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(九)空葬・前編

 昼食に握り飯(ライスボール)を頬張るオラシオン小隊一同。ノリトは米飯と海苔に感動しつつ、辺境基地(ローカル)では考えられない食事内容を不思議に思う。

 他方、追従飛行訓練(おいかけっこ)の賭けに破れたアウダース中尉は、苦渋を飲んで、イオキベに飛行技術の伝授を乞う。そんな中尉の態度に感心しつつ、ネタばらしをするイオキベ。さらに彼に向かってオラシオン小隊への所属を願うアウダースと、「一緒に飛び立ちたい惚れた女がいる」と言って断るイオキベ。うつむくスズの様子に、何が起こったかすら、少年は理解できないまま、午後の整備を迎えようとしていた。

「各関節部(ジョイント)最終確認ファイナル・コンファーム!」


 もじゃもじゃ髭のピレルゴス曹長が、張りのある声を上げた。


「右肩関節(ショルダー)、右盾翼(ウィング)、右多機能腕部(ガントレット)よし(レディ)!」

「左肩関節(ショルダー)、左盾翼(ウィング)、左多機能腕部(ガントレット)よし(レディ)!」

「右股関節(ヒップ)、右脚部(グリーヴ)よし(レディ)!」


 整備士(メカニック)たちは勢いよく、自分の担当部位(ポジション)指差喚呼ポイント・アンド・コールし、整備台座(メンテ・ベース)から退避する。


 ノリトとイオキベが運んで来た航空騎兵(エアランサー)分解整備(オーバーホール)は、最終段階(ファイナル・ステップ)に入ろうとしていた。各部位との通伝整備(エナガイズ)を終え、フラクタル動力(エンジン)は閉じられている。


 制御系統(マスタリ・システム)だけが部分的に開かれており、細い光神経線維(ニューロファイバー)が頭上、整備台座(メンテ・ベース)最上部の整備状態管制(メンテナンス・コン)に繋がっている他は、風防(キャノピー)も新しいものに取り換えられていて、ガイツハルス飛行隊(スコードロン)設定(プロパティ)に合わせ、封印装置(シール)も切り替えられていた。


 重力偏向型内部骨格グラヴィアブル・スケルトンも、機体の左右側面、前後に2つずつ突き出した臼状関節部(ジョイント・ソケット)を残して、機体腹部に収納されている。この臼状関節部(ジョイント・ソケット)に各部位が物理的に接続されれば、航空騎兵(エアランサー)は元の姿を取り戻す。


「左股関節(ヒップ)、左脚部(グリーヴ)よし(レディ)!」


 ノリトも姿勢を正し、自分の担当部位(ポジション)で指差し喚呼すると、整備台座(メンテ・ベース)から慎重に降りた。


全員退避(ターン・アウト)よし(レディ)! 関節部再接合(リジョイント)開始(スタート)! 10、9、8……」


 全員が整備台座から離れたのを確認して、ピレルゴスが関節部再結合(リジョイント)始動操作を行い(スタート)秒読み(カウントダウン)を開始する。


 ふと淡い香りに左を向くと、ノリトの隣にはスズ・オラシオン大尉が立っていた。


「私、この瞬間(とき)がとても好き」


 長い睫毛を反らせて、眩しそうに整備台座(メンテ・ベース)航空騎兵(エアランサー)を見上げている。艶やかでまっすぐな黒髪は、今は総髪(ポニーテール)に結い上げられ、後頭部で揺れていた。


 午後に入って、ノリトが行う整備作業を支援(サポート)してくれたのはスズだった。アンテットはソブリオと共に、アウダースに引きずられて泣く泣く体力訓練(フィジカル)に、イオキベは午前から引き続き、その他のメンバーと飛行訓練(フライト)を行っている。


 航空騎兵(エアランサー)点検整備(チェック)に関しても、スズの手際の良さは際立っていた。オラシオン小隊の標語(モットー)だという「迅速かつ丁寧ファスト・アンド・ポライト」を体現するかのように、ひとつひとつの作業を丁寧に、そして手早く進めていく。イオキベとはまた違った厳しさがあり、これを要求(オーダー)されるオラシオン小隊の隊員たち(プラトーン)の苦労も、少年には理解できるような気がした。


