(十)空葬・中編
ピレルゴス曹長とその整備班の助けを借りて、分解整備の最終段階である、機体の関節部再接合を終えたノリトは、熟練のピレルゴスから整備士としての腕を褒められ、照れる。
その後、機体の再塗装処理を行うノリトは、午後の整備を支援してくれていたスズ・オラシオンから、不意に、かつて自分が空軍士官学校時代に、当時教官だったイオキベに、愛の告白をした経験があると告げられ、大いに戸惑う。
複雑な気持ちを抱え、少年が大浴場で賑やかな経験をする頃、絶床世界は宵闇を迎えようとしていた。
「ほんとにもう、迷惑行為ですよ! 迷惑行為!」
「うるせぇなぁ。ガキがいっぱしの用語を使ってんじゃネェよ」
湯上り、ベネトナシュ空域基地のリノリウム製の廊下を、素足でぺたぺた音を立てて歩きながら、ノリト・オロスコフはぶつぶつと文句を言っていた。
同じく白い肌着と黒いハーフパンツ姿で先を行くパーセウス・イオキベは、面倒くさそうに首筋を掻いている。
時折すれ違う、紅い徽章を付けた制服姿の職員が、不思議にそうに二人を振り返る。常に正装を義務付けられている彼らに比べ、肌着でうろつける二人には、いかにも民間人の気安さがあった。
「大体、『世界青少年発育観測協会』ってどんな組織なんですか!」
「そりゃおまえ、その名前の通りだよ。青少年の発育を温かく見守ろうという……」
「そんな組織がどこにあるっていうんですか!」
「俺がつくったんだよ!」
「そんな馬鹿な! いつ!」
「さっきだ!」
「もう、この人は……」
ノリトが絶句した時に、二人の背後から、軽やかな足音が追ってくるのが耳に入った。
振り返る視界に、栗色のおかっぱ髪を揺らしながら、トゥシェ・ドゥルキスが駆け寄る姿が映る。
「ノリトくん、はい、これ」
栗色の瞳の彼女は、少し息を弾ませながら、真新しい騎兵用戦闘服を少年に手渡した。白を基調にした、青いラインが走る意匠だ。
「ありがとうございます。これ、僕のですか?」
「だって、ふふ、前のやつはガイツハルス少佐に取られちゃったんでしょ?」
ふっくらとした口角を上げながら、トゥシェが悪戯っぽく微笑む。
この基地に来るまでノリトが着用していたピュラーの騎兵服は、「参考製品」という名目で、生粋のピュラー派であるガイツハルスに取り上げられたことを思い出し、少年はげんなりしてしまった。
「ぶはっ! おまえそれ、新兵用騎兵服じゃん!」
いかにも堪え切れないという様子で、イオキベが笑い出した。確かに、白を基調にした騎兵服は、まだ所属の定まっていない訓練中の新兵が身に着けるものだ。
「べ、別に、何の不都合もないですけど」
吹き出した工房長に向け、ノリトはジト目で返す。
「ごめんねぇ。討竜部隊用のは貸し出したらまずいし、こういうのしか無くて」
「い、いえいえ! 全然問題ないです!」
「そうだよなぁ、ノリトくんにはお似合いだよ、お似合い。発育観測協会による観測結果からしても妥当だと判断するぞ!」
「発育観測協会?」
「無視してください。この人は兎に角、僕をネタにして笑いたいだけなんです」
「へっへっへー、観測結果を知りたい? ドゥルキス少尉?」
「何の結果ですかぁ?」
「イオキベさん……本気で怒りますよ!!」
「いーひーひーひーひー」
「ホントに二人は、仲良しさんですよねぇ」
トゥシェが可笑しそうに、その細い指で口元を覆う。
――不意にノリトは、くすくすと笑うトゥシェの目尻が、紅潮していることに気づいた。
(湯上りのせいかな? 女湯も何か賑やかだったし)
少年はそう思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ノリトとイオキベが、二人にあてがわれた尉官用私室の扉を開けると、そこには先客の姿があった。
壁の美人写真画は取り払われ、書机の上に乱雑に置かれていた筆記具も無くなっている。触れるのを控えていたロッカーの扉は開け放たれていた。
