(十一)空葬・後編
大浴場で賑やかな入浴を終え、あてがわれた自室に戻る途中、ノリトはトゥシェから、白地に青のラインが入った新兵用騎兵服を届けられる。
二人の自室では、アウダースが遺品の整理をしているところだった。オンラート・ホーフェンス中尉、オラシオン小隊の一員だったその人物の葬儀が行われることを察するイオキベと、戸惑うノリト。
仲間の死を身近にしても平静と変わらない、それが最前線だとイオキベに諭されても釈然としない少年は、複雑な気持ちのまま葬祭場に足を踏み入れるのだった。
三回目の鐘の音が、長く響いて葬祭場の壁に消えた時、入口からしずしずと、オラシオン小隊の隊員たちが入ってきた。
簡素だが、天然木製の棺を、6つの肩に担いでいる。
その後ろに続くのは、見るからに厳かな表情を作って、佐官服の胸元にこれでもかと勲章を煌めかせたガイツハルス少佐だ。
棺の上には、つい先ほどアウダースが片付けていた、大柄な討竜部隊騎兵用戦闘服が広げられていた――航空騎兵にとって騎兵服は、普段着であり、戦闘服であり、礼服であり、死装束なのだ。
棺を負う6人のうち、ノーリスだけが、しゃくり上げながら涙を流していた。その後ろで棺を担いでいるアンテットが、何かいらいらと囁きながら、その背中を小突いている。
ノーリスの反応が当たり前で、アンテットが彼に理不尽を強いている――ノリトにはそう感じられた。
「♪疾く駆けよ 紅き猟犬たち
疾く駆けよ 紅き猟犬たちよ」
高声域男声が響き、葬祭場内に木霊した。
ノリトが頭を巡らせると、ヴァリーと呼ばれていた茶色い髪の取調官が歌っている――へえ、あいつなかなか上手いじゃないか――イオキベ小さく感嘆した。
歌を聴くのは、実に久しぶりの体験だった。歌い出しから察して、討竜部隊の隊歌のようだ。
こういった歌を空軍士官学校でいくつか歌わされたりもしたが、日常生活で耳にしたり、口にしたりすることは珍しかった――不意に「竜のパンツの歌」を思い出して、ノリトはそれ以上、考えを進めるのを止めた。
茶色い髪の取調官の隣に立つ、背の低い赤髪の女性も、低音域女声で歌い始めた。
やがて緩やかに、二人の唱和が流れ出した。
「♪疾く駆けよ 紅き猟犬たち
疾く駆けよ 紅き猟犬たちよ
絶空に その名を馳せる者たちよ」
オンラード・ホーフェンスを納めた棺は、葬祭場の中央まで、6人のオラシオン小隊隊員の肩によって運ばれ、その手によって、墓穴を覆う安全網の上に、そっと横たえられた。
棺を安置した隊員たちは、スズやノリト、イオキベと共に、墓穴を囲むように立ち並ぶ。
「♪我らが大地は 千々に砕かれども
我らが結束は 在りし日の大陸の如く」
進み出たスズ・オラシオン大尉の手には、柄の長い柄杓が握られていた。
慎重に杓を傾けると、先から黒い雫が一滴、棺の上に零れ落ちる――現在ではほぼ得られることの無い、貴重な天然石油だ。
「♪牙を磨き 翼を鍛え 槍を研げ
竜どもの 竜どもの
牙を折れ 翼をもげ 胸を突き破れ」
スズから柄杓を受け取ったアウダースが、同じく、棺の上、オンラードの騎兵服の上に天然石油を一滴、垂らす。その表情は固かったが、悲嘆の色は見受けられなかった。
それが、ノリトには不満だった。
アウダースからソブリオ、ソブリオからラソン、ラソンからトゥシェ、トゥシェからアンテット――反時計回りで次々と柄杓が巡り、一滴、一滴と、黒い雫が、棺の上の紅い騎兵服に、彼らの痕跡を残していく。
唱和が木霊する葬祭場の内壁は、蛍光燈の橙色に染められ、しめやかに儀式が進む様は、いかにも厳かだった。
不意に、アンテットから柄杓を受け取ったレーニスが、嗚咽を堪えきれずに半身を折る。
こぼれんだろ、ばか!――小さく叫んで、アンテットがその腰を蹴りつけた。
ご、ごめん!――鼻をすすり上げながら、慌ててレーニスが直立する。
居並ぶ基地隊員たちが思わず、どっ、と笑った。
ソブリオやラソン、トゥシェまでも笑っている。
スズにアウダースも、苦笑している。
イオキベは大口を開けて笑っていた。
その様が、ノリトには信じられなかった。