「7、6、5、4、3……」


 整備台座(メンテ・ベース)の動きによって各部位と本体(ボディ)が徐々に近づくにつれ、部位との間で剥き出しのまま垂れさがっていた動力伝導脈(アルトレー)光神経線維束(ニューロバンドル)が、混線しないようしかるべき流れに整えられつつ、臼状関節部(ジョイント・ソケット)に沿って収納されていく。同時に、筋節繊維(サルコメア)と、それを包むように衝撃吸収繊維(アブソベント)本体(ボディ)側から伸び、重要な関節部(ジョイント)伝導経路層(トランスポート)を保護し始める。


 ノリトと彼女の身長差はほぼ無い。その水色の瞳から、整備台座(メンテ・ベース)の赤茶けた航空騎兵(エアランサー)に向けて、まっすぐな視線が伸びているのをしばらく見つめた後、少年は呟いた。


「僕も、好きです」


「……2、1、0、再接合(リジョイント)!」


 ピレルゴス曹長の声に合わせたように、盾翼(ウィング)多機能腕部(ガントレット)脚部(グリーヴ)の質量を、それぞれに対応する臼状関節部(ジョイント・ソケット)が受け止める、鈍く重厚な音が第一格納庫(ハンガー)に響く。


 その瞬間、フラクタル鉱石(マイン)の放つ青い輝きが、航空騎兵(エアランサー)の全身を走った。機体の各所に僅かに開いていた隙間を、青い光が駆け廻る――光の放射が止む頃、航空騎兵の外装には、1ミリの隙間も無くなっていた。


 ほう、と、左隣でスズ・オラシオンが吐息を漏らした。


 ノリト・オロスコフは、イオキベと見た小浮島(アステロイド)再結合(リユニオン)を思い出していた。


最終確認リザルト・コンファーム!」


 ピレルゴスは、整備台座制御装置メンテナンス・コンソールの傍らに据え置かれた非破壊解析機(インスペクター)を慎重に確認し、立体映像(ホログラム)で描かれる航空騎兵(エアランサー)内部骨格(スケルトン)から外装(エクステリア)まで、動力系(エンジン)神経系(ナーヴ)状態万全(オール・グリーン)であることを見て取ると、満足気に息を吐き、少年に声を掛けた。


「ノリト少年、人型移行試験(ジュブナイル・テスト)、やるかね」

「えっ! いいんですか!」

「いいとも、最後の儀式(セレモニー)のようなもんだしね」


 ノリトは小躍りして、整備台座制御装置メンテナンス・コンソールに駆け寄った。


 スズはそんな少年の後姿を、微笑みながら見送る。ピレルゴスが嬉しそうにもじゃもじゃ髭を震わす。


 人型移行試験(ジュブナイル・テスト)分解整備(オーバーポール)の最後、飛行形態(フライト・モード)から人型機動形態(ジュブナイル・モード)へ、問題なく移行できるかを試験(テスト)するためのものだ。すでに再接合(リジョイント)も済み、動力系(エンジン)神経系ナーヴが万全であることが確認できている現状、無視しても良い工程(ステップ)でもあった――その後の試験飛行(テスト・フライト)の方がよほど大切だからだ。


 それでも、五百旗頭工房(イオキベ・ワークス)では、この工程をノリトがやらせてもらえることは無かった。イオキベに言わせると、最後の〆(クロージング)は工房長の仕事、ということらしかった。


「やってみたまえ」

「は、はい!」


 ピレルゴスから譲れられ、整備台座制御装置メンテナンス・コンソールの前に、ノリトは立った。


 設定(プロパティ)進め方(ステップ)は、イオキベのやり方を見て、覚えている。もじゃもじゃ髭の曹長は、制御盤(コンソール)に取りつくようにして操作(コントロール)を始めた少年の様子を、いかにも好ましそうに見ていた。


全員退避(ターン・アウト)よし(レディ)!」


 整備台座(メンテ・ベース)周辺に、巻込まれそうな人物や部材がないことを確認した上で、ノリトは盤面(コンソール)に表示された複数の記号画像(アイコン)同時軽叩(マルチ・タップ)した。