「おう、悪いな、邪魔してるぜ」
ロッカーの前にしゃがみ込み、横顔を向けたまま、筋骨たくましい体を紅い騎兵服で包んだアウダース・ゼールが言う。
二人より早く風呂から上がった中尉は、部屋の片づけをしていたようだ。
ロッカーの中はほぼ空になっており、残りの品も、彼の足元にある板紙製収納箱に手早く納められていく。
いつの間にか基地浮島が回転していたのだろう。午前中には朝日が差し込んでいた鎧戸付きの窓からは、今度は斜陽が差し込んで、部屋の戸口に向けて、彼の長い影を作っていた。
「急だな。今日、これからか?」
黙々と作業をするアウダースの横顔に、何を察したのか、イオキベが声を掛けた。
「ああ。破損機の検分も完了、定期巡回に出てた連中も戻って、久しぶりに飛行隊が勢ぞろいしたしな」
最後の品をしまい、板紙製収納箱の蓋を閉じつつ、アウダースが横顔で答えた。今朝方にはロッカーに掛かっていた、大柄な男性用騎兵服をその蓋の上に置く。
「オンラード・ホーフェンス中尉、俺と同期だった」
軽々と板紙製収納箱を抱えながら、アウダースが立ち上がる。
黒い肌に輝く濃茶の瞳がノリトとイオキベを捉えると、彼は笑った。
「最高にいい奴だった」
「そうか」
薄い唇を引き締め、イオキベも笑顔を返す。
それきり、颯爽と部屋を後にするアウダース――大人たちの会話に訳も分からず、ノリトはその、誇らしげな背中を見送った。
「――ノリト、新兵服を着ろ」
「えっ」
突然、命令口調で言われて、少年は戸惑う。
イオキベはさっさと肌着とハーフパンツを脱ぎ捨てると、一人用寝台に投げ出してあった青い騎兵服を身に着け始めた。
「葬儀だよ。すぐに始まるみたいだ。トゥシェが新兵服を持ってきたのも、その為だろ」
「葬儀? 誰のですか?」
慌てて新兵用騎兵服を広げながら、少年が問う。
「オンラードって名前らしい。オラシオン小隊の隊員だったんだろ」
「えっ」
白い騎兵服に足を通しながら、少年は固まった。
そんなノリトをよそに、イオキベは手早く青い騎兵服に両袖を通し、首筋の保護装置を稼働状態にする。騎兵用戦闘服を構成する機能高分子繊維が収縮し、細身ではあるが、筋肉質な彼の全身に適合する。
「一個小隊は4機、それぞれに操縦手と攻撃手、計8人で構成される。スズ、アウダース、ソブリオ、レーニス、アンテット、トゥシェ、ラソン――1人足りねぇじゃん。それに『攻撃手が足りない』って、アウダースも言ってたろ、昼間」
話しながら、騎兵服と同色の小型腰部鞄を装着するイオキベ。
「そんな、いつ……」
いつ死んだんですか、と最後まで言えず、少年は声を漏らした。
ようやく騎兵服に両足を通し、片方ずつ袖を通す。
「破損機の検分も完了、って言ってたからな。まあ、最近の話だろう」
全身の騎兵服の状態を確認しながら、イオキベが答える。
「ノリト、再確認頼む」
うまく頭を整理できないまま、求めに応じ、ノリトはイオキベの騎兵服着用状態を再確認した。両袖だけ通して保護機能を稼働していないため、少年の背中は大きく開いたままだ。
「でも、そんな素振りはみんな、少しも……」
イオキベの着用状態を確認しながらも、疑問が口をつく。
少しの間があって、少年の背中に、穏やかな声が降りた。
「――最前線ってのはそういうもんだよ、ノリト」
思わず顔を上げると、宥めるようなイオキベの微笑みがあった――訳知り顔の大人の表情に、意味もなく怒りがこみ上げてくる。
「そんな……そんなのおかしいですよ」
「なにがおかしいんだ?」
「だって……だって、仲間が最近死んだんでしょ? なのにみんな普通に、笑ったり、風呂入ったり、お握り食べたり、ブ、ブイヤベースなんて贅沢なもんまで……」
イオキベは困ったように笑った。
「生き残った奴は食って、笑って、これからも生きなくちゃいけないだろ」
