し、また右手へと逆流し、いまや指先から炎を吹き出しそうだ……そんな風に少年は感覚していた。
背中の痛みを堪えつつ頭を起こすと、今しがた発見されたばかりの古代遺物、全面に浮彫が施された大岩の上空に、巨大な裂け目が出来ていた。
何も無いはずの中空に突如として出現したその裂け目の向こうには、真闇が見える。それはまるで、星空に開いた、時空の裂傷のようだった。
大岩の崩れ落ちる音に、パーセウスは我に返った。
裂け目の両端を、一対の巨大な腕の先、5本の鉤爪が掴んでいる。
それが裂け目を押し広げた時、中空に現れたのは、巨大な竜の頭部だった。暗黒色の鱗に覆われた頭部両側面を、一対の金色の巻き角が飾っている。深紅に輝く6つの目、3つに裂けた巨大な口からは、溶岩のような赤く、黒い炎が吹き上がっている。
「超弩級魔竜……」
パーセウスは直観した。
かつて古代地球の大破壊に関わったとされる竜が、出現しようとしていた。
少年の手が無意識に動き、小型腰部鞄に収納していた小型針銃を瞬時に取り出すと同時に、高さ30メートルにも及ぶ巨大な黒竜の頭部に目掛けて狙いをつける。巨大な竜を相手には何の意味もない行為だが、そうせずにはいられなかった。
『動くな!!』
パーセウスの指が引金に掛かった瞬間、防護兜内の短波無線からウチーチリの怒声が飛んだ。――少年の動きが止まる。
『総員、動くな!!』
再度、短波無線から、ウチーチリの怒声が飛ぶ。
僅かに冷静になったパーセウスが自身の虚像把握を確認すると、攻撃体勢に入っていたウチーチリ飛行隊の全航空騎兵たちも、空中でその動きを止めている。
『以後、短波無線の使用を許可する』
『少佐……』
ウチーチリの指示に対し、現状を把握できない隊員たちから、呻くような声が返った。
その間も、超弩級魔竜は裂け目を広げ、さらに身を乗り出そうとしている。
『繰り返す、総員、動くな。……銃をしまえ、パース、機体に戻るぞ』
『でも、こいつ……』
『命令に従え!』
『……了解』
少佐の確固たる物言いに、少年は渋々、小型針銃を小型腰部鞄に戻した。そろそろと立ち上がり、ゆっくりとα隊1番機に向かって後ずさりする。
虚像把握で確認すると、γ隊1番機の二人の搭乗者も、自機に向かって戻ろうとしていた。
巨大な黒竜は、戒めから逃れようと鉤爪を広げ、身を捩っているが、特に攻撃してくる気配は無い。むしろ、咆え声すら上げていない。その6つの目と3つの口から、黒炎を吹き上げているだけに、かえって不気味だった。
それでも、超弩級魔竜に背を向ける気にはならず、パーセウスは常に虚像把握しながら、足元を低木にすくわれないよう、細心の注意を払いつつ後ずさりし、航空騎兵の縄梯子を伝い、前部座席に転がり込む。
(――待てよ)
ほっとしたのも束の間、少年はふと、自身に起きた異変に気づいた。
(――なんで俺、操縦席の外で、虚像把握できてたんだ?)