「♪炎を揮い 氷の意志で
風を操り 雷の機動で」
ごめんね――小さく頭を下げながら、レーニスが柄杓をノリトに手渡した。
レーニスさんが謝る事なんてどこにも無いのに――内心で憤然としながら、受け渡された柄杓から、ノリトは見よう見まねで、棺の上に黒い雫を垂らす。
尾を引いて零れ落ちた天然石油は、紅い騎兵服に一点の染みを作り、それはまるで自分のわだかまりのように、少年には感じられた。
「♪すべては地球のため
すべては地球のために」
ノリトから受け取った柄杓から、最後にイオキベが黒い雫を垂らした。
それを見向きもしなかった少年には、青年の顔がひどく優しげに、見知らぬ騎兵の棺を見つめていることに、気づきもしなかった。
「♪すべては地球のため
すべては地球のために」
最後の一節を、基地隊員の全員が唱和して繰り返すと、葬祭場内は一気に静まる。
墓穴を覆う安全網の上、棺の上の紅い騎兵服には、8つの惜別と、1つの鬱屈が残されていた。
「えーっへん! おっほん!」
ガイツハルス少佐の咳払いに、いつの間にか彼が、スズの背後にある説教壇のようなところに立っていることに、少年は気づいた。
「300年の歴史あるベネトナシュ空域基地に所属するオンラード・ホーフェンス中尉は、その名誉ある戦死により二階級特進し、少佐の栄誉を授かったことを、ここに諸君らに改めて告げるものである」
誰が二階級特進なんぞ望むもんかよ――小さく茶化すイオキベを、スズが左ひじで制す。
「同階級である私、ことガイツハルス・ゼールが言葉を述べるのはいささか僭越ではあるが、ベネトナシュ基地を代表し、謹んで弔辞を捧げることをご容赦いただきたい」
ひょっとしてこっから長い?――小さく尋ねたイオキベに、スズは横顔で頷いた。
あちゃー、夕飯もまだだってのに――独りごちるイオキベの言葉を耳にして、少年は怒りを覚えた。
(人が死んだってのに、自分の飯の心配かよ!)
だが、そんなノリトですら、ガイツハルス少佐の弔辞が二時間におよぶ頃には、流石にうんざりしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――然るに、居住可能な空域はまだまだ不足している! これは調査部隊の怠慢としかいいようがない! 討竜部隊は人類既得権益の守護者であるが、いずれはその職責を拡張し、さらなる貢献と忠誠を本隊に示そうとするものである!」
ガイツハルス少佐の弔辞は、もはやオンラード・ホーフェンスとは直接関わりのない、愚痴も交えた演説に成り果てていた。居並ぶ基地隊員のほとんどが、うんざりした表情を浮かべている。ノリトの隣では、説教壇に背を向けていることを良いことに、イオキベが何度も大欠伸をしている。
「その為にも、私、ことガイツハルスは、ベネトナシュ空域基地司令官としての立場から、諸君らにより一層の戦果を期待するものである! そして、即ちここに――」
「――故、オンラード・ホーフェンスに最大の敬意を示すものである!」
ガイツハルスの演説を遮ったのは、鈴の鳴るような、澄みきった声だった。
スズ・オラシオン大尉が、その右手に、柄の長い松明を掲げていた。死者への礼儀か、手袋は外されている。
「大尉、貴様なにを……」
「早くオンラードを逝かせてやりましょう、司令官殿。夜が明けてしまいます」
うろたえるガイツハルスに対し、黒髪を揺らし、鮮やかに微笑むスズ。
怒りの声を上げようとした赤茶色の髪の司令官は、立ち並ぶ基地隊員たちの視線に気づいて、口を噤んだ――彼らのほとんどが、うんざりした、あるいは怒りの眼差しを、小太りの基地司令に向けている。
「まったく、この基地の連中と来たら……」
顔を紅潮させたガイツハルスに同情はできなかったが、厳粛なはずの葬儀において、さきほど爆笑していた基地隊員たちに対しても、ノリトには同調する気持ちが起きなかった。
「総員、オンラード・ホーフェンス少佐に、敬礼!」
ガイツハルスの呟きを無視して、スズが声を上げた。
一斉に敬礼が行われる、ざっ、という音が葬祭場内に響く。
(大尉、点火は私の役目だぞ……!)