「でも、トゥシェさんは新兵服を持ってくる時だってニコニコしてたし! アウダースさんなんて、あんな、あんな笑顔で! 『同期だ』って言ってたじゃないですか! それなのにあんな風に笑えるなんて、人として……」
「……人として、なんだ?」
有り得ない物を見るかのように、イオキベの碧眼が少年の黒眼を捉えていた。
この眼差しの時のイオキベは危険だ――と知りつつも、ノリトは止められなかった。
「人としておかしいですよ!」
イオキベに胸倉をつかまれて、ノリトの息が一瞬、止まった。
少年の薄い背中を叩きつけられ、開け放しのロッカーが音を立てて揺れる。
界平線に沈む夕日が最後に放った輝きが、洗いざらしのイオキベの金髪を、鬣のように揺らしていた。口元だけ笑顔を作ったまま、彼の碧色の瞳は、怒りに燃え上っている。
「身を以て知らない奴ほど、外野でくちゃくちゃうるせぇんだよな」
恐ろしく静かな声で、イオキベは言った。
「世界が怖くて怖くて仕方のないガキが、毎日毎日絶床空間を飛び回ってる奴らに、何が言えるんだ?」
二人は押し黙ったまま、睨み合った。
ノリトは堪え切れず、横を向く。
イオキベの手が緩まる。
少年の踵がリノリウム製の床に着いた。
激しい怒りと恐怖で、ノリトの体は震えていた。
「騎兵服着用再確認、問題ありません」
「……了解」
ようやく絞り出した少年の言葉に、イオキベは溜息で答える。
界平線を下回った夕日が、諦めたようにその光を隠し、室内は急速に昏くなっていた。
(ハラスメント親父が逆切れかよ!)
内心でそう罵りつつ、少年は騎兵服の首元の保護機能を稼働状態にした。
激しい動揺を堪えながら、自分の騎兵服の着用状態を確認する。
感情の波が見えないように、作業に集中する。
「再確認、お願いします……」
目線を合わせず、押し殺した声でノリトは言った。
「騎兵服着用再確認、問題なし」
手早く再確認したイオキベが返す――それきり二人は、スズ・オラシオンが迎えに来ても、言葉を交わさなかった。
(仲間が死んでも笑ってられるなんて、そんなの、おかしいよ!)
――いつか、身を以て知る時が来ることも、この日の少年は知らずにいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宵闇が覆う絶床世界、ベネトナシュ基地浮島の一画を、スズに先導されたノリトとイオキベは、葬祭場に向かって歩道を進んでいた。
基地建物の外は、小さな橙色の床面蛍光燈が歩道に沿って続くのみで、歩道から外れれば、足元も覚束ない。
季節は闇夜季節に入っていて、星明りも見えない。
ベネトナシュ空域周辺の気候は夏期間。宵闇を吹く蒸し暑い風が、その闇をより一層、濃く感じさせた。
葬祭場は基地建物から離れた、基地浮島の縁に近いところに立っていた。
現在ではとても貴重な石造円蓋建築で、8本の石柱がそれを囲むように配置されている。日中に見れば、漆喰で覆われた葬祭場は白く輝いて見えるだろうが、今は宵闇の中、要所に配置された蛍光燈の明かりを受け、何かを堪えるように、三人を待ち受けていた。
「これ、着用してください」
入口でスズから渡されたのは、黒絹の喪布だった。幅広の黒い一枚布で、片側の肩に掛けて背中と胸元を斜めに覆い、反対側の腰のあたりで留める。弔意を示す簡単な物だ。
「お、天然黒絹じゃん、幾らになるかな」
「貸与品ですから、後で返してくださいね」
念のため、と付け加えつつ、スズが苦笑した。
その反応にイオキベが微笑みを漏らす。
何が面白いんだよ……二人のそんな様子に、ノリトはいらいらした。
円形の葬祭場は広く、すでにベネトナシュ基地の隊員たちが集まっていた。
内部中央には、直径3メートルほどの大きな穴が穿たれている。
