(十二)人類居住外空域・前編
討竜部隊隊歌に乗って、粛々と進められる葬儀。そんな中、嗚咽を漏らして危うく手元を狂わせるところだったレーニスをアンテットが蹴りつけ、一同が爆笑するという事態に、ノリトは唖然としつつ、軽蔑すら覚える。そんな少年も、実際には身も知らぬオンラードを収めた棺が炎を上げて絶床世界に消えていく時に、何の疼痛すら感じないのだった。
その後、葬儀を終えた深夜のベネトナシュ空域基地の片隅、兵舎を抜け出して煙草を吸うイオキベの元に、スズがやってくる。皆の前では流せなかった涙を流す彼女に対して、イオキベは言う――お前さんには話しといた方が良さそうだな、と。そうして彼は、十八年前の自分を物語り始めた。
対界平線高度はマイナス、界平線を8千メートルも下回るところを、9個小隊、36機の黒い航空騎兵が隊を組み、亜音速で駆けていた。
中央に1個小隊、4機が菱形編隊を組んでいる。
通称「どん亀」と呼ばれる、腹部に全長25メートル、全幅15メートル、全高10メートルの外部大型格納庫を取り付けた機体で、調査飛行中に必要な様々な物資を運ぶ。そのうちの一機は整備台座を丸々格納していた。
それら4機の「どん亀」の周囲を、四つ指編隊を組んだ4個小隊が囲んでいる。
こちらは「針鼠」と呼ばれており、重武装型に特化されていた。盾翼は従来の航空騎兵よりも大きく、幅広い。また、8本の短撃槍を同時に射出可能な、撃槍斉射装置を2基、背部と腹部に備えつけていた。
その「針鼠」の前方を行くのが、同じく四つ指編隊を組んだ4個小隊、通称「鷹の目」だ。
彼らの機体には特別な仕様は施されていないが、虚像把握による索敵と航空戦術に長けた操縦手と攻撃手が配置されており、調査飛行を行う飛行隊の目となり、竜種との交戦にあたっては、真っ先に槍となる役目を担っていた。
――太陽はほぼ天頂。
だが、上空からの陽光を受けたその下方には、黒々とした、分厚い雲海のようにも見える黒藻宙底層が広がっていた。
9個小隊、36機の航空騎兵は今、さらにその下の人類居住外空域に挑もうとしていた。
藍色細菌が変化したものと目されるこの生きた宙底層は、太陽光線を吸収し、代わりに大量の、酸素等の現世空気を吐き出してくれる。その一方で、一切の太陽光線を吸収してしまうため、黒藻宙底層の下には、昼の太陽光は届かない。
幾兆もの黒い細菌が分厚い積乱雷雲群のように広がり、上空からの気流やその内部循環構造によって蠢く様は、小さな舟を呑みこもうとする荒海のようにも見えた。その波は界平線まで届くかのようで、その厚みは、実に40キロメートル近くもあった。
黒藻宙底層は界平線まで椀底状に緩やかにせり上がり、絶界の果てまで続いていると考えられていた。さもなければ、果てのないはずの絶床世界に、日没があることが説明できない――800年を越えるとされる航空騎兵史において、誰も絶界の果てに辿り着いた者がいない以上、その他に結論は見当たらなかった。
『目的潜航空域、到達しました』
「了解。索敵担当をα隊1番機、パースに切り替える」
音声通話を通してβ隊1番機から入った報告に、α隊1番機の後部座席に座るレーラー・ウチーチリ少佐が指示を返す。
「……小僧、しくじるなよ」
「うぃーす」
後部座席のウチーチリ少佐から掛けられた言葉に、前部座席に座る14歳の少年、パーセウス・イオキベ少尉が、気のない声で返した。
「お前な、分かってんのか」
「分かってまーす」
後ろで漏れる溜息を意に介さずに、パーセウスはその若々しい碧眼で、自分の虚像把握範囲を確認する。
「IFレンジ、8000、余裕っす」