(少佐、私にやらせてください、お願いします)
慌てて説教壇から降りてきたガイツハルスが、小声でスズに囁いた。
スズが真剣な眼差しでガイツハルスに囁き返す。
処置なしという表情で、司令官は肩をすくめた。
その様子を確認するまでもなく、艶やかな黒髪の彼女は、大きく息を吸う。
「大地球の恵あらん!」
スズ・オラシオン大尉は、心から声を張った。
総員の復唱が、葬祭場を震わせる。
棺の上の、かつての副官の騎兵服に、彼女は松明の火を近づけた。
あらかじめ燃えやすく処置してあったのか、ノリトが想像する以上に大きな炎が上り、あっという間に棺を包む。立ち昇る黒煙は一瞬、葬祭場の天井でわだかまり、排気口から吸い出されていく。
「いざ、さらば!」
スズが再び声を張ると、墓穴を覆い、棺を支えていた安全網が解除された。
炎の尾を引いて、オンラード・ホーフェンスを納めた棺が自由落下していく。
ベネトナシュ基地に穿たれた昏い縦穴を、絶床世界の下空に向かって遠ざかる。
基地浮島の底部から飛び出し、界平線を下回る頃には、空気摩擦と空力加熱によって燃え尽き、絶床世界に拡散していくのだろう。
もはや点のようになった赤い炎を見送りながら、何の疼痛も感じない自分に、ノリトは驚いていた――イオキベやオラシオン小隊、ベネトナシュ基地の面々の態度には怒りすら覚えていたのに。
(まあ、当たり前か、知らない人だもの)
内心で言い訳をする少年は、自分に弁明するのに一生懸命で、スズ・オラシオンの白い指が、さらに青白くなるまで、強く松明の柄を握っていることに目が行かなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
深夜――星明りもない闇夜季節、ベネトナシュ空域基地の縁近くに、極々小さな炎が灯っていた。時折明滅するその炎に続いて、大きく紫煙が吐き出され、風に消えていく。
闇夜に紛れ、穏やかな風を楽しむように、パーセウス・イオキベは煙草を吹かしていた。足元を懐中電灯で照らしながらやってくる人影には、気づかない振りをしている。
「夜間の無許可外出は懲罰房行きですよ、教官」
「俺、騎兵じゃねぇし」
微笑みながら声を掛けるスズ・オラシオンに、イオキベは背中で答えた。
「こんな縁の傍で……突風でも来たら、真っ逆さまですよ」
「俺、そんな間抜けでもねぇし」
イオキベの隣に並び、彼女は懐中電灯を広範囲照射に切り替える。二人の横顔が、青白い光の輪の中に浮かび上がった。
「よく、ここが分かったな」
イオキベが隣を見る。まだ騎兵服のままの彼女は、その長い黒髪だけ、簡単に結い上げている。
「煙草を吸うときは風下――変なとこだけ、教官は律儀ですから」
背中で風を感じながら、イオキベは肩をすくめた。煙草の灰を、左手の携帯灰皿に落とす。
しばらく、イオキベが煙草を吸い、吐く音だけが周囲に聞こえた――沈黙を破ったのは、彼の方からだった。
「お前さんがベネトナシュに居るのは予想外だったよ。近衛大隊かと思ってた」
「適性検査では近衛大隊だったんですけど……飛ぶんなら『ホーム』からずっと離れて飛ぼうと思って。ほら、私、誰かさんに振られましたから」
笑顔を向けられ、うっと唸ると、イオキベは慌てて目を逸らした。
「ガキの相手はしねぇんだ、俺」
「あら、私もう、20歳になりましたよ? あの頃の教官と同じぐらいの歳です」
「あんときゃ、俺は22だ、2つ足んねえよ」
「でも、階級はもう、教官と並びましたよ?」
「俺はもう、騎兵じゃねぇし、つーかもう、教官でもねぇし」
「ノリト君はあんなに構う癖に、ずるいです」
「あ、あいつはうちの工房のメンバーだし。俺、工房長だし」
仏頂面のイオキベに、スズはくすくすと笑った。
そんな雰囲気を振り払うかのように、イオキベは大きく一服すると、煙を吐き出す。
「しっかし、晩飯にはびっくりしたぜ。まさか塩握飯に沢庵だけとはなぁ」
「ちょっとした意趣返しなんだと思います」
「ほんと、ちっさい男だな」
イオキベの台詞に、スズは大きく苦笑した。
「私が演説を途中で止めちゃったから……みんなには悪いことをしちゃいました」
「あいつの演説を喰らってる方が体に悪いさ」
くすくすと笑うスズ――イオキベが携帯灰皿で煙草をもみ消すと、再び沈黙が訪れた。
「眠れないのか」
「ちょっと」
再びイオキベが、沈黙を破る。
「……何人目だ」
「え?」
「オンラードって奴で、何人目だ」
「……三人目です」
急に真顔になり、スズは横顔を向けた。青白い光の輪の中で、彼女の頬が一層、青白く浮かぶ。
「じゃあまだ、隊員損失には馴れてねぇだろ」
「馴れてないです。馴れたくもありません」