少年の疑問は、後部座席に乗り込んできた、ウチーチリの声に掻き消された。
「パース! 虚像把握管制、よこせ!」
「どうすんですか!」
風防が閉まる。パーセウスは指示通りに制御盤に指を走らせつつも、後部座席に問い掛けた。
「……超弩級魔竜と知性的接触を試みる」
『まじっすか少佐!?……』
短波無線越しに、隊員たちから次々に声が上がる。少年もまた、唖然としていた。
航空騎兵憲章では、竜種との知性的接触は禁じられていた。明確な敵性存在である竜種から、接触者がどのような影響を受けるか分からず、地球連合を危険にさらす行為だからだ。――少なくとも、パーセウスはそう教わっていた。さらに言えば、一般的に、自分の生命を脅かす竜種に対して、知性的に関わろうとする者など、居るものではなかった。
『少佐、正気ですか?』
κ隊1番機の後部座席に座る男から、比較的冷静な声で問い掛けが入った。
エスピオンという名の攻撃手で、小柄だが正確な腕前を持つ。栗色の瞳は常に愉快そうで、冗談を言ってはよく、みんなを笑わせていた。
『正気だ』
ウチーチリ少佐は、明確に回答した。
『調査部隊の本分はこういった事にある、俺は常々、そう考えていた』
沈黙する一同に対し、ウチーチリはさらに続けた。
『偶然とはいえ、古代遺物は発動した。出現しようとしている超弩級魔竜からは、今のところ攻撃の意志は見られない。さらに、こいつは5本指だ。意思疎通の可能性は大いにある。それに、状況から考えて、こいつはあの古代遺物に封印されていた可能性が高い。何らかの理由があって、他の竜どもによって封印された……つまり、人類の味方である可能性がある。調査部隊としては、その理由をこいつ自身に問い掛ける価値は、十分にある。俺は、そう考える』
ウチーチリの声は静かだが、力強かった。
『異論は?』
最後にウチーチリがそう付け加える。
一同の沈黙が一層、重くなった気がした。
目前の超弩級魔竜は、いよいよ裂け目を広げ、幅40メートルにもおよぶその肩を、絶床空間に乗り出そうとしている。
パーセウスとウチーチリの乗るα隊1番機からは、黒炎を上げるその顎がもはや、目と鼻の先だ。魔竜がその巨大な腕を揮えば、着陸したままの航空騎兵など、子供が玩具でも扱うように、一瞬で薙ぎ払われるだろう。
『賛成ですわ』
最初に答えたのは、κ隊1番機の前部座席に座り、どん亀一個小隊を預かる女丈夫だった。それを皮切りに、各小隊の隊長たちから、次々と応答が返ってくる。
『俺も賛成ですぜ』
『賛成っす』
『賛成。いい加減、浮島泥棒みたいな真似には飽き飽きですよ』
『賛成。俺もそういうこと、したかったんです』
『賛成。ボーナスは弾んでくださいよ?』
『賛成。魔竜と交信なんて、かっこいいっすよ』
『賛成……てかもうホント腹減ったんで、とっととやりましょうよ』
さっきから「腹減った」を繰り返しているε隊の隊長からの力無い応答に、大人たちは一斉に笑い声を上げた。
14歳のパーセウスは、いきなり騎兵憲章を乗り越えてしまった彼らの即断と、こんな時でも笑える余裕に、ただ呆然としていた。
「おまえら、ありがとうな……」
後部座席でウチーチリの呟く声が、少年には聞こえた。これから行おうとすることにどれだけの危険性が伴うのか、ウチーチリも、みんなも、理解した上で言っているのだ。その事が、少年をさらに驚かせた。
κ隊1番機の後部座席から、長い溜息が聞こえてきたのは、その時だった。
『……ならば、自分はこうせざるを得ません』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
κ隊1番機が突然、所在公知電波を放った。
それは、周囲百キロメートルに渡って鳴り響く。
人類居住外空域では決して行ってはならない、竜種を呼び寄せる行為だ。
『エスピオン! 何を……!』
抗議の声を上げたκ隊1番機の前部座席が、脱出球状態で射出される。