「この野郎……その性格以外は認めてやるよ」
ウチーチリとパーセウスのやりとりに、音声通話から各隊員のくすくす笑う声が漏れ聞こえてきた。
『少佐、ガキにやり込められてんすか?』
『俺らがヤキ入れてやりましょうか?』
『あらーん、可愛い坊やにそういうの、良くないわよ?』
『腹減ったなぁ……』
「総員! 無視界飛行準備! 外装再確認! こんなとこでへますんじゃねぇぞ!」
『了解!』
思わず怒鳴り声を上げたウチーチリに対して、パーセウスを除く35名の操縦手たちからの応答が音声通話を揺らす。しおらしく応答しているように見えて、その声は笑っていた。
パーセウスも制御基盤上に手を走らせ、自機の風防を真っ黒な防護風防で覆い、撮像機も収納する。操縦席が計器類の灯りを残して、暗闇に包まれた。さらに目を走らせ、自機の外装が黒藻宙底層へ潜るのに問題がないか、改めて確認する。
――黒藻が人類の居住空域拡張を阻むのは、太陽光を吸収、遮る以外にもう一つ、大きな要因があった。
太陽光を吸収できない状態の黒藻は、いかなる物質にもへばりつき、その性質を変異させ、自身の熱源と現世空気に変えてしまおうとする特性がある。
およそ40キロメートルの厚さにもおよぶ黒藻宙底層は、1キロメートルも潜れば太陽光は差さない。つまり、それより深く飛ぼうとすると、黒藻によって食い尽くされてしまうのだ――そしてそれは、驚異の生命力を誇る竜種、機能高分子繊維で出来た航空騎兵といえど例外ではなかった。
その特性のため、この宙底層は、暴食の宙底層とも呼ばれていた。
この宙底層を問題なく通過するためには、激昇気流または激降気流を利用するか、重力球の超回転による空洞現象で先端空間を作る以外に道は無い――そう考えていた人類が導き出したもう一つの方法が、黒藻を仮死状態にして航空騎兵に塗布、その外装をそっくり覆ってしまう方法だった。そうすることで、共食いを避ける黒藻の性質を利用するのだ。
それ故に、人類居住外空域に挑む彼らの航空騎兵の外装は黒く、「調査部隊」と呼ばれていた。
「外装再確認、問題ないっす」
『α2、問題なし』
『α3、問題ありません』
『α4、問題なしです』
空気取入口は勿論のこと、プラズマ推進機、撃槍、各機を結んでいる光神経線維も含め、あらゆる外装に隙間がないことを再確認した上で、続々と報告が入る。
「α隊、異常なし。他はどうだ」
『β隊、異常ありません』
『γ隊、OKです』
『ε隊、いけます』
飛行隊を構成する全9個小隊、全36機のすべてに問題ないことが確認できると、ウチーチリ少佐は声を張り上げた。
「各操縦手、α1のパースにIFレンジを合わせろ、行くぞ!」
『少佐、これでもう5回目の潜航っすよ。そろそろ当ててくださいよ』
『まったくだぜ、もう2週間も合成粘状食しか食ってネェ』
『あたしも、足を伸ばして寝たいですよ』
『あー、こんなことならやっぱ近衛大隊にしときゃ良かった』
『腹減ったなぁ……』
ウチーチリの号令に対して、音声通信越しに次々と、飛行隊隊員たちのぶつくさ言う声が聞こえてくる。
「うるせぇこの低能ども! 緊張感を持て! 緊張感を!……うまく当たるかどうかなんて、俺にも分かんねんだよ!」
ムキになって怒鳴りつつ、思わず本音を漏らすウチーチリ。
パーセウスはそのやり取りに、堪え切れず吹き出した。粗暴だが気のいいウチーチリ飛行隊の隊員たちのことが、少年は大好きだった。
「小僧! 集中しろ! IFぶれてんぞ!」
「うぃーす」