 整備台座制御装置メンテナンス・コンソールから発した命令(コマンド)が、整備台座(メンテ・ベース)最上部にある整備状態管制(メンテナンス・コン)から航空騎兵(エアランサー)制御系統(マスタリ・システム)光神経線維(ニューロファイバー)を経由して送られ、待機稼働状態(スタン・バイ)だったフラクタル動力(エンジン)が少しずつ出力を上げる。同時に、整備台座(メンテ・ベース)がいくつかの部分(パート)に分かれて、機体から分離、航空騎兵(エアランサー)拘束(バインド)を解いていく。


無人稼働状態(オープン・ライド)状態万全(オール・グリーン)人型移行試験(ジュブナイル・テスト)開始(スタート)!」


 ノリトの前髪がふわりと浮いた。

 重力制御開始挙動オープン・グラヴィティ・ビヘビアの影響だ。

 今や、航空騎兵は整備台座から開放され、重力制御(グラヴィ・コン)のみで中空に静止していた。


飛行形態から人型形態フライト・トゥ・ジュブナイル!……人型形態から飛行形態ジュブナイル・トゥ・フライト!」


 ノリトの入力に応じ、赤茶けた航空騎兵(エアランサー)は、瞬時にその形態を変化させる。


 その都度、機体の接合部(シナプシス)を、フラクタル鉱石(マイン)の放つ青い光線が走る。


 全長約20メートルの航空騎兵(エアランサー)が一瞬でその姿(フォーム)を変える様を間近にすると、まるで魔法を見ているような気分がした。


 ――ほう、と漏れ聞こえた吐息に、うっかりノリトは、左に目をやってしまった。


 水色の瞳の彼女が、中空に浮かび上がった航空騎兵(エアランサー)を、わくわくしながら見上げている。総髪(ポニーテール)に結い上げられた艶やかな黒髪が、機体の発する重力偏向に躍っていた。


「肝心な時に他の女を見てると、整備中の機体(あのこ)が機嫌を損ねるぞ」

「は、はいっ!」


 ピレルゴスに後から囁かれて、少年は慌てて制御盤(コンソール)に目を戻した。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「……曹長マスター・サージェント、何かありましたか?」


 人型移行試験(ジュブナイル・テスト)を終えた二人の元に、スズ・オラシオンが足を運んだ。ノリトがピレルゴスから何か言われたのに目敏く気づいたらしい。彼女ならではの、普段ならとても有難い気遣いだが、まさか「あなたに見蕩れてました」とは言えない少年は、顔を紅くしてうつむいた。


「いやいや、良い腕しとるよ、オロスコフ君は」


 愉快そうに笑いながら、ピレルゴスが答えた。


「筋がいい。ピレルゴス班(うち)に欲しいぐらいだよ」


 面前で褒められて、ノリトは耳まで紅くなった。ただ純粋に褒められるという経験が、少年にはほとんど無かった。


「そうでしたか」


 スズは安心したように答えると、整備台座(メンテ・ベース)の方を見る。


 赤茶けた航空騎兵(エアランサー)は、再び飛行形態(フライト・モード)で、整備台座に据えられていた。


再塗装(リペイント)してやらんとなぁ」


 同じく整備台座(メンテ・ベース)に目を向けながら、ピレルゴスが言った。


 分解整備(オーバーホール)を終え、機能的に万全となった歴戦の航空騎兵(エアランサー)は、討竜部隊(レッド・ハウンド)機本来の鮮やかな紅色(レッド)を取り戻したがっているように感じられた。


「あ、あの、再塗装(リペイント)は自分で対応できます!」

「そうかい?」

「はい! 工房(うち)で散々やらされてますから!」

「そうかい」


 会話に入るタイミングを必死に計っていたノリトの言葉を、ピレルゴスは楽しそうに受け止めた。


「まあ、ちょっと肩の力を抜きなさい。ただ……脇目は振らんようにな」


 少年の肩をぽんぽんと叩き、青い瞳を悪戯っぽく揺らすと、器用に片目を瞑る(ウインクする)