女性大尉の悲鳴が、短波無線から長く尾を引いて響き、そして消えた。垂直に強制射出されたそれは、あっという間に、大型浮島の電離流域を越えたのだ。
『クライシ大尉!』
κ隊の隊員たちから絶叫が上がる。
音速で射出された脱出球は、垂直上昇を続ければ数十秒で暴食の宙底層に到達してしまうだろう。いち早くクライシ大尉を追わなければならないが、身重などん亀は、すぐには行動に移れずにいた。
その隙をついて、κ隊1番機の全管制を握ったエスピオン少尉は、自機に取り付けられていた外部大型格納庫を強制排除する。
大質量をいきなりぶち当てられた近くのどん亀2機が、もつれ合って落下、護衛していた数機の針鼠も巻込んで墜落する。その衝撃に瓦解した大型格納庫からは整備台座が飛び出し、待機状態にあった他の針鼠をさらに数機、中破させる。
――まったく想像もしていなかった不意の同士討ちに、さすがのウチーチリ飛行隊も、混乱に陥った。
『てめえ何しやがんだ!』
そう叫んでκ1に向き直った針鼠の1機に、容赦なくエスピオンは襲い掛かった。
人型形態に移行すると、両手の鉄爪を突き立て、空中で振り回す。振り回された針鼠の搭乗者2名が上げる悲鳴と、それがもう1機の針鼠に激突させられる轟音が、パーセウスの耳に響いた。
「あの野郎……!」
「δ隊、クライシを追え!」
ウチーチリ少佐が振り絞った声に、我に返ったδ隊の4機が即応した。亜音速で円周哨戒していた軌道を一気に切り替え、上空に打ち上げられた脱出球を追う。
「……エスピオン、どういうことだ!」
――未だ部下の裏切りを信じられないウチーチリ少佐の甘さが、次の悲劇を生んだ。
右翼に撃槍を展開したκ隊1番機が、判断に迷っている近くの針鼠に突撃、さらに炸裂、そして捻転する。大破し、内部骨格に致命傷を負った機体は、なすすべなく大型浮島の表面に激突した。搭乗者たちには脱出の猶予もなかった。
『現時点を以って、ウチーチリ飛行隊を敵性分子とみなし、反地球連合行為を阻止するべく、粛清します』
残る針鼠を執拗に追い、撃槍で貫きながら、エスピオンが極めて冷静に言う。重武装の針鼠から片づけて行こうという考えなのだろう。
ようやく反撃に出た1機の針鼠が、κ1に向けて撃槍斉射装置から短撃槍を斉射するが、複雑に急旋回するエスピオン機の動きに、狙いが定まっていない。命中しかけた短撃槍の内の1本も、エスピオンは華麗な動作で、左の盾翼で受け流した。――見事な航空戦闘技術だった。
次々と撃破され、墜落していく同僚機を、ウチーチリの虚像把握を通して見ながら、パーセウスはただ、呆然としていた。つい先刻まで、隊員たちが冗談や笑い声を交わしていたことが信じられない。今、短波無線から聞こえてくるのは、彼らの悲鳴や、怒声ばかりだった。
「おまえ、査察部隊か……」
後部座席で、ウチーチリが怒りに声を震わせた。
査察部隊――各飛行隊の金銭管理、物資管理、施設や資材管理等に不正や問題が無いかを監査する、それが表向きの名目だ。その一方で、反地球連合的な行動が見られないか、各部隊に潜り込み密偵として動く隊員がいる……そう、少年は聞いたことがあった。
『少佐! 攻撃命令を!』
『こいつ……ぶっ殺してやる!!』
α隊、β隊、γ隊、「鷹の目」各機の隊員たちが、口々に吠える。
――ウチーチリ少佐は迷った。
これまでの会話は、すべて飛行記録装置に残されている。エスピオン機を撃破したところで、本隊に戻って各機の飛行記録を解析されてしまえば、ウチーチリ飛行隊の行状はすべて明らかになる。
超弩級魔竜との接触に成功して成果を持ち帰れれば言い訳や面目も立つが、査察部隊に抗い、尚且つそれを撃破したとあっては、どんな抗弁をしようと、飛行隊隊員全員が処断されることは明白だった。
――少佐の迷いを感じ取ったのか、攻撃の手を休め、それでも油断なく撃槍を構えながら、エスピオンが余裕のある声で冷静に言った。