各機とも、仮死状態の黒藻が塗布された防護風防でその風防を覆い、撮像機も収納している。有視界を封じた今、虚像把握のみが頼りだった。そうして今、無視界飛行に入っているウチーチリ飛行隊の目の良さは、碧眼の少年に掛かっていた。
「よーし、野郎どもいくぞ! 潜航開始!」
少佐の号令を切っ掛けに、ウチーチリ飛行隊は水平方向の推力を維持しつつ、自由落下に身を任せた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
およそ30分もの間、36機の航空騎兵は無視界飛行で黒藻宙底層を下降し続けていた。
黒藻宙底層の中とは言え、運悪くこの宙底層に突っ込んでしまった浮島などが、黒藻に捕食されながらも、まだその形を残している場合がある。また、この宙底層で生存可能な竜種の存在は確認されていないが、用心に越したことはなかった。
ウチーチリ飛行隊の目を任されたパーセウス・イオキベは、自身の虚像把握を必死にとりまとめていた。長時間の集中に、金髪の少年の頬を、冷や汗が流れる。
黒藻被害を避けるための無視界飛行中は、空気取入口も閉ざしている。この間、航空騎兵は内部空気貯蔵のみで操縦席への吸排気、ならびにフラクタル動力へのアルゴン供給を行わねばならず、その貯蔵可能な空気には限りがあった――黒藻宙底層に潜っていられる時間に限りがある以上、万が一にも、方向を見失う訳には行かなかった。
「――30秒後、暴食の宙底層、抜けます!」
虚像把握範囲に、長かった潜航の終わりを捉えて、パーセウスは歓喜の声を上げた。
「気を抜くんじゃネェ!」
「うぃーす……」
後部座席から怒鳴りつけられて、少年は肩をすくめる。
黒藻宙底層を抜ければ、そこはもう人類居住外空域だ。いつ竜種に遭遇してもおかしくは無かった。
「――5、4、3、2、1、暴食層、突破!」
ぶ厚い黒藻宙底層を抜ける。
各機は一斉に機体を振る。
機体表面についた黒藻を振り払う。
さらに、一斉に急速排気を行う。
夢魔のようにとりついていた黒藻が、その排気によって吹き飛ばされる。
下降し続ける36機の機体から一斉に振り払われたそれらは、一瞬、苛立たしく黒い澱のように中空に吹きだまると、まるでそれ自体が意志を持つかのごとく、風に乗って暴食層へと舞い戻っていく。
安全を確認した制御系統が、自動的に防護風防を解除し、一気に有視界が戻ってくる――パーセウスは、碧色の目を凝らし、眼前に広がる光景に感嘆した。
「星だ……」
暴食の宙底層を抜けた36機の航空騎兵を迎えたのは、鉛直方向に無数の星々が煌めく、人類居住外空域の輝ける夜だった。
「人類居住外空域の星空、パースは初めてか」
「初めてです!」
珍しく素直な少年の返事に、ウチーチリ少佐は愉快そうに笑う。
「操縦管制、後ろに回しな。お前さんは虚像把握に専念、星空でも眺めてろ」
「了解!」
手早く制御基盤を操作、後部座席に操縦を預けるパーセウス。
『おろろ、珍しくいい子ちゃんだこと』
『やーん、素直なパースちゃんも可愛いわぁ』
『腹減ったなぁ……』
隊員たちが口々に冷やかすのも耳に入らず、少年は虚像把握に気をつけながらも、風防から身を乗り出すようにして、眼下に広がる無数の星々に見入っていた。
(つづく)
金髪のおじさんの回想が始まってしまいました!
ノリト君、ごめん!
でも主人公は君なんだよ?(多分)
そういえばもう、巷は夏休みなんですよね。
( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \!
次回「人類居住外空域・中編」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \!)