単に墓穴とも呼ばれるこの穴は、基地浮島の表層から下まで突き抜けており、万が一にも転がり落ちれば、そのまま絶床世界の下空に向けてまっしぐらだ。もちろん、十分な荷重に耐えられる安全網で覆われているのでその心配はないが、細い繊維で編まれた網目から覗く闇までは、覆い切れていなかった。
墓穴を中心に葬祭場内はすり鉢状の段になっていて、隊員たちはその段に、墓穴を囲むように立ち並んでいた。天井には暖かな色合いの蛍光燈が並び、彼らの足元に影を落としている。蛍光燈の輪の中、天井の中央には、こちらも現在では貴重な、小さな銅製の鐘が吊り下がり、やわらかく輝いている。
墓穴に近い下の段には、討竜部隊の戦闘要員、航空騎兵の操縦手や攻撃手たち、いわゆるガイツハルス飛行隊の3個中隊、9個小隊を構成するおよそ72名の騎兵たちが並び、上の段には、総勢50名ほどの管制官、事務官、一般職員や主計手たち、さらに140名近い整備士たちが並ぶ。
騎兵たちは騎兵服を、整備士たちは整備服を、その他の隊員たちは制服を乱れなく身に着け、一様に喪布をまとっている。そうした260名を超える人員が一堂に会する様は、ノリトの心にある種の感動を呼んだ。
階段状のすり鉢の裂け目のように見える葬祭場の入口からスズ・オラシオンが姿を現すと、少しざわついていた場内は一斉に静まり返り、彼女に注目した。
立ち止まったスズが敬礼をする――全員が敬礼を返す、ざっ、という音が葬祭場内に響く。
歩みを再開した彼女の後を、イオキベが目礼して続いた。ノリトもおずおずと頭を下げ、イオキベの後ろに続く。
(誰だあの二人?)
(イオキベ工房だってよ、知ってる?)
(大尉の元教官だっていう話ですよ)
そんな囁き声が耳に入り、ノリトは耳まで紅くなった。思わずオラシオン小隊の姿を探すが、葬祭場内には見当たらない。
「ノリト君、こっち」
小さな声でスズに促されて、少年は急いだ。
スズ、イオキベと並んで、葬祭場入口の正面、周囲の隊員たちよりさらに一段低い場所、墓穴のすぐそばに立つ。
安全網が張られているとはいえ、底無しの下空につながる墓穴の間近に並ぶのは、ぞっとしない体験だった――小突かれて右を見ると、イオキベがにやにやと笑っている。ノリトはムキになって胸を張り、引けていた腰をぐっと直した。
「ご参列、痛み入る」
スズの上げた声が、葬祭場の円形の壁に反射して、よく響く。ノリトが知るいつもの声ではなく、大尉として、隊長としての覇気を帯びた声だ。
まっすぐに流れるような黒髪が、暖かな色合いの蛍光燈に艶めいている。その彼女を、居並ぶ隊員たちは、沈着冷静な面持ちで見つめていた。
「これより、オンラード・ホーフェンス少佐殿の飛行隊葬を執り行う」
その声に応えるかのように、天井の鐘が高く、長く、鳴り響いた。
鐘を揺らす綱を、壁際に立つピレルゴス曹長が引いている――少年と目の合ったもじもじゃ髭の曹長が、器用に片目を瞑った。
こんな時にまで見せるピレルゴスの茶目っ気に、どう応えればいいのか、ノリトには分からなかった。
(つづく)
超脳内微小無限法螺吹示度評議会(Council of Horafuki-Indication Beyond the Intracerebral Tiny Aeon、略称CHIBITA)において最近次のような会話が行われていました。
「のがあぁぁぁ! 絶界の葬儀なんてどうすんだよ!」
「掲載予定時刻、激しく超過、無能!」
「だから言ったんだもうちょっとシンプルな話にしようって!」
「私、書いてみて分かったんです、書きたいだけじゃ、だめなんだってこと!」
「それ雫ちゃんのセリフ丸パクリじゃねぇか!」
自分で書いてみるとホントに実感するんですが、やっぱり本職さんってすごい!
超すごい!
次回「空葬・後編」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(しずくちゃあーーん!)