「将来の司令官候補としては、そうもいかねぇだろ。皆も慕ってるみたいだし」
「司令官なんて、あの人で十分です。私はただ、飛びたいだけ」
「じゃあ、我慢しなくてもいいんじゃねぇか?」
「私は隊長です。隊員たちがみんな堪えてるのに」
「今はいいんじゃねぇか?……泣いても」
眉根を寄せて、スズはイオキベを見上げた。
「……ずるい人」
水色の瞳を浮かべた両の目に、いっぱいの涙を湛えている。
「もう騎兵でも、教官でもない癖に、いきなり現れて、ずるい人」
溢れだした涙が、彼女のやわらかな白い頬を伝って、とめどなく流れる。
堪え切れなくなった嗚咽が、闇夜季節の静寂に、小さく響く。
イオキベはそんな彼女を、優しく見守っていた。
抱き締める訳には、行かなかった。
「……ありがとうございます、教官」
しばらく咽び泣いた後、平静の声を取り戻して、スズが言った。
「おう。てかさ、もう『教官』は止めようぜ?」
「いえ、教官はずっと、教官ですから」
涙を拭って微笑むスズ。両の目はまだ涙に濡れていて、両の目尻はすっかり紅潮していた。そんな彼女の表情に、イオキベは慌てて目を逸らす。
「どんな竜種だったんだ」
仕方なく、新しい煙草に火をつけながら、イオキベが尋ねる。
「弩級雷竜でした」
「そいつはまた……厄介なのに当たったな」
煙を吐き出しながら、嘆息するようにイオキベは言った。
「ベネトナシュ基地の広域探査網が、広範囲の重力異常を捉えたんです。航空騎兵による超々音速接近かとも思われましたが、電離流域の張り方は、あきらかに竜種でした。緊急発進した我が小隊は強行偵察を敢行、結果的に弩級雷竜と遭遇、交戦となりました」
上官に対する任務報告のような口ぶりで、スズ・オラシオンが話す。
「……なぜ、弩級雷竜を確認した時点で引き返さなかった?」
深く煙草を吸い込むイオキベ。
「『何かが追われている』という上申が有ったからです。確かに、広域探査網の初動探知結果から推測して、超々音速飛行で逃れてきた他の部隊の航空騎兵が、竜に追われながら、ベネトナシュ基地に助けを求めてきた可能性がありました。ただ、強行偵察中にこちらから所在公知電波を打つ訳にも行かず、交戦後は隊長機も大破していたため、結局詳細不明のまま帰投しました……最終的には、私の誤判断となりました」
長い睫毛を伏せ、記憶を探るようにスズが言葉を続ける。
「上申してきたのは?」
「トゥシェです」
一瞬、イオキベの手が止まったことに、彼女は気づかなかった。深く吐き出された紫煙が、絶床空間に向かって消えていく。
「……他に、気づいた点はある?」
「そういえば――」
あの激戦を思い起こしながら、スズは気付いたことを語った。
「あの雷竜は、5本指でした」
「5本指?」
イオキベの手が、完全に止まった。
煙草の灰がぽろりと零れ落ち、風に散っていく。
「5本指に何か思い当りますか?……司令官も、同じような反応をしていました」
長い睫毛を上げ、スズの水色の瞳が、まっすぐにイオキベを見上げた――しばらく考え込んだ後、右手の煙草を携帯灰皿で消しながら、イオキベは言った。
「そいつは、上位種だ」
「上位種?」
イオキベの碧眼が、スズの視線を受け止める。
「上位種――通常の竜よりも、遥かに高い知能を持つ。人間並み、あるいはそれ以上の知性、人間の行動様式を理解して、こっちの航空戦術を逆手に取るぐらいの。そりゃあ、一個中隊でも足りねぇよ。隊員1名の損失ならむしろ幸運だったぐらいだ」
イオキベの言葉に、スズは唇を噛んだ。
「……なぜ、そんな重要な情報が、我々に秘匿されているんですか?」
もう一本、煙草を取り出そうとしていたイオキベは、それをそっと箱に戻し、スズの顔を見つめる。悔しさに塗れた彼女は、普段はやわらかに弧を描く眉を吊り上げ、彼を凝視していた。
「教官、あなたはベネトナシュへ、何か目的があって来たんじゃないんですか?」
イオキベは、珍しく逡巡の色を見せた――しばしの沈黙の後、決意の色をその瞳に浮かべる。
「どうやら、お前さんには話しといた方が良さそうだな」
(つづく)
なんとか前・中・後編でお届けしました。
這う這うの体で書き進めた感じです。
はうはう!
わたくし、もっと精進いたします……。
ちなみに、ガイツハルスの台詞作りに窮するようになってきてます(ぶっちゃけ)。
「言葉を述べるのはいささか僭越」
とか何語だよ、おい!(一人逆切れ)
これからもきっと這う這うの体ですが、どうぞお付き合いください!(はうはう!)
次回「人類居住外空域・前編」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(はうはう!)