野郎ども(ヤング)、持ち場に戻るぞー!」

了解しました(イエス・サー)!」


 振り向きながら曹長の張り上げた声に、整備士(メカニック)たちが威勢よく答え、それぞれの持ち場に散っていく。


「ありがとうございました!」


 ノリトとスズの声に、ピレルゴスが背中越しに大きく手を振って応えた。


 腰を折るノリトの隣で、胸を張って敬礼をするスズ――階級はスズの方がずっと上だが、常に航空騎兵を万全に状態にしてくれる彼らに対し、彼女は格別の敬意を払っていた。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 実際、再塗装(リペイント)はノリトにとって、手馴れた作業だった。


 非破壊解析機(インスペクター)が把握する整備台座(メンテ・ベース)上の航空騎兵(エアランサー)形状(シェイプ)に基づき、整備台座制御装置メンテナンス・コンソール彩色(カラーリング)すべき箇所とそうでない箇所を入力するだけだ。


 物によっては手作業(マニュアル)を要する場合もあるが、討竜部隊(レッド・ハウンド)航空騎兵(エアランサー)に関しては雛形設定(テンプレート)も用意されており、ベネトナシュ空域基地(ベース)所属であることを示す紋章(エンブレム)も、集積記録(データベース)から呼び出すだけで済む。


 設定(セッティング)を終えれば後は、整備台座(メンテ・ベース)が自動的に防護膜(バリヤード)を張り、整備台座に設えられた塗装用作業腕(カラーリング・アーム)蛋白由来塗料(プロテナペイント)を設定に基づいて機体に塗布してくれる。そのまま一晩も置けば、蛋白由来塗料は航空騎兵(エアランサー)外装の機能高分子繊維(スパイバー)に定着し、本来の鮮やかな姿を取り戻すだろう。


業務終了時間(フィニッシュ・タイム)まであと2時間ぐらい……ずいぶん早く進んだな)


ノリトはピレルゴス曹長はじめ整備士(メカニック)たちに、改めて感謝した。


 五百旗頭工房(イオキベ・ワークス)で航空騎兵の分解整備(オーバーホール)を経験した時は、いかにイオキベの手際と指示が良いとはいえ、ピュラーを交えて三人で作業しても、関節部再接合(リジョイント)だけで半日は掛かる。残業(オーバータイム)も覚悟していたノリトにとって、約束通り再接合(リジョイント)に人手を振ってくれたピレルゴスの配慮は、本当に有難かった。


 この分なら、飛行訓練(フライト)中のイオキベや体力訓練(フィジカル)中のアンテットたちより、ずっと早く午後の工程(メニュー)を終えられるだろう。


彩色設定(セッティング)、もうすぐ終わります」


 整備台座制御装置メンテナンス・コンソールから目を逸らさず、指を走らせながら、ノリトは横顔で、スズ・オラシオンに声を掛けた。彼女は瞬きもせず、早くも半透明(トランスルーセント)防護膜(バリヤード)を張り始めた整備台座(メンテ・ベース)を、その水色の瞳で見つめている。


「後は見守るだけですし、大尉(キャプテン)訓練(トレイニング)に戻られても――」


 入力を終えたノリトの指先が、彩色開始カラーリング・スタート記号画像(アイコン)軽叩(タップ)した矢先。


「――私ね、イオキベさんに告白したことがあるの」


 スズが言った。


「――えっ」


 突然の一言に、「脇目をふらんようにな」というピレルゴスの言葉も忘れ、ノリトは顔を上げた。体は、記号画像(アイコン)軽叩(タップ)したままの状態で、固まっている。


空軍士官学校(アカデミー)時代、まだほんの10歳の時。おませさん(・・・・・)だったわねぇ……」

「なんで、いきなり、そんな……」


 狼狽に揺れるノリトの瞳を、振り向いたスズの水色の瞳が捉えた。


 彼女自身でも良く分からないのか、困ったように微笑んでいる。


「ごめんなさいね、あれから10年も経つのに、急に思い出しちゃって」

「そう、なんですか……」

「彼の返事が面白いのよ。『お前さんはまだ、愛の質量を知らない』ですって」


 くすくす笑うスズに対して、少年は曖昧な笑顔を返した。


「……あー!」


 急に格納庫(ハンガー)の天井を見上げると、彼女は大きく背伸びをした。


「――ノリト君、体力訓練(フィジカル)しましょう!」

「――えっ」


 スズ・オラシオンは不意にノリトに顔を向けると、墨のように流れる総髪(ポニーテール)を揺らしながら、そう言って笑った。


「午後はずっと整備(メンテ)だったもの、体が鈍っちゃって……ノリト君も付き合って。ね?」

「は、はう」


 薄紅色の唇も鮮やかな微笑みに、少年が逆らえる訳もなかった。


 こうしてノリト・オロスコフは、予定よりずっと遅く、工程(メニュー)を終えることになった。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 汗を流してらっしゃい――へろへろになりながらオラシオン大尉に導かれた先、風呂場(バス)の扉を開いてノリトは呆然としていた。