『……ウチーチリ少佐、大人しく本隊に出頭されますか? 少佐自らが出頭されるのであれば、査察部隊としては本件につき、他の飛行隊隊員たちについてはより穏便な処置を考えないものでもありません』
α隊1番機の後部座席で、ウチーチリの呻く声が聞こえる。
現在無事なのはα、β、γの鷹の目12機、δ隊の4機は上空へ救出に向かっており状況不明、針鼠はほぼ中破ないし大破、エスピオン機を除けば、どん亀は辛うじて1機が小破に留まっている。
それでも、どん亀が残っていれば、まだ大型浮島の引揚作業を続ける余地はあった。航空基地にも使えそうなこの大型浮島を成果として持ち帰り、憲章違反を素直に認めれば、残る部下たちへの寛大な処置は期待できるだろう。
「……貴官の判断に従う」
しばしの沈黙の後、はっきりした声でウチーチリ少佐は回答した。飛行隊隊長の言葉に、隊員たちが呻く。
『賢明なご判断に心より感謝いたします。尤も……超弩級魔竜に接触しようなどと思わなければ、そもそもこうはならなかったんですがね』
エスピオンの声に、皮肉と、慇懃無礼な響きが混じり始めた。
『それではまず、そこの魔竜から片づけて頂きましょう。残る3個小隊が居れば、超弩級とはいえ身動きのできない竜ごとき、退治することは容易いでしょう。――くれぐれも変な気は起こしませんように。さもなければ……』
エスピオン機の構える撃槍が、小破しているどん亀の操縦席に狙いを定めた。
(こいつ、調子に乗りやがって)
パーセウスの両腕が、怒りに震える。それでも今、少年に出来ることは無かった。――今、この時は。
「分かっている……。鷹の目各機、超弩級魔竜に狙いを定めろ」
努めて冷静な声で、ウチーチリ少佐が隊員たちに指示する。
短波無線越しに、短い応答が各機から返ってくる。誰もが怒りを押し殺しているのだ。
12機の航空騎兵が自分に向き直ったのを見て、初めて、魔竜は咆哮した。
人類居住外空域の夜空を震わせ、星すらも揺さぶるようなその咆え声は、上位種かつ超弩級の竜が持つ底知れない力を、改めてパーセウスに感じさせる。
『――六時方向に感! 距離5500! 数、12! 亜級翼竜と思われます!』
γ隊1番機から声が上がった。
先ほどエスピオンが放った所在公知電波を捉えた翼竜が、近づいていたのだ。自分だったらもっと早く見つけられていたのに……ウチーチリから虚像把握管制を取り戻していなかったことを、パーセウスは後悔した。
『おやおや、早くしないと行けませんよ、少佐』
嘲笑うようにエスピオンが言う。
亜級翼竜は、体長15メートルほどの小型竜とはいえ、音速で通常飛行できる竜種だ。主に強行偵察の役目を担っており、うまく避けるか殲滅しない限り、さらに強力な竜たちを呼んでしまう。既に亜級翼竜たちは、彼らの虚像把握でこちらを捉えているはずだ。
もはや一刻の猶予も無いのだが、エスピオンの声には余裕があった。いざとなれば、超々音速飛行で自分だけ離脱できると考えているのだろう。
一方のウチーチリ飛行隊は、生死不明のまま墜落している仲間たちを、この浮島に置いて行けるはずが無かった。
12本の撃槍を向けられた超弩級魔竜が、再度咆哮を上げた。
ついに、その巨大な右腕を解放すると、大型浮島の表層に5本の鉤爪を突き立て、必死に全身を引きずり出そうと試みている。
封印から逃れようと懸命にもがく暗黒色の超弩級魔竜、それに撃槍を向ける12機の航空騎兵、そして、どん亀を人質に取ったエスピオンと、迫りくる12体の亜級翼竜。
「攻撃開始!」
――ウチーチリがそう叫ぼうとした時、上空から落ちてきたのは、δ隊1番機だった。
(つづく)
こ、後々編に続きます!
こうこうへん!
急に学園物にスピンオフしたみたいですね!(字が違う)
っていうか「後々編」って言う表現、ありえるんでしょうか(汗)。
文章量のコントロール、相変わらず難しい……。
次回「人類居住外空域・後々編」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(こうこうへん!)