 脱衣所(バス・ハウス)の向こうには湯気が立ち込め、大きな湯船(バス・タブ)を備えた見事な風呂場(バス・ルーム)が広がっている。文献(ドキュメント)でしか見たことが無い、大浴場(パブリック・バス)だ。


「おう、ノリト、遅かったな」


 呑気に風呂につかりながら、パーセウス・イオキベが少年に声を掛けた。


 胸までの金髪は、湯に触れないよう、総髪(ポニーテール)に結い上げられている。


「……体力訓練(フィジカル)してました」

「へ? なんで? お前、今日は一日、整備(メンテ)じゃなかったっけ?」


 極めてのんびりとしたイオキベの問い掛けに、少年はじっとりとした眼差しで返す。


「おろ? なんか攻撃的な視線」

「ノリト君、こっちこっち」


 洗い場(ウォッシャリィ)で体を洗っていたソブリオが、手招きする。普段は右目を隠している彼の前髪も、今は総撫で上げ髪(オールバック)になっていた。


 風呂場(バス・ルーム)出入り口(エントランス)から見て左奥に大きな浴槽(バス・タブ)があり、右手側の壁に、散湯器具(シャワー)(ミラー)洗面器(ウォッシュ・ボウル)風呂椅子(バス・チェア)が備えられた洗い場(ウォッシャリィ)が8つ並んでいる。


「はい、洗髪液(シャンプー)洗体液(ソープ)湯船(バス・タブ)に入る前に、ちゃんと洗ってね」

「有難うございます」


 ソブリオの好意に礼を返すと、少年は黙々と体を洗い始めた。


「なんか暗いね、あいつ、どうしたの?」

「……知らん」


 同じく湯船に体を沈めたアウダースが、イオキベの方を見もせずに言った。隆々とした肩の筋肉が、水面から乗り出している。目を閉じ、黒肌の額にじっとりと汗を掻いている様は、苦行に耐える僧侶のようにも見えた。


「しかしまぁ、飯といいこの風呂といい、ホントにここ、航空騎兵の基地かよ」


 イオキベが天井に見上げながら言った。


 無駄なく再利用(リユース)する仕組みがあるとはいえ、これだけの水を体を洗う為だけに用意すること自体、かなりの経費が掛かっているだろう。浴槽に張られているお湯の量は、ちょっとした養殖池が作れそうなほどだった。


前司令官(プレディセッサ)が最初に取り組んだのが、風呂の整備だそうです」


 苦笑しながら、ラソンが湯船(バス・タブ)に入ってきた。


「ガイツハルスといい、ベネトナシュの司令官(ここのコマンダー)は馬鹿ばっかりだな」

「あの人は有能な指揮官(ケイパブル)だった」

「はいはい、悪かったよ、褒め言葉だ」

「褒め言葉に聞こえん」


 思わず口をついたイオキベの毒舌に、瞑目したままでアウダースが抗議した。


「レーニスはどうしたんですか?」

「自室でバテてるよ」


 話題を変えようとしたラソンの問い掛けに、イオキベが肩をすくめながら答える。どうやらレーニス・ウルゼン少尉は、午後もイオキベの3番機の後部座席に座り、相当な飛行技術で揺られた上、盛大に吐いたらしい。


「まったく、あの野郎は……」


 目を閉じたまま、アウダースは歯噛みをした。


「まあ、そう言うなって。さすがオラシオン小隊、良い才覚(センス)は持ってると思うぜ。ただ、IFレンジが狭いとか、飛行技術(マニューバ)がこなれてないとか、その辺は訓練(トレイニング)だけじゃない、あいつを邪魔する何か(サムシング)を越えさせる必要があるな……」

何か(サムシング)?」


 目を開いて、アウダースが聞き返す。


「うん、何か(サムシング)。多分、恐れ(テラー)。それも、飛ぶことへの恐れじゃなくて、理解することへの、恐れ――まあ、こいつと同じだろうな」


 体を洗い終え、おそるおそる湯船(バス・タブ)に入ろうとしていたノリトの方を、イオキベは顎で差した。アウダースとソブリオの目線が、少年の方を向く。


「な、何ですか……」


 右足首だけを湯船に入れた格好で、ノリトの体は止まっていた。イオキベに顎で差されたのが気に障ったのか、あるいは何かイライラしているのか。少年は、工房長の碧眼にジト目で応える。


「お、なんだノリト、反抗期(リベリアス)か?」


 にやりと笑うと、イオキベはざぶりと音を立て、湯船の中で立ち上がった。


「どれどれ、どれぐらい大人になったか、世界青少年(WY)発育観測協会(GOA)の俺様が見てやろう」


 ――そう言うや否や、金髪の青年は黒髪の少年に躍り掛かる。


『ちょ、何すんですか、止めてください!』

『かかかかかか!』

『止め、止めろこの変態! 止め、あ゛っーーーーー!」


 ――ノリト・オロスコフの絶叫は、壁一枚を隔てた女湯(レディース)にも響いていた。


「あん人、ほんと、賑やかですよね。教官(メンター)時代もそうだったんですか?」


 ゆったりと湯船に背を預けながら、アンテットが尋ねた。黄金色の髪は頭上に結い上げられ、褐色の豊かな胸が、お湯の中で揺蕩(たゆた)っている。


「うーん、もっと張り詰めた感じはあったけど……賑やかだったのは、そうね。上官に逆らって謹慎処分を受けたりもしてたし」


 苦笑いしながら、スズが答える。玉のような肌を湯船の中で揉み解し、一日の疲れを癒している。香るような黒髪は、同じく頭上に結い上げられていた。


「やっぱりねぇ」


 アンテットが肩をすくめる。


「でも、ちょっと気になったりしてたんじゃないですか? 大尉(キャプテン)?」


 湯船に体を浸し、数を数えていたトゥシェが、急に身を乗り出すと、悪戯な目をして言った。栗色の髪は、短い双房髪ショート・ツインテールにまとめられている。


 う、と声を詰まらせるスズ。

 その頬が、お湯で温まる以上に、紅く染まる。


「えー!」


 思わぬ情報に、喜色を浮かべるアンテット。


大尉(キャプテン)が、あのおっさんに! 大尉(キャプテン)が? へーっ!」


 スズは困ったように眉根を寄せると、ぶくぶくと口元まで湯船に沈めた。


「そういうアンテットはどうなの?」


 無邪気な口ぶりで、トゥシェが矛先を変える。


「あ、あたし? あたしはそりゃ、まあ、色んな経験してきたもんだけど」

「へ~、ふ~ん」


 にやにやしながら、頬を染めたアンテットを、トゥシェが眺めた。


「あ、あんたの方こそどうなのよ!」

「えー、私わぁ、そういうのぉ、よく分かんないですぅ」


 両手を頬に当て、口をすぼめながら、トゥシェが返す。


「やだやだ! こういう()が一番危ないのよね! 可愛い顔して猛禽類(プリティ・ラプター)、ってやつ?」

「ふふ、そういうアンテットこそ、立派な体でまだおぼこグラマラス・イノセント、な感じ?」

「きー! 言ったわね!」

「うふふ、や~ん!」


 激しく飛沫を上げながら、アンテットがトゥシェに躍り掛かった。


 男湯(メンズ)女湯(レディース)、双方から奇声や叫び声が上がるのを聞きながら、スズ・オラシオンはずっと、湯船(バス・タブ)でぶくぶくと(あぶく)を立てていた。




(つづく)




 はわ! はわわわわわ!(惑乱)

 厳かなシーンで終わるはずが、お風呂で終わってしまいました……。

 という訳で、今回は「空葬・前編」をお届けいたしました。

 俺、アホス!

 アホストロフィ(’)!


 次回「空葬・中編」。

 さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(あほすとろふぃ’!)